とりあえずは誰でも読める、無料/一般公開記事の中から。(可能なら有料記事でもやる予定)
まずは西部謙司氏の記事2つ。
ゾーンプレスを脅威に昇華した “オランダトリオ”の破壊力 (西部謙司 2020.02.26)
1980年代後半から90年代初頭にかけて、新戦術ソーンプレスとフリット、ファン・バステン、ライカールトの"オランダトリオ"を擁してイタリア&ヨーロッパサッカーを席巻したサッキ・ミランについての回顧記事。
ただ、90分間ずっと「ボール狩り」をしていたわけではなく、回数としてはセットプレー並だ。
サッキが下敷きにした、リヌス・ミケルスの「70年代のアヤックス」についての記述。ちなみに「ボール狩り」+「ゾーンディフェンス」が、つまりはゾーンプレス。(という説明)
セットプレー並。そんなもんなのか。
僕はそのアヤックスを基に作った'74年W杯のオランダ代表の方は一通り見たことがあるんですけど、とにかく"'90分間"制圧していた印象で、"犠牲者"となったブラジル代表やアルゼンチン代表の試合中ただただ絶望していた表情を痛ましく(笑)思いながら見ていた記憶があります。・・・最後決勝で"試合巧者"西ドイツ代表に優勝をかっさらわれたことで「悲運」の印象が強いかも知れませんが、それ以外はむしろ"いじめっ子""殺戮者"という印象でしたね僕は(笑)。美しいとも余り思わなかったし。ただただ凄いなと。えげつないなと。何ならアンチ・フットボールだなと。(笑)
だから"セットプレー並"の頻度というのはやや意外なんですが、可能性としては
1.'74年のチームはアヤックスを更に過激化したボール狩りを行っていた。
2.(ボール狩りと組み合わされた)"ボール・ポゼッション"の方が、「制圧」の印象を生んでいた。
3.そもそも「ボール狩り」の定義の問題で、今で言えば"ハイプレス"(特にストーミング系チームの)のような特別に過激で集中的なプレッシングのみを「ボール狩り」と呼んでいて、そちらの頻度は"セットプレー並"であった。
みたいなことかなと。そのどれかか組み合わせ。
進化版を作っただけあってプレッシングの威力はバルセロナの比ではなかった。
サッキ・ミランが"攻撃"については要はショートカウンターからのオランダ・トリオの個人能力頼みで、さしたる革新は無かったという話からの流れですが。
その"攻撃"の方の革新を担った、ミケルスのチームの言わばサッキ・ミランの"兄弟弟子"に当たる、クライフ・バルサ(1988-1996)との比較。
こちらは僕は本当にスポット的にしか見たことが無いんですけど、その範囲でもえらく"緩い"なあという印象を受けていたので、やっぱりねという感じです。"比ではなかった"。そうでしょうねえという。そうであってくれないと、記憶の辻褄的にあまりよろしくない。
まあロマーリオとかストイチコフとかが前線にいたチームですからね。そこまで真面目にボールを狩るとは。
フランスが世界王者になる時。「即興性と多様性」を引き出す2人の名将 (西部謙司 2020.08.18)
微妙にタイトルのニュアンスがずれてる感じ。
何か現在のフランスの持っている特定の可能性が"これから"フランスを世界王者に導く未来像について書かれているような印象を受けると思うんですが、実際は"過去に"フランスが「世界王者」になった('98年、'18年の)二度のW杯のチームに、どのような共通性があったかという話。
ジャケ監督は[強化試合で]同じメンバーでの同じフォーメーションを1回も組まなかった。つまり、ベストメンバーは本大会が始まるまで不明のまま。とはいえ、誰が見てもだいたい予想はつく。(中略)しかし、ジャケ監督は性懲りもなく毎回フォーメーションとメンバーを替え続けた。フォーメーションは考えつく限り、ありとあらゆる形が試されている。
ディディエ・デシャン監督の2018年優勝への道のりもジャケの時と似ている。
ジャケほど意味不明な実験はしていないものの、大会が始まってから完成品ができ上がったのは同じだ。そして完成品といっても、実際には未完のまま優勝してしまったのも98年とよく似ている。98年はCFがいなかった。デュガリーは負傷し、トレゼゲは若過ぎた。決勝でプレーしたギバルシュは大会無得点である。18年のメンバーは固まっていたが、最後まで勝ちパターンはよくわからないまま。CFの無得点も98年と同じ。
こうした"共通点"の内容の更なる説明。
ジャケのフランスは守備が強力だった。1点取れば負けないし、2点取れば確実に勝てる。けれどもどんな相手からでも2点以上取れる攻撃力はない。そこで、ありとあらゆる形を試してデータを蓄積し、少しでも相対的に有利な形と組み合わせを探った。
デシャンのチームはカウンターをやれば世界で一、二を争う能力があった。しかし、それだけではW杯は勝ち抜けない。遅攻の力も必要で、守備も盤石にしなければならない。人材はいたので、いかに組み合わせてバランスを見出すか。結果的にジャンケンでいえばグー・チョキ・パーを全部そろえた。
