2019年09月03日 (火) | 編集 |
大学生編の残り。
(はじめに)、(小学生編)、(大学生編[1])、(大学生編[2])。
大学生編目次
5.右寄り神秘主義への興味
大本教と復古神道
ここまでのところで何度か「本屋でのタイトル買い」の話が出て来ましたが(笑)、普通の真面目な少年(?)だったある時期までの僕にとって、本というのは「大きな本屋の立派な書棚で定価で買う物」であってそれによってある程度"ちゃんとした"本だけが自ずと選別されて来るところがあったわけですが、とはいえ貧乏大学生のこと、いつからか"古本屋"で買うという知恵を身に付けます。
・・・大した知恵ではないですけど(笑)、でも気付くまでは意外とすっぽり盲点でした。
それによって本の購入価格は一桁下がり、外れて結構、多少下らなそうないかがわしそうな本も含めてかなり雑食的な読み方に変化して行って、入って来る知識のタイプも良くも悪くも広がって来ます。
まあ大げさに言うと、"インターネットに繋がった"くらいの感覚です、当時的には。
その中にあったのが、例えばこういう本。


武田崇元
『出口王仁三郎の霊界からの警告 - 発禁予言書に示された破局と再生の大真相』(光文社・カッパホームス、1983年)
『出口王仁三郎の大降臨- 霊界の復権と人類の大峠』(光文社・カッパホームス、1986年)
戦前戦中に一世を風靡した神道系新興宗教大本教とその2代目教祖出口王仁三郎については、名前だけは知っていたんですかね。"霊界からの警告"や"大降臨"と銘打ってはいますが、これらの本は所謂「霊言」本ではなくて、大本教の歴史とその意義や持っていたかもしれない可能性を、若干の神秘的エピソードと共に紹介した学術的とまでは言えないけれどそこそこ真面目な本。
その中で大本教自体と共に僕が興味を惹かれたのが、大本教(というか出口王仁三郎個人)もそのソースの一つとしてるらしい、「古神道」(復古神道)というものの存在。
一言で言えば江戸時代後期に専ら学者主導で立ち上げられた("古"の名とは裏腹の)"新"神道・神道ルネッサンスであり、神降ろし等の秘教的体系を前面に出した裏神道であり、しかし"裏"と言いつつ近代日本における国家主義と神道の結びつきの端緒の一つとなって戦前戦中の国家神道は勿論、遠く現代のネトウヨや"安倍首相のお友達"系宗教勢力にまで直接間接に影響を及ぼしていると見ることも可能な、宗教思想・運動です。
主題となっている大本教自体はむしろ国家神道体制に"潰された"側の、神道タームを用いつつも見ようによっては左翼的コスモポリタン的でもある宗教で、本の構成も戦前の日本の"失敗"に焦点を当てたものなんですが、それはそれとして"復古神道"という近代的かつ秘教的な神道の存在とそれが持ったらしいそれなりに現実的な影響力の示唆は、それまで「神道」や日本神話などを真面目な思考の対象にした経験が無かっただけに、単純にインパクトがありましたし、「ひょっとして自分は(知的に)大きな落とし物をして来たのではないか」的な妙な"焦り"の感情を掻き立てられた部分もありました。・・・"全く知らない"というのは危険なんですよね。色々と。
勿論そこには、神秘主義全般のロマン的な魅力や、神道タームや日本神話の神々の名の"活躍"を見る時に否定し難く刺激される、日本人としての自意識や自己愛の高揚のようなものも、伴っていたと思います。
雑誌『月刊アーガマ』
"復古神道"によって何か変な物が開きかけて(笑)しばらくして、こちらは正規の(?)本屋の店頭で手に取ったのが、「アーガマ」という雑誌。ガンダムともアニメとも全く関係はありません(笑)、そうではなくてそもそもの"アーガマ"、つまり「阿含」宗の出版局が発行していた商業誌です。
