2019年09月11日 (水) | 編集 |
キリンチャレンジカップ2019 日本代表 〇2-0● パラグアイ代表 (カシマ)
カタールW杯アジア2次予選 日本代表 〇2-0● ミャンマー代表 (ヤンゴンThuwunna Stadium)
・"無風"というかある意味無抵抗な相手に、2戦続けて同じ(ベスト)スタメンで「基本形」を示した2試合。
・その基本形はやはり、大迫+ワンダー3+柴崎の"人"の資質にほとんど全面的に依拠したものであり、また相手・状況関係無く、あくまでワンダー3が"中"に入って行く攻撃をいかに出すかという、そういう焦点で出来上がっているものでありました。
・「最終的に"人"である」「最終的に"中"である」ということ自体は、どのレベルのどの時代のサッカーでも起こり得ることなので、それ自体は駄目とは一概に言えない。少なくとも言語的には。(笑)
・ただそれにしてもやはり余りに一本槍であり裏も表も無い薄い構えであり、相手が強かろうが弱かろうが常に"全力"で"決死"の勝負を挑む、挑まざるを得ない「基本形」というのは、いかにも不安な感じはします。
・「基本形」と「最終形」の区別が無いというか、必殺技はあるけれど必殺技以外の技が無いというか。
・別な言い方をすると、最終的に"人"であったとしても出来ればそれはある程度まで"組織"に乗っかって楽の出来るものであるべきであるし(注・風間理論等は除く)、最終的に"中"であるとしても、出来ればそれは何らか"外"が入り口やコントラストとしてあるべきであると思いますが、そういう前振りが無い。
・...なんて議論はほぼほぼ10年前の議論のはずで、今更力説するようなものではないわけですが。
・"モダンサッカー"事始めというか。(笑)
・ただ現実に、その議論がまだ十分に有効であるような状態に、目の前のチームはあるように見える。
・日本リーグ時代に出発点を持ちJリーグで活躍した森保監督と、僕のようなJリーグ開幕と共に本格的なサッカー観戦を始めた世代のファンとの見るサッカーの"経験"は、多分ほとんど同じはずだと思うわけですが。
・だから加茂監督やトルシエのサッカーに目を開かされ、(予選までの)ザックのサッカーの整然優雅を堪能して、あれくらいが最低限というかスタートラインであるべきだと、多分森保監督も個人としては思っていると思うんですよね。
・オシムは特殊でハリルは時期尚早だったから、別にしても。
・しかし現実には、それよりだいぶ後ろに"スタートライン"が置かれてしまっている感じ。
・ただ別にそれは森保監督が考えがあってそうしているわけではなくて、単にそうなっているんだと思います。要はトルシエやザックの"ライン"を実現する能力・引き出しが、単純に無い。
・それは個人というより世代的に。
・少し前の世代ではありますが、岡田監督がそうであったように、勿論西野監督も。
・森保監督の世代ならもう少し何とかなるのかなとも思いましたが、まだ駄目らしい。"評論"くらいなら、いっぱし出来ても。
・岡田監督もオシムの引き継ぎ→接近展開連続を経て、南ア本番スタイルではそれなりに「組織的」に出来ていたようにも見えるわけですが、あれは要するに「守備」であり「守備的」であったからなわけで。
・つまりある世代までの標準的な日本人監督にとって、「組織的」というのはほぼイコール「守備的」ということなのであり、攻撃に関してはひらめきと自由としか言いようが無いのであり、あるいは"攻守一貫した"チーム作りなどもまだ無理。
・逆に言えば「守備的」にやればそれなりに「組織的」に見えるチームも作れるわけで、サンフでの森保監督がそれなりに見えたのも、そういう理由。
・とにかくまあ、出来ないことは出来ないのであり、出来ることをやっているだけなんだと思います。
・別にポリシーではない。
・「和式」という言葉が妙にヒット(?)してしまったおかげで、和式なりジャパンウェイなりについて、割りと善意でその内実や本意を探ったり推論したりする人は最近ちょいちょいいて、僕もたまにはそういうことを言ったりもするわけですけど。(笑)
・はっきり言えば、別に何も無いと思います。意図的なものは。
・「計画」や、増してや「陰謀」は。
・田嶋会長なり現協会なりが何にせよそれほど具体的なことを考えているとは思わないですし、考えていたとしてもそれが森保監督を拘束しているとは思わない。
・全ての「責任」ひっくるめて(笑)、要するに森保監督が一人で背負っているチームだろうと思います。
・拘束があるとすれば、「スポンサーの為になるべくベストメンバー/有名選手を毎回揃える」、くらいかなと。(あればですけど)
・まあとにかく、"現状"なんですよ。ただの。
・しかしこうして見ると、就任が'94年ですから25年前ですけど、加茂監督の規格外ぶりは今更目立つなと。
・あくまで"あの時点"でのですが。
・今のところ、トップ代表レベルを指揮した日本人監督で外国人監督と比較し得るのは、加茂さんだけではないかと。
・北京の反町さんが忖度抜きで"本気"でやったら、分からなかったと思いますけど。
・岡田監督の"視点"は常に概ねいい線行ってると思いますけどね、技量の程はちょっと。(笑)
・いい編集だけどライターとしては一流とは言えない的な。
・反町さんとの比較で言えば、一切の"忖度"吹っ飛ばしてやり切れるのが、加茂監督の異質なところだったかなと。日本人だけど全然和式じゃない。
・はっきり言って、対話は成立し難い人だと思いますが、解説を聞いても。
・余談でした。
交代選手・・・植田、原口、久保建、安西、永井、板倉GK 権田
DF 酒井、冨安、吉田、長友
MF 橋本、柴崎、堂安、中島
