2020年07月27日 (月) | 編集 |
どちらかというと負けなくて良かったという感じかなあ。
J2第7節 東京V △0-0△ 山形(味の素スタジアム)
そろそろ甲府戦の興奮も薄れつつ(笑)あるので、次あたりまた何か"成功体験"が欲しいところかも。


・ひょっとして中止かなとも思ったくらいの昼間の豪雨の後で行われた、ホーム山形戦。
・"攻め切れ"なかった試合であったわけですが、僕が気になったのは"決め切れ"なかった(誰かが?)ことよりも、攻撃の際の全般的な"繊細さ"の不足。
・前節千葉戦のように"細部のクオリティが足りなかった"というのではなく、そのもう少し前の段階での。
・細かいところで失敗したのではなく、細かくなれていなかったそこまで行かなかった。
・そういう意味では、若干「後退」したのかもしれない。
・...何のことか多分分からないですね(笑)、基本的には去年も言ったこれです。
"時間"の問題。/東京V-鹿児島(’19)、東京V-山形(’19) ['19.8.20]
・千葉戦との比較で言えば、"繊細"なタイミングのプレーに「失敗」していた千葉戦に対して、そもそも最初からタイミングが"繊細"でなかった山形戦ということになりますか。
・崩しの形は出来ていたけれど形だけの崩し。
・詳しくはストーミングとの比較等におけるポジショナルプレー一般の問題としても、元記事で論じてあるので、暇ならば(笑)読んでもらえたらと思いますが。
・とにかく"間に合われて"いたなあと、千葉戦に続いて。
・潮音絡みの大きなチャンス(藤本スルーパスからのシュートミスや縦ヘディング一本からのミドル)も、要はロングカウンターに近い形で、キープからの崩しに有効性は余り無かったと思います。
・再び比較すると、手間取ることで間に合われた千葉戦と、ある程度最初から余裕を持って対応されていた山形戦と。
・と、現象的体感的にはそういうことなんですが、さほど強く押す気は無いんですよね、この試合の範囲では。(笑)
・一つは冒頭言ったように相当に雨の影響があった試合だったと思うので、あの("自粛"下状況もあって)ボールを蹴る度いちいちいかにも重そうな音が響き渡るようなコンディションで、そうそう繊細なプレーも出来ないだろうというのがありますし。
・ボールを処理する、パスコースに間に合うだけで精一杯な面は、少なからずあったと思います。
・余り馬力に恵まれたタイプの選手たちでもありませんし。(笑)
・もう一つはまあ、要するに相手関係が素直に出ただけではないかというのがあるので。
・どういうことかというと、こんな感じ。
大宮戦(ほぼ何も出来なかった)→山形戦(一応の形だけ出来た)→千葉戦(細かいところ以外は出来た)→甲府戦(ほぼやりたいことが出来た)
・つまり相手の守備の強度に応じて、攻撃の狙いの達成度に差が出ているだけなのではないかという。
・だから"達成度"の段階的には後退していたとしても、チームとして後退しているとかしていないとか、大げさに考える必要は無いのではないかと。
・まあ"考える"とすれば僕自身なので、こう言われても読んでる方としてはなんのこっちゃという感じかも知れませんが。(笑)
・ただまあ、おや?なんか2019年的風景だぞと、見ながら感じたのは確か。今でもこうなっちゃうことがあるのかと。
・それと同じピッチコンディションでも、山形の選手のプレーには、特にタイミング的な異変は見えなかったので。
・元々の狙いの難度の違いはあるとしても、やはり永井ヴェルディの"体質"が顔を覗かせていたという可能性はあるかなと。
・まあこの問題に関しては、今後の試合の内容的に更に"押す"必要があると感じたら切り口としての有効性が認められたら、また書きたいと思います。
・今日のところは、引っかかるものがあった人だけ、頭の隅に置いておいてもらえれば。
・次のテーマ。
・2017年ロティーナ政権以降の井上潮音の伸び悩み問題について。
・前々節に井出について書いた時に、受けたボールを回転/ターンして淀みなく次に展開するプレーが、井出の方が井上潮音よりむしろ上手いという話をしました。