いよいよヤバいところに行ったと思うかもしれないですが(笑)、そうではないんです。確かに密教系新興教団阿含宗の発行している右寄りで神秘主義寄りな思想誌、ではあるんですけど、別に阿含宗の宣伝誌ではなくて、仏教は勿論扱いますが同じように神道もイスラムも扱いますし、執筆陣も神秘思想や右翼思想プロパーの人は勿論いますが、一般に知られた"表"の論者・学者も普通にいる。
・・・例を挙げると栗本慎一郎、橋爪大三郎、伊藤俊治、秋山さと子、山下悦子、大塚英志、中沢新一、芹沢俊介、竹田青嗣と、このまま『現代思想』誌のある号を構成していてもおかしくない顔ぶれが揃っています。
鎌田東二とかは、"表"でありつつ"プロパー"な存在ですかね。
あと突然石原慎太郎が降臨したりするのはやはりならではではあって(笑)、確かこの人と栗本慎一郎の対談という妙なものが載っていた号が、僕がアーガマを手に取ったきっかけだったと思います。


ついでに目次も載せておいたので、それを見れば誌面のだいたいの感じは掴めるのではないかと。
「神秘思想」とは言っても、例えば『ムー』読者が好んで読むようなタイプのものとは思えないですし、やはり"裏『現代思想』"みたいな位置づけが、一番相応しいような気がします。実際「あれ?お前も読んでたの?」みたいなことが、思想友達との間であったこともありますし。
読んでいて阿含宗を意識したりすることも全くと言っていい程無くて、逆に阿含宗信者はどう考えていたんだろうと、聞きたいくらいでしたが。経費はお布施なんでしょうし(笑)。不思議な雑誌でした。
で、この雑誌を読むことが僕にどういう影響を与えたか、ですが。
一方では確かに、芽生えた右寄り神秘主義への関心を強化した固定したという面はあるわけですが、と同時にそうした関心を孤立したトンデモ本とかではなく、それなりの形式の整った論文群によって構成された誌面という形で視野化することによって、増して上記のような執筆者群によって"表"の思想との接続性も自然に確保することによって、ある種の沈静化というか現実への着地を可能にした、そういう面も大きいと思います。
怪しい論文はちゃんと怪しかったですから(笑)、両方ではあるんですけど。制限付き認定というかブレーキ付きアクセルというか。"こういう言論空間があり得る"ということを、ともかくも知ったという感じ。
まあ面白い雑誌だったのは確か。面白過ぎて、毎月隅々まで読もうとすると他の読書に差し支えるので、読むのをやめたくらい(笑)。さすがにこういうのばっかりじゃまずいだろうとは、思ったので。(笑)
今何が残っているかというと実はあんまり何も残ってないんですけどね。"右"自体がありきたりなものになってしまったのもあって。案外仏教やイスラムについての地味な連載の方が、記憶に残っていたりします。
こうした飽くまで例えばなんですが、二つの読書体験の例が示すものは何かというと、行きがかりはどうあれ、結局当時の僕の中にこうしたタイプの知識や思想への、潜在的な飢えがあったということですよね。
埋められるのを待っている"欠落"が。"死角"の予感が。
という流れで、次項のある"欠落"と"死角"の話に。
6."市民運動家"との出会い
"ある市民運動家"ではなくて、"市民運動家"的なタイプの人との、今思えば初めての出会いの話。
と言っても物理的な"出会い"はそれよりも更に2,3年前で、要は大学の後輩だったんですけど。
ちなみに女子です(笑)。付き合ってはいませんでしたけど、仲は良くてちょいちょい一緒に出掛けていた、そういう間柄。
そのコがある日突然、本当に突然でそれまで政治の話なんて一言も二人でしたことは無かったんですけど、「ジュウグンイアンフ」がどうこうということを言い出したんですね。単語自体初耳で、ぽかーんとしてしまいましたが。とにかく戦時中日本軍がこんな酷い事をして、その被害者を支援する活動を今しているとかしていないとか(いや、してたと思いますけど(笑))、そういう話を滔々とし出した。僕にどうしろという話ではなかったので、はあとか腑抜けた相槌を僕は繰り返していただけでしたが。
