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映画『アップルシード』
2006年12月27日 (水) | 編集 |
のレビュー・・・・という触れ込みで、昨日の「理性と感情」の話の補足。


昨日言いたかったこと/言い足りなかったことを改めて整理してみますと、

 「理性」も「感情」もそれぞれに存在しているのだ

ということ。

 理性的であることは感情の貧困を意味はしないし(そういう場合もありますが)

 感情豊かであることは理性の機能不全を意味しない。(そういう場合もあります)

あまり二項対立関係を強調したり、どちらかによってどちらかを消極的に定義するのは好ましくない。
実際にはそういう戯画性はどちらかのどちらかに対する苦手意識、恐怖から来ていることが多いのだと思いますが。みな自分が得意とする能力こそが正当だと思いたい。相手を馬鹿だとか非人間的だとか思って安心したい。


そこで今度は「理性」と「感情」の(正しい?)関係についてちょっと考えてみますと、互いが互いにとって抑制的競合的に働くように見えるのは嘘ではないですが、どのちみち理性がゼロな人も感情がゼロな人もいるわけはないのでもう少し平和的な(笑)違う視点を探してみると、

 互いが互いの「変数」として働いている

というのはどうかと思うんですが。
つまり理性のありようによって感情のありようも変わって、感情のありようによって理性のありようも変わると。単に自分のと違うありようをしているのが、理解できなくて「無い」「貧しい」ように見えてしまう。
『動物に感情はあるか』とか『動物に理性はあるか(考えているか)』みたいな古典的な問いがありますが、それは当然ありますね。あるとみなし得ますね。ただその働き方はヒトのそれとは違うことが多い。(ほとんど同じ場合もある)

”動物”という例まで出来ると、どちらかというと「理性」・・・・というか「知性」「知能」を縦軸的な基準として、それぞれのレベルによって「感情」の現れ方が違うと、そういう整理の仕方の方がすっきりするかもしれませんね。若干差別的な臭いはありますが。
勿論動物とヒトとに共通性があるように、知能が高かろうが低かろうが同じような働き方をする局面も多々あります。でも違うように見える局面も少なからずある。


・・・・というような視点を踏まえて、ちょうどテレビでやってた『アップルシード』。

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士郎正宗、 他 (2004/11/25)
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ちなみに映画のみで原作は読んでいません。

設定的に面白かったのは、

 憎んだり恨んだり妬んだりという「感情の激しさ」こそが、現世人類の”種”としての
 欠陥である


という観点から、

 生殖機能(性衝動)を遺伝的に抑制して、そうした「激しい感情」が生まれない
 ように設定されたバイオノイドを緩衝材として混ぜることで人類の再生を図る


というもの。これには前提として

 激しい感情の起源は激しい性衝動である

という認識があるわけです。
何やら仏教の「執着を断て」という教えと、フロイト派のリビドー論的なものが混ざったような論理展開ですが、実は僕自身の認識とも結構近いんですね。「発情期」(という性行動/性衝動の秩序)を失ったのは大いなる呪いではないかと、四六時中おま○このことばっかり考えてるからやることなすこと大げさで手に負えないんだこの生き物はと、割りと本気で考えています。


それはともかく過剰な性衝動を抑制されたバイオノイドは、憎悪や攻撃性を抑制されると同時に愛する気持ちも抑制されます。「恋ってどんな気持ち?恋すると人はどうなるの?」と美人バイオノイドのひとみちゃんは切なく尋ねるわけですが、ここらへんはまあお約束の展開。(笑)

僕が引っかかったのはそのひとみちゃんの安否を気遣う同じバイオノイドのよしつね青年が、「僕らバイオノイドにも愛する気持ちが少しはあるんだ」と主人公(普通のヒト)に告白する場面。
「少し」という量的な問題ではないと思うんですね。それだと露骨に劣っている感じですが。そうではなくて「質」の問題、↑で述べた”ありよう”と”変数”の問題。

過剰な性衝動はなくても感情はちゃんとあるはずです、働くはずです。ただその働き方が熱く激しく破壊的にではなく、淡く穏やかに優しく働くだけ。「君子の交わりは淡きこと水の如し」(?)
この場合は「性衝動」が「感情」の変数として働いているということですが。衝動のありようによって感情の表れ方が変わる。

・・・・思ったほど”踏まえて”なかったですね(笑)、理性はどこへ行っちゃったんだ。「変数」というイメージを伝えたかった、それが共通しているということですが。
とにかくここの「少しは」という引け目を感じているような表現自体がいかにも感情中心主義、激しい感情礼賛主義だなあと、それ自体をテーマ化しているストーリーにおいてもこれかよと、ちょっとがっくり来たわけで。


しかし実写でもセルでもCGでも好きにしてくれればいいですが、せっかくかわいいコを出しておいてさっぱりそそらないのは困りものですな。所詮僕も無限大に解放されてしまった現世人類的性欲の囚人。

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