東京V等サッカー、漫画、アニメ、アイドル 他
読書日記(’21.12.22) ~『三体』『七王国の玉座』 他
2021年12月22日 (水) | 編集 |
読んだばかりの『三体Ⅱ』が適度に刺激的だったので(それ以上刺激的だと丸々一冊レポの形になる)、図書館に返す前に久しぶりにこのカテゴリー発動。
こういうのはこつこつ書き止めてはいるんですが、近年めっきり本を読むこと自体無くなっている(主に体力的理由)のでなかなか。




『三体Ⅱ 黒暗森林(上)』劉慈欣

説明不要(ということにしておく)の中国産大ヒットSF小説『三体』。(Wiki)
『Ⅰ』の奇想祭りも楽しかったですが、『Ⅱ』になって"小説"としての味わいはぐっと濃くなった印象。そうかこういう人だったのかというか。
というわけで、引用内容的には特に"SF"感は無いと思います。(笑)

p.26-27

そう言いながら章北海は微笑んだ。呉岳にはその微笑の意味がわからなかったが、それが心からの笑みだということはわかった。
心から発せられた感情を見ても意味がわからないなら、呉岳が章北海を理解できる見込みはない。


ある中国海軍の士官(呉岳)と政治委員(章北海)の関係性の描写。
中国軍/人民解放軍では、部隊に軍事面の指導者と思想面の指導者が、必ずセットで置かれる伝統があります。
意味は分からないけれど心からの笑みだということは分かるというのが、面白いですね。
ある種の"異文化"交流というか、異文化交流の時に必要となる認識上の区分けというか。"分からない"にも色々ある。
ただここでは生粋の軍人である呉岳が、同じく有能な軍人ではあるが日頃からよく理解できないところのある章北海の人格・思想の複雑さに、ある種最終的に"屈服"したことが、彼の"心"が見えたからこそ確定したという、そういう場面ですね。ああ、俺はこいつを永遠に理解できないに違いないと。

p.70

人権平等の概念はすでに人々の心の奥まで食い込んでいる。


p.186

「たしか『銀河英雄伝説』で、ヤン・ウェンリーが次のように言ったはずです。『かかっているものは、たかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利にくらべれば、たいした価値のあるものじゃない』」


p.201

「しかし、人類社会はすでに成熟しています。子ども時代には二度と戻れないでしょう」


全て"現代中国人にとっての人権と民主主義"の捉え方が窺える、興味深い箇所。
勿論作者も登場人物も、基本的にインテリ層ではあるわけですけど。
言っていることは概ね普通の事ではある訳ですが、それを"中国人"に言われると、何か決定的に感じるというかやはりそうなんだろうな、中国人にとってもそれらは既にそういうものであり、見かけの政治体制の違い程度で分かれるようなものではないんだろうなという、そういう感慨を改めて持ったりはします。
ちなみに二番目は直接的には、日本人キャラクターがセリフの主です。ただそれを言わせている作者は当然銀英伝を読んでいるか知っている(アニメを見たのかもしれない(笑))筈で、おおという感じにはなりますね。(笑)
ヤン・ウェンリーのこのセリフは作品内でも結構挑発的というかあえて言っているようなところのあるセリフで、そこまで揺るぎない確信を「個人の自由と権利」に抱いているわけではないんでしょうが、ただ方向性としては概ねそっちしかないよなというここらへんの距離感は、多分日本人と、日本人があのシーンを見た時の感じと変わらないんだろうと。そこまで言うかヤンという。分かるけども。

その一方で。

p.197

「正しいとかまちがっているとか、そういうことじゃない。もしだれもかれもが、理由に納得できないかぎり命令にしたがわなかったとしたら、世界はとっくの昔に混沌に呑み込まれていただろう。」


恐らく作中屈指の人気キャラだろう、無頼派警官史強による、"命令"についての考え方。
これはあえて言えば、共産党の"独裁""強権"に対する現代中国人の消極的肯定の態度の反映されている箇所と言えない事は無いと思いますが、そこまでいかなくても「権力」や「服従」や「規律」についての、日本人よりもより意識的でドライでシビアな、中国人一般の心性の反映にはなっていると思います。"力"の存在は常に意識している。場合によってはそれと戦う準備も。どちらも比較的日本人には欠けているものですね。力は"無い"ものとして暮らしたい。しかしいざ現れたらそれには唯々諾々と従う。(笑)
僕も全く日本人なので、気持ちは分かりますけど。


p.195

「男のタイプによって、夢の恋人のタイプは基本的にだいたい同じになるんだよ」


話がらっと変わりますが(笑)、その史強の別の場所での言葉。
ちょっとどきっとしました(笑)。そうかもしれない。
色々好みはあるようで、"理想"を追求しちゃうと行きつくところは似たり寄ったり。例えば"処女厨"みたいなものを、本当に他人事として笑える男は、実はそんなに多くないだろうと思いますね。理想が違うのではなくて、現実(の女)から受ける触発の方を優先しているだけ。それをとりあえず"成熟"と呼ぼうと(笑)。(でも心の中は?)

