2019年08月20日 (火) | 編集 |
意外と負けない。
"永遠の保留"みたいな感じ。(笑)
J2第27節 東京V △3-3△ 鹿児島(味の素スタジアム)
J2第28節 東京V △0-0△ 山形(味の素スタジアム)
・そうっすねえ。
・問題は色々あるでしょうし、完成像が見えない中、何をどれくらいの基準で評価したらいいのか目の前の現象が原因なのか結果なのか(笑)、皆さん色々と悩んでいることと思います。
・その中で特にこの二試合で僕が気になっているのは、「時間」の問題かなと。
・どういう時間意識時間感覚イメージで戦おうとしているのか戦っているのか。
・つまり「空間」については、一応のヴィジョンは見えるわけですよ。
・"サイド"を経由するというのもそうだしそこから"斜め"のパスを出すというのもそうだし、それで奥深く侵入しての折り返しからゴールに向かう形も既に何本か見せていますし、勿論"後ろ"から組み立てるというのもそうだしそもそも"ポジショナル"ですし。
・"ワイド"ストライカーなんてキーワードも追加されましたね。
・簡単に言うと、だいたいどんなルートをどんな風にボールと人が動いて行くサッカーなのかは、何となく見えている。
・問題(と僕が感じたの)はそういう「空間」的特徴や狙いを持ったサッカーを、どういう今度は「時間」的特徴や狙いを持って行おうとしているのか。
・"永井戦術"というものをそうした空間性だと定義するとすれば、それをどのように時間的に運用するのか、という言い方をしてもいいかも知れません。
・一つはこれは一番最初から気になっていたことですが、"テンポ"感の問題。
・永井監督のサッカーはどういう基本的なテンポ感でやるものなのか、あるいは基本のテンポ感と言うものがそもそもあるのか意識されているのか、そこらへんがどうも最初から疑問でした。
・"基本のテンポ感"というのはどういうものかというと、まあ文字通りの意味と言えば文字通りの意味なんですが(笑)、例えば近年のヴェルディで言えばロティーナのチーム。
・初年度最初の3-4-3のチームでの、遅くて上等じっくりはがして行くぜむしろ相手が焦れるのを待つぜな感じや、同じく後半戦の4-3-3のチームでの、それ行けショートカウンターや一気にサイド攻略やな感じは、それぞれのシステムのお披露目の時点で、既にはっきり見えていましたよね。(むしろその後曖昧化しますが(笑))
・こうした例から言えば、例え未完成ではあっても"どういう感じ"でやりたいのか、速いのか遅いのか中間なのか、だいたいの感じくらいは見えても別におかしくはないと思うんですが、どうも何も僕には永井監督のチームからは伝わって来なかった。
・後ろからじっくり組み立てて相手を完全に"崩した"上で攻めることを目指すサッカー(参考)なので、手数がかかってやり直しも多くて、結果的には遅い印象のサッカーにはなるわけですが、それと一つ一つのプレーをどういうテンポ感でやろうとしているのかとは、少し違う話。
・それこそ一つ一つは"速い"パス回しでも、やり直していれば"遅く"なりますからね。(笑)
・まあこれ自体は直接いいことでも悪いことでもないというか、緩急ないし時間的キャラクターのはっきりしているサッカーより感情を乗せづらいというのは観戦側の都合としてはあるかも知れませんが(笑)、それでも勝ってくれるなら文句をつける筋合いのものではない。
・とりあえずはね。
・一方で最初の方はそうでもなかったんですが、特にここ2,3試合気になって来たのが、狙いである「空間」性形成の際の「時間」管理のルーズさによる非効率の問題。
・なんか凄い字面ですが(笑)別にそんな大それた話ではなくて、つまり一応狙い通りの崩しのプレーが出来て相手もいったん崩れてはいるんだけど、その崩れがリカバリー可能な範囲にとどまっているので崩した割りには結局邪魔されて、フリーやいい形での決定的なプレー特にシュートに結び付けられずに、躊躇ってシュート数が伸びずまた撃っても邪魔が入ってるので枠に飛ばずに枠内シュート数が伸びないみたいな現象です。