つまりどちらも強味を基に、理想/最強のチームの完成ではなくてケーススタディの徹底的な蓄積で、大会を勝ち切ったということ。
それが
フランスらしい自己肯定であり、彼らのやり方なのだ。
と西部さんはまとめるわけですが、若干この"二例"に頼り過ぎというか、なぜそうなのかの説明は弱い/足りないかなと。
一応フランスの多人種性という理由は挙げてはいます
人種、身体能力、背景文化の違う選手たちは、それぞれに得がたい個性がある。
スペインのような完璧な攻守循環を作り上げるチーム作りは、多様な人材のいるフランス向きではないのだろう。
が、さほど明確には主張していない。
例えば(半分冗談ですが(笑))哲学の世界ではイギリスの経験論に対する大陸の合理論の創始者として"フランス"のデカルトの名がまず挙がったりするわけで、"フランス"人が本来現実主義とは限らないし、実際左翼理想主義の本家の一つでもあるわけですしね。なぜサッカーだと"右翼"になるのか。(笑)
あるいはサッカーの世界でも、プラティニたちの"シャンパン・サッカー"の時代もあったわけですし。
結果"勝てる"のがジャケ/デシャンのあの形であった事には理由があるんでしょうし、この先もそうではないかという西部さんの予測に割りと僕も賛同はするんですが、「理由」としては、"フランスらしさ"の中身の説明としては、もう少し欲しかったなという感じです。
続いては結城康平氏取材による記事×2。
創造力がある選手をどう育てる? “育成改革中”イングランドの現状 (結城康平 2020.03.26)
イングランドの大学の「フットボール学科」で学んだ後、現地で活動を続けている日本人指導者マーレー志雄氏へのインタビュー。
先日もボーンマスとFA(イングランドサッカー協会)が共同でGK講習会を開催していたんですが、最初はボーンマス側も乗り気ではなかったようです。クラブ側も多忙ですし、ノウハウをオープンにしたくなかったのが本音だったみたいですけど
ボーンマスが"渋る"というのがリアルで面白い(笑)というか、そんな門外不出の"ノウハウ"がちゃんとあるのかというのが変な感心ポイント。
例えば日本を代表する"優秀育成クラブ"たる(笑)我らが東京ヴェルディの下部組織に、JFAから共同オープン講習会か何かの打診が来たらどういう反応をするんですかね。まさか断りはしないだろうと思いますが、その際に子供たちはいいけどよその指導者が来るのはお断りだとか、ここまでは見せてもいいけどこれ以上は駄目とか、そういう具体的で"盗まれる"危険があるようなノウハウはあるのかな、単純に分からないですけど。
結局何が優秀なんですかねウチは。"伝統"とか"風土"とかだとしたら、一週間二週間公開したところで何を盗まれることも無いわけでしょうが。スタッフも結構入れ替わりはあるようですしね、どんな継続性が逆にあるのか。自分のクラブのことながら謎です。
特に小さいスペースでの1対1――ボールをキープしなきゃいけない時や狭い局面でも日本人は細かい動きで打開してしまいます。イングランドの子供たちはそういう器用で俊敏なプレーができない。イングランドらしく、気合いで何とかしようとします(笑)。ただ一方で技術が不足しているからこそ、様々な工夫をする傾向はあります。例えば狭いスペースでプレーできないのはわかっているので、広いスペースを使うとか。
子供でもイングランド人はイングランド人なんだなというのと、そしてそれゆえの「工夫」の蓄積が、長じてのある種のプレーの熟達、あるいは日本人とイングランド人のプレーの差にやはり繋がっているんだなという。
海外サッカーを見始めた子供の頃から、あちらの選手、代表的にはイングランド人やドイツ人の"不器用"な選手たちの、大きなスペースを使うプレーのある意味の"繊細"さやクロスを使った攻撃の"巧み"さにはいつも感心していて、対してボールテクニックでは劣らないどころかたいていは優る日本人選手のそうしたプレーの"雑さ"や"不器用"さ、全体のレベルが上がっても余り改善されないように見えるそれには、いったい何なんだろうこの差はと、思わされるものがあります。それこそ中村俊輔的なマエストロレベルまで行かないと、"対等"の効率を持ったクロスが日本人選手には上げられない。そんなのはいずれひと握りなので、それでは解決にはならない。
勿論"細かい"プレーなら日本人の方が上手い訳でしょうけど、では同じく細かいテクニックの相対的にある南米選手が日本人のように大きなプレーやクロスが下手かというとそんなことは無いので、やはり何か日本の子供の成育過程というか、自分が持っているもの出来ること出来ないことの認識やそれらのサッカー的状況との重ね合わせに関して、何か欠陥というか学びのプロセス上の問題がどこかにあるんじゃないかとは、思ってしまうところはあります。現在に至っても。
