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"フォーメーション"今昔と戦術運用における身体性的な何か/東京V-岡山(’19)、琉球-東京V(’19)
2019年10月14日 (月) | 編集 |
J2第35節 東京V ●1-2〇 岡山(駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場)

GK 上福元
DF 若狭、近藤、内田 (→59'新井瑞)、奈良輪
MF 山本理、クレビーニョ、梶川
FW ジャイルトン、李 (→90+1'カン)、森田 (→87'澤井)


J2第36節 東京V 〇5-1● 琉球(タピック県総ひやごんスタジアム)

GK 上福元
DF 澤井、若狭、近藤、奈良輪 (→86'平)
MF 梶川、井上潮 (→90+1'藤田譲瑠チマ)、クレビーニョ、森田 (→77'新井瑞)
FW 小池、ジャイルトン


・岡山戦は無視して、琉球戦のみについて書きます。
・書きたいことが出来た時が吉日。(語呂悪い)

・岡山戦までの3連敗&軽い守備崩壊(というか失点のパターン化)を承けて、2CH4-4-2に変更して来た琉球戦。
・正確には「非保持時4-4-2」(保持時4-3-3)ということみたいですが、ちなみに従来僕らが"フォーメーション"として認識していたものは、この二分法で言えば"非保持時"のものが基本のようですね。
・「非保持」「保持」というよりも「守備&通常」時と、「攻撃or崩しにかかる」時、かな?
・例えば森保ジャパンで言えば4-2-3-1なのか4-4-2なのか、南野のポジションをどう考えるかという問題がありますが。
・これについて僕は「プレスをかける時には2トップになっているから、4-4-2という認識の方がいいんじゃないか」ということを言っていたと思います。
・森保ジャパン単体に関しては、トップ代表に先立つU-21直接指導時には、明らかに「3-4-2-1」と「4-4-2」の使い分けという形になっていたので、そこからの類推も入っていますね。
・あと南野の代わりに使われる選手が、"北川"だったりするというニュアンスの問題もありますし。
・まあ今は要は南野は"フリーマン"という感じで、どうでもいい気はしますが。3シャドーでも2トップでもなく、トップ下というか。
・4-4-1-1?
・ただ南野がいない時は代わりを置くというよりも純正2トップに近い感じになることが多いので、じゃあ"下がり目のFW"ということにしておきますか。(笑)
・それはともかく、監督が(世代的に)「保持」「非保持」という発想を採っているかによっても、フォーメーションの認識は変わって来ますね。
・そうでない場合は「保持」時は「崩し」時になって、相当に一時的に前がかりになるので、なかなか90分トータルの認識としてそれを"基本フォーメーション"と考えるのは難しくなる。
・...そういえば「オリジナルポジション」なんて言い方もありましたね。これは別に"和式"ではないですよね。由緒正しき洋式のゾーンっぽい考え方(言い方)のはず。

・で、問題の永井ヴェルディの場合は、基本は「保持」「非保持」の図式でやっているはずではあるんですが、そして琉球戦の4-4-2も一応"非保持4-4-2"ではあるんでしょうが。
・それによって生まれた安定感というかハマり感が余りに広範なので、そう言って済んでしまえるのか、疑問なところもあります。
・つまり随時4-4ブロックで迎え撃つ意図を明確にしたのは、やはり守備の混乱を収める為であるんでしょう。
・ただそれによってむしろ攻撃の方がスムーズになった、特に新しいことはしていないがそれまでもやろうとしていた攻撃をより整理整頓して行えるようになった、その効果は結構目覚ましいものだったと思います。
・攻めて来てくれる相手に対する"カウンター"の楽さというのも明らかではあるんですが、それ自体を本質としてしまうと、事態の把握を誤るかなと。
・間違いではないけれど、大雑把過ぎる。
・..."4-4ブロック待ち受け"を採用したことには、相手が琉球であることは大きな決断理由になった可能性は高いですが。
・色々あって"全て"が上手く行ったのは確かで、ただその"全て"の中での「相手」要素と「自分」要素の選り分けの必要を感じるというか。
・「相手」要素は勿論"カウンター"で、それによってかなり楽が出来たのは確か。途中からは点差も開きましたし。
・ただそれを可能にしたそのベースにあったのは、「自分」の側の落ち着き、"守備"と"攻撃"の間にある程度息がつける継ぎ目を作れるということと、同じことですが「攻撃」は攻撃としてある程度独立課題として頭をすっきりさせて臨めること、そしてカウンター仕様にしたことによる全体的なプレーのスローダウン。
・まとめていうと、"思考のスローダウン"みたいな感じですが。