・何かいつもごちゃっと選手がいる状況が多いように思うんですよね、敵味方含めて。
・狙いを持ってやってはいるんだけど、それが明確な時間意識の元に一致したメリハリのある動きになっていないので、崩しても逆を突いても、そのギャップがそんなに大きくなっていない。あるいはこちらのプレーの少しずつのずれの間に、作ったギャップがまた埋められてしまったり。
・ギャップで思い出しましたがもう一つずっと気になっているのは、守備でピンチ・・・になり"そう"な時の、ある種本能的に危険を感じで人が寄って来たり追いすがったりみたいな反応が、どうもいつも少しずつ遅い気がするんですよねこのチームは。
・それが守備の脆さや凡ミス的な失点の多さにも、関係している気がします。
・基本的に「こんな感じで」プレーするというリズム感テンポ感が無いので、一つ一つのプレーを一つ一つでやっているというか互いの連絡が悪いというか。
・上で「基本のテンポ感が無いということ自体は当面趣味の問題だ」としておきましたが、これら諸々を合わせて考えると、どうも僕は、「時間」的に少し鈍感であるという特徴が、ここまで見る限り永井監督にはあるように思えます。
・ただ「空間」には敏感ですし、既に言ったようにサッカーへの好奇心や探求心は一途なくらいにある人だと思っているので、これは文字通りの"鈍感"さというよりも、そもそもの関心がそちらに向いていない、理論的に欠落しているということなのではないのかなと思います。
・もし関心が(時間にも)向いていたなら、もっとはっきりと個性やこだわりが、"時間"だけに(笑)息吹きが、聴こえて来るタイプの監督だろうと。それが無いのは単に無いのだろうと、足りないというより。
・一応留保的なことを言っておくと、単純に完成度が低いから進捗がまだまだだから、今は空間的な手順を踏むだけで精一杯で、運用面まで手が回らない、メリハリをつけたりする余裕が無いと、そういう可能性は無くはないでしょうね。(それでも何かは見えるだろうと、僕は思うんですけど。もし"あれ"ば)
・更に付け足すとふかばさんが一貫して問題にしているヴェルディの選手たちの個人戦術的な時間管理のルーズさという問題は、勿論個々にはいちいち表れてはいるんだろうと思いますが、とりあえずはややこしいので別の問題、付加的な要素としておきたいと思います。
・永井監督固有の問題も、どうしても感じてしまうので。
・永井ヴェルディに直接感じることとしてはこういうことなんですが、ついでなのでおまけで、「ポジショナルプレーと時間」。
・例えば少し前に西部謙司さんが、こんなことを言っていましたが。
・ポジショナルプレーが成り立ちとして、時間性を捨象しているとまでは言いませんが余り重視していない理論なのは、確かだと思います。
・典型的な状況としては、多人数が関連しながら正しいポジションを取り続ける為には、余り速いスピードでやるのは選手のレベルにもよりますが一般に難しいですし、それ以上に互いのプレースピードがなるべく一定で予測可能であることが望ましいわけですよ。思い付きで勝手に緩急つけられても困る。(笑)
・だから総じてポジショナルプレーを中心にプレーするチームは、遅いとは限りませんが比較的抑制的で平均的なプレースピードで、かつ最初から最後まで同じようなペースでプレーすることになることが多い。
・それが特に行き詰った時には、特有の退屈さにも繋がるわけですが。
・そしてそうして構築されたポジショナルな秩序に、単調だからと言って簡単にチェンジ・オブ・ペースを持ち込むのは難しいらしくて。
・かつての(今回もやはり登場)李国秀は問題を感じつつも結局"本体"には手を付けられずに、"飯尾・桜井"のスピードドリブラーコンビを一気を投入する「別のチーム」「別の時間」を終盤に用意することでそれを代用していましたし、あるいはかのペップ・シティも一年目は正直単調のそしりを逃れられないプレーから最後まで抜け出せずに、2年目以降も"変わった"というよりウォーカーやメンディやサネといった新戦力の能力を"足す"ことで、ある種力ずくでメリハリをつけたようなところもあったと思います。