p.98

白蓉の文章はエレガントで、このジャンル(思春期小説)には珍しい成熟した明晰さがあった。もっとも、小説の中身が文体とマッチしていないので、草むらの露を見ているようだった。純粋で、透きとおってはいるけれど、ひとつひとつに個性がなく、反射したり屈折させたりする光とか、葉っぱの上を転がっていくようすとかでしか区別できない。


恐らくは作者が中国における"ラノベ"的なものや、中国で非常に隆盛しているらしいweb小説の世界における若い人の文章に対して感じていることを書いているのではないかなと想像する箇所。ストーリー的な必然性がよく分からない位、結構克明に描写している印象。(笑)
近年の僕の周りで言えば、ある種の(サッカーの)"戦術クラスタ"の若い書き手の文章などに、こんなような"無個性"を感じて不思議な気分になる事はありますね。何だこれは。"文章"なのか?書き手の生理とかはどこにあるんだ?それとも無いのか?

p.98

「直してくれたところは、プロットじゃなくてキャラクターよ、それがいちばんむずかしいの。あなたが直すたびに、人物に命が吹き込まれる。」


その(女性)"思春期小説"作家白蓉が、恋人でもある年上の創作的には素人の男の遊び半分の"手直し"を受け入れての反応。
結局「個性」と「生理」が無いと、"キャラクター"が作れない訳ですよね("命"のある)。昔から古い作家が新しい作家に必ず呈して来た苦言、「『人間』が描けていない」というやつですけど。(笑)
ただしここではシェークスピアやバルザックやトルストイと言った古典的大家との比較においての現代の作家の話が出ているので、もう少し根本的な問題提起になっているようですが。ただ基本的な構造は常に同じだろうと僕は思っています(笑)。広義のジェネレーションギャップの問題。その"古い"作家も、もっと古い作家からは言われていた筈。
それはそれとして読んでいて思ったのは、なるほど僕は現代サッカー"文壇"において、「プロット」や「ストーリー」ではなく、「キャラクター」や「ダイアローグ」の人として何かしらの存在価値があるのかも知れないなということ。プロットの透明さは若い人に任せますよ(笑)。僕はキャラクターの味わいで勝負。(笑)


三部作の第二部の半分までしか読んでませんが、なかなか色々楽しい小説です。
僕自身が中国文化に入れ込んでるのもあって、作者の方が多少年上ですが"同級生"的なあるある分かる分かる感も随所に。



今回小説はあともう一つ。



七王国の玉座(下)(氷と炎の歌1) ジョージ・R・R・マーティン

こちらもご存知大ヒットドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の原作本。
なんか超メジャーなものしか読んでないですね僕(笑)。ほとんどFFとドラクエだけやるみたいなタイプのユーザー。(笑)

p.12下

ティリオン・ラニスターは溜め息をついた。おれの姉には、ある種の程度の低い浅知恵がないわけではない。


ティリオン・ラニスターは作品の主人公的な小人症のひねくれ策士。
その"姉"はラニスター家が支配する王国の王妃/女王/王母。
生まれからの苦労によりひねくれつつも、何だかんだと"正義"や"道義"や"よりよい世界"の可能性について思考をめぐらさずにいられないティリオンに対して、恵まれた容姿や生まれにがっつり胡坐をかいてそこから一歩も出る気の無い姉サーセイは、ひたすら体制内の権勢や損得にのみその"知性"(小狡さ)を用いてその範囲を越えるヴィジョンには理解も関心も示さない。
あれで"賢い"と自分では思ってやがるんだからなというティリオンの嘆き。そして往々にして、そういう輩こそが権力闘争の勝者にはなり勝ちという。
実はそういう自分をサーセイも心の底では分かっていて、弟の"深慮"の能力に潜在的な劣等感・嫉妬を抱いていて、事あるごとに攻撃を仕掛けて来るという面も恐らくなくはない。
色々と"苦い"味わいのあるシーン。箇所。具体的には"賢い"姉がこの場合どのように振舞うかをティリオンが推測するシーンだったと思いますが。全くの馬鹿相手だと推測も出来ませんが、"浅知恵"があるゆえに計算しやすい所もあるという。(笑)


