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BBCワールドニュース『自由意志 思考を決定するもの』(書き起こし)
2020年04月22日 (水) | 編集 |
BBCの30分もののドキュメンタリー、「自由意志 思考を決定するもの」(Free Will: Who Is Really in Charge of Our Minds?)が色々と面白かったので、例によって要約・引用・コメントを施すつもりだったんですが、元々それほど言葉数の多いプログラムではないのでやっている内に要約する方がかえってややこしくなる気がして来て、むしろ同時通訳全文書き起こしをして僕自身がよく分からない部分も含めてまず皆さんと共有した方が良さそうだなと、そういうことになりました。
権利的な問題は・・・まああるでしょうけどね。(あるよな)
感想・解説・コメントは、後日改めて。
通訳の単純な言い淀み以外は忠実に書き起こしていますが、"小見出し"は僕がつけたものです。画像は最低限、無いと訳が分からなそうなものだけつけておきました。

では。とりあえず各々ご自由に読んで下さい。(笑)



"Part1"

(オープニング)
私はここにいることを選んでいます、私の選択です。
少なくとも自分ではそう思っています。
この動画を自分で選んで見ていると皆さんは思っているでしょう。
メディアや広告などに操られてしまうんです。
自由意志の定義はどうなるんでしょうか。それで自由の度合いが決まります。
選択は我々(は?を?)定義します。しかし現実はそれほど単純ではないかもしれません。ほらね。

(リベット実験)
'80年代初めにベンジャミン・リベット氏は、脳の意思決定のメカニズムを理解する為の実験を行いました。
回っている点を好きな時にクリックすればいいのです。その時に私の脳の活動がモニターされています。そしてこの選択をする時に脳の活動が高まります。
それでボタンをクリックすると思ってしまいますけども、実際にはその前に準備電位と呼ばれる段階がありました。1秒早く、クリックをするという決定をしているのです。

リベット実験

それが何百回と繰り返されました。その実験には、どんな意味があるんでしょうか。

自由意志というのは、心が体をコントロールしていると思うわけです。つまり心が自分の好きな決定をして、命令を体に送っているとみなされるわけですけども、リベット実験を考えると、この意識した意思というのは、その前の脳の活動によって決まっているということが分かるわけです。心と体の因果関係という考え方に、異議を唱えるんです。
リベット実験を慎重に見ると、運動が無くても何かが起こると人が予想すれば、準備電位が見られるんです。何かが起こるという予想や期待に基づいてです。

実験は終わりました。私はもう心がコントロールしていません。意識下の意識によって導かれています。
お腹がすきました。我々の決定は、以前の脳の活動の決定によると言えるでしょう。
ジョン・デラン・ヘイズ氏の実験によると、MRIスキャナーの神経画像によって、どのような決定をするかが事前に分かるというのです。

では無意識の脳の活動が既に決定をしているのであれば、自由意志の意味はあるのでしょうか。
無意識というのは、知性が無いということではありません。無意識が理性に合った反応を示すんです。
私は妊娠8カ月、歩いています。そしてお腹がすいてとても疲れています。意識下の声に聞きます。疲れてお腹がすいていると言います。そして昼食に豆を食べたいと言います。
時に我々は無意識の理性にとても影響を受けるんです。広告をする企業はそれを利用しています。心理実験を行って、無意識のサブリミナルな影響を人々に及ぼそうとしています。準備刺激の例は沢山あります。
どのような豆を選んだとしても、本当に自由意志で選んだのかと考えてしまいます。
じゃあ豆はやめましょう。それとも意識下が騙されたと思うから、それをやめたんでしょうか。それは問題かもしれません。しかしこれは意識した意思決定でも起こるんです。人々は嘘をつきます。このそうさ(捜査?操作?)を広げると、我々は自分たちをコントロールしているのかという問題があるんです。

(自由意志と「想像」)
ではそこからどうやって離れたらいいんでしょうか離れることは出来るんでしょうか。
イエス、ノーですね。それは出来ないんです。
我々は人間ですから、とっても賢いんです。ですからそうしたことを考えることは出来ます。
我々の意思決定の多くは、この想像のヴァーチャル・リアリティの中で行われているんです。一日の半分は、色々なことを想像して過ごします。そしてそれほど大きな結果が無いものもあります、例えば何を食べるかとか。でも非常に大きな影響を及ぼし得る決定もあります、誰と結婚するかどの国に住むか。我々の想像のヴァーチャル・リアリティの中で、自由意志は動いているわけです。
リベット実験のようにそれほど選択するということではなく、大きな影響を持つ決定を行っているわけです。