・ちなみに李ヴェルディも森勇介や西田吉洋でそれをやろうとしていたような気がしますが、いかんせん札束の厚さの差で実効性には乏しかった。(笑)
・それはともかく。(笑)
・今のは専らネガティブな言い方でしたが、ポジティブにもポジショナルプレーは"時間""スピード"を余り必要としていなくて。
・つまりポジショナルプレーの理想的に機能した状況では、こちらがある種機械的に淡々と正しいポジション効果的なポジションを取り続ける中で、相手の体制が崩れたり不利な状況に陥った、そのことによる言わば"相対速度"の優位を利してこちらは悠々とプレー出来るわけですね。
・絶対速度ではない。自分が急ぐ必要は無いし、ある特定の速度である必要も無い。
・むしろ"遅い"方が、ポジショナルプレーの「美意識」としては正しいところすらあると思います(笑)。遅ければ遅い程格好がいい。それで相手が崩れるなら。急いだりちょこちょこ緩急つけに行くのはかっこ悪い。
・李国秀なんかは、はっきりそういう美意識を持っていたと思いますね(笑)。多少のやせ我慢や自己正当化も含みつつ。
・それに対して、「時間」や「スピード」の方に主眼を置いたサッカーの考え方もあって、その代表が最近なら、「ストーミング」という類型。冒頭で西部さんが"リバプール"の名を挙げたように。
・相手が反応出来ないくらいに"速く"フレーすること、あるいは"自分のテンポ"に、相手を巻き込んで不自由にさせてしまう事。
・空間ではなく、時間的な優位。
・リバプールはそれでもそれなりに"ポジション"にも気を配っているはずですが、より純粋に"時間"だけでプレーしているように見えるところがあるのが、例えば森保ジャパン。(笑)
・守備やビルドアップのポジショニングとかは結構適当ですが、その代わり攻撃の"時間"意識には独特の鋭さがあって、こんな感じでボールが入ったらこういうタイミングでわっと人が寄って行って一気にゴールまで行くみたいな時間的イメージはかなり共有されていて、ハマれば南米トップクラスでも"ストーム"に巻き込むことがある。
・別に「ポジショナル」に対する「ストーミング」のつもりはないと思いますけど。もっと別の文脈。
・そういう意識があったとすれば、岡田"接近展開連続"のチームの方かなと。あの発想は、結構ストーミング的だったと思います、主流のサッカーへのカウンター意識も含めて。
・和式の鍵は、"時間"なのかしら。(というか非"空間")
・最後にもう一つ、ポジショナルマスターの一人であるはずのロティーナが、「時間」についてもセンシティブだった事例について。
・一言で言えば、古い監督だからかなと。(笑)
・古いというのはつまり、"ポジショナル"以前からバリバリ監督業をやっていて、相対的に「時間」の比重の大きいチーム運営の感じをしっかり覚えている事、そのこだわりが「空間」の時代になっても生きている。
・逆にポジショナルありきの世代の指導者にはそういう経験や修練の時間が無いので、これからますます「時間」についてはやや鈍感な監督が増えるかもしれない。
・永井監督の前のホワイトだって、永井監督程ではないけれどロティーナに比べればかなり"ぼんやり"した時間感覚でサッカーをやっていたように感じていましたし。その時点で既に違和感はあって、永井監督と"二代"続いたことで疑念が爆発した感じ。(笑)
・加えるならば古いと時間の比重が大きいというのには別の理由もあって、「時間」というのはつまり一種の運用の問題なわけですよ、戦術の。やはり普通は「形」の話、「空間」の話から戦術は入るので。
・そういう意味では「時間」という運用面がいきなり中心となる戦術(ストーミングや接近展開連続)には、やはり奇形的な印象は付きまとうわけですがそれはともかく。
・そしてポジショナル以前の時代は一部の特殊な監督を除いて、そこまで精緻で情報量の多い、やることの多いプログラムを抱えている人はいなかった。今と比べてね。
・となると"やること"は割りとすぐに決まって後はその運用に集中するので、自然"時間"の話も多くなると、そういう事は一般的に言えるかなと。
・逆に今はとにかく(「空間」で)"やること"が沢山あり過ぎてそれをこなすことに手一杯で、なかなか運用まで行かない時間の次元にまでタッチ出来ないと、そういう面はあるかなと。
・だからホワイトも永井監督も、「空間」で手一杯な段階だからロティーナのように「時間」的ニュアンスまでつけられない、単純にそういう可能性はやはりあるかも。
・能力の問題か完成度の問題か。能力ならこのままですし、完成度ならいずれという期待は持てる。("時間の問題"?として(笑))
・まあ仮にポジショナル系の監督に共通して「時間」への無頓着という傾向があるとしても、それが純粋に"タイプ"の問題や"世代"的特徴の問題でしかないのなら、いずれそういうものだと慣れて行くだけだと思いますけどね。(既にそれは起きているようにも、新しいファンを見ていると思いますし)
・でも回り回って"能力"の問題になるなら、つまり同じ「空間」を得意とする主体とする監督同士が戦う時に、どうせなら「時間」的にもセンシティブな監督の方がやっぱり強い・勝てるということになるなら、僕の違和感にもより意味は出て来るでしょう。(笑)
・そして永井監督の鈍感さも(もしそうならば)、より深刻な問題となる。
・こんなところで。
"永遠の保留"みたいな感じ。(笑)
J2第27節 東京V △3-3△ 鹿児島(味の素スタジアム)
GK 上福元
DF 奈良輪、近藤、内田、山本理 (→79'河野)
MF 井上潮、藤本寛 (→12'森田)、梶川
FW 小池、レアンドロ、カン (→54'佐藤)
J2第28節 東京V △0-0△ 山形(味の素スタジアム)
GK 上福元
DF 山本理、近藤、内田、奈良輪
MF 佐藤 (→89'澤井)、森田、梶川
FW 河野 (→86'井上潮)、レアンドロ、小池 (→68'端戸)
・そうっすねえ。
・問題は色々あるでしょうし、完成像が見えない中、何をどれくらいの基準で評価したらいいのか目の前の現象が原因なのか結果なのか(笑)、皆さん色々と悩んでいることと思います。
・その中で特にこの二試合で僕が気になっているのは、「時間」の問題かなと。
・どういう時間意識時間感覚イメージで戦おうとしているのか戦っているのか。
・つまり「空間」については、一応のヴィジョンは見えるわけですよ。
・"サイド"を経由するというのもそうだしそこから"斜め"のパスを出すというのもそうだし、それで奥深く侵入しての折り返しからゴールに向かう形も既に何本か見せていますし、勿論"後ろ"から組み立てるというのもそうだしそもそも"ポジショナル"ですし。
・"ワイド"ストライカーなんてキーワードも追加されましたね。
・簡単に言うと、だいたいどんなルートをどんな風にボールと人が動いて行くサッカーなのかは、何となく見えている。
・問題(と僕が感じたの)はそういう「空間」的特徴や狙いを持ったサッカーを、どういう今度は「時間」的特徴や狙いを持って行おうとしているのか。
・"永井戦術"というものをそうした空間性だと定義するとすれば、それをどのように時間的に運用するのか、という言い方をしてもいいかも知れません。
・一つはこれは一番最初から気になっていたことですが、"テンポ"感の問題。
・永井監督のサッカーはどういう基本的なテンポ感でやるものなのか、あるいは基本のテンポ感と言うものがそもそもあるのか意識されているのか、そこらへんがどうも最初から疑問でした。
・"基本のテンポ感"というのはどういうものかというと、まあ文字通りの意味と言えば文字通りの意味なんですが(笑)、例えば近年のヴェルディで言えばロティーナのチーム。
