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読書録『「ジャパン」はなぜ負けるのか 経済学が解明するサッカーの不条理』(1~7章)
2020年12月09日 (水) | 編集 |


サイモン・クーパー&ステファン・シマンスキー著。2010年。
前に図書館でポチ(?)してあったのを、ふと思い出して。
『ジャパンはなぜ負けるのか』という挑発的なタイトルではありますが、それはまあ日本向けの編集で、該当箇所もそれ用に書き足されたもの。

経済学と統計学の観点から、サッカー界の伝統と常識の不条理と嘘を列挙して行く内容。
あんまり僕が"コメント"するような(出来るような)タイプの本ではないんですけど、エピソードとしては面白いものが沢山あったので、ずらずらーっと。
まずは全14章の、ちょうど半分を。


ジャパンはなぜ負けるのか

p.40

辺鄙なところにいれば孤立する。だが、ネットワークがあれば接点が生まれる。(中略)
あいにく日本よりサッカ ーのうまい国が多いのも、ネットワークを考えると説明しやすい。日本サッカーのかかえる最大の問題は国の位置だ。世界で最高のサッカーが行われている西ヨーロッパのネットワークから遠すぎる。その距離を縮めるための努力をしているともいえない。


あっさり言えばそこですよね。仮に協会首脳陣が"洋式"派に入れ替わったとしても、結局距離感やずれ感、これじゃない感は大して改善されないんじゃないかという気がします。あれこれ遠くで考えるよりも、日々そういう相手とやることから自然に体得するもの決まるものの方が大きいというか。
オーストラリアを強くして"あげた"のは、アジア(が受け入れたこと)ですよね(笑)。まったく余計なことを。(笑)

p.53

ヨーロッパで8年間プレイした中田英寿は、2006年のワールドカップのころには他の日本選手をほぼあらゆる面で上回っていた。当時の日本代表監督ジーコは「練習メニューを中田に合わせると他の選手が壊れてしまう」と語っていた。


なるほど。
そういう意味も含めての、あの「日本人はフィジカルが足りない」"それ今言ってどうする"退任会見だったんだとしたら、多少はジーコの立場を理解してあげる必要も出て来るかも。

p.54-55

そこそこの選手がいて、西ヨーロッパのサッカーの知識があり、準備する時間がそれなりにあれば、「周縁」の国でもいいサッカーができるのだ。それなのに日本は、西ヨーロッパの指導者を雇うことに奇妙なほど乗り気ではない。オランダ人のハンス・オフトは1992年に日本を初のアジアカップ優勝に導いた。フランス人のフィリップ・トルシエは2000年のアジアカップで日本を優勝させ、2002年のワールドカップでは決勝トーナメントに進めた。しかし日本代表の歴史のなかで、西ヨーロッパの監督はこのふたりしかいない。


一読目の時は気が付かなかったんですが、"2010年"ということはつまりこの人は「オシム」(2006-2007)も含めて"駄目"だと言ってるんですね、「西ヨーロッパ」じゃないから。日本人的には"日本人"か"外国人"か、"外国人"の中でも"南米"か"欧州"かという区分けでしか見てないので、"西ヨーロッパ"限定にこだわる視点はある意味虚を衝かれました。
・・・そう言えばオシム"代表監督"に対して故クラマー翁がかなり批判的だったんですよね。日本人監督の方が上だとか(『”FAIRPLAYの記憶”:D・クラマー編より』)。言葉数はそんなに多くないですけど、結構感情的だった記憶。あれにもそういうニュアンスがひょっとしてあったのかな、"ドイツ/西ヨーロッパ"人として。東欧なんて田舎だ。田舎もんが田舎もんに教えてどうするという。(俺たちを差し置いて)

p.55

ステファン・シマンスキーがイングランドの数百人のクラブ監督の成績を1974~1994 年にわたって分析したところ(中略)選手時代のデータは監督としての成功を予測する材料にはなりえず、わかったのはディフェンダーとゴールキーパーが監督としては成功していないことだけだった。監督の現役時代のポジションで圧倒的に多かったのはミッドフィールダーで、フォワード出身の監督は平均より少しだけ成績がよかった。


ディフェンダーとゴールキーパーが監督としては成功していない。そうなのか。何となく"根性"派が多い印象はありますけど。
あと駄目っぽい印象が強いのは、現役時代"華麗"なテクニックで売ってたMF系。司令塔ではなくて限定的に美味しいところだけ関わる系。
まあ"統計学"の本に対して、"印象"とか言っててもしょうがないんですけど。(笑)