・なぜこの比較が出て来るかと言えば、それが永井ヴェルディの戦術下で特に中央でプレーする時に必要な技能であり、また森田なり藤田なりのヴェルディユースの潮音の後輩たちのプレーを見ると、ある程度標準装備として育成過程で仕込まれているプレーらしいことが窺えるからなわけですが。
・なんか割りと目立って下手だなというか。(笑)
・外から来た井出も出来るし、佐藤優平も少なくとも潮音よりは無難にこなす。
・で、何が言いたいかというと、つまりロティーナ就任以降の潮音の問題は、それまでに比べて一気に高度化した厳密化した組織プレーの中で。
・潮音としての「個性」を発揮する前の段階の、まずチームとしての基本的なボールの流れに空間的にも時間的にも逆らわずに一部となる、そのプレーで引っかかってしまうところにあったと思うわけですが。
・合わせるのに精一杯で"個性"まで行けないし、そもそも合わせられていない。
・その原因が、"ターン"のプレーで最も分かり易く出る、(ほぼ)360度バランス良く神経を張り巡らせて視野に収める能力の欠如・不足に、要はあるのではないかとそういうことです。
・物理的に見える見えないというよりあくまで"サッカー"的な"視野"でしょうけどね。(これはまあ、サッカー選手の「視野」全般についての定義の問題ですが)
・何らかの理由で潮音はユースの後輩たちや上で挙げたような外部選手たちよりそういう視野の確保に困難があって、必要な"歯車"プレーが出来なかったり手間取ってボールの流れを淀ませてしまう、それで使い難い、絡み難いという。
・2016年までの"最優等生"が"落ちこぼれ"に転落して、とても持ち前の魔術的な支配力を発揮するような余裕はない。
・そういう風に考えた時に思い出すのが、その"2016年"までの"天才"時代の潮音が示していたあるプレー特徴。
・ボールを受ける前、受ける瞬間、受けた後、その時々に細かくステップを踏んでポジションを修正し、体の向きを変え、ボールの入りと出の角度やタイミングを微妙に調整して局面の打開やコントロールに役立てたり無駄な接触やプレッシャーを避ける独特のスタイル。
・それは言わば"一人ポジショナルプレー"のようなもので、それがチームや監督の"ポジショナルプレー"とぶつかる傾向にあることが、2017年以降の潮音の困難の一つでもあると思うわけですがそれはともかく。
・とにかく彼のプレーの印象的な特徴であり、それ自体敵を幻惑する"魔法"の一部でもあるかもしれないその「ポジションと体の向きの"自由"な変更」が。
・実はそうしないと/その場では、必要な視野を確保出来ないゆえの苦心・工夫の結果だったのかもしれないという、そういう可能性に思い至ったわけです。
・"優雅"に見えて実は・・・という。よよ。(涙ぐむ)
・潮音が特別に"視野が狭い"選手だと考える理由は無いわけですが、少なくともやろうとしているプレーに十分な視野は、自分が心地よく安心してプレー出来るのに必要なだけの視野は、独自にひと工夫入れないと確保出来ない、そういう宿命の選手なのかもしれないという可能性。
・その裁量の幅がかなり狭められる"その場での素早いターン"プレーは、だから目立って苦手。
・こう考える事の自分的な説得性・意義としては、潮音が独自の感覚・センスが強い選手であることは確かだとしても(だから"魔法"も使える)、そうは言ってもあからさまに頭が悪いわけでも見るからに反抗的なわけでも増して向上心が無いわけでもない潮音が。
・これほど長期間、最早諦めの思いも浮かんで来かねない体たらくに現代的な"組織プレー"への適応困難を見せるのは、普通の努力では克服の難しい、こういうある種物理的生理的な特性・特殊性が潮音に付きまとっている身に帯びているからではないか、そう考えると納得し易いからです。
・2016年の潮音のプレーを見て、今日の状態を予測出来た人はまずいないと思うんですけど。就任当初のロティーナだって、多分そう。
・潮音がドイスボランチだと活き易いのは、視野を横半分(強)に"分担"出来るから、リベロ気味のアンカーだと良いのは後ろはほとんど考えないでいいから、ワイドストライカーで最近はまっているのも勿論サイドだからタッチラインが助けてくれるから。