以下は"読書日記"と言いつつ全て海外TVドラマより。
最近はすぐスクショしてアップしてしまいますが、そういう癖のついてなかった(笑)時期のもの。




『ホミサイド 殺人捜査課』[Homicide: Life on the Street] 1993年

ドキュメンタリータッチの生々しい演出で後にカルト的名声を獲得したアメリカの刑事ドラマ。
DVD1巻だけ見たので1-3話のどこかに出て来たセリフ群。

最初の内はあんたは完璧な男。それで彼女と寝る、三度目位には良くなる、セックスだからな。
親しくなり、心を許し合う。子供の頃、破れた夢、過去の恋なんかを話す。すると親しくなり過ぎて、緊張感と思いやりをなくす。そして言われる、「あなたは変わった」。
あんたは六か月間、最初と違う自分を謝り続けていたことに気付く。そしてある夜中に振られるんだ、そうなりたいか?


これからある女と付き合おうとしている刑事に、皮肉屋の同僚刑事がかけた言葉。
特に"「あなたは変わった」"と言われるまでのプロセスが切ないなと。(笑)
でもまあ、だいたいこんな感じと言えばこんな感じかなとも。
"親しく"なる為に付き合うんだけど、"親しい"というのが意外と難しいですよね。(笑)
油断や無防備がプラスになる関係なら続いて(発展して)、そうじゃなければ壊れるか惰性になるか、そんな感じでしょうか。正直そうなってみないと、分からない部分が多い。

あなたって上手いわよね。見限られるギリギリのところで、いいとこを見せる。


これは女刑事の一人が確か同僚の元恋人の刑事に言った言葉。
こういう人いますよね。変なの利く人。自覚的にやっている人と、無意識の人といると思いますが。
見てると少し腹立たしいですが。特に好意を持っている異性が、こういう相手にずるずる引きずられてるのを見るのは。
でもまあ、案外当人もそれで良かったりするので、端からは何とも。(笑)
とにかく殊更"時間"を使わせられるタイプの相手ですね。いずれにせよ決着がなかなかつかないので。

ドラマはまあ、見るべき所はありますが、"好き"までは行かなかったですかね僕は。先駆的ではありますがちょっと狙いがあからさま過ぎて、わざとらしい。"ドキュメンタリータッチ"タイプなら、『NYPDブルー』(1993)とかのスティーブン・ボチコ作品の方が好き。同じスタッフが後に(『ゲーム・オブ・スローンズ』の)HBOで作った『OZ オズ』(1997)は好きですが。




『アンドロメダ』[Gene Roddenberry's Andromeda] 2000年

『スター・トレック』シリーズと同じ原作者による、アメリカ/カナダ合作の宇宙SFシリーズ。(Wiki)
ナチスドイツ的な(そこまで邪悪ではないですが)"ニーチェ主義"的力の思想勢力が勝ってしまった未来にタイムスリップした主人公が、国際連合的民主主義大連合を復活させるストーリーで、基本はエンタメSFですがそういう思想的葛藤をめぐるセリフがちょいちょい出て来て面白いです。
特にオープニングに架空の"名言""格言"が必ず出て来てその回のテーマを提示するので、引用したくなる箇所は結構沢山あります。その中から、たまたまメモしてあったものを。

民主主義は無秩序状態として違いはないかもしれないが、穏やかではある。

(タンの覇権者「星明りの中の戴冠」)

宇宙は完璧であり、進化しようがない。
変えようとすれば壊れ、維持しようとすれば失う。

(オドー・チャンへのメモ)

"正反対"王国の"疑惑"城に、双子の巨人"虚偽"と"絶望"がいた。
そこに"雨"と"希望"が降った。

(光と闇の石塚より)


・・・なんか楽しいんですよね、こういうの。(笑)
一つ目はよく批判される民主主義の"微温"性こそが、正に民主主義の長所であるという話。理想社会ではなくてマシな社会、決定的には破綻しない社会を目指しましょうという話か。
二つ目は"完璧"ということの難しさ。卑近な問題で言えば、成功したチームを引き継いだ監督が、それを"継続"とか"発展"とかさせようとするとまず失敗するみたいな話(笑)。結局は勝手にやるしかない。
三つ目は・・・どういう意味なんでしょうね(笑)。僕も分かるようで分からない。一瞬分かるかなとも思うんですけど、やっぱり分からない。でも好き。(笑)