FW 南野、大迫
カタールW杯アジア2次予選 日本代表 〇2-0● ミャンマー代表 (ヤンゴンThuwunna Stadium)
GK 権田
DF 酒井、冨安、吉田、長友
MF 橋本、柴崎、堂安(→66'伊東)、中島(→81'久保建)
FW 南野(→77'鈴木武蔵)、大迫
・"無風"というかある意味無抵抗な相手に、2戦続けて同じ(ベスト)スタメンで「基本形」を示した2試合。
・その基本形はやはり、大迫+ワンダー3+柴崎の"人"の資質にほとんど全面的に依拠したものであり、また相手・状況関係無く、あくまでワンダー3が"中"に入って行く攻撃をいかに出すかという、そういう焦点で出来上がっているものでありました。
・「最終的に"人"である」「最終的に"中"である」ということ自体は、どのレベルのどの時代のサッカーでも起こり得ることなので、それ自体は駄目とは一概に言えない。少なくとも言語的には。(笑)
・ただそれにしてもやはり余りに一本槍であり裏も表も無い薄い構えであり、相手が強かろうが弱かろうが常に"全力"で"決死"の勝負を挑む、挑まざるを得ない「基本形」というのは、いかにも不安な感じはします。
・「基本形」と「最終形」の区別が無いというか、必殺技はあるけれど必殺技以外の技が無いというか。
・別な言い方をすると、最終的に"人"であったとしても出来ればそれはある程度まで"組織"に乗っかって楽の出来るものであるべきであるし(注・風間理論等は除く)、最終的に"中"であるとしても、出来ればそれは何らか"外"が入り口やコントラストとしてあるべきであると思いますが、そういう前振りが無い。
・...なんて議論はほぼほぼ10年前の議論のはずで、今更力説するようなものではないわけですが。
・"モダンサッカー"事始めというか。(笑)
・ただ現実に、その議論がまだ十分に有効であるような状態に、目の前のチームはあるように見える。
・日本リーグ時代に出発点を持ちJリーグで活躍した森保監督と、僕のようなJリーグ開幕と共に本格的なサッカー観戦を始めた世代のファンとの見るサッカーの"経験"は、多分ほとんど同じはずだと思うわけですが。
・だから加茂監督やトルシエのサッカーに目を開かされ、(予選までの)ザックのサッカーの整然優雅を堪能して、あれくらいが最低限というかスタートラインであるべきだと、多分森保監督も個人としては思っていると思うんですよね。
・オシムは特殊でハリルは時期尚早だったから、別にしても。
・しかし現実には、それよりだいぶ後ろに"スタートライン"が置かれてしまっている感じ。
・ただ別にそれは森保監督が考えがあってそうしているわけではなくて、単にそうなっているんだと思います。要はトルシエやザックの"ライン"を実現する能力・引き出しが、単純に無い。
・それは個人というより世代的に。
・少し前の世代ではありますが、岡田監督がそうであったように、勿論西野監督も。
・森保監督の世代ならもう少し何とかなるのかなとも思いましたが、まだ駄目らしい。"評論"くらいなら、いっぱし出来ても。
・岡田監督もオシムの引き継ぎ→接近展開連続を経て、南ア本番スタイルではそれなりに「組織的」に出来ていたようにも見えるわけですが、あれは要するに「守備」であり「守備的」であったからなわけで。
・つまりある世代までの標準的な日本人監督にとって、「組織的」というのはほぼイコール「守備的」ということなのであり、攻撃に関してはひらめきと自由としか言いようが無いのであり、あるいは"攻守一貫した"チーム作りなどもまだ無理。
・逆に言えば「守備的」にやればそれなりに「組織的」に見えるチームも作れるわけで、サンフでの森保監督がそれなりに見えたのも、そういう理由。
・とにかくまあ、出来ないことは出来ないのであり、出来ることをやっているだけなんだと思います。
・別にポリシーではない。
・「和式」という言葉が妙にヒット(?)してしまったおかげで、和式なりジャパンウェイなりについて、割りと善意でその内実や本意を探ったり推論したりする人は最近ちょいちょいいて、僕もたまにはそういうことを言ったりもするわけですけど。(笑)
・はっきり言えば、別に何も無いと思います。意図的なものは。
・「計画」や、増してや「陰謀」は。
・田嶋会長なり現協会なりが何にせよそれほど具体的なことを考えているとは思わないですし、考えていたとしてもそれが森保監督を拘束しているとは思わない。
・全ての「責任」ひっくるめて(笑)、要するに森保監督が一人で背負っているチームだろうと思います。
・拘束があるとすれば、「スポンサーの為になるべくベストメンバー/有名選手を毎回揃える」、くらいかなと。(あればですけど)
・まあとにかく、"現状"なんですよ。ただの。
・しかしこうして見ると、就任が'94年ですから25年前ですけど、加茂監督の規格外ぶりは今更目立つなと。
・あくまで"あの時点"でのですが。
・今のところ、トップ代表レベルを指揮した日本人監督で外国人監督と比較し得るのは、加茂さんだけではないかと。
・北京の反町さんが忖度抜きで"本気"でやったら、分からなかったと思いますけど。
・岡田監督の"視点"は常に概ねいい線行ってると思いますけどね、技量の程はちょっと。(笑)
・いい編集だけどライターとしては一流とは言えない的な。
・反町さんとの比較で言えば、一切の"忖度"吹っ飛ばしてやり切れるのが、加茂監督の異質なところだったかなと。日本人だけど全然和式じゃない。
・はっきり言って、対話は成立し難い人だと思いますが、解説を聞いても。
・余談でした。
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