お腹はすいていますけども、ただ無意識な豆に対する偏見は捨てて決めたいと思います。自由意志というのは知的な決定をする能力というのであれば、それには問題はありません。そうだとすれば、多くの自由意志があると言えるでしょう。動物にもあります。トラも色々な選択肢を考えます。ですから一時的な熟考というのはありますね。しかし人間の場合にはもっとレベルの高い、第二次の熟考能力があるんです、例えば将来の自分について考えるということです。

ここで奇妙なことがあります。
私はボタンをリベット実験でクリックしている方が、どの豆を買おうか考えるよりも自由に感じました。これは人生に大きな影響を及ぼす決定ではありませんが、私の選択には多くの制約があります。ある基準の中で、自由に振る舞うわけです。自然や社会が制約を設けています。そしてその中で、新しい言語を学ぶ、ジムに行く、よりよい人になるという決定をするわけです。

[視聴者代表的な人との会話]
電話で話した時には自由意志があるかどうかわからないと言っていますけども、今は無いと思われるんですね。
そうです、私は追加的な科学的証拠を待っているんです。今のところ分かっていることに基づくと、自由意志を信じるのは難しいんです。でも分野が何であれ、神経科学、神経生物学、物理学かもしれませんが、新しい実験が行われるかもしれません。

(物理学と"決定論")
なぜ彼女は物理学と言ったのでしょうか。
物理の法則は、その前に起こったことによって決まるということを教えてくれます。ビッグバンまで遡って、一つの出来事が一つに繋がります。因果関係です。
このシナリオの中では、私には選択肢が二つあります。ビッグバンのドミノを倒し始めると、一連の出来事が起こります、そして私はBではなくAを選択します。これが決定論です。全ての人生の決定は、運命づけられているという考え方です。

決定論

我々の脳は、原子から出来ているわけです。他には何もありません。ですから脳も、物理の法則に従うわけです。
決定論的な世界では、一つが一つを招くわけですから、自由な選択を行っていると考えても、物理の法則が作用しているに過ぎないのです。ただ脳はとても複雑なので、事前に誰が何をするか自分が何をするか予想がつかないんです。ですから自由意志の幻想が生まれるわけです。

女性の名を挙げてと言ったら分からないかもしれません、じゃあ女性の政治家を挙げてと言ったら、ヒラリー・クリントンと言うかもしれません。そして第三の基準を加えます。ヨーロッパの女性政治家を挙げてと言ったら、テリー・ザ・メイ、マーガレット・サッチャー、アンゲラ・メルケルと言うかもしれません。
決定論者の根本的な過ちは、因果関係特に脳の因果関係が十分だと考えている事なんです。脳の因果関係が基準で制限されるものだとしたら、この因果関係は十分なものではなく、足りるかどうかという問題だと思います。なぜまずアンゲラ・メルケルと言ってマーガレット・サッチャーは後に来たのか、それはたまたまだと思います。ですから完全に無作為ではないんですね。ヨーロッパの女性政治家と言ったら、カエルとか民主主義とか真実とは言いませんでしたよね?ですから完全に無作為ではありませんが、制約した中での無作為になるわけです。

では、「乱流」(turbulence)も加えましょう。そうするとビッグバンのドミノを倒す時に、選択AかBを選ぶ事になります。

乱流


ただそこにも基準があります。ブロックは皆同じ大きさで、アヒルであってはなりません。それでもその無作為に乱流を加えると、非常に複雑ではありますが、やはり決定論の法則に従っていると言えるかもしれません。エネルギーのパターンです、リズムです。

タップして下さい。ずっとタップを続けて?リズムを打ち切りますけどもタップを続けて下さい。

エネルギーパターン


こうした音のパターンが、脳の活動のパターンを決めます。そして指でトントンとするわけですけども、みんな同じリズムではありません。そして指でトントンとタップしない人もいます。ですからこのエネルギーのパターンが、予想が出来るとは限らないんです。エネルギーのパターンは、必ずしも物理の法則に従いません。

ではドミノに戻りましょう。
では(聞き取れず)にズームインしましょう、脳の中でこれが起こっています。ドミノのパターンは、選択AかBになります。これは乱流次第です。しかし脳の中では、パターンは固定していません。選択Aが道義的に問題があると思えば私はパターンを変え、Bしか選べないようにします。私の抽象的な道義心、それ自体が情報のパターンですけども、それが私の決定を形作るのです。
進化が新たな物理的なシステムを作り出しました。それが命です。そしてそれがエネルギーのパターンがエネルギーのパターンを引き起こして、それが続きます。そして我々の意識も情報のパターンです、それが脳の中で実現するのです。そしてその世界の中であるのです。