"キック力"の問題、だけとは思えない。それもあるとは思いますが。
「技術」と「要領」の違いというかね。
指導者大国ポルトガルのUEFAプロライセンス取得コーチが語る、ポルトガルの指導力と日本人プレーヤーの魅力 (結城康平 2020.10.18)
2. 発展は直線ではない、という思考。人間の成長は非線形なメカニズムとなっており、それを理解しなければなりません。例えば広いスペースでのトレーニング後に、狭いスペースでのトレーニングを計画したとします。それによって選手は狭いスペースで思考速度を速くしなければならないでしょう。逆に狭いスペースでトレーニングした後に、広いピッチでのトレーニングを組むこともあります。これによって、選手はスペースの活用法を知るはずです。このように2つの異なったトレーニングの方向が、どちらも選手の発展に寄与しています。
その信奉者/代弁者を自ら名乗るルイ・サ・レモス氏による、"戦術的ピリオダイゼーション"の主張・援用する「非線形」という概念の分かり易過ぎるくらい分かり易い例。・・・つまり、「広さ」と「狭さ」を行ったり来たりするから、"ジグザグ"だから、"線形"ではないという。
こんなに分かり易くていいのか、というか(笑)、なんかただの弁証法にも見えるぞという気もしないではないですが、少なくとも練習プログラムの組み方という意味では、有益そうな説明ですね。
私は中島を常に『チームプレーヤー』として評価していました。あれは南米やヨーロッパのアタッカーにもない、彼だけの武器です」
――興味深いご意見ですね。代表チームでは中島のドリブルは、強引だと評価されることもありますが……。
「そのような意見は信じられませんね。中島は常に勝利を求めており、抜群に賢い選手です。彼が強引にプレーをしている時は、それがベストの選択になってしまっているのではないでしょうか? 彼は自己中心的なプレーヤーではなく、私が指導した時にはボールを引き出すような動きやパス、クロスでチームの攻撃を牽引していました。
指導した私が自信を持って保証しますが、中島は非常に賢い選手です。常にチームにとってベストになる選択肢を探し続けています」
ポルティモネンセで中島翔哉の指導者でもあったルイ・サ・レモス氏。
"フォア・ザ・チーム"だからこそ「強引」なプレーをする選手という、類型自体は僕も理解出来ます。"戦術"よりも自分の感覚を信じる度合いの強い、南米の大物選手などにはまま見られるタイプですね。ヴェルディ時代のエジムンドなどは正にそういう選手でしたし、フッキの"強引"さも単に我儘というより自分なりの「成功」への"最短距離"が見えてしまうからこそのものという面が、少なからずあったと思います。(単に融通が利かないという面も、否定は出来ませんが。(笑))
中島翔哉をここに並べられるのかというと、並べられなくは・・・まあないかなという感じ。ヴェルディでも代表でも、彼が"自己アピール"よりは"善意"で、「勝手」「強引」なプレーをしてるのだということは、一応僕も感じはします。ただ余りそれを肯定的に見る気にならないのは、結局は実効性の問題か。"結果"が出ていないという。(エジムンドやフッキのようには)
ただ"結果"かいい時でも(そういう時も勿論ありますから)、やはり何かゲームの洞察/情報収集に不十分なものがあって、必要な判断やプロセスがショートカットされていてそれがたまたま結果が良かっただけみたいな割り切れなさも、見ていて残るんですよね。"あっぱれ"あげてもいいけど(笑)"尊敬"は出来ないというか。彼にチームを委ねる気にはならないというか。(エジムンドのようには)
が、それにしても褒められてますね。外国人から見れば彼も十分に("フォア・ザ・チーム"の)日本人だということなのか、それとも「自己責任」カルチャーの濃度の高さが彼の"強引"を日本人のようには気に留めないということなのか。
でもまあ、ここ数年は"ちゃんと守備しろ規律を守れ"的な注意を、チームから受けることが多いようですしね、やはり"問題"はあるようには思いますが。判断のショートカットという。
その他の人の記事×2。
英国で学んだ異色の“育成”研究者。データが示す昇格選手の条件とは? (足立真俊 2020.03.25)
上のマーレー志雄氏同様、イングランドでフットボール科学を学んだ、こちらはどちらかというと"研究者"であるらしい後藤平太氏のインタビュー記事。
イングランドのU-21の女子選手を対象に、消化が遅いものを食べるグループと消化が速いものを食べるグループに分けて、その食事の3時間後にサッカーの試合を想定した運動をしてもらいました。15mのスプリントを数分おきに行ってもらいましたが、スピードを持続できたのは消化が遅い食事を摂ったグループでしたね。
試合前にはすぐエネルギーになるもの(代表的には"バナナ"(笑))を食べろという常識は間違い?