次は同じく『アンドロメダ』より劇中のセリフから。

君はいい人間だ
そう努めている
その心掛けが全て

完璧な善人はいないしどんな善人にも嘘や偽善は隠れているかも知れませんが、しかし"善く"あろうという意思のある人持ち続けている人とそうでない人とでは、やはり信用度に大差はあると思います。
希望を持って、行きましょう。(笑)

ためらいは知性の弱みでもあるわ

これは悪人ではないけど"ニーチェ主義的"傾向の比較的強い女性キャラが、主人公に対して言った言葉かな?
相対性や公正へのこだわりから来るある種のまだるっこしさ、そこに嫌気を差した世代が、ここしばらくの"右"寄りor"アンチ民主主義"的な思潮傾向を現実的に導いているようには見える訳ですが。ただそういうものは、いずれ揺り戻すものだと僕は思ってます(既にしている気も)。ほとんどの人は大して"考えて"はいないでしょ、世代的にたまたま目の前にある環境に、"リアクト"しているだけで。だから当然も起きる。(その前に世界が終わらなければ)

矛盾は避けられないけど目的がそれを抑え込むわ

同じ女性キャラの言葉。
こちらはよりはっきりと、"力"の思想に傾斜した発言。上の認識を受けての、"決断"主義というか"決然"主義というか。
目的は手段を正当化するか。しないという主人公とする筈だと見切りをつけた、彼女との対決。

シーズン5まで続ける必要は無かった気がしますが、面白いですよ特に前半は。
"民主主義"的傾向/問題意識が特に強いのは、"カナダ"の要素だと思いますね。同じくSFシリーズの米加合作『スターゲイト SG-1』とかもそうですが。




『グッド・ドクター 名医の条件』[The Good Doctor] 2017年

韓国ドラマのアメリカ版リメイクだそうですが、どこらへんが?という感じで典型的アメドラにしか見えなかった作品。
韓国版もいつか見てみるかもしれませんが、(自閉症の天才外科医が主人公という)設定だけ借りた別物なのではという予感。

S1#14

疑問は大切だ。それが理解に繋がり、いつか受容に結び付く。


あえて言えば"障碍者"ものではあり、全般的に教訓的な作品ではあるんですが、一つ一つの教訓提示はさらっとしているので、受け入れ易くもあり逆に分かり難くもあるという傾向。見てる時は分かる気がするんですけど、文字として抜き出すと人に説明しづらい。(笑)
ここで言われてるのは"批評"が批判・非難の手段ではなくて、むしろコミュニケーションの手段だみたいな話とも重なると思います。よく機能している批評や疑問は確かにそうなんですが、そうならない場合も多いので、論理的繋がりとしては分かるけれどもう少し何か欲しいというか、若干綺麗事に見える部分もあるかも。

これなんかもそうですね。

「私情は助言に深みを与える」。そしてその後の箇所では、(単なる)「私情」と(有益な)「経験」との区別は、事実上出来ないことが示唆されている。
言わば広義の"科学者"である医者の世界における"「主観」(主義)の肯定"的な話な訳ですが、ただそうだとはっきりとは言ってない。それ以上はというか。
『アンドロメダ』的な"教訓"には少し踏み込みは足りない感じですが、ただあらゆる要素がこういう微妙なラインで上手い具合に配置されているところにこのドラマの特徴があると言えばあって、だからこそ"自閉症の天才外科医"を主人公としたヒューマンストーリーでありながら(僕自身も予想したような)変な重さやモラリズムの暑苦しさから無縁でもいられている訳ですね。
そこらへんのバランス感覚の見事さは、ほんと"アメドラ"だなという感じです。伝統の技と、歴史が磨いた最早"空気"のような客観性。


最後は何かただの"ドラマの紹介"みたいになってしまいましたが、とりあえず今回はこれで終わり。今年は。(笑)
次こういうのが書けるまでどれくらいかかるかな。
『三体』と『氷と炎の歌』シリーズは、引き続き読んで行く予定ではありますが。
ほんと本読まなくなりましたねえ。漫画ですら、そろそろ体力的にはしんどい部分がある。
ついつい映像と、webの文章で済ませてしまう。


スポンサーサイト



テーマ:読んだ本の紹介
ジャンル:本・雑誌
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック