2019年05月07日 (火) | 編集 |
(はじめに)、(小学生編)。
"ポリティカル・コレクトネスとフェミニズム"。
何て煽情的なサブタイトル。炎上狙いか?(笑)
まあ残念ながら(?)、そういう内容ではないと思います。"期待"にはそぐえないかと。(笑)
大学生編
1.PMRCとポリティカル・コレクトネス
(1)ポリティカル・コレクトネスとPMRC
ポリティカル・コレクトネス
"大統領候補"ドナルド・トランプの言動が話題になるようになったのは2015~16年頃でしょうが、さすがにそれでは最近過ぎるか。Wikiに載っている目立つ用例として、「スチュワーデス→キャビンアテンダント」が1996年、「看護婦→看護師」が2002年ですから、そこらへんでは既に"実態"としては認知されていたはずですが、言葉としてはどうだったか。
・・・「トルコ風呂→ソープランド」(1984)は、それはまた別枠な気がするぞ?Wiki編者(笑)。ところで「ジンギスカン」はいつまで使われ続けるのか。「セクシー女優」という言い換えには、何の意味があるのか。
とりあえずじゃあ"実態"(「キャビンアテンダント」)と"ブーム"(トランプ)の中を取って、2000年代末くらいと想定しておきましょうか。
発祥の地アメリカでは1980年代ということになっていますが、実は僕個人としては、それとほとんど時差なくこの言葉に触れている、意識する経験をしているんですよね。
それは別に僕が事情通だったからでも意識が高かったからでもなく、ヘヴィ・メタルファンだったからです(笑)。この"ポリティカル・コレクトネス"的潮流の中で生まれた「PMRC」というポピュラーミュージックの歌詞表現に関する検閲組織(1985年設立)が、ヘヴィ・メタルの人気バンド"ジューダス・プリースト"や"トゥイステッド・シスター"を標的にし(「最も不愉快な15曲のリスト」)、それを問題視したヘヴィ・メタル専門誌"BURRN!"


が外部ライターに依頼した比較的本格的な特集記事を何度か載せていたからです。その中で"ポリティカル・コレクトネス(PC)"という言葉も、背景の話として出て来ていた。・・・"PC"という略語は割りと使われていましたかね。"ポリコレ"は記憶に無い。
1985年というと僕はまだ高校生ですし(つまり"BURRN!"は小遣いでは買えない)、アメリカと日本の時間差を考えると1986~88年頃の話ですかね。PMRCをディスったジューダス・プリーストの曲"Parental Guidance"('86)をアルバムで聴いた時はまだポカーンとしていた記憶がありますから(笑)、'87年以降が有力。
とにかくまあだから、約20年後に再び身の周りでこの言葉が比較的頻繁に聴かれるようになった時は、「あ、懐かしい、あったねそんなの」というのがまずもっての感想でした(笑)。「まだそんな話してるの?」とまでは思いませんが、"言葉"として現役である(むしろホット(笑))ことには少し驚きました。
(2)"ポリコレ"は「右」なのか「左」なのか
当然「左」なわけでしょうけどね、現在の文脈では。理論的にも多分どちらかと言えばそう。
ただ当時大学生の僕がジューダスらに加えられていたこうした圧力をどういうイメージで見ていたかというと、むしろ「右」サイドのイメージでしたね。だからPMRCの旗振り役として主に名前の挙がっていた"ティッパー・ゴア"というおばさん(失礼。でもほんとにそういう、少女漫画に出て来る三角眼鏡でガリガリのキンキンうるさいおばさん教師のイメージ)が、後に"民主党"の副大統領アル・ゴアの夫人であると知った時は、え?共和党じゃなかったの?と結構びっくりしました(笑)。悪いことをするのは、うるさいことを言うのは、全部共和党かと思ってた。
(実際のティッパー・ゴア。

"三角眼鏡のキンキンおばさん"というより、"肝っ玉母さん"とかに近いイメージかな?(笑)
尚更「右」的でもあるかも)
より正確には、「左」と「右」、ではなくて、「リベラル≒価値寛容」と「全体主義・国家主義≒画一的正義の押し付け」という対立のイメージでしょうけどね。日本において「リベラル」という言葉・概念が「左」と結び付けられるようになるのは、かなり最近。あえて右左で言うなら、「中道左派」と「極右」の対立というイメージ?それこそ『太陽にほえろ!』(前回)は思想的にはリベラルですけど、社会における"位置"的にはどう見ても真ん中へんですから。
こうしたイメージの元には、PMRCが単なる民間団体というよりワシントンの有力政治家夫人たちによるほぼ「政府」側の活動として存在していたというのは、当然大きいと思います。最初から"権力"を持っていた。またゴア夫人の夫は民主党ですけど、次に名前の挙がるベイカー夫人の夫(ジェイムズ・ベイカー)はバリバリの共和党。やはり直接の"党派"というよりも「体制側」であることに特徴のある運動だったのは、間違いないと思います。
とにかくだから、当時の僕としては"リベラル"な立場として"ポリコレ"と敵対していた認識だったので、後に「リベラル」と「ポリコレ」がセットで槍玉に上がる形で再登場して来た時には、え?え?え?何のこと?俺はティッパーおばさん側なの?と、かなり当惑させられました。