その後もいくつか"戦時中の日本(軍)"ネタを彼女は披露していたように記憶していますが、ほとんど覚えていません。松代大本営がどうとかそこに見学に行くとか何とか、多分言っていたと思います。
で、その場はそれ以上の話にはならずに、また別の日。
とあるバーで、二人でカクテルを傾けながら。(いや、マジで(笑))
その時彼女が振って来たネタは、一つ目は"小沢一郎"。
時期的にはどうでしたかね、『日本改造計画』('93)が世間で話題になる前だったか後だったか、世事に疎かったので覚えてませんが、とにかく彼女が言うには小沢一郎という悪い政治家がいて、あれやこれやで日本を戦争に導こうとしていると、許せないと、どう思いますかとその時は一応僕の反応を求めるような態勢だったと思います。酒も入ってましたし。(笑)
そう言われても僕は小沢一郎の発言を特に見たことは無かったですし、さりとて彼女の言い分を鵜呑みにするわけにも行かないので、素朴な疑問だったか論争のテクニックだったかよく覚えてませんが、とにかくそもそもその小沢一郎とやらのモチベーションはどうなっているのかということを逆に彼女に聞いたんですね。どうして戦争がしたいのか、あるいは戦争をするとどんな得があるのか、もしあなたの言う通りだったとしたらと。
それに対して、今度は彼女がぽかーんとする番でした。答えは何も無し。そんなことは考えたことも無かったと。小沢一郎に"モチベーション"なんて人並みのものがあるとは。ただただ悪い事を考えている悪い政治家で、そこに理由を考えるという発想は持ったことが無かったと、具体的に言いはしなかったかもしれませんが要するにそういう反応でした。
何だかなあと思いつつ、でもバツの悪そうな顔をしている可愛い後輩(笑)をそれ以上は責めずに(そもそも興味無えしそんな話題)またグラスを重ねて(笑)いると、しばらくして再度彼女が話を振って来ました。
今度のテーマは何かというと、"満州事変"。
これも具体的な話は全然覚えていないんですけど、一応"小沢一郎"よりは一般的な歴史知識の話なのでそれなりに対応していましたが、とにかくやっぱり、基本的にはいかに日本軍が悪いかという話ではありました(笑)。ただその中で彼女の語る因果関係背後関係に、何か奇妙な欠落が感じられたので、念の為という感じで「それはだから石原莞爾が・・・」と満州事変の高名な、一般には首謀者の一人とされる人物(石原莞爾Wiki)の名を挙げたところ、再び彼女の反応はぽかーんでした。賛成でも反対でも意見でもなくて、まさかと思って聞いてみると単に名前を知らないとのこと。
「は?」と今度は僕も軽くキレ気味になりました。自分からわざわざ満州事変について議論を吹っかけて来る人が、石原莞爾の評価はともかくとして名前自体を知らないというのはどういうこと?何の冗談?と。
でも本当に知らないようだったので仕方なくいちから説明すると、なるほどそんな重要人物だったんですか、それは知らないのはマズいですね怒って当然ですすいませんでした勉強しますと素直に謝られたので、そこはやっぱり可愛い後輩なので(笑)それ以上は追及せずに、またグラスを傾けましたとさという馬鹿みたいな実話です。
で、結局彼女は何なのかという話ですけど。
まず一応言っておくと、彼女は某国内トップクラスの私立大学に現役合格した、一般的には十分に"頭のいい"カテゴリーに属している女性で、また見ての通り社会問題にも関心のある真面目な学生であるわけですね。
それがどうしてこういう奇妙な欠落のある、空転した思考・知のありようを見せるのかというと・・・。
直接的には恐らく、この時期なにがしかの"刷り込み"を、彼女は受けた状態だったんだろうと思います。善悪・結論の固定した、一連の"ストーリー"的な知識の。