・それを僕が今まで永井監督に対して言ったことと照らし合わせみると・・・
・まず前回

気になるとすれば、そういう永井監督の虚心な向上心がストレートに向かったナウなサッカー戦術・潮流の内容が、どこまで永井秀樹個人・選手として生来持っている、サッカー人生の中で身に付けたもの受けた教育、その結果凝結した"核"や"基体"的なものと、相性がいいのかどうか。

・この"相性"という言い方には、文字通りの相性ということと、"サッカー人"としての永井秀樹の自分ではどうしようもない育ちの問題とそこから来る限界の問題みたいな二つの意味が入っていたわけですが。
・特に後者、それこそヴェルディの"選手"たちがホワイト以来ちょいちょい見せている攻守の連続的な把握のある種の困難を、"監督"自身が抱えていては指導のしようがないというところがあるわけで。
・永井監督の「目標」自体が合っている間違っているというような話は置いておいて、仮にその目標に十分な価値があったとして例えば高い目標を50%の達成度で行うのと、少し下げた目標を75%の達成度で行うのと、どちらが戦闘力が最大化出来るかみたいな問題。
・目的は戦闘力の最大化であって、戦術の遂行自体ではないはずですから。(そうでないという監督がいる可能性は否定しません(笑))
・勿論世の中そうそう甘い話は無いので、Aを50%しか出来なかった人がA'なら100%出来るというようなことはまずなくて、Aの時に出ていた甘さはA'の時にも程度の差はあれ顔を出すはずなので、いずれ刻苦勉励理想の追求をやめてはいけないわけですけどね。
・ただ現実的な伸びしろ(の見込み)まで考えて、どこらへんの目標バランスに焦点を当てるかという視点は多分必要で、またそれは世界中の"職業人"としてのサッカー監督がやっていることでもあるだろうと思います。
・まあ駆け出しの監督に言う事ではないかもしれませんが、実際には必要なことかなと。(そろそろ?)

・もう一つはその更に前回に言ったこと。

・問題(と僕が感じたの)はそういう「空間」的特徴や狙いを持ったサッカーを、どういう今度は「時間」的特徴や狙いを持って行おうとしているのか。
(中略)
・永井監督のサッカーはどういう基本的なテンポ感でやるものなのか、あるいは基本のテンポ感と言うものがそもそもあるのか意識されているのか、そこらへんがどうも最初から疑問でした。