(相対性理論とブロック宇宙論)
将来が既に存在するとしたら、どうでしょうか。
私たちの自由な選択が自由な選択でなかったらどうでしょうか。
ブロック宇宙論というのは、アインシュタインが特殊相対性理論を考え付いた直後に生まれたものなんです。この時空は結びついているというものなんですね。三次元の空間と一次元の時間というのは別々なものではなく、四次元の時空だと考えるのです。
ですからブロック宇宙論は、空間は二次元、そして第三次元が時間だと考えるわけです。
パンになぞらえて下さい。時間の軸は、このパンの長さです。そしてそれぞれのスライスが空間です。
ブロック宇宙論は、将来がもう決まっているので全ての時間が共存します。ただパンの違う一切れなんです。普遍的な現在というのは無いんです。

ブロック時空パン

このシナリオでは、どのドミノのシミュレーションを選んでも関係無いのです。全てが既に存在しているのです。結局結果はいつも決まっているのです。

この100年色々な実験をしました。アインシュタインの相対性理論が発表されてからですが、みな同じ結果となりました。将来はもう決められているのです。私たちはまだ未来を経験していませんけれども、ただそれは私たちが自由意志を持っていないという事なんです。

("自由意志"の現実的意味)
それは問題ではありませんか?どんな決断をしても将来は決まっているというのなら、マイナスの影響がありませんか?
まあ確かに危険はありますよね、人間の存在は無意味に感じてしまう、私たちがどういう人生を選ぼうと、結局同じだと思ってしまうわけです、自分たちの道を決めることが出来ないわけですから。ただ実際私たちは未来を見ることは出来ませんよね、ですから私たちが自由意志を持っているという幻想を持つことが出来る、それで十分なんです、現実的な意味では。私たちは自分で選んでいるわけですからね。
将来がそうなってみて、後ろを振り返ってああこうなることは決まっていたんだと思うことがあっても、自由意志で選択しているのだという気持ちが駄目になることは無いわけですよ。自由意志というのは、私自身にとって今の現実であればいいのです。



"Part2"

(相対性理論と量子力学)
どちらの現実のことを言っているのでしょうか、物理には二つの理論があります。
相対性理論というのは、大きな規模のところで使われます。量子力学というのは、非常に小さなスケールの場合に使われるのです。
量子力学というのは結果の可能性を予想するものです。この量子ドミノ、二つの位置のどちらかに位置することになりますが、倒れてみないと分かりません。

量子ドミノ01
量子ドミノ2

何度もシミュレーションをやってみました。Aを選ぶ時と、Bを選ぶ時とがあります。これはランダムなドミノで、これを先程の乱流と置き換えることも出来ます。そうするとより正確なモデルとなります。
ブロック宇宙ということを言っていますけれども、このブロック宇宙は様々な可能性を持つものなのです。これは新しいブロック宇宙の考え方です。様々な可能性があるわけですよね。ただ可能性があるということでもう決まっているわけなんですが、このブロック宇宙ですと、こちらの現実とこちらの現実があるわけです。こちらの現実ですと、数年後あなたはスワヒリ語を話しているかもしれない、こちらの現実だとあなたは中国語を話しているかもしれないのです。

相対性理論は決定論を支持し、自由意志は無いという立場、量子力学は非決定論で自由意志があるという立場です。どちらの理論もそれぞれのスケールでは、上手く物事を説明出来る。しかしその逆は無いのです。
しかし一つのことでは一致しています。自由意志があっても無くても、常に私たちの選択は宇宙と関わっているのです。

(自由意志と道徳的法的責任能力)
決定論が(聞き取れず)でもそうでなくても、どちらでもいいと思います。結局意思をコントロール出来ないなら、自分の責任は取れないのですから。
ということで疑問が出ます。自由意志があるかどうか考えることに、そもそも何の意味があるのでしょうか。
人間は理論づけるという能力がありますよね。そして新しい種類の人間になろうとすることも出来る。そこに道徳的な人物と不道徳な人物と二つがあるわけですよね。少女を殺すような人間になる可能性もある、それを自分で選んでいくということがあるわけですよね。殺人者になるのか、あるいは子供の面倒を見るような人になるのかです。
100ポンドあげるから子猫を虐待しろと言われても私は絶対しません。でもなぜしないのかというと、それは恐らく外的な要因があるんですよね。100ポンドというのが自分の生死に関わるなら、100ポンドもらって子猫を拷問するでしょう。そういう外的な制約があるんです。そして内的な制約もありますよね。これは私のバックグラウンドとか環境・育ち、そういうことに関わって来るわけですよね。違う環境で育てば、私は違う選択をするかもしれません。