そこにおいては"悪役"と決まっているキャラクター(小沢一郎)の動機を考える必要は無いし、史実にはあってもシナリオには無い重要な人物(石原莞爾)の存在も、知らないでいられる。
"誰か"なのか"何か"(団体)なのか、具体的な主体は分からないですけどね。恐らくは「従軍慰安婦」問題についての"運動"の周辺に、出発点なり中心があるんだろうと思いますが。
それら自体を肯定も否定も当面僕はしませんが、問題は彼女が正常な思考や学習のプロセス外でそうした"ストーリー"に身を委ねていただろうことで、そうでなければあんな空転や欠落は生まれないはず。
他の話題については全然そんなコじゃないですし、また僕に指摘されればその時には気付くことの出来る知性は持っているわけですし。
これらは一般的な"洗脳"の描写と言えないことは無いわけですが、では彼女が一方的な"被害者"なのかいちから深い洗脳を受けたのかというと多分そんなことは全然無くて、結局は"ストーリー"によって強調された、彼女自身の"思想"だったんだろうと、リアルタイムの印象としても感じていました。
彼女やそして勿論僕も受けた、生まれ育った「戦後」(民主主義)的な教育や思想や常識に、安住し切ることによる油断、そこからこぼれ落ちたもの見えなくされたもの、例えば「戦前戦中」や「軍事」的な事柄に対する全般的な侮り、当事者の"動機"について考えることも基本的な"事実"の確認をすることも易々とスキップすることを自分に許してしまう、他の事についてなら当然なされる知的配慮が気楽に飛ばされてしまう。そういうある種の知的な"死角"の存在。
彼女のことはともかくとして本筋に戻って、そうした彼女の振る舞いに接することが僕にどういう影響を与えたかですが。
言い方難しいですが、"戦後民主主義"的な常識・正義感を、戦後50年前後経った時点においてストレートに延長して正義を組み立てることの危うさの体感、かな?そして更には、そうしたものへ"信頼"に基づいているのだろう、彼女も参加していたらしい市民的な「運動」の独特のいかがわしさの目撃というか。
一例でしかないと言えば一例でしかないんですけど、殊更そういうものに関心のあるわけではなかった僕には十分に強い影響と言えて、その後より世間的に目に触れる機会の多くなる、日本における様々な「市民運動」的なもの全般に対する、これはこれで一つの「偏見」と言えなくはないんですけど(笑)避け難く懐疑的な態度・心情を構成したと、そういうことはあると思います。
最後に5,6合わせた今回全体のまとめとしては。
一言で言えば、極右やリベラル嫌いの心情・動機には、実は僕自身も理解・共感出来るところは少なからずあるという事です。あった。気持ち自体は分かるところも多い。神秘(道)主義や陰謀論的なものまで含めて、広い意味で極右的なものに惹かれた時期は、少なくとも大学生時代にはあった。
逆に「極左」に惹かれたことは基本的に無いので、そういう意味で言うなら僕は"右"寄りなのかも知れません。ただ"極"まで行かない範囲だと結構左寄りだと思うので、そこらへんは難しい。
まあ"難しい"とは言っても、そもそも"判定"する必要自体、別に無いと思いますけど(笑)、「右」か「左」かなんてことを。
ともかく大事なのはこれは単に僕個人の遍歴の問題ではなくて、戦後的な教育や思想自体が持っている偏りや欠落、それらがかなりの部分構造的に引き起こした反応ではないかと、そういうこと。僕という、フラットとは言いませんけど基本的にはノンポリないち学生に。だからある程度普遍的に同じ構造が、今日の問題にも当てはまる部分は少なくないように見えると。
"穴"はある。後はそれにどう反応するか。
僕は僕なりに、彼女は彼女なりに反応していた。それだけと言えばそれだけなのかも知れません。
以上で大学生編は、終わりです。
次は卒業後。
(はじめに)、(小学生編)、(大学生編[1])、(大学生編[2])。
大学生編目次
PMRCとポリティカル・コレクトネス 左?右?
