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残りの試合、残りの疑問(ヴェルディ全日程終了)
2019年11月25日 (月) | 編集 |

10/19 37節 H甲府戦 〇2-1
10/27 38節 A横浜戦 ●1-2

11/2 39節 A福岡戦 ●0-2
11/10 40節 A千葉戦 △0-0
11/16 41節 H徳島戦 ●1-2
11/24 42節 H岐阜戦 〇5-1

"残り"というのは、僕が書いた残りという意味。
勝手ですね。(笑)
一応全試合ブログ上でカバーしたぞという、余り意味のないアリバイ作り。
でも一度こういうのを切らすと、本当に"切れ"そうになるので。(まあ別に切ってもいいんでしょうけど)


・最終戦後の永井監督の挨拶には、正直がっかりしました。
・現役時代の勇み足も含めての活発な発言や発信、"対照"として選手としての引退セレモニー挨拶での、エモーショナルさと半面の妙に地に足のついた力のある言葉の記憶。
・そこからすれば、例え「解決策」などは提示されなくても何なら「筋」すら通ってなくてもいいから、何か手応えのある"言葉"が聞けるだろうと期待しましたが、最後まで市長の挨拶風で終始。
・疲れてるというか萎えてるというか、目も死んでるように見えたというか。
・変なコンサルかお目付け役でもつけられてるんじゃないだろうなとすら。(笑)
・永井秀樹はどこへ行った。
・とにかく退屈というか平坦というか、まるでフィールド上で展開されている・・・みたいな話は今日はする気は無いんです絶対しませんしませんたら。
・皆さん一年間お疲れさまでした。(唐突)


結局「羽生」のチーム?

・対照的に"饒舌"な印象だったのが羽生社長で、まあだいたいいつもこの人は、言葉の内容以上の感情の揺れの見えやすい人だと思いますが。
・こんな成績で悔しいと、それはいいんですけどどうも気になったというか引っかかったのが、だから「いいクラブにする」「強いチームを作る」(チームを強くする)という二つの目標が、パパパッと一つの流れで同じ比重で口にされているように感じたこと。
・いや、社長の直接の仕事はあえて言えばこの二つで言えば「いいクラブにする」方で、「強いチームを作る」のはGM以下の他の人の仕事なのではないかなと。あえて言えば。
・どうも二つの目標のゼロ距離感というか別の言い方をすると「俺が(全部)やるんだ」感が過剰過ぎて、「社長」の挨拶としては違和感がありましたね。
・ま、昔からですけど。
・で、先々週あたりに(笑)ふと頭をよぎったこと。
・2010年6月に羽生氏がヴェルディの社長に就任して。(羽生英之Wiki)
・その当時の監督の川勝さんは前体制からの居残りですから、羽生社長自身が"呼んだ"監督としては2013年の三浦泰年監督以降になるわけですね。(以下、東京ヴェルディ1969の年度別成績一覧Wiki)
・三浦泰年、ロティーナ、ホワイト、永井秀樹。
・高橋代行や代行から流れで昇格した富樫監督は、一応別にして。
・それで言うなら永井監督も"別"になりそうですが、それについてはまあ後ほど。
・とにかく当時を知る人ならよく覚えているでしょう、「この人に懸ける・この人を信じている」的な結構大層な意気込みで羽生社長が引っ張って来た三浦泰年監督、と当時耳慣れなかった"ピリオダイゼーション"という掛け声。
・それが川勝時代の5-5-7位から13位-20位と結果だけ言えば散々な成績に終わり、代行上がりの富樫監督の二年間(8-18位)を挟んで、その後ご存じのロティーナ、ホワイト、永井秀樹と続くわけです。
・その内慎重居士のロティーナ翁を除いて、泰年・ホワイト・永井秀樹と並べると、何か共通する好みというか、「意気込み」と「軽み」のコンビネーションが浮かび上がりませんか?(笑)
・軽みというか、危うさというか。場合によっては基盤の弱さ。
・ロティーナは勿論違いますが、"先進"の意気込みと"突然スペイン"の前のめりさは共通で、ただ当時のある種の"スヘインガチャ"の中からたまたまヴェルディが引いたのがロティーナだったような気もしないではない。
・リカルド・ロドリゲスだったかも知れないし、エスナイデルだったかも知れない。
・例えばこの二人なら、「泰年・ホワイト・永井秀樹」の"流れ"の中に入れても、さほどの違和感はないでしょう。(笑)
・この見方はなぜそれにしても、ホワイトのような(タイプの)実績の監督を突然連れて来たのかなという、当時から多くの人にあったろう疑問の、一つの答えになるかもしれない。
・要するに好みだったんでしょう、タイプ的に。
・ロティーナは必ずしもロティーナだから連れて来たわけではないけれど、ホワイトはホワイトだから連れて来た。(のではないか)
・そして永井監督ですが、なぜ彼を単なる緊急登板の代行監督として高橋真一郎氏や冨樫監督と同列に扱わないかというと、正にその"緊急"登用の緊急性、前後からすると永井監督のS級取得に合わせてホワイトの"片付け"を準備していたようにすら見える、実績の薄さからしてもやや強引な昇格のさせ方が、三浦泰年の時にも似た強めの"意思"を感じるという事です。
・まあどうでしたかね、冨樫監督もユースでは割と"先進"を謳っていたような記憶がありますし、その後スペイン留学とかもしているわけで、単純に一つの流れで見てもいいのかも知れませんね。
冨樫&永井は(ユース監督出身という意味も含めて)同タイプで、ただ就任の経緯が前者は仕方なく後者はより意図的という、それだけの違いかも。
・つまり三浦監督から一貫して、羽生社長の強い"好み"で、ヴェルディの監督人事は動いているのではないかということ。
・羽生"なんちゃって"GM社長の。"派手なところだけ取り"GM社長の。
・その「好み」の中には、「栄光」としての"先進"のイメージも、欠かせないものとして入っている。
・勿論その栄誉を誰よりも受けるのは羽生社長個人。俺の素晴らしいかっちょいいサッカーを実現する俺のクラブヴェルディ。
・まあ力関係的に当然のところもありますし、結果が良ければ別にそれでもいいのかも知れないですけどね。