・初年度最初の3-4-3のチームでの、遅くて上等じっくりはがして行くぜむしろ相手が焦れるのを待つぜな感じや、同じく後半戦の4-3-3のチームでの、それ行けショートカウンターや一気にサイド攻略やな感じは、それぞれのシステムのお披露目の時点で、既にはっきり見えていましたよね。(むしろその後曖昧化しますが(笑))
・こうした例から言えば、例え未完成ではあっても"どういう感じ"でやりたいのか、速いのか遅いのか中間なのか、だいたいの感じくらいは見えても別におかしくはないと思うんですが、どうも何も僕には永井監督のチームからは伝わって来なかった。
・後ろからじっくり組み立てて相手を完全に"崩した"上で攻めることを目指すサッカー(参考)なので、手数がかかってやり直しも多くて、結果的には遅い印象のサッカーにはなるわけですが、それと一つ一つのプレーをどういうテンポ感でやろうとしているのかとは、少し違う話。
・それこそ一つ一つは"速い"パス回しでも、やり直していれば"遅く"なりますからね。(笑)
・まあこれ自体は直接いいことでも悪いことでもないというか、緩急ないし時間的キャラクターのはっきりしているサッカーより感情を乗せづらいというのは観戦側の都合としてはあるかも知れませんが(笑)、それでも勝ってくれるなら文句をつける筋合いのものではない。
・とりあえずはね。
・一方で最初の方はそうでもなかったんですが、特にここ2,3試合気になって来たのが、狙いである「空間」性形成の際の「時間」管理のルーズさによる非効率の問題。
・なんか凄い字面ですが(笑)別にそんな大それた話ではなくて、つまり一応狙い通りの崩しのプレーが出来て相手もいったん崩れてはいるんだけど、その崩れがリカバリー可能な範囲にとどまっているので崩した割りには結局邪魔されて、フリーやいい形での決定的なプレー特にシュートに結び付けられずに、躊躇ってシュート数が伸びずまた撃っても邪魔が入ってるので枠に飛ばずに枠内シュート数が伸びないみたいな現象です。
・何かいつもごちゃっと選手がいる状況が多いように思うんですよね、敵味方含めて。
・狙いを持ってやってはいるんだけど、それが明確な時間意識の元に一致したメリハリのある動きになっていないので、崩しても逆を突いても、そのギャップがそんなに大きくなっていない。あるいはこちらのプレーの少しずつのずれの間に、作ったギャップがまた埋められてしまったり。
・ギャップで思い出しましたがもう一つずっと気になっているのは、守備でピンチ・・・になり"そう"な時の、ある種本能的に危険を感じで人が寄って来たり追いすがったりみたいな反応が、どうもいつも少しずつ遅い気がするんですよねこのチームは。
・それが守備の脆さや凡ミス的な失点の多さにも、関係している気がします。
・基本的に「こんな感じで」プレーするというリズム感テンポ感が無いので、一つ一つのプレーを一つ一つでやっているというか互いの連絡が悪いというか。
・上で「基本のテンポ感が無いということ自体は当面趣味の問題だ」としておきましたが、これら諸々を合わせて考えると、どうも僕は、「時間」的に少し鈍感であるという特徴が、ここまで見る限り永井監督にはあるように思えます。
・ただ「空間」には敏感ですし、既に言ったようにサッカーへの好奇心や探求心は一途なくらいにある人だと思っているので、これは文字通りの"鈍感"さというよりも、そもそもの関心がそちらに向いていない、理論的に欠落しているということなのではないのかなと思います。
・もし関心が(時間にも)向いていたなら、もっとはっきりと個性やこだわりが、"時間"だけに(笑)息吹きが、聴こえて来るタイプの監督だろうと。それが無いのは単に無いのだろうと、足りないというより。
・一応留保的なことを言っておくと、単純に完成度が低いから進捗がまだまだだから、今は空間的な手順を踏むだけで精一杯で、運用面まで手が回らない、メリハリをつけたりする余裕が無いと、そういう可能性は無くはないでしょうね。(それでも何かは見えるだろうと、僕は思うんですけど。もし"あれ"ば)