上野千鶴子とフェミニズム 左
( 渋谷陽一の音楽批評 "左""右" 双方 )
栗本慎一郎と現代思想 左であり右
呉智英の「封建主義」 右
大本教等への興味 右
"市民運動家"との出会い 反左
5.右寄り神秘主義への興味
大本教と復古神道
ここまでのところで何度か「本屋でのタイトル買い」の話が出て来ましたが(笑)、普通の真面目な少年(?)だったある時期までの僕にとって、本というのは「大きな本屋の立派な書棚で定価で買う物」であってそれによってある程度"ちゃんとした"本だけが自ずと選別されて来るところがあったわけですが、とはいえ貧乏大学生のこと、いつからか"古本屋"で買うという知恵を身に付けます。
・・・大した知恵ではないですけど(笑)、でも気付くまでは意外とすっぽり盲点でした。
それによって本の購入価格は一桁下がり、外れて結構、多少下らなそうないかがわしそうな本も含めてかなり雑食的な読み方に変化して行って、入って来る知識のタイプも良くも悪くも広がって来ます。
まあ大げさに言うと、"インターネットに繋がった"くらいの感覚です、当時的には。
その中にあったのが、例えばこういう本。


武田崇元
『出口王仁三郎の霊界からの警告 - 発禁予言書に示された破局と再生の大真相』(光文社・カッパホームス、1983年)
『出口王仁三郎の大降臨- 霊界の復権と人類の大峠』(光文社・カッパホームス、1986年)
戦前戦中に一世を風靡した神道系新興宗教大本教とその2代目教祖出口王仁三郎については、名前だけは知っていたんですかね。"霊界からの警告"や"大降臨"と銘打ってはいますが、これらの本は所謂「霊言」本ではなくて、大本教の歴史とその意義や持っていたかもしれない可能性を、若干の神秘的エピソードと共に紹介した学術的とまでは言えないけれどそこそこ真面目な本。
その中で大本教自体と共に僕が興味を惹かれたのが、大本教(というか出口王仁三郎個人)もそのソースの一つとしてるらしい、「古神道」(復古神道)というものの存在。
一言で言えば江戸時代後期に専ら学者主導で立ち上げられた("古"の名とは裏腹の)"新"神道・神道ルネッサンスであり、神降ろし等の秘教的体系を前面に出した裏神道であり、しかし"裏"と言いつつ近代日本における国家主義と神道の結びつきの端緒の一つとなって戦前戦中の国家神道は勿論、遠く現代のネトウヨや"安倍首相のお友達"系宗教勢力にまで直接間接に影響を及ぼしていると見ることも可能な、宗教思想・運動です。
主題となっている大本教自体はむしろ国家神道体制に"潰された"側の、神道タームを用いつつも見ようによっては左翼的コスモポリタン的でもある宗教で、本の構成も戦前の日本の"失敗"に焦点を当てたものなんですが、それはそれとして"復古神道"という近代的かつ秘教的な神道の存在とそれが持ったらしいそれなりに現実的な影響力の示唆は、それまで「神道」や日本神話などを真面目な思考の対象にした経験が無かっただけに、単純にインパクトがありましたし、「ひょっとして自分は(知的に)大きな落とし物をして来たのではないか」的な妙な"焦り"の感情を掻き立てられた部分もありました。・・・"全く知らない"というのは危険なんですよね。色々と。
勿論そこには、神秘主義全般のロマン的な魅力や、神道タームや日本神話の神々の名の"活躍"を見る時に否定し難く刺激される、日本人としての自意識や自己愛の高揚のようなものも、伴っていたと思います。
雑誌『月刊アーガマ』
"復古神道"によって何か変な物が開きかけて(笑)しばらくして、こちらは正規の(?)本屋の店頭で手に取ったのが、「アーガマ」という雑誌。ガンダムともアニメとも全く関係はありません(笑)、そうではなくてそもそもの"アーガマ"、つまり「阿含」宗の出版局が発行していた商業誌です。