・・・このパート全体としては、要はしのごの言わずに「西ヨーロッパ」に倣っとけ、それが近道だという内容。


Part1 クラブ

移籍ビジネス

p.67

イングランドのあるビッグクラブが、スカウトの推薦してくる選手がたいてい金髪であること に気づいた。見た目の似かよった2人の選手のなかでは金髪が目立つためではないかと思われた (スカンディナビア諸国での試合は例外かもしれない)。まわりと違う色には、どうしても目が行く。だからスカウトは自分も気づかないうちに、金髪の選手に注目する。このクラブではスカウ トのリポートを読むときに注意することにした。


日本人にはあまり関係無い話ですけど、面白い。(笑)
逆にJリーグの外国人で"金髪"ってほとんど記憶に無いですね。ロッサムはそうでしたっけ?
見慣れないのでむしろいんちき臭いというか、ちゃんとサッカー出来るの?みたいな気持ちになったりして。(笑)

p.77

失敗したリロケーションの典型例は、1999年にニコラ・アネルカレアル・マドリードに移籍したときだ。スペインのあるリロケーション・コンサルタントは、いまでもこの移籍を顧客への宣伝材料に使っている。
(中略)
レアルはアーセナルからアネルカを3500万ドルで獲得したが、彼を新しい環境に適応させるためには1ドルも払わなかった。チームに合流した日、内気で世間知らずな20歳の若者は、誰も施設を案内してくれないことに気づいた。ドレッシングルームのロッカーも割り当てられなか った。初日の午前中に何度も、アネルカは誰も使っていないようにみえるロッカーを使おうとした。そのたびに誰かが来て「そこは俺のだ」と言った。


新加入選手が移籍先/引っ越し先で落ち着けるように気を配るべき(増して高い金払って買ったんだから)という話ですが、これはちょっと酷いなレアル。ロッカーが見つからないってどういうこと。どこの練習(参加)生の扱いだよという。これでやる気を失ったとしても、一概にナイーブだとは責められない気がします。
レアルに限らず、ヨーロッパではよくある話だということ。"立派"なビッグクラブでも。

94-95

最後にクラブ関係者への大サービスだ。移籍市場を勝ち抜く12のポイントをまとめておこう。

1 新監督は移籍に無駄金を使う。使わせるな。
2 「群衆の叡智」を生かせ。
3 ワールドカップや欧州選手権で活躍したばかりの選手は過大評価されている。無視せよ。
4 一部の国籍は過大評価される。
5 ベテラン選手は過大評価される。
6 センターフォワードは買うな。
7 紳士はブロンドがお好き。「見た目による先入観」を捨てよ。
8 20代初めが選手の買いどき。
9 選手の市場価値より高いオファーが来たら、迷わず売れ。
10 中心選手を放出する前に代わりを用意せよ。
11 私生活に悩みをかかえる選手を安く買い、問題解決に向けて支えよ。
12 選手のリロケーションを手助けせよ。

あとはせいぜい常識をはたらかせよう。


詳しくは読んでもらうとして、"2 「群衆の叡智」"だけ補足しておくと、「多様な人々の集団にみられる異なる意見を集めれば、ひとりの専門家に意見を聞くより、最良の結論に達する可能性がはるかに高い」という理論だそう。対してイングランドサッカー界では、監督独裁が主流であると。


監督と(GM等)スタッフ人事

p.106

サッカークラブでは、たいてい前任者をクビにして数日のうちに後任を決める。「時間をかければクラブに決断力がないと思われる」と、ヨハンソンとともにパネリストをつとめたイリア・カエンツィヒは言 った。このとき彼はハノーファー9のゼネラルマネジャー(GM)だった。


p.113

メディアやファンもクラブの分別ある判断を妨げることが多い。いつもクラブに素早い対応を求めるのだ。チームが3敗したら、ファンは監督をクビにしろとか新しい選手を買うべきだと言いはじめる。1カ月前につくったビジネスプランを捨てろというようなものだ。


これは若干耳が痛いかも(笑)。さっさとクビ切れ問題もそうなんですけど、サッカー界の"サイクル"としては、"次"がすぐあるのが当たり前というか、決まらないと"慎重にやってるな"ではなくて、「決めておいてからクビ切れよ」という"無能"判断がなされる傾向が強い気がしますね。間置かない方が優秀というか。
それは一つには普通の企業とは違って"大過なく"ビジネスが回ることに余り意味がない、「代行」「暫定」監督の下で消化する試合得られる勝ち点に、よっぽどシビアに降格でもかかっていない限り余り価値が見出されない、あくまで正式監督の下での"将来"や"プロセス"だからこそ、感情移入なり分析の価値が出て来るという、そういう事情はあると思いますけどね。
ただ現実的なプロセスとしては、やっぱり多少、我々は急がせ過ぎなのかもしれない。

p.113

「この産業における消費者運動はじつに過激である」と、A・T・カーニーの『利益をめざすプレイ』と題する報告書にはある。


"消費者運動"(笑)。まあ確かに。見ようによっては。(笑)
我々は皆"物言う"消費者。
普段"社会"的なことに余り関心の無い人や、"市民運動"的なものを毛嫌いする政治信条の持ち主であっても、ことサッカーチームの応援ということになると。気が付くと。(笑)

p.112

あるいは、コンサルティング会社A・T・カーニーのエマニュエル・エンベールが指摘するように、多くのクラブが独裁的なオーナー経営者に牛耳られているためでもある。エンベールは言う。「自尊心を満たすためにクラブに金を出している人がごまんといる。ビジネスにとって決していいことじゃない。オーナーは監督のほかには、まわりに強い力 をもつ人間を置きたがらない。給料も非常に安い」


こちらは"GM"以下プロフェッショナルなスタッフが、サッカー界では育ち難い理由の話。



「ビジネス」としてのサッカークラブ経営

p.116

この10年ほど、人々は銀行よりもサッカークラブの生き残りを心配していた。しかし消えたのは銀行のほう、しかも世界でも指折りの銀行だった。サッカークラブはビジネスとしては不安定なものだという常識はまちがっている。これだけひどい運営をしていても、地球上で最も安定し たビジネスのひとつになっている。


2008年の投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻を承けての話。
以下ずらずらと統計数値を挙げながら、

p.117

つまりイングランドではほぼすべてのクラブが、大恐慌にも第二次世界大戦にも景気後退にも 会長の汚職にも、監督の無能にも耐えて生き残ったことになる。これだけの安定性をこれほど長期にわたって維持したのは驚くべきことだ。


なんか騙されてるような気にもなりますが(笑)、まあ全体として一つの大きな"皮肉"を言っている箇所ということで。

p.118-119

負債がかさんだために破綻するビッグクラブはほとんどない。ウェストハムや、(あくまで仮に)リバプールが破産管財人にゆだねられたら、新オーナーの下での再生がほぼ保証されている。 どれだけクラブが無駄金を使っても、必ず誰かが救いの手を差しのべる。これを金融の世界では 「モラルハザード」と呼ぶ。どれだけ金を失っても助かるとわかっていれば、金は使い放題になる。サッカークラブが無能なのは、無能であることが許されるからだ。90年代にクラブの株を買ったプロの投資家は、そんなクラブの体質を知るとすぐに株を手放した。


「消費者運動」に続いて「モラルハザード」という、ショック・ワード、アラート・ワードの挿入。
まあでもこれはちょっととぼけ過ぎというか驚いた振りをし過ぎというか(笑)、百も承知の仕様に目新しいワードを当てはめてみただけというか。

p.120

経営が行き詰まったクラブは「リーズ・ユナイテッド方式」をとった。選手年俸を下げ、降格 して下部リーグで戦ったのだ。他の企業にこんなことはできない。フォードが熟練工をクビにし、技術のないスタッフを雇い、以前より品質の劣る車を製造したとする。アメリカン航空がパイロ ット全員を解雇し、飛行機を飛ばせない人に替えたとする。そんなことをしたら政府が黙ってい ないし、なにより消費者や顧客が質の悪い製品やサービスに黙っていない


まあ結局「商品」としてのサッカーの試合の本質は、"クオリティ"にはないということですね。他の分野の商品のようには。
まずチームが存在すること試合が行われること、そのチームや試合が情動や思考の対象になれることなり易いこと、その為に"クオリティ"は役に立つこともあるけれど余り関係ない事も多い、少なくともクオリティありきではない。
あえて言えばやはり"アイデンティティ"なんでしょうけど。この後に出て来る「工場」のチーム同士の試合という、フットボール・リーグの典型的"起源"の例を見ても分かるように。
要するに"あれば"いいんですよ、サッカーチームはね(笑)。体を成してれば。"飛行機"の格好をしていれば結果別に飛ばなくてもいい。(笑)

p.121

シュガーの方針が一貫していたことはまちがいない。彼が会長だった10年間、トットナムは分相応に暮らした。しかし大半のファンはその方針が嫌いだった。


p.121-122

シュガー時代のトットナムは、ピッチの中でも外もパッとしなかったうえに、クラブにとって皮肉な状況も明らかにした。ビジネスマンがサッカークラブをビジネスとして運営すると、サッカーがだめになるばかりか、ビジネスもだめになるということだ。


1991年に"ビジネス"的健全性の達成を掲げてトットナムの会長になった、アラン・シュガーという人の話。
"ビジネスもだめになる"とは、収益自体も思うようには上がらなかったということ。
"分相応"。
仕方ない事だとは思いつつも、やはりそれが前面に出るとビジネス的財政的側面を常に意識させられると、どうしてもいらいらするところはありますね、トットナムより遥かに財政基盤の危ういヴェルディのファンをやっていても。
別に浪費をして欲しい訳ではないんだけど、"健全経営"だけでは何も満足させてもらえないというか、当たり前ですけど"健全経営"を見る為にサッカーを見ている訳ではないのでね。・・・ゆ、?(照)。まあ妄想でもいい。とにかく正論だけ言われると、どうしても腹が立つ。(笑)
実は一番厳しいのは"中堅"クラブ(を見ること)だと思いますね。長期安定の。フラジャイルクラブは意外と楽しい。


サッカークラブと都市

p.180

地方都市に比べて、首都はみずからを宣伝する必要がない。首都にはサッカーチームより誇れるものがいくつもある。


p.181

ロンドン、パリ、モスクワは、チャンピオンズリーグに勝つ必要がない。サッカークラブが大きな意味をもつのは、地方の工業都市である。


リソースが豊かな方が有利なのは間違いないが、その筆頭である"首都"は意外とチャンピオンチームを生み難い(独裁政権が国威発揚に使った場合を除く)。それよりも地方都市のクラブが歴史的にはサッカー界をリードして来ている、"地方の大都市"が最強だが時期によっては小都市でも首都クラブをしばしば上回ったりするというようなエピソードが延々語られます。(だいぶ端折った)


p.180

1878年、マンチェスターに新しく敷かれた鉄道の近くにサッカークラブが生まれた。選手たちは、ランカシャー&ヨークシャー鉄道会社のニュートン・ヒース車両工場で働いていたので、 チームはニュートン・ヒースと呼ばれた。彼らは作業靴を履いて他の労働者チームと戦った。


p.182

イングランド各地の村から、アイルランドから、世界各地の経済の振るわない地域から労働者がやって来た。(中略)
当然ながら、マンチェスターの住民のほとんどは根なし草の移民だった。新天地に移った人々の多くは、地元のサッカークラブを愛した。彼らが故郷の村で感じていた一体感のようなものを、サッカーはもたらしていただろう。
同じことがイギリスの他の工業都市にも起きていた。移住者は古い都市にはみられないような熱情をサッカーに向けた。


p.188

バルセロナもトリノとほぼ同じ時期に、同じような成長を遂げた。50-60年代にバルセロナとその近郊に移住したスペイン人は150万人にのぼるといわれる。スペインの内陸部では、多くの村がほとんど空っぽになった。バルセロナに近い荒れ地には自分たちで建てた掘っ立て小屋が並び(いまならジャカルタの近くで目にするようなものだ)、すべてを捨て去ってきた農民たちで埋まった。地元のカタルーニャ語を話すものはいなかったが、彼らの多くはバルサに夢中になった。居場所を見つけるには、それが最も手っ取り早い方法だった。


特に産業革命との関係について。だから地方の"工業"都市が重要なわけですね。
バルセロナもそうだというのは、余りイメージに無かったですね。"カタルーニャ"アイデンティティは美化された後付け?
併せて我らが東京は、「首都」だから情熱に欠けるというのはまあ一応ありそうではありますが、それはどちらかというと原住民の話であって、歴史の中では大量の出稼ぎ(工場)労働者を飲み込んだ時期もあったわけで、そのタイミングは既に逸したとしても依然(僕もそうですが)"おのぼりさん"の集合体ではある訳で、その文脈でサッカー"クラブ"に何かアイデンティティ的需要があるのかと言うと・・・あるのかなあ。ピンと来ないなあ。"渋谷"が好きだみたいな、特定の層はいるのかもしれませんけどね。
そもそも上の文で言う「故郷の村で感じていた一体感」自体が過去のものということかもしれないですしね。元々無かったものを回復しようとはしない。

でもインターネット上では間違いなく「ヴェルディの応援者」であることは僕の最大のアイデンティティにはなっていて、それを失うと本当に"根なし草"になりそうではありますね。その為に応援しているわけではないですけど。(笑)
実際インターネットにおいての方が、"アイデンティティ"は強烈な問題ですよね現代日本人にとって。そこらへんをサッカークラブの歴史と照らし合わせながら改めて考えを進めてみると、何か面白いものが出て来るかも知れない。(独り言)


前編終わり。続きは後編で。


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テーマ:サッカー日本代表
ジャンル:スポーツ
コメント
この記事へのコメント
No title
この本、以前読みました。懐かしいです。

>「消費者運動」に続いて「モラルハザード」という、ショック・ワード、アラート・ワードの挿入。
>まあでもこれはちょっととぼけ過ぎというか驚いた振りをし過ぎというか(笑)、百も承知の仕様に目新しいワードを当てはめてみただけというか。

この部分、多分すぐ「サッカー業界は破綻寸前だ」とか「財政規律を」とかの喧しい声に対しての反論だと思うんですよ。いや、破綻しても戻ってくるじゃん、清算にはならないじゃんっていう。
共著者のシマンスキはこの方向でいくつか論文書いてて、財政規律にヒステリックになってFFP導入するとデメリット大きいよ、そもそも市場壊れてないよ、ということをずっと言ってました。

>当たり前ですけど"健全経営"を見る為にサッカーを見ている訳ではないのでね。・・・ゆ、夢?(照)
そですね、挙句の果てに「健全経営」をファンが誇り出すようになると、ついてけないですね。
自分がその一翼をわずかでも担ってるかもなあ、と思いつつ、あんまりビジネスの話をスポーツに持ち込むと結局いいことないですね。笑
2020/12/12(Sat) 22:26 | URL  | szakekovci #-[ 編集]
No title
そうですね、別の個所では「サッカークラブは潰れない」と力説してますしね。
FFP導入は・・・2011年か。ちょうど直前なんですね。こういう方向の意見は受け入れられなかった結果ということなのかな?
まあ戦力(資金力)不均衡の拡大が常態化し続けて、かつ有名クラブの大コケをいくつか見せられると、"大衆"的には何とかしなければ引き締めなければという気分は盛り上がって、それを承けて"政治家"が動く・・・という、そういう流れ自体は分かる気がしますけどね。ただ当事者的には要するに余計なお世話であると、なるようになるしなって来たからからほっとけと、そういう立場ですね。「破産しても傷付くのはクラブではなくて当該投資家個人でしかない」と、どこかで言ってましたね。
日本でフリューゲルスが"本当"に潰れたのも、FFP的に赤字が大きかったというよりは大きかろうが小さかろうが要するに引き受け手が無かったからでしょうし、でもヨーロッパならある。日本でもプロ野球ならある(笑)。ちなみにフリューゲルスから約10年後のヴェルディの"危機"には、やっぱり無かった(笑)。(とほほ)
というまあ、非常に「現実的」な話ではある訳でしょうね。理論的倫理的というより。

>自分がその一翼をわずかでも担ってるかもなあ

今や特にビッグクラブの経営の話は、サッカーの"語り"の独立分野として確立した感もありますね。金も無ければ経営にも明るくない僕ら下々から見ると(笑)、『〇〇 ~華麗なる一族』的な上流階級の愛憎劇ドラマを見ているような感慨も無くは無いです(笑)。色々やるよなあという。これからも語り部として頑張って下さい。笑
まあ"ビジネス"については、"客"に興業の舞台裏をいちいち気にする義務はないというのがそもそも論ではある訳ですが、実際問題僕の子供の頃のように何も考えずに"プロ"スポーツを見ていられた時代自体を、もう若い子は知らないわけでしょうし、付き物化はしてるんでしょうね。後はだからビジネス論理が本当にクラブ経営を"安定"化させてくれればいいわけですが、どうもそこらへんがなかなか言う程にはね。ある合理が次の非合理を呼び込んだりもしますし。
2020/12/13(Sun) 18:02 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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