・更に付け足すとふかばさんが一貫して問題にしているヴェルディの選手たちの個人戦術的な時間管理のルーズさという問題は、勿論個々にはいちいち表れてはいるんだろうと思いますが、とりあえずはややこしいので別の問題、付加的な要素としておきたいと思います。
・永井監督固有の問題も、どうしても感じてしまうので。
・永井ヴェルディに直接感じることとしてはこういうことなんですが、ついでなのでおまけで、「ポジショナルプレーと時間」。
・例えば少し前に西部謙司さんが、こんなことを言っていましたが。
・何やら僕が永井ヴェルディについて言った「崩してるんだけど間に合っちゃってる」という状況の、だいぶ先の次元版という趣も無くはないですがそれはともかくとして。(笑)ポジショナルプレーというのは位置的優位性と質的優位性と数的優位性があります。
ただ、これに時間の概念が入っていないんですよ。スピードが入っていない。
リバプールは速さを全面に出すことで、『ズレてたって早く詰めれば、潰せるじゃん!』っていうアプローチの仕方をしている
・ポジショナルプレーが成り立ちとして、時間性を捨象しているとまでは言いませんが余り重視していない理論なのは、確かだと思います。
・典型的な状況としては、多人数が関連しながら正しいポジションを取り続ける為には、余り速いスピードでやるのは選手のレベルにもよりますが一般に難しいですし、それ以上に互いのプレースピードがなるべく一定で予測可能であることが望ましいわけですよ。思い付きで勝手に緩急つけられても困る。(笑)
・だから総じてポジショナルプレーを中心にプレーするチームは、遅いとは限りませんが比較的抑制的で平均的なプレースピードで、かつ最初から最後まで同じようなペースでプレーすることになることが多い。
・それが特に行き詰った時には、特有の退屈さにも繋がるわけですが。
・そしてそうして構築されたポジショナルな秩序に、単調だからと言って簡単にチェンジ・オブ・ペースを持ち込むのは難しいらしくて。
・かつての(今回もやはり登場)李国秀は問題を感じつつも結局"本体"には手を付けられずに、"飯尾・桜井"のスピードドリブラーコンビを一気を投入する「別のチーム」「別の時間」を終盤に用意することでそれを代用していましたし、あるいはかのペップ・シティも一年目は正直単調のそしりを逃れられないプレーから最後まで抜け出せずに、2年目以降も"変わった"というよりウォーカーやメンディやサネといった新戦力の能力を"足す"ことで、ある種力ずくでメリハリをつけたようなところもあったと思います。
・ちなみに李ヴェルディも森勇介や西田吉洋でそれをやろうとしていたような気がしますが、いかんせん札束の厚さの差で実効性には乏しかった。(笑)
・それはともかく。(笑)
・今のは専らネガティブな言い方でしたが、ポジティブにもポジショナルプレーは"時間""スピード"を余り必要としていなくて。
・つまりポジショナルプレーの理想的に機能した状況では、こちらがある種機械的に淡々と正しいポジション効果的なポジションを取り続ける中で、相手の体制が崩れたり不利な状況に陥った、そのことによる言わば"相対速度"の優位を利してこちらは悠々とプレー出来るわけですね。
・絶対速度ではない。自分が急ぐ必要は無いし、ある特定の速度である必要も無い。
・むしろ"遅い"方が、ポジショナルプレーの「美意識」としては正しいところすらあると思います(笑)。遅ければ遅い程格好がいい。それで相手が崩れるなら。急いだりちょこちょこ緩急つけに行くのはかっこ悪い。
・李国秀なんかは、はっきりそういう美意識を持っていたと思いますね(笑)。多少のやせ我慢や自己正当化も含みつつ。
・それに対して、「時間」や「スピード」の方に主眼を置いたサッカーの考え方もあって、その代表が最近なら、「ストーミング」という類型。冒頭で西部さんが"リバプール"の名を挙げたように。
・相手が反応出来ないくらいに"速く"フレーすること、あるいは"自分のテンポ"に、相手を巻き込んで不自由にさせてしまう事。