・これも特に後者で、つまり"永井秀樹のテンポ感"とはどういうものなのかということ。
・監督としてはデータが少な過ぎますし露骨に発展途上でもあるので、参考にするとしたら"選手"としてのプレーくらいしか無いだろうと思いますが。
・若い時、第一回ヴェルディ在籍時やその後のエスパ・フリエ等の時代は、どちらかというとそのプレーの外面的特徴からのチームのオーダーありきで、あくまでプレーしていたと思います。具体的にはドリブルテクニックとスピードですが。
・それでも特にオジーエスパルスの時代(1996-)の"戦術兵器"っぷりは凄かったですけどね。あれはあれで"自分の"プレーだったのは確か。選手の能力を引き出すことに関しては特殊な強みを持つ、オジーのサポートを得て。
・ただ永井秀樹に本当に驚かされた、感動させられたのは、2006-と2014-の3,4回目の在籍時(Wiki)の「司令塔」プレーで、最初は永井秀樹が"司令塔"プレーをするという事自体を冗談じみて受け止めていたんですが、その内その余りの"名人"ぶりに、単に変化したとか年を取って楽をしている(笑)というよりも、何か深いところにある隠れた本来の資質が出て来たのではないか、そんな感慨すら抱くようになったものでした。
・とにかく達人で、仙人で(笑)、フィールドの22人の中で一人だけ抜けて冷静で"達観"していて、別の時間を生きているようで、最小限の動きで恐ろしく的確に相手の隙をつき逆を取り、味方を動かし、かつ"パサー"プレーにありがちなポイントだけの小さいプレーにとどまらず、何だか知らないけれどがらっと一気に状況を変える、止まっていた事態を動かす、はっきり言ってどうやったのか今でもよく分からない凄いプレーを定期的にしていました。
・動きは大きくないし、見た目遅いんですけどね。でも遅い中にも更に緩急があって、それがまたいちいち効く。
・そこからすると「監督」としての永井秀樹の"プレー"はいかにも単純で単調で、その意外な理論志向欧州志向も含めて、はっきり言ってほとんど面影は無いです。"名前"だけというか。
・まあ監督の現役時代のプレーが直接監督としてのプレースタイルに結び付くなんてことは、まずほとんど無い("ある"場合は要は本人の切り替えの出来ていない"悪い"例が多い(笑))ので、そんなことを望むわけではないんですけど。
・ただそうは言っても同じ一人の人間なわけですから、そのプレーを可能にしていた深層の何かと監督としての"プレー"が繋がること自体は、論理的にあり得る、むしろ自然な気がするわけです。("解釈"にひねりは必要でしょうけど)
・だから今はまだ受け売り一本でやっている感じも強い「監督」永井秀樹が、「選手」永井秀樹に近付く余地や可能性は、大きめにあるのではないかと思いますし、個人的には"監督"永井秀樹が見習いから脱する一つの有力なルートなのではないかと割と本気で思います。
・...という一般論は一般論として。
・もし後年の選手永井秀樹のあの独特の"スローダウン"感覚、状況や時間を見る感覚の細やかさが彼の重要な「本質」であるならば、琉球戦の永井ヴェルディが見せたプレーとそのスムーズさは、その"発露"というには偶然が過ぎると思いますが、少なくとも偶然的幸運的"合致"である可能性はあるのではないかと。だから上手く行った。(面がある)
・更に言うならば近年のヴェルディの選手についてちまたで(笑)言われる「急ぎ過ぎる」「状況を見ていない」という問題と、永井秀樹の"スローダウン"との相性は・・・あれ?あれあれ?という。ジャストフィットじゃないの?という。(笑)
・それこそ選手みんなが少しずつ"永井秀樹"のようにプレー出来れば、かなりの問題は解決出来るように思いますし。(笑)
・選手が永井秀樹のようにプレーするチームか、あるいは全体が「永井秀樹のように」動くチーム。
・この日一瞬見えたヴィジョン。
・監督としての永井秀樹の未熟を"選手"永井秀樹に近付くことによって解消し、それがまたヴェルディの"宿痾"(持病)の解決にもなるかもしれないという非常に都合の良いヴィジョン。(笑)
・後者は半分冗談ではあるんですが、少なくとも「永井ヴェルディ」の完成形として、大きめのヒントにしたい試合では真面目にありました。

・ただしあんまりそう"なる"とは思わないんですけどね。こういう"気付き"と"変化"は、実は戦術が「無い」監督の方が簡単で、なまじ目に見える物があるとどうしてもそっちに引っ張られる。むしろ"習慣"的に。
・増して無垢な向学心に満ち溢れた、今の永井監督の「段階」を考えるとね。
・とりあえず僕の世界線ではみんな幸せそうにしています(笑)。皆さんの世界線にも幸あれ!
・でも見たいなあ、"選手"永井秀樹のような"チーム"。
・これ永井秀樹じゃなくて良くねえ?と、当初から感じている人は意外といるんじゃないかと思いますが。


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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
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