・見ての通り根拠というほどのものは無いですし、昔から読んでいる人は知っているでしょうが(笑)僕は一貫して人としてこの方を信用も尊敬もしていないので、そういうバイアスが入っているだろうことは予め言っておきます。


永井監督の狂気と正気

・冒頭の"挨拶"の話をうっすら引きながら。
・監督永井秀樹は、狂気の人なのか正気の人なのか。

・僕が就任当初割と永井監督に好意的だったのは、勿論あからさまな準備不足で就任した監督への同情・猶予という要素はありつつ、簡単に言えば面白かったからです。
・戦術自体の内容はまた別にして、それを実行する上でのただならぬ緊張感、潔癖さ・ひたむきさ、表面"静かな"サッカーの中に感じる圧力の高さ。
・そこに刺激されるものがあった、ともかく見守ってみたい面白みがあった。
・で、てっきりそういう人なんだろうと思ってたんですけどね。
・つまりサッカーの"戦術"派(雑な言葉だなあ・・・)の監督を、仮に「狂気」派(自らの好みのないし正しいと信じる秩序の実現を強迫観念的に目指すタイプ)と「正気」派(存在すると想定している"客観"的秩序に忠実たらんと近付いて行こうとするタイプ)に二分した時に、前者のタイプなんだろうと。
・これは別に「戦術」のタイプでは必ずしもなくて、例えばポジショナルプレーならポジショナルプレーを、"狂"的なアプローチでチームに仕込むことも"正"的なアプローチでチームを誘導することも両方可能だと思います。適宜人と戦術の色合いに応じて、相応しいようにやればいい。
・前者には強引にもチームをまとめて行ける良さがありますし、後者にはチームを落ち着かせる良さがある。
・問題は永井監督が、「狂」的に行くのかと思ったら案外そうでもなかったこと。そうでもないように見えて来たこと。
・やってることの危なっかしさや「保持率100%」とかいう文言はいかにも"狂"的なんですが、チーム・試合に漂う雰囲気は・・・
・そして僕の眠気は。
・何か本来情熱とテンションで選手を巻き込んでいかないと実現しないはずの極端な戦術を、一通り説明すれば出来ると勘違いしているような。
・狂気にしては勢いがないし、正気にしては穴が多いしという、どっちつかずというか悪いとこ取りというか、そういう状態になっているように見えて来たんですね。
・なぜそんなことになっているのか、試合を見ている範囲で想定していたのは、永井監督の"狂気"の必要性の自覚不足、あるいは"正気"の過大評価。
・正気で出来る範囲の過大評価でもあり、また自分のプログラムの狂気性の認識不足でもあり。
・これは相当に頑張って、狂気の範囲まで正気である種物量的に埋めていかないと、ある程度以上に行かないのではないか。
・物量的にというのは、パターン的な練習の量と特定選手の個人能力ですけど。
・それでもなんかスピード感的に間に合う気がしないなあと、一つの穴を埋めるのに相当の時間と幸運が必要っぽいなあと、そんな感じで見ていたんですが。
・チームというのはこつこつ作るものでもありますけど、その都度"一気に"作るものでもあるので。
・その為に"狂気"の融合力や(十分な根拠のある)"正気"の合理性が必要なので。

・...ただどうなんですかね、冒頭言った"挨拶"の様子を見ると、就任以来の数か月で相当に疲れている、初体験の嵐に翻弄されて萎えている感じも窺えたので。
・やはり来季改めて最初から、"本来の"監督永井秀樹が姿を現すのを、待ってあげてもいいのかも知れないなと、一応は思い直しました。
・その時は"必要十分な"「狂気」も、自然に復活しているのではないかと。(笑)
・そんな感じで締めておきますか。
・ではまた来年。
・来年も書きたいことが出来たら、書く感じで。
・書きたいことがあって、それを読みたいという人が自分以外に一人でもいるなら・・・。(何を言っている)
・ゼロ人なら、さすがに書かないかも。
・でも書くかも。(という、僕の狂気)
・はい、疲れてます(笑)。今季は殊に、疲れました。
・サッカーって何が面白いんだっけ、というここ半年くらい。代表も含めて。(笑)


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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
コメント
この記事へのコメント
永井選手晩年の謎の能力が、狂気の末の理によって得たものだったのに、理だけによって得たものだと感じていたら理を説けば伝わると思っていたりするのかな、みたいなことを考えています。
2019/11/26(Tue) 00:17 | URL  | しりんぐ #mQop/nM.[ 編集]
割と一貫して、自分のやっていることを半分だけしか理解(意識)していないようなところはあるように見えますね。晩年の司令塔プレーも、司令塔的エゴが希薄なところが、スムーズな機能を可能にしていたり相手にとって常に少しずつ意表を突かれたりみたいな、そういう感じがしました。
・・・凄いプレーをしているという自覚のないところが厄介というか。

監督としては、おっしゃる通り自分の無意識な部分を自覚していない所が、他人に説明する時に"半分"だけの説明になって、しかも自分でもそれを素朴に信じてしまっていると、そんな風に見えますね。
2019/11/26(Tue) 11:50 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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