・空間ではなく、時間的な優位。
・リバプールはそれでもそれなりに"ポジション"にも気を配っているはずですが、より純粋に"時間"だけでプレーしているように見えるところがあるのが、例えば森保ジャパン。(笑)
・守備やビルドアップのポジショニングとかは結構適当ですが、その代わり攻撃の"時間"意識には独特の鋭さがあって、こんな感じでボールが入ったらこういうタイミングでわっと人が寄って行って一気にゴールまで行くみたいな時間的イメージはかなり共有されていて、ハマれば南米トップクラスでも"ストーム"に巻き込むことがある。
・別に「ポジショナル」に対する「ストーミング」のつもりはないと思いますけど。もっと別の文脈。
・そういう意識があったとすれば、岡田"接近展開連続"のチームの方かなと。あの発想は、結構ストーミング的だったと思います、主流のサッカーへのカウンター意識も含めて。
・和式の鍵は、"時間"なのかしら。(というか非"空間")
・最後にもう一つ、ポジショナルマスターの一人であるはずのロティーナが、「時間」についてもセンシティブだった事例について。
・一言で言えば、古い監督だからかなと。(笑)
・古いというのはつまり、"ポジショナル"以前からバリバリ監督業をやっていて、相対的に「時間」の比重の大きいチーム運営の感じをしっかり覚えている事、そのこだわりが「空間」の時代になっても生きている。
・逆にポジショナルありきの世代の指導者にはそういう経験や修練の時間が無いので、これからますます「時間」についてはやや鈍感な監督が増えるかもしれない。
・永井監督の前のホワイトだって、永井監督程ではないけれどロティーナに比べればかなり"ぼんやり"した時間感覚でサッカーをやっていたように感じていましたし。その時点で既に違和感はあって、永井監督と"二代"続いたことで疑念が爆発した感じ。(笑)
・加えるならば古いと時間の比重が大きいというのには別の理由もあって、「時間」というのはつまり一種の運用の問題なわけですよ、戦術の。やはり普通は「形」の話、「空間」の話から戦術は入るので。
・そういう意味では「時間」という運用面がいきなり中心となる戦術(ストーミングや接近展開連続)には、やはり奇形的な印象は付きまとうわけですがそれはともかく。
・そしてポジショナル以前の時代は一部の特殊な監督を除いて、そこまで精緻で情報量の多い、やることの多いプログラムを抱えている人はいなかった。今と比べてね。
・となると"やること"は割りとすぐに決まって後はその運用に集中するので、自然"時間"の話も多くなると、そういう事は一般的に言えるかなと。
・逆に今はとにかく(「空間」で)"やること"が沢山あり過ぎてそれをこなすことに手一杯で、なかなか運用まで行かない時間の次元にまでタッチ出来ないと、そういう面はあるかなと。
・だからホワイトも永井監督も、「空間」で手一杯な段階だからロティーナのように「時間」的ニュアンスまでつけられない、単純にそういう可能性はやはりあるかも。
・能力の問題か完成度の問題か。能力ならこのままですし、完成度ならいずれという期待は持てる。("時間の問題"?として(笑))
・まあ仮にポジショナル系の監督に共通して「時間」への無頓着という傾向があるとしても、それが純粋に"タイプ"の問題や"世代"的特徴の問題でしかないのなら、いずれそういうものだと慣れて行くだけだと思いますけどね。(既にそれは起きているようにも、新しいファンを見ていると思いますし)
・でも回り回って"能力"の問題になるなら、つまり同じ「空間」を得意とする主体とする監督同士が戦う時に、どうせなら「時間」的にもセンシティブな監督の方がやっぱり強い・勝てるということになるなら、僕の違和感にもより意味は出て来るでしょう。(笑)
・そして永井監督の鈍感さも(もしそうならば)、より深刻な問題となる。
・こんなところで。
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