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相変わらずグリングリン来る『少女ファイト』
2006年12月26日 (火) | 編集 |
少女ファイト 1 (1) 少女ファイト 1 (1)
日本橋 ヨヲコ (2006/07/21)
講談社

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今号のイブニング。
いかん、一挙一動がツボにはまる。日本橋先生、結婚して下さい!
・・・・いや、今回の最終コマの「....フン」とか、天才的だと思いますね今更ですが。

 「私は・・・・自分のプレーの個性をなくしたいです」

という大石練の天才ゆえの懊悩、魂の叫びを、「フン」の一言で受け流す監督。ありえねえ、けどありなんですね、あれでいいんですよ、通じてるんですよ。

一見無関心のようですが、興趣をそそられたからこそ「フン」というある意味では肉体的な反応を監督は示したわけで。そうじゃなければ無視するかサクサクと否定します。どのみちこうこうこうだとあの場で「解決」されても大石練は納得するわけない(監督も「答え」は持ってないでしょう)ので、あれでちゃんと練的には監督は受け止めてくれているという一定の安心感は得たはずです。
近いレベルどうしだから通じる話ですが。中学時代だったら疎外感ものでしょうが。黒曜谷に来て良かったね練。

作者的にはそんなに論理的なシーンではないと思いますけどね。注意深くはあっても直感的な、その分「スパルタ監督」の紋切り型には陥らないですんでいる描写。
ただし練の自分の”狂犬”性についての葛藤の具体的な内容に関しては、扱いを間違えると凄く陳腐になりそうで怖いですけどね。小田切ちゃんを筆頭に、現時点で十分に周りは良くしてくれている、理解して尊敬して扱ってくれているだけに、いつまで一人相撲とらせるわけにも。ガンダムから下ろされちゃいますよ。(笑)


その”良くしてくれている”もう一人の筆頭に天才トレーナーにして心の恋人式島シゲルがいるわけですが、彼の存在もまた非常にこの作品の興味深いポイントで。こんな高校生いるかよという異様に冷静で理性的なキャラで、うっかりすると出来杉クンになりそうですが。

いや、現在のところまではまだ十分に出来杉クンの危険を持っていると思いますが、キャラの由来自体は決して作話上の都合などではなく、前回書いた「”才能”というものへの特殊なこだわり」と恐らくは同根の、「理性」というものについての作者独自の感覚にあるのだと思います。

つまりほとんどのストーリーものにおいては、「理性」というのは非常に一面的に扱われる、言うなれば数学的理性も科学的理性も哲学的文学的宗教的....も全部ひっくるめて、要するに多くは主人公サイドの「感情」や「情熱」や「根性」の敵役もしくは引き立て役として存在を許されているに過ぎない。それらとのコントラストによる消極的定義しかなされていないというか。「理性」自体が持っている可能性や多様性や豊かさみたいなものは、滅多に省みられることはない。主体として考えられることはない。
ひと昔前まで『勧善懲悪』が素朴に受け入れられていたように、『勧情懲理』みたいなものが集団的無意識として存在しているということですかね。

小説ならたまに面白い描写がありますが、他のジャンルではなかなか説明上の困難もあってお約束以上のものになりにくいですね。例えば『スタートレック』シリーズなどでも、バルカン人の「理性」の扱いなんてのは陳腐きわまりなくて、正に”敵役”。理性が発達した人類=冷たくて杓子定規のパーソナリティじゃあちょっとね、SFとしては安直だと言わざるを得ません。まあ元のアイデアが随分古いので致し方ないですが。

多分作者は自然にあれを描いているので、特にシゲルのキャラが発展するようなことはないと思いますが、見てるとほっとします。人間に希望が持てます。(笑)


それも含めて、『少女ファイト』のキャラクターの多様さは驚くべきばかりで。ひたすら人物の内面を掘り進めて行く作風からは、むしろ「作者の分身だらけ」みたいになってもおかしくないところなんですが、天から降ったか地から湧いたか、全く違うソース、価値観をてんでに背負った大量のキャラたちが、それぞれにリアリティを持って存在しているのには感心します。(覚え切れないというのも現状ありますが・笑)
・・・・まあ、基本天才/エリートたちという前提はありますけどね、これも前回書いた通り。その部分が作者自身の投影部分にあたるんでしょうが。デフォルトでみんな少しずつ頭がいいし。ただ描き分けはほんと見事だと思います。

ああ、また1ヶ月後が楽しみ。

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