いよいよヤバいところに行ったと思うかもしれないですが(笑)、そうではないんです。確かに密教系新興教団阿含宗の発行している右寄りで神秘主義寄りな思想誌、ではあるんですけど、別に阿含宗の宣伝誌ではなくて、仏教は勿論扱いますが同じように神道もイスラムも扱いますし、執筆陣も神秘思想や右翼思想プロパーの人は勿論いますが、一般に知られた"表"の論者・学者も普通にいる。
・・・例を挙げると栗本慎一郎、橋爪大三郎、伊藤俊治、秋山さと子、山下悦子、大塚英志、中沢新一、芹沢俊介、竹田青嗣と、このまま『現代思想』誌のある号を構成していてもおかしくない顔ぶれが揃っています。
鎌田東二とかは、"表"でありつつ"プロパー"な存在ですかね。
あと突然石原慎太郎が降臨したりするのはやはりならではではあって(笑)、確かこの人と栗本慎一郎の対談という妙なものが載っていた号が、僕がアーガマを手に取ったきっかけだったと思います。


ついでに目次も載せておいたので、それを見れば誌面のだいたいの感じは掴めるのではないかと。
「神秘思想」とは言っても、例えば『ムー』読者が好んで読むようなタイプのものとは思えないですし、やはり"裏『現代思想』"みたいな位置づけが、一番相応しいような気がします。実際「あれ?お前も読んでたの?」みたいなことが、思想友達との間であったこともありますし。
読んでいて阿含宗を意識したりすることも全くと言っていい程無くて、逆に阿含宗信者はどう考えていたんだろうと、聞きたいくらいでしたが。経費はお布施なんでしょうし(笑)。不思議な雑誌でした。
で、この雑誌を読むことが僕にどういう影響を与えたか、ですが。
一方では確かに、芽生えた右寄り神秘主義への関心を強化した固定したという面はあるわけですが、と同時にそうした関心を孤立したトンデモ本とかではなく、それなりの形式の整った論文群によって構成された誌面という形で視野化することによって、増して上記のような執筆者群によって"表"の思想との接続性も自然に確保することによって、ある種の沈静化というか現実への着地を可能にした、そういう面も大きいと思います。
怪しい論文はちゃんと怪しかったですから(笑)、両方ではあるんですけど。制限付き認定というかブレーキ付きアクセルというか。"こういう言論空間があり得る"ということを、ともかくも知ったという感じ。
まあ面白い雑誌だったのは確か。面白過ぎて、毎月隅々まで読もうとすると他の読書に差し支えるので、読むのをやめたくらい(笑)。さすがにこういうのばっかりじゃまずいだろうとは、思ったので。(笑)
今何が残っているかというと実はあんまり何も残ってないんですけどね。"右"自体がありきたりなものになってしまったのもあって。案外仏教やイスラムについての地味な連載の方が、記憶に残っていたりします。
こうした飽くまで例えばなんですが、二つの読書体験の例が示すものは何かというと、行きがかりはどうあれ、結局当時の僕の中にこうしたタイプの知識や思想への、潜在的な飢えがあったということですよね。
埋められるのを待っている"欠落"が。"死角"の予感が。
という流れで、次項のある"欠落"と"死角"の話に。
6."市民運動家"との出会い
"ある市民運動家"ではなくて、"市民運動家"的なタイプの人との、今思えば初めての出会いの話。
と言っても物理的な"出会い"はそれよりも更に2,3年前で、要は大学の後輩だったんですけど。
ちなみに女子です(笑)。付き合ってはいませんでしたけど、仲は良くてちょいちょい一緒に出掛けていた、そういう間柄。
そのコがある日突然、本当に突然でそれまで政治の話なんて一言も二人でしたことは無かったんですけど、「ジュウグンイアンフ」がどうこうということを言い出したんですね。単語自体初耳で、ぽかーんとしてしまいましたが。とにかく戦時中日本軍がこんな酷い事をして、その被害者を支援する活動を今しているとかしていないとか(いや、してたと思いますけど(笑))、そういう話を滔々とし出した。僕にどうしろという話ではなかったので、はあとか腑抜けた相槌を僕は繰り返していただけでしたが。
その後もいくつか"戦時中の日本(軍)"ネタを彼女は披露していたように記憶していますが、ほとんど覚えていません。松代大本営がどうとかそこに見学に行くとか何とか、多分言っていたと思います。
で、その場はそれ以上の話にはならずに、また別の日。
とあるバーで、二人でカクテルを傾けながら。(いや、マジで(笑))
その時彼女が振って来たネタは、一つ目は"小沢一郎"。
時期的にはどうでしたかね、『日本改造計画』('93)が世間で話題になる前だったか後だったか、世事に疎かったので覚えてませんが、とにかく彼女が言うには小沢一郎という悪い政治家がいて、あれやこれやで日本を戦争に導こうとしていると、許せないと、どう思いますかとその時は一応僕の反応を求めるような態勢だったと思います。酒も入ってましたし。(笑)
そう言われても僕は小沢一郎の発言を特に見たことは無かったですし、さりとて彼女の言い分を鵜呑みにするわけにも行かないので、素朴な疑問だったか論争のテクニックだったかよく覚えてませんが、とにかくそもそもその小沢一郎とやらのモチベーションはどうなっているのかということを逆に彼女に聞いたんですね。どうして戦争がしたいのか、あるいは戦争をするとどんな得があるのか、もしあなたの言う通りだったとしたらと。
それに対して、今度は彼女がぽかーんとする番でした。答えは何も無し。そんなことは考えたことも無かったと。小沢一郎に"モチベーション"なんて人並みのものがあるとは。ただただ悪い事を考えている悪い政治家で、そこに理由を考えるという発想は持ったことが無かったと、具体的に言いはしなかったかもしれませんが要するにそういう反応でした。
何だかなあと思いつつ、でもバツの悪そうな顔をしている可愛い後輩(笑)をそれ以上は責めずに(そもそも興味無えしそんな話題)またグラスを重ねて(笑)いると、しばらくして再度彼女が話を振って来ました。
今度のテーマは何かというと、"満州事変"。
これも具体的な話は全然覚えていないんですけど、一応"小沢一郎"よりは一般的な歴史知識の話なのでそれなりに対応していましたが、とにかくやっぱり、基本的にはいかに日本軍が悪いかという話ではありました(笑)。ただその中で彼女の語る因果関係背後関係に、何か奇妙な欠落が感じられたので、念の為という感じで「それはだから石原莞爾が・・・」と満州事変の高名な、一般には首謀者の一人とされる人物(石原莞爾Wiki)の名を挙げたところ、再び彼女の反応はぽかーんでした。賛成でも反対でも意見でもなくて、まさかと思って聞いてみると単に名前を知らないとのこと。
「は?」と今度は僕も軽くキレ気味になりました。自分からわざわざ満州事変について議論を吹っかけて来る人が、石原莞爾の評価はともかくとして名前自体を知らないというのはどういうこと?何の冗談?と。
でも本当に知らないようだったので仕方なくいちから説明すると、なるほどそんな重要人物だったんですか、それは知らないのはマズいですね怒って当然ですすいませんでした勉強しますと素直に謝られたので、そこはやっぱり可愛い後輩なので(笑)それ以上は追及せずに、またグラスを傾けましたとさという馬鹿みたいな実話です。
で、結局彼女は何なのかという話ですけど。
まず一応言っておくと、彼女は某国内トップクラスの私立大学に現役合格した、一般的には十分に"頭のいい"カテゴリーに属している女性で、また見ての通り社会問題にも関心のある真面目な学生であるわけですね。
それがどうしてこういう奇妙な欠落のある、空転した思考・知のありようを見せるのかというと・・・。
直接的には恐らく、この時期なにがしかの"刷り込み"を、彼女は受けた状態だったんだろうと思います。善悪・結論の固定した、一連の"ストーリー"的な知識の。
そこにおいては"悪役"と決まっているキャラクター(小沢一郎)の動機を考える必要は無いし、史実にはあってもシナリオには無い重要な人物(石原莞爾)の存在も、知らないでいられる。
"誰か"なのか"何か"(団体)なのか、具体的な主体は分からないですけどね。恐らくは「従軍慰安婦」問題についての"運動"の周辺に、出発点なり中心があるんだろうと思いますが。
それら自体を肯定も否定も当面僕はしませんが、問題は彼女が正常な思考や学習のプロセス外でそうした"ストーリー"に身を委ねていただろうことで、そうでなければあんな空転や欠落は生まれないはず。
他の話題については全然そんなコじゃないですし、また僕に指摘されればその時には気付くことの出来る知性は持っているわけですし。
これらは一般的な"洗脳"の描写と言えないことは無いわけですが、では彼女が一方的な"被害者"なのかいちから深い洗脳を受けたのかというと多分そんなことは全然無くて、結局は"ストーリー"によって強調された、彼女自身の"思想"だったんだろうと、リアルタイムの印象としても感じていました。
彼女やそして勿論僕も受けた、生まれ育った「戦後」(民主主義)的な教育や思想や常識に、安住し切ることによる油断、そこからこぼれ落ちたもの見えなくされたもの、例えば「戦前戦中」や「軍事」的な事柄に対する全般的な侮り、当事者の"動機"について考えることも基本的な"事実"の確認をすることも易々とスキップすることを自分に許してしまう、他の事についてなら当然なされる知的配慮が気楽に飛ばされてしまう。そういうある種の知的な"死角"の存在。
彼女のことはともかくとして本筋に戻って、そうした彼女の振る舞いに接することが僕にどういう影響を与えたかですが。
言い方難しいですが、"戦後民主主義"的な常識・正義感を、戦後50年前後経った時点においてストレートに延長して正義を組み立てることの危うさの体感、かな?そして更には、そうしたものへ"信頼"に基づいているのだろう、彼女も参加していたらしい市民的な「運動」の独特のいかがわしさの目撃というか。
一例でしかないと言えば一例でしかないんですけど、殊更そういうものに関心のあるわけではなかった僕には十分に強い影響と言えて、その後より世間的に目に触れる機会の多くなる、日本における様々な「市民運動」的なもの全般に対する、これはこれで一つの「偏見」と言えなくはないんですけど(笑)避け難く懐疑的な態度・心情を構成したと、そういうことはあると思います。
最後に5,6合わせた今回全体のまとめとしては。
一言で言えば、極右やリベラル嫌いの心情・動機には、実は僕自身も理解・共感出来るところは少なからずあるという事です。あった。気持ち自体は分かるところも多い。神秘(道)主義や陰謀論的なものまで含めて、広い意味で極右的なものに惹かれた時期は、少なくとも大学生時代にはあった。
逆に「極左」に惹かれたことは基本的に無いので、そういう意味で言うなら僕は"右"寄りなのかも知れません。ただ"極"まで行かない範囲だと結構左寄りだと思うので、そこらへんは難しい。
まあ"難しい"とは言っても、そもそも"判定"する必要自体、別に無いと思いますけど(笑)、「右」か「左」かなんてことを。
ともかく大事なのはこれは単に僕個人の遍歴の問題ではなくて、戦後的な教育や思想自体が持っている偏りや欠落、それらがかなりの部分構造的に引き起こした反応ではないかと、そういうこと。僕という、フラットとは言いませんけど基本的にはノンポリないち学生に。だからある程度普遍的に同じ構造が、今日の問題にも当てはまる部分は少なくないように見えると。
"穴"はある。後はそれにどう反応するか。
僕は僕なりに、彼女は彼女なりに反応していた。それだけと言えばそれだけなのかも知れません。
以上で大学生編は、終わりです。
次は卒業後。
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