まあこういうある種ナチュラルな"リベラル"の社会的位置づけが途中から激変して戸惑うという経験は、僕前後の世代のある程度以上"知的"と自負する層の人の多くが、経験していることだと思いますが。
真ん中ないしニュートラルだと思っていたら、「左」にされた。単なる"良心"、人類普遍の理想だと思っていたら特定の「思想」にされたというか。
そうなったことについては、(理論的に)正当な部分と不当ないし過剰な部分と、両方があると思いますが、まあそれは結論的な話になるのでまた後で。
(3)「ポリティカル・コレクトネス」と「言葉狩り」
当時の話に戻って。
PMRC/ティッパー・ゴアによる"検閲"的運動が、かなり具体的な政治権力として、また戦後日本が正に手本とした"リベラル"の本家、"自由の国"アメリカ発の動きとして登場したことにはそれ相当のインパクトはあったわけですが(アメリカの根っこの部分の保守性や宗教的原理主義の存在に気付くのはもっと後)、ただ「戦い」の性格としては、「敵」としてのポリティカル・コレクトネスの本質性については、一方で実は"既視感"のある部分もあったりしました。
これ知ってる。要するに「言葉狩り」だよね?
"言葉狩り"
ただし'"1993年"というのは随分と新しい話で、つまりこの『無人警察』


における"てんかん"描写をめぐるある種のバッシング、筒井康隆の立場からすれば「言葉狩り」によって"断筆宣言"という決定的な事態に至った(筒井康隆Wiki)、それをもって「言葉狩り」という"言葉"が認知浸透を見たという編者の記述ですが、ではそれ以前はどうだったかというと少なくとも僕が筒井康隆を読み始めた小学校時代(遅くとも'80年代)には、既に随所で筒井康隆は各種メディア・勢力による自分の作品への表現規制の文句を直接間接に書いていたはずですし、「言葉狩り」という言葉自体も筒井康隆本人(の発案)によるかどうかは定かではないですが目にしていた記憶があります。・・・実際その"集大成"(笑)というか"堪忍袋の緒が切れ"た事態として、「断筆宣言」もあったわけでしょうし。いきなりぶち切れたわけではない。(笑)
"時期"の問題として更に付言するならば、これは今回気付いたことですがとりあえずこの"1993年"の時点では、こうした問題は「言葉狩り」の問題として扱われていたことがこの件で分かりますね。まだ"ポリティカル・コレクトネス"ではない。
ならば1996年の"キャビンアテンダント"も、そうかな?2002年の"看護師"だとどうだろう。"ブロードバンド元年"が2001年だそうですから(ADSLWiki)、そろそろアメリカの状況(言葉)がダイレクトに入って来てもおかしくない頃かも。まあいいや。
一応言っておくと、「言葉狩り」というのは"狩られる"側の言い方で、「ポリティカル・コレクトネス」というのは"狩る"側ないし中立の概念なので、最初から非対称と言えば非対称なんですけどね。
ただそれはそれとしてこの二つの言葉がほぼ同じような意味同じような事態について言っている、あるいは違う時代背景における連続的な問題意識を扱っているのは明らかだと思います。
そこから何が言えるかというと、一つは勿論、今日言うところの「ポリティカル・コレクトネス」、言葉の"正しさ"という問題は、別にアメリカ発の問題ではなくて日本にも昔から存在していた問題であるということ。
そしてそこから更に踏み込むと、「ポリティカル・コレクトネス」(を目指す事)は必ずしも今日のように"左"と結び付けられる問題ではなくて、今"右"側という自意識を多く持つ人たちが抵抗しているように、昔の日本の知識人、総じて現在の観点からは"左翼的"とされるだろう知識人たちも、同じように抵抗していたということ。(その代表として筒井康隆が相応しいのかにはいささか疑問もあるんですけど、ややこしくなるので今回は割愛。)
右翼にとっても左翼にとっても、「ポリティカル・コレクトネス」は敵であると。(笑)
まあ「言論統制」されて喜ぶ"知識人""知性"というのはちょっとどうかしてますから、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。(笑)
とにかくだから恐らく「ポリティカル・コレクトネス」や「言葉狩り」の問題を解く、説明するには、"左""右"とは別の視点が必要となるはず。"左右"の違い自体はあると思いますが、ただそれは左だから賛成するとか右だから反対するとか、そういう単純な話ではない。・・・これ以上書き出すと本論の目的からずれてしまうので、そこらへんについては余裕があれば、最後にでも論じてみようかなと思いますが。
2.上野千鶴子とフェミニズム
"ポリティカル・コレクトネスとフェミニズム"。
何て煽情的なサブタイトル。炎上狙いか?(笑)
まあ残念ながら(?)、そういう内容ではないと思います。"期待"にはそぐえないかと。(笑)
大学生編
PMRCとポリティカル・コレクトネス 左?右?
上野千鶴子とフェミニズム 左
渋谷陽一の音楽批評 左右双方
栗本慎一郎と現代思想 左であり右
呉智英の「封建主義」 右
大本教への興味 右
"市民運動家"との出会い 反左
1.PMRCとポリティカル・コレクトネス
(1)ポリティカル・コレクトネスとPMRC
ポリティカル・コレクトネス
日本において「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が普通に聞かれるようになった・・・"普通"というのはつまり、インターネットは普通(笑)にやるけれど特別政治や社会問題に関心があるわけではなく、立ち寄り先は専らニュースサイトやツイッターや趣味関連のブログ程度という僕のような人の目にも触れるようになったという意味ですが、それを"普通"と言っていいならそれはいつ頃のことでしょうかね。性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用することを指す。(Wiki)
"大統領候補"ドナルド・トランプの言動が話題になるようになったのは2015~16年頃でしょうが、さすがにそれでは最近過ぎるか。Wikiに載っている目立つ用例として、「スチュワーデス→キャビンアテンダント」が1996年、「看護婦→看護師」が2002年ですから、そこらへんでは既に"実態"としては認知されていたはずですが、言葉としてはどうだったか。
・・・「トルコ風呂→ソープランド」(1984)は、それはまた別枠な気がするぞ?Wiki編者(笑)。ところで「ジンギスカン」はいつまで使われ続けるのか。「セクシー女優」という言い換えには、何の意味があるのか。
とりあえずじゃあ"実態"(「キャビンアテンダント」)と"ブーム"(トランプ)の中を取って、2000年代末くらいと想定しておきましょうか。
発祥の地アメリカでは1980年代ということになっていますが、実は僕個人としては、それとほとんど時差なくこの言葉に触れている、意識する経験をしているんですよね。
それは別に僕が事情通だったからでも意識が高かったからでもなく、ヘヴィ・メタルファンだったからです(笑)。この"ポリティカル・コレクトネス"的潮流の中で生まれた「PMRC」というポピュラーミュージックの歌詞表現に関する検閲組織(1985年設立)が、ヘヴィ・メタルの人気バンド"ジューダス・プリースト"や"トゥイステッド・シスター"を標的にし(「最も不愉快な15曲のリスト」)、それを問題視したヘヴィ・メタル専門誌"BURRN!"
が外部ライターに依頼した比較的本格的な特集記事を何度か載せていたからです。その中で"ポリティカル・コレクトネス(PC)"という言葉も、背景の話として出て来ていた。・・・"PC"という略語は割りと使われていましたかね。"ポリコレ"は記憶に無い。
1985年というと僕はまだ高校生ですし(つまり"BURRN!"は小遣いでは買えない)、アメリカと日本の時間差を考えると1986~88年頃の話ですかね。PMRCをディスったジューダス・プリーストの曲"Parental Guidance"('86)をアルバムで聴いた時はまだポカーンとしていた記憶がありますから(笑)、'87年以降が有力。
とにかくまあだから、約20年後に再び身の周りでこの言葉が比較的頻繁に聴かれるようになった時は、「あ、懐かしい、あったねそんなの」というのがまずもっての感想でした(笑)。「まだそんな話してるの?」とまでは思いませんが、"言葉"として現役である(むしろホット(笑))ことには少し驚きました。
(2)"ポリコレ"は「右」なのか「左」なのか
当然「左」なわけでしょうけどね、現在の文脈では。理論的にも多分どちらかと言えばそう。
ただ当時大学生の僕がジューダスらに加えられていたこうした圧力をどういうイメージで見ていたかというと、むしろ「右」サイドのイメージでしたね。だからPMRCの旗振り役として主に名前の挙がっていた"ティッパー・ゴア"というおばさん(失礼。でもほんとにそういう、少女漫画に出て来る三角眼鏡でガリガリのキンキンうるさいおばさん教師のイメージ)が、後に"民主党"の副大統領アル・ゴアの夫人であると知った時は、え?共和党じゃなかったの?と結構びっくりしました(笑)。悪いことをするのは、うるさいことを言うのは、全部共和党かと思ってた。
(実際のティッパー・ゴア。

"三角眼鏡のキンキンおばさん"というより、"肝っ玉母さん"とかに近いイメージかな?(笑)
尚更「右」的でもあるかも)
より正確には、「左」と「右」、ではなくて、「リベラル≒価値寛容」と「全体主義・国家主義≒画一的正義の押し付け」という対立のイメージでしょうけどね。日本において「リベラル」という言葉・概念が「左」と結び付けられるようになるのは、かなり最近。あえて右左で言うなら、「中道左派」と「極右」の対立というイメージ?それこそ『太陽にほえろ!』(前回)は思想的にはリベラルですけど、社会における"位置"的にはどう見ても真ん中へんですから。
こうしたイメージの元には、PMRCが単なる民間団体というよりワシントンの有力政治家夫人たちによるほぼ「政府」側の活動として存在していたというのは、当然大きいと思います。最初から"権力"を持っていた。またゴア夫人の夫は民主党ですけど、次に名前の挙がるベイカー夫人の夫(ジェイムズ・ベイカー)はバリバリの共和党。やはり直接の"党派"というよりも「体制側」であることに特徴のある運動だったのは、間違いないと思います。
とにかくだから、当時の僕としては"リベラル"な立場として"ポリコレ"と敵対していた認識だったので、後に「リベラル」と「ポリコレ」がセットで槍玉に上がる形で再登場して来た時には、え?え?え?何のこと?俺はティッパーおばさん側なの?と、かなり当惑させられました。
まあこういうある種ナチュラルな"リベラル"の社会的位置づけが途中から激変して戸惑うという経験は、僕前後の世代のある程度以上"知的"と自負する層の人の多くが、経験していることだと思いますが。
真ん中ないしニュートラルだと思っていたら、「左」にされた。単なる"良心"、人類普遍の理想だと思っていたら特定の「思想」にされたというか。
そうなったことについては、(理論的に)正当な部分と不当ないし過剰な部分と、両方があると思いますが、まあそれは結論的な話になるのでまた後で。
(3)「ポリティカル・コレクトネス」と「言葉狩り」
当時の話に戻って。
PMRC/ティッパー・ゴアによる"検閲"的運動が、かなり具体的な政治権力として、また戦後日本が正に手本とした"リベラル"の本家、"自由の国"アメリカ発の動きとして登場したことにはそれ相当のインパクトはあったわけですが(アメリカの根っこの部分の保守性や宗教的原理主義の存在に気付くのはもっと後)、ただ「戦い」の性格としては、「敵」としてのポリティカル・コレクトネスの本質性については、一方で実は"既視感"のある部分もあったりしました。
これ知ってる。要するに「言葉狩り」だよね?
"言葉狩り"
あからさまに不十分な記述として運営に叱られていますが(笑)、結構これでイメージは伝わると思います、特に「筒井康隆」の名前が出て来たあたりで。特定の言葉の使用を禁じる社会的規制を否定的に表現した言葉。
1993年に起きた筒井康隆の作品「無人警察」における一連の事件の中で扱われ世間に浸透した。(Wiki)
ただし'"1993年"というのは随分と新しい話で、つまりこの『無人警察』
における"てんかん"描写をめぐるある種のバッシング、筒井康隆の立場からすれば「言葉狩り」によって"断筆宣言"という決定的な事態に至った(筒井康隆Wiki)、それをもって「言葉狩り」という"言葉"が認知浸透を見たという編者の記述ですが、ではそれ以前はどうだったかというと少なくとも僕が筒井康隆を読み始めた小学校時代(遅くとも'80年代)には、既に随所で筒井康隆は各種メディア・勢力による自分の作品への表現規制の文句を直接間接に書いていたはずですし、「言葉狩り」という言葉自体も筒井康隆本人(の発案)によるかどうかは定かではないですが目にしていた記憶があります。・・・実際その"集大成"(笑)というか"堪忍袋の緒が切れ"た事態として、「断筆宣言」もあったわけでしょうし。いきなりぶち切れたわけではない。(笑)
"時期"の問題として更に付言するならば、これは今回気付いたことですがとりあえずこの"1993年"の時点では、こうした問題は「言葉狩り」の問題として扱われていたことがこの件で分かりますね。まだ"ポリティカル・コレクトネス"ではない。
ならば1996年の"キャビンアテンダント"も、そうかな?2002年の"看護師"だとどうだろう。"ブロードバンド元年"が2001年だそうですから(ADSLWiki)、そろそろアメリカの状況(言葉)がダイレクトに入って来てもおかしくない頃かも。まあいいや。
一応言っておくと、「言葉狩り」というのは"狩られる"側の言い方で、「ポリティカル・コレクトネス」というのは"狩る"側ないし中立の概念なので、最初から非対称と言えば非対称なんですけどね。
ただそれはそれとしてこの二つの言葉がほぼ同じような意味同じような事態について言っている、あるいは違う時代背景における連続的な問題意識を扱っているのは明らかだと思います。
そこから何が言えるかというと、一つは勿論、今日言うところの「ポリティカル・コレクトネス」、言葉の"正しさ"という問題は、別にアメリカ発の問題ではなくて日本にも昔から存在していた問題であるということ。
そしてそこから更に踏み込むと、「ポリティカル・コレクトネス」(を目指す事)は必ずしも今日のように"左"と結び付けられる問題ではなくて、今"右"側という自意識を多く持つ人たちが抵抗しているように、昔の日本の知識人、総じて現在の観点からは"左翼的"とされるだろう知識人たちも、同じように抵抗していたということ。(その代表として筒井康隆が相応しいのかにはいささか疑問もあるんですけど、ややこしくなるので今回は割愛。)
右翼にとっても左翼にとっても、「ポリティカル・コレクトネス」は敵であると。(笑)
まあ「言論統制」されて喜ぶ"知識人""知性"というのはちょっとどうかしてますから、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。(笑)
とにかくだから恐らく「ポリティカル・コレクトネス」や「言葉狩り」の問題を解く、説明するには、"左""右"とは別の視点が必要となるはず。"左右"の違い自体はあると思いますが、ただそれは左だから賛成するとか右だから反対するとか、そういう単純な話ではない。・・・これ以上書き出すと本論の目的からずれてしまうので、そこらへんについては余裕があれば、最後にでも論じてみようかなと思いますが。
2.上野千鶴子とフェミニズム
(1)「自由」思想としてのフェミニズム
定かではないですがこの時期、大学の比較的早い時期に、上野千鶴子の本とも出会っています。
・・・今一瞬高校の校舎のイメージがよぎったので、親元を離れて東京で下宿して大学に通いつつも、まだまだ親とも密に連絡を取っていた"可愛い"時代ということですね、多分。(笑)
最初に読んだのはこの本、1988年発行の『女遊び』。


1988年か。じゃあ比較的発売すぐに購入したのかな。版にもよりますが。もう手元に無いんで分かりません。
買ったきっかけは・・・書名に惹かれてです(笑)。ええそうですよ、まんまと引っかかりました。編集の狙い通りです、多分。(笑)
内容はエッセイ集で、エッセイの形でフェミニズムや社会学について平易に解説した入門書的なもの。
"フェミニズム"の本だということは知っていたと思いますが、どちらかというとやはり"女"について知りたい、"女の本音"的なものをある程度学術的に書いたものを読みたいという、そんな動機だったような気がします。
その後3,4冊、より学術的なものや面白そうなものを、パラパラと読んだかな?いずれももう売ってしまいましたが。
そうして触れた上野千鶴子のフェミニズム言説、"マルクス主義フェミニズム"と分類されるらしいそれを僕がどう受け取ったかというと・・・。比較的すんなり受け入れられましたかね。ただし、かなり自己流のやり方で。
「自己流」とはどういうことかと言うと、こうです。なるほど、これは要は「自由」についての話だなと。「平等」ではなくて。少なくともそう解釈することは可能だなと。
平等ではなくて自由。具体的にどういうことかというと、"フェミニズム"の問題化する最も初源的というか卑近な状況、とある男女の"カップル"間の関係性という状況を使って言うと。
二人の関係を「男が上で女が下」という、伝統的社会の偏見的定義に従わせるのは(確かに)間違っている。しかしそれは男女が"平等"だからではなくて、「二人」の関係は「二人」で決めるべきだからという自己決定権の問題、自分(たち)に関わる問題を自分(たち)で決める"自由"の問題だと、ほとんど一瞬で僕は読み換えました。"一瞬"は大げさかもしれませんが、少なくとも最初の本を読んでいる間には。
そしてこうして読み換えたフェミニズム理解は、結局続く数冊の上野千鶴子本を読み進める中でも、特に破綻はしなかったというか概ね"賛同"的に読む上で、支障は無かったというか。言い方違うだけで同じことだろうと。少なくとも目的、"志"は同じだろうと。男も女もなるべくみんなが幸せになれるように、社会や慣習に不本意なことを強いられないで生きられるように。願いは一つ。
真面目にフェミニズムが言っていることというのは、学派は様々あれど要は自己決定権や選択肢の出来る限りの拡張、あるいは慣習や一般的形式よりも常に"目の前"の"個別"の状況の斟酌を優先させること、それだけではないかと僕は思いますけどね。僕の"受け入れる"フェミニズムはというか。"目の前"の"個別"の、「僕たち」の関係も、その代表的な一つ。(と、最初の話に戻る)
だからこれは単に「女」の権利の問題ではなくて、男も幸せにするものだと、そう少なくとも僕が読んだ時期の上野千鶴子は言っていましたし、それに僕も基本的に賛成していました。それを承けての「女性学」(フェミニズム)に対する「男性学」を唱える人の本なども、読んでみましたっけ。(笑)
そうでないフェミニズム、言い換えると「自由」の問題と読み換えられないフェミニズムについては、僕は多分受け入れられません。総じて"結果的平等"を押しつけるタイプのフェミニズム、伝統的社会が「男が上で女が下」を押し付けて来たのと、余り変わらない口ぶりで「男と女の形式的"平等"」を押し付けて来るものは。
(2)「自由」への読み換えの持つ意味
"フェミニズム"についての基本的な理解は、これくらいで十分だと、今でも僕は思っています。この「基本」を押さえておけば、たいていの状況において、概ね満足の行く振る舞いが出来るというか。それでも残る"性"の根源の問題はあるように思いますが、それは果たして「思想」というアプローチで現状処理出来るようなものなのかどうか。
「運動」のバリエーションや方法論の個別の問題は、ちょっと僕の扱い範囲を越えます。直面する羽目になったら、改めて考えるという感じで。(笑)
ここで問題にしたいのは、僕のフェミニズム(の"平等")思想の「自由」への読み換え、それがなぜ必要だったのかということ。"結果的に同じこと"であるならば、逆になぜ「平等」ではいけなかったのか。
それは一言で言えば・・・嫌だったからだと思います(笑)。単純に。目的は理解・賛同しても、アプローチとして気が進まなかった。
何が。
「平等」という題目の、余りの"正しさ"が。反対し難い"正しさ"が、"論"を機能しなくさせる教義性が。結論の固定性が。
この"正しさ"への忌避感というのは、要するに1の「ポリティカル・コレクトネス」の"コレクトネス"への抵抗感と、根は同じものでしょうね。そこでどうしても僕は踏みとどまる。踏みとどまらない人は、抵抗を感じない人は、より純度の高い"左"への道に進むのでしょう。(さようなら)
逆になぜ「自由」ならいいかというと、"正しく"ないからです。つまり「自由」というのは要するにそうありたいという"欲望"のことですから、一種の自然物です。自然物に"正しい"も"正し"くないもそもそも無いので。ただそうあるだけ。"欲望"であるという自覚の元でなら、安心してその先の論を展開出来る。その限界や制限込みの、現象学的なアプローチで、粛々と。
ここらへんを掘り下げて行くと、かなり本格的な「哲学」の話になって行くわけですが、今回の考察の目的は僕の"右"性と"左"性のありようや源を探ることなので、その範囲ではここではこれくらいで十分だろうと思います。僕の分岐点、"左"への転回が止まるポイントを見出せたことで。
そもそも上野千鶴子を読んだ時点では、僕はそれほど「哲学」的な青年(少年?)ではなかった、少なくとも具体的な素養はほとんどなく、自覚的思考の訓練も積んでいなかったので。ただ本能的に、受け入れ可能なものとそうでないものを区分けていただけで。
「フェミニズム」自体も、言ってみれば一つのフィールドでしかなくて、そこまでのインパクトは無かったんですよね、正直なところ。一種の思考実験、既に自分が身に付けていた思考の型や技で、"処理"出来るのかどうかの。結果"出来た"というのが、(当時の)自己評価だったわけですけど。まあそこらへんはやはり、"他人事"だったのかも知れない。"男"の身の甘さというか。フェミニズムそのものに興味があるわけではない。
個別になるほどと思わされたことはあったけれど、別に思想としてのフェミニズムを"知"らなくても、恐らく僕は女性に対して、性差なりジェンダーなりという問題に対して、ほとんど変わらない態度を取っていると思います。"本能"だけでもね(笑)。直観に根差した思考だけでというか。
"右""左"の問題に戻せば、だから上野千鶴子とフェミニズムは、僕を"左"に向かわせたわけではない。そういう意味では、『太陽にほえろ!』に比べても(笑)、"影響"は薄い。
ただそれでも"読んだ"ことによって、フェミニズム言説の具体例代表例に触れたことで、自分の中のそちらに重なる部分が確認出来た、ある種"フェミニスト"(としてもディベート可能な)自分を確立出来たという意味で、"新しく"はないけれど"強化"したという意味では、左的「影響」とは、言えると思います。
逆にその限界や難点も見えて、"それ以上その先には行けない"という逆方向の足場が出来たという部分も、無くはないんですけど。
とりあえず以上。
まあ「ポリティカル・コレクトネス」(言葉狩り)も「フェミニズム」も、本当はもっと語りたいこと語る必要のあることは切りなくあって、つい筆か滑って書いては消し書いては消し、実際にはこの倍以上の分量を書きかけてはいるんですけど(笑)、先もあることですし、最低限必要なこととしてはここらへんかなと。
大学生編の [2] へ続く。
(または"番外"『渋谷陽一の「思想」』編へ)
定かではないですがこの時期、大学の比較的早い時期に、上野千鶴子の本とも出会っています。
・・・今一瞬高校の校舎のイメージがよぎったので、親元を離れて東京で下宿して大学に通いつつも、まだまだ親とも密に連絡を取っていた"可愛い"時代ということですね、多分。(笑)
最初に読んだのはこの本、1988年発行の『女遊び』。
1988年か。じゃあ比較的発売すぐに購入したのかな。版にもよりますが。もう手元に無いんで分かりません。
買ったきっかけは・・・書名に惹かれてです(笑)。ええそうですよ、まんまと引っかかりました。編集の狙い通りです、多分。(笑)
内容はエッセイ集で、エッセイの形でフェミニズムや社会学について平易に解説した入門書的なもの。
"フェミニズム"の本だということは知っていたと思いますが、どちらかというとやはり"女"について知りたい、"女の本音"的なものをある程度学術的に書いたものを読みたいという、そんな動機だったような気がします。
その後3,4冊、より学術的なものや面白そうなものを、パラパラと読んだかな?いずれももう売ってしまいましたが。
そうして触れた上野千鶴子のフェミニズム言説、"マルクス主義フェミニズム"と分類されるらしいそれを僕がどう受け取ったかというと・・・。比較的すんなり受け入れられましたかね。ただし、かなり自己流のやり方で。
「自己流」とはどういうことかと言うと、こうです。なるほど、これは要は「自由」についての話だなと。「平等」ではなくて。少なくともそう解釈することは可能だなと。
平等ではなくて自由。具体的にどういうことかというと、"フェミニズム"の問題化する最も初源的というか卑近な状況、とある男女の"カップル"間の関係性という状況を使って言うと。
二人の関係を「男が上で女が下」という、伝統的社会の偏見的定義に従わせるのは(確かに)間違っている。しかしそれは男女が"平等"だからではなくて、「二人」の関係は「二人」で決めるべきだからという自己決定権の問題、自分(たち)に関わる問題を自分(たち)で決める"自由"の問題だと、ほとんど一瞬で僕は読み換えました。"一瞬"は大げさかもしれませんが、少なくとも最初の本を読んでいる間には。
そしてこうして読み換えたフェミニズム理解は、結局続く数冊の上野千鶴子本を読み進める中でも、特に破綻はしなかったというか概ね"賛同"的に読む上で、支障は無かったというか。言い方違うだけで同じことだろうと。少なくとも目的、"志"は同じだろうと。男も女もなるべくみんなが幸せになれるように、社会や慣習に不本意なことを強いられないで生きられるように。願いは一つ。
真面目にフェミニズムが言っていることというのは、学派は様々あれど要は自己決定権や選択肢の出来る限りの拡張、あるいは慣習や一般的形式よりも常に"目の前"の"個別"の状況の斟酌を優先させること、それだけではないかと僕は思いますけどね。僕の"受け入れる"フェミニズムはというか。"目の前"の"個別"の、「僕たち」の関係も、その代表的な一つ。(と、最初の話に戻る)
だからこれは単に「女」の権利の問題ではなくて、男も幸せにするものだと、そう少なくとも僕が読んだ時期の上野千鶴子は言っていましたし、それに僕も基本的に賛成していました。それを承けての「女性学」(フェミニズム)に対する「男性学」を唱える人の本なども、読んでみましたっけ。(笑)
そうでないフェミニズム、言い換えると「自由」の問題と読み換えられないフェミニズムについては、僕は多分受け入れられません。総じて"結果的平等"を押しつけるタイプのフェミニズム、伝統的社会が「男が上で女が下」を押し付けて来たのと、余り変わらない口ぶりで「男と女の形式的"平等"」を押し付けて来るものは。
(2)「自由」への読み換えの持つ意味
"フェミニズム"についての基本的な理解は、これくらいで十分だと、今でも僕は思っています。この「基本」を押さえておけば、たいていの状況において、概ね満足の行く振る舞いが出来るというか。それでも残る"性"の根源の問題はあるように思いますが、それは果たして「思想」というアプローチで現状処理出来るようなものなのかどうか。
「運動」のバリエーションや方法論の個別の問題は、ちょっと僕の扱い範囲を越えます。直面する羽目になったら、改めて考えるという感じで。(笑)
ここで問題にしたいのは、僕のフェミニズム(の"平等")思想の「自由」への読み換え、それがなぜ必要だったのかということ。"結果的に同じこと"であるならば、逆になぜ「平等」ではいけなかったのか。
それは一言で言えば・・・嫌だったからだと思います(笑)。単純に。目的は理解・賛同しても、アプローチとして気が進まなかった。
何が。
「平等」という題目の、余りの"正しさ"が。反対し難い"正しさ"が、"論"を機能しなくさせる教義性が。結論の固定性が。
この"正しさ"への忌避感というのは、要するに1の「ポリティカル・コレクトネス」の"コレクトネス"への抵抗感と、根は同じものでしょうね。そこでどうしても僕は踏みとどまる。踏みとどまらない人は、抵抗を感じない人は、より純度の高い"左"への道に進むのでしょう。(さようなら)
逆になぜ「自由」ならいいかというと、"正しく"ないからです。つまり「自由」というのは要するにそうありたいという"欲望"のことですから、一種の自然物です。自然物に"正しい"も"正し"くないもそもそも無いので。ただそうあるだけ。"欲望"であるという自覚の元でなら、安心してその先の論を展開出来る。その限界や制限込みの、現象学的なアプローチで、粛々と。
ここらへんを掘り下げて行くと、かなり本格的な「哲学」の話になって行くわけですが、今回の考察の目的は僕の"右"性と"左"性のありようや源を探ることなので、その範囲ではここではこれくらいで十分だろうと思います。僕の分岐点、"左"への転回が止まるポイントを見出せたことで。
そもそも上野千鶴子を読んだ時点では、僕はそれほど「哲学」的な青年(少年?)ではなかった、少なくとも具体的な素養はほとんどなく、自覚的思考の訓練も積んでいなかったので。ただ本能的に、受け入れ可能なものとそうでないものを区分けていただけで。
「フェミニズム」自体も、言ってみれば一つのフィールドでしかなくて、そこまでのインパクトは無かったんですよね、正直なところ。一種の思考実験、既に自分が身に付けていた思考の型や技で、"処理"出来るのかどうかの。結果"出来た"というのが、(当時の)自己評価だったわけですけど。まあそこらへんはやはり、"他人事"だったのかも知れない。"男"の身の甘さというか。フェミニズムそのものに興味があるわけではない。
個別になるほどと思わされたことはあったけれど、別に思想としてのフェミニズムを"知"らなくても、恐らく僕は女性に対して、性差なりジェンダーなりという問題に対して、ほとんど変わらない態度を取っていると思います。"本能"だけでもね(笑)。直観に根差した思考だけでというか。
"右""左"の問題に戻せば、だから上野千鶴子とフェミニズムは、僕を"左"に向かわせたわけではない。そういう意味では、『太陽にほえろ!』に比べても(笑)、"影響"は薄い。
ただそれでも"読んだ"ことによって、フェミニズム言説の具体例代表例に触れたことで、自分の中のそちらに重なる部分が確認出来た、ある種"フェミニスト"(としてもディベート可能な)自分を確立出来たという意味で、"新しく"はないけれど"強化"したという意味では、左的「影響」とは、言えると思います。
逆にその限界や難点も見えて、"それ以上その先には行けない"という逆方向の足場が出来たという部分も、無くはないんですけど。
とりあえず以上。
まあ「ポリティカル・コレクトネス」(言葉狩り)も「フェミニズム」も、本当はもっと語りたいこと語る必要のあることは切りなくあって、つい筆か滑って書いては消し書いては消し、実際にはこの倍以上の分量を書きかけてはいるんですけど(笑)、先もあることですし、最低限必要なこととしてはここらへんかなと。
大学生編の [2] へ続く。
(または"番外"『渋谷陽一の「思想」』編へ)
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