・一番きついのは恐らく一番求められているポジションだろう、インサイドハーフ/フロントボランチで、あそこは最も"360度"に近い視野をしかも他の複数選手への追随的な関係性の中で瞬時に持たないといけないので、しばしばえらく"鈍臭い"プレーを潮音は披露してしまう。
・自分の視野、自分のタイミングでほとんどプレー出来ない。
・...という説なんですけどね。どうでしょう。(笑)
・(かつての)「得意」が「不得意」の裏返しだったかもしれないという気付きに自分であっ!と思ってしまったというのと、「天才」である潮音と「落ちこぼれ」である(あった)潮音の2つの像が、すっと割と一貫性を持って繋がったので、書いてみたくなりました。(笑)
・まあ分かんないですけどね。
・そうは言っても現在のシステム的な"流行"からすると、やはり"インサイド"(MF)で機能してもらう必要性は、かなり避けられないものではあると思いますし。
・これで何か解決するわけではないんですけど。
・もし今後も前線で生きるつもりならば、山形戦で言うならば決まった決まらなかったよりも、その前の時点でのファーストタッチが少し長くなってしまったプレーの方を、大いに反省してもらいたいなと僕的には思います。
・あそこは100%に近くぴたっと止める、「騒がしい前線の中で一人いつも氷のように冷静・静か」な存在感というのが、僕が"前線で突出する井上潮音"の将来的なイメージとして想像出来るものとしては、ありますね。
・一緒になって騒いだら、多分負ける。
・当然もつれたら体で負けるし。
・やはりロベルト・バッジョかな?一つのモデルとしては。(笑)
以上。
J2第7節 東京V △0-0△ 山形(味の素スタジアム)
そろそろ甲府戦の興奮も薄れつつ(笑)あるので、次あたりまた何か"成功体験"が欲しいところかも。


・ひょっとして中止かなとも思ったくらいの昼間の豪雨の後で行われた、ホーム山形戦。
・"攻め切れ"なかった試合であったわけですが、僕が気になったのは"決め切れ"なかった(誰かが?)ことよりも、攻撃の際の全般的な"繊細さ"の不足。
・前節千葉戦のように"細部のクオリティが足りなかった"というのではなく、そのもう少し前の段階での。
・細かいところで失敗したのではなく、細かくなれていなかったそこまで行かなかった。
・そういう意味では、若干「後退」したのかもしれない。
・...何のことか多分分からないですね(笑)、基本的には去年も言ったこれです。
"時間"の問題。/東京V-鹿児島(’19)、東京V-山形(’19) ['19.8.20]
・簡単に言えば時間的タイミング的な"繊細さ"の欠如によって、"崩せてるけど崩せてない"的な状態が割りと試合を通して見られたかなという事。・ここ2,3試合気になって来たのが、狙いである「空間」性形成の際の「時間」管理のルーズさによる非効率の問題。
・一応狙い通りの崩しのプレーが出来て相手もいったん崩れてはいるんだけど、その崩れがリカバリー可能な範囲にとどまっているので崩した割りには結局邪魔されて、フリーやいい形での決定的なプレー特にシュートに結び付けられずに、躊躇ってシュート数が伸びずまた撃っても邪魔が入ってるので枠に飛ばずに枠内シュート数が伸びないみたいな現象です。
・何かいつもごちゃっと選手がいる状況が多いように思うんですよね、敵味方含めて。
・狙いを持ってやってはいるんだけど、それが明確な時間意識の元に一致したメリハリのある動きになっていないので、崩しても逆を突いても、そのギャップがそんなに大きくなっていない。あるいはこちらのプレーの少しずつのずれの間に、作ったギャップがまた埋められてしまったり。
・千葉戦との比較で言えば、"繊細"なタイミングのプレーに「失敗」していた千葉戦に対して、そもそも最初からタイミングが"繊細"でなかった山形戦ということになりますか。
・崩しの形は出来ていたけれど形だけの崩し。
・詳しくはストーミングとの比較等におけるポジショナルプレー一般の問題としても、元記事で論じてあるので、暇ならば(笑)読んでもらえたらと思いますが。
・とにかく"間に合われて"いたなあと、千葉戦に続いて。
・潮音絡みの大きなチャンス(藤本スルーパスからのシュートミスや縦ヘディング一本からのミドル)も、要はロングカウンターに近い形で、キープからの崩しに有効性は余り無かったと思います。
・再び比較すると、手間取ることで間に合われた千葉戦と、ある程度最初から余裕を持って対応されていた山形戦と。
・と、現象的体感的にはそういうことなんですが、さほど強く押す気は無いんですよね、この試合の範囲では。(笑)
・一つは冒頭言ったように相当に雨の影響があった試合だったと思うので、あの("自粛"下状況もあって)ボールを蹴る度いちいちいかにも重そうな音が響き渡るようなコンディションで、そうそう繊細なプレーも出来ないだろうというのがありますし。
・ボールを処理する、パスコースに間に合うだけで精一杯な面は、少なからずあったと思います。
・余り馬力に恵まれたタイプの選手たちでもありませんし。(笑)
・もう一つはまあ、要するに相手関係が素直に出ただけではないかというのがあるので。
・どういうことかというと、こんな感じ。
大宮戦(ほぼ何も出来なかった)→山形戦(一応の形だけ出来た)→千葉戦(細かいところ以外は出来た)→甲府戦(ほぼやりたいことが出来た)
・つまり相手の守備の強度に応じて、攻撃の狙いの達成度に差が出ているだけなのではないかという。
・だから"達成度"の段階的には後退していたとしても、チームとして後退しているとかしていないとか、大げさに考える必要は無いのではないかと。
・まあ"考える"とすれば僕自身なので、こう言われても読んでる方としてはなんのこっちゃという感じかも知れませんが。(笑)
・ただまあ、おや?なんか2019年的風景だぞと、見ながら感じたのは確か。今でもこうなっちゃうことがあるのかと。
・それと同じピッチコンディションでも、山形の選手のプレーには、特にタイミング的な異変は見えなかったので。
・元々の狙いの難度の違いはあるとしても、やはり永井ヴェルディの"体質"が顔を覗かせていたという可能性はあるかなと。
・まあこの問題に関しては、今後の試合の内容的に更に"押す"必要があると感じたら切り口としての有効性が認められたら、また書きたいと思います。
・今日のところは、引っかかるものがあった人だけ、頭の隅に置いておいてもらえれば。
・次のテーマ。
・2017年ロティーナ政権以降の井上潮音の伸び悩み問題について。
・前々節に井出について書いた時に、受けたボールを回転/ターンして淀みなく次に展開するプレーが、井出の方が井上潮音よりむしろ上手いという話をしました。
・なぜこの比較が出て来るかと言えば、それが永井ヴェルディの戦術下で特に中央でプレーする時に必要な技能であり、また森田なり藤田なりのヴェルディユースの潮音の後輩たちのプレーを見ると、ある程度標準装備として育成過程で仕込まれているプレーらしいことが窺えるからなわけですが。
・なんか割りと目立って下手だなというか。(笑)
・外から来た井出も出来るし、佐藤優平も少なくとも潮音よりは無難にこなす。
・で、何が言いたいかというと、つまりロティーナ就任以降の潮音の問題は、それまでに比べて一気に高度化した厳密化した組織プレーの中で。
・潮音としての「個性」を発揮する前の段階の、まずチームとしての基本的なボールの流れに空間的にも時間的にも逆らわずに一部となる、そのプレーで引っかかってしまうところにあったと思うわけですが。
・合わせるのに精一杯で"個性"まで行けないし、そもそも合わせられていない。
・その原因が、"ターン"のプレーで最も分かり易く出る、(ほぼ)360度バランス良く神経を張り巡らせて視野に収める能力の欠如・不足に、要はあるのではないかとそういうことです。
・物理的に見える見えないというよりあくまで"サッカー"的な"視野"でしょうけどね。(これはまあ、サッカー選手の「視野」全般についての定義の問題ですが)
・何らかの理由で潮音はユースの後輩たちや上で挙げたような外部選手たちよりそういう視野の確保に困難があって、必要な"歯車"プレーが出来なかったり手間取ってボールの流れを淀ませてしまう、それで使い難い、絡み難いという。
・2016年までの"最優等生"が"落ちこぼれ"に転落して、とても持ち前の魔術的な支配力を発揮するような余裕はない。
・そういう風に考えた時に思い出すのが、その"2016年"までの"天才"時代の潮音が示していたあるプレー特徴。
・ボールを受ける前、受ける瞬間、受けた後、その時々に細かくステップを踏んでポジションを修正し、体の向きを変え、ボールの入りと出の角度やタイミングを微妙に調整して局面の打開やコントロールに役立てたり無駄な接触やプレッシャーを避ける独特のスタイル。
・それは言わば"一人ポジショナルプレー"のようなもので、それがチームや監督の"ポジショナルプレー"とぶつかる傾向にあることが、2017年以降の潮音の困難の一つでもあると思うわけですがそれはともかく。
・とにかく彼のプレーの印象的な特徴であり、それ自体敵を幻惑する"魔法"の一部でもあるかもしれないその「ポジションと体の向きの"自由"な変更」が。
・実はそうしないと/その場では、必要な視野を確保出来ないゆえの苦心・工夫の結果だったのかもしれないという、そういう可能性に思い至ったわけです。
・"優雅"に見えて実は・・・という。よよ。(涙ぐむ)
・潮音が特別に"視野が狭い"選手だと考える理由は無いわけですが、少なくともやろうとしているプレーに十分な視野は、自分が心地よく安心してプレー出来るのに必要なだけの視野は、独自にひと工夫入れないと確保出来ない、そういう宿命の選手なのかもしれないという可能性。
・その裁量の幅がかなり狭められる"その場での素早いターン"プレーは、だから目立って苦手。
・こう考える事の自分的な説得性・意義としては、潮音が独自の感覚・センスが強い選手であることは確かだとしても(だから"魔法"も使える)、そうは言ってもあからさまに頭が悪いわけでも見るからに反抗的なわけでも増して向上心が無いわけでもない潮音が。
・これほど長期間、最早諦めの思いも浮かんで来かねない体たらくに現代的な"組織プレー"への適応困難を見せるのは、普通の努力では克服の難しい、こういうある種物理的生理的な特性・特殊性が潮音に付きまとっている身に帯びているからではないか、そう考えると納得し易いからです。
・2016年の潮音のプレーを見て、今日の状態を予測出来た人はまずいないと思うんですけど。就任当初のロティーナだって、多分そう。
・潮音がドイスボランチだと活き易いのは、視野を横半分(強)に"分担"出来るから、リベロ気味のアンカーだと良いのは後ろはほとんど考えないでいいから、ワイドストライカーで最近はまっているのも勿論サイドだからタッチラインが助けてくれるから。
・一番きついのは恐らく一番求められているポジションだろう、インサイドハーフ/フロントボランチで、あそこは最も"360度"に近い視野をしかも他の複数選手への追随的な関係性の中で瞬時に持たないといけないので、しばしばえらく"鈍臭い"プレーを潮音は披露してしまう。
・自分の視野、自分のタイミングでほとんどプレー出来ない。
・...という説なんですけどね。どうでしょう。(笑)
・(かつての)「得意」が「不得意」の裏返しだったかもしれないという気付きに自分であっ!と思ってしまったというのと、「天才」である潮音と「落ちこぼれ」である(あった)潮音の2つの像が、すっと割と一貫性を持って繋がったので、書いてみたくなりました。(笑)
・まあ分かんないですけどね。
・そうは言っても現在のシステム的な"流行"からすると、やはり"インサイド"(MF)で機能してもらう必要性は、かなり避けられないものではあると思いますし。
・これで何か解決するわけではないんですけど。
・もし今後も前線で生きるつもりならば、山形戦で言うならば決まった決まらなかったよりも、その前の時点でのファーストタッチが少し長くなってしまったプレーの方を、大いに反省してもらいたいなと僕的には思います。
・あそこは100%に近くぴたっと止める、「騒がしい前線の中で一人いつも氷のように冷静・静か」な存在感というのが、僕が"前線で突出する井上潮音"の将来的なイメージとして想像出来るものとしては、ありますね。
・一緒になって騒いだら、多分負ける。
・当然もつれたら体で負けるし。
・やはりロベルト・バッジョかな?一つのモデルとしては。(笑)
以上。
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