――イングランドのアカデミーでは、後藤先生がかつてされていたようにアルバイトで指導できるんですよね。そのせいか、ユース育成ルールではスタッフの勤務形態も決まっているんですけど、常勤の指導者の必要人数は少なく定められているみたいです。
「私がイングランドにいた当時も、アカデミーの指導者のほとんどがアルバイトでした。
へええ。
わざわざ"定められて"いるというからには、意図的なものなんでしょうね。人材の流動性なり、同じことですが若手指導者になるべく均等に経験のチャンスが行くように?単なる財政的理由とは思えない。
一方で日本では基本"常勤"を求められるので、それで食えなくて"研究者"の方をメインにしているという、後藤氏の話。
「アカデミーでチームに残留できた選手と残留できなかった選手を比較しました。全体としては低速度での移動距離が長い選手ほど残留できていることが判明しましたね」
読めば分かるようにまだ色々と研究途中のデータのようですが、これもなかなか興味深い指標。
全体として、この方の指標の取り方というか研究手法の方に、何か面白みを感じた記事でした。なるほどこうやって(サッカーを)研究するのかという。
バルセロナよりミュンヘンより、今が幸せな理由 (ル マルティン 2020.04.03)
グアルディオラのシティ一年目の密着記事。
グアルディオラがバルセロナでトップチームの監督に就任して過ごした4年間は、苦しみの方が多かった。過剰な責任感、信頼してくれた人を失望させたくないという気持ち、世界一の選手メッシの存在……。様々なものが重圧となって、すべてやり尽くしたとは言えない4年間だった。
この人の書き方ですけど、そうなんかなあという。
やり尽くしたし、逆にやることが無くなったからこそ故郷を離れたと、外野的にはそういう印象の方がどうしても強いと思いますが。
プレッシャーは当然あるとしても、あの栄光の4年間で"苦しみの方が多"いと言われると、おいおいと言いたくなる同業者は多いのではないかと。(笑)
あのドリームチーム時代のように、チキと一緒なら何もかもが簡単だ。球質の良いロングボールを送り込めば、GKの飛び出し際にゴールへとシュートを流し込んでくれる。
チキ。ベギリスタイン。元浦和レッズ。(笑)
Jリーグに来た"大物"選手は数多けれど、個人的にあれほどどう使えばいいのか何が取り柄なのか、最後まで分からない選手もいなかったです。
"左きき"の基本"ウィンガー"らしいんだけど、言う程単騎の突破力があるわけではないし(先にいたウーベ・バインのように)決定的なパスを出す型を持っているわけでもないし、勿論ストライカーでもないようだし、全体的なレベルの高さは分かるんだけど具体的にどう"中心選手"として使っていいのか、当時(97-99)のさほど人材豊かではない浦和レッズ基準で見ても、よく分からなかったですね。
上の"プレイバック"にあるように、一瞬のタイミングで抜け出して合わせる感覚はあるようなので結局ストライカーとして使うのがいいのかなあと、ようやく結論めいたものが見えてきたところでお別れという、個人的にはそういうめぐり合わせでした。(笑)
・・・ということを、読んでいて思い出したというだけの話です(笑)。まあそもそも、2020年にもなって突然載った感じの回顧記事ですし。(笑)
以上です。
ちなみに西部さんによる"無料"記事では、もう一つ凄く面白い記事(『不確実なサッカーで再現性を追求する、意外と古い「パターン攻撃」の歴史』)があったんですけど、それについて書いている内にこれはシングル・イッシューとして描くべき内容だということに気が付いたので、近い内に別枠で書く予定です。