何を選ぶかコントロールする力が弱まる、という一つの例が命令されている時です。権威のあるものからの命令に従っている時、大きく変わるのです。
2人の人を対面させ、エージェントと言われる人がヴィクティムと言われる人に、お金をもらって電気ショックを与えることが出来ます。時々は命令されないこともあります。命令を断ることが出来るんです、これは実験ですからね。もし実際に戦争だったら、軍人が命令に従わなかったら、軍事法廷にかけられてしまいますよね。ただこれは実験なんですから、命令に従わなくてもいいはずです。誰かに電気ショックを与えるなんてことをしなくていいはずなんです。ところが実際600人で実験し、断った人は5人しかいませんでした。これはあまり多くはないですよね。
では脳の働きはどう違っているんですか?自由に決めている時と、命令に従っている時と。
まず主体性という感覚が、命令に従っている時には無くなっていくわけです。自由に決定出来る時とは違うわけですよね。主体性の感覚というのは、何か行動を取る時、みな感じるものなのです。そして脳波を分析してみますと、結果処理の能力というものが、命令に従っている時には低下しているんですね。脳が周りの環境を分析するために、リソースをあまり使っていないんです。脳が受動的になっているんですね。

外的な制約や内的な制約が、脳の活動に関わっていることを見ました。それで自由な選択が出来なくなっているのです。
そういう状況だけではありません。人々を不利な立場に追い込むとしますよね。知識とか教育のチャンスとか、そういうことです。そうすると脳の発達にも影響して来るわけです。ニューロンのインパルスの発達が、あまり見られなくなってしまうんですね、そういう環境に人を置くと。人を非難することは出来なくなるんです。結局起こしたような行動を起こすことが、決まっているんですから。
"罰"に関して私が反対なのは、行為の報いとしての罰を与えるということです。
罰を与えるために、人々は自由意志の存在を正当化するわけです。しかし私はそれには反対です。不運な人をひどい扱いしている、それは彼らが不運だからだということになってしまうわけです。

私はそうは思いませんね。罰とか正義とか言いますけれども、その考え方が変わっているわけです。
例えばスウェーデン、新しい考え方を受刑者に与えるわけです。単に処刑するのではないんです。そしてそのやり方が上手くいっているわけです。これはリヴァタリアニズムの考え方と一致しているわけです。
道徳責任というのには、段階があると思うんです。どうしてそう考えるかというと、その抑制にも段階があるからですね。どれくらいの抑制が出来るかということと道徳的責任というものは、比例していくと思うんです。
これはとても面白いんですよね。オランダの刑法のシステムですけれども、5つの段階があるとしています。黒か白かではないんですね。どんなレベルにいるかで、罰も変わって来るというんです。

オランダ刑法

イギリスの刑事システムは黒か白かですよね。心神耗弱ということが認められますけれども、かなりハードルが高いです。そして年齢で制限があります。制約はありますけれども、こちらになるかこちらになるか、ぱっと変わってしまうわけですよね。これはおかしな考え方だと思います。

人間というものは、私たちの文化や家族、社会、コミュニティというものの枠組みにとらわれています。私の母国語は英語ですけれども、私はそれを発明したわけではないんです。ただ英語を喋る人に囲まれているわけですよね。私たちがやるべきことなのは、どうやってこの枠組みを高めて行くかです。どうやってそれを高めて行くか、そういう事を社会は考えていかなければいけません。現実に直面しなければいけないと思いますね。一部の人は、自分のせいではないのに、犯罪を犯し易いのです。というのは、リソースがきちんと配分されていないということで、人を壊してしまうわけです。しかしもっといいチャンスを与えられる権利はあったはずなのです。次の世代にこういう駄目になってしまった人を作らないようにしなければいけません。
自由意志のことを考えるというのは、無意味な学問的な議論ではありません。現実社会にも関わることなのです。自分について、そして私たちはどんな社会を作りたいかを考えさせてくれます。
意識というもの、もう決まっているかいないのかは分かりませんが、全て宇宙に直接繋がっているのです。


(以上)

これに対する解説感想はこちら


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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
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