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web版 footballista 2020年の"有料"記事より
2021年02月03日 (水) | 編集 |
この前やった"無料記事"版の有料(限定公開)記事版・・・と堂々と紹介できるほどの分量は実は無いんですけどね。
やってみて分かったんですが、web footballistaは有料化して以降急速に無料公開分を絞り始めていて、まともに引用できるのは2020年でも最初の方の記事だけなんですよね。計算違いだわあ。(笑)

とにかくその範囲で、やってみます。多分これが最後でしょうね、このパターンの記事は。(システムが変わらない限り)2021年以降はやる意味が無さそう。


「マッチプランは意味を失いつつある」本人が明かす“ナーゲルスマン流”チーム構築 (鈴木達朗 2020.03.23)

マッチプランは、少しずつ意味を失いつつある。というのも、試合の流れの中で常に調節して適合させなければならないからね」
3年前なら、試合前にしっかりとマッチプランを構築して、それを1試合通して最後まで実行することもできた」
「現在の試合前の準備は、対戦相手の具体的なイメージをつかみ、その試合のための理想的なメンバーの組み合わせや配置を見つけ出して、選手たちを試合に送り出すことなんだ。常に複数のフォーメーションに対して準備をしておかないといけないし、さまざまな数的有利・不利の状況について備えておかないといけない」


結果当たり前のことを言っているようではありますが、他ならぬ"ナーゲルスマン"が、"3年"という時間単位でこういう内容を語っているのが面白いというか、おかしみがあるなと。
3年前ということはつまりつい最近、ナーゲルスマンを一人の筆頭とする"新世代""データ分析派"の(多くは若手)監督たちが台頭して/むしろ主流化して、サッカーの常識が塗り変わって以降ということになると思います。
それによって試合前の準備が精緻化して、きっちりした「マッチプラン」を基に試合に臨むことが当たり前のこととして要求されることになって、しかしその同じ潮流の更なる進捗が今度はその"成果"(マッチプラン)の意味を危うくしているという皮肉。
何というか、"新人類""今ドキの若いモンは"と嘆いているのを見るような不思議感というか。あえて死語を乱打してみると(笑)。"昔は良かった!"って、どの昔だよと言う。(笑)
最初からオッサンである世代からすると、そういう追いかけっこの切りの無さに馬鹿馬鹿しさというか無常感を感じてしまう部分があるから、どこかでケツをまくること、"自分たちのサッカー"とまでは言わなくてもどこかに単純化ポイント割り切りポイントを作る方が実利がある場合が少なくないのではないかみたいなことを考えてはしまうわけですが、さりとて走ってる電車からいきなり飛び降りるのも無謀なので当面はやはり"準備"の"精緻化"を怠ることは出来ないとそれもまあ分かって、ナーゲルスマン自身の(最後の段落の)結論もそういう内容ではあるわけですね。
まあ理念闘争はともかくとしても、実際問題当該チームの選手が付いてこれなくて益より害の方が大きくなる可能性なんかも一般的にあるわけで、そこらへんを最終的にどうさじ加減するかは結局個々の監督次第というか、むしろ手法の共有が進む中で"勝てる"監督になる為の違いの出しどころという感じもしますけどね。(という形で僕は常に監督に"最終責任"を問うんですけど(笑)。そう簡単に"選手の能力不足"を理由にはさせない)


「プレーヤートレーディング」の時代は何によってもたらされたのか? (片野道郎 2020.03.23)

プレーヤートレーディングは、直訳すれば「選手売買」となる。これ自体はまったくニュートラルな言葉なのだが、実際には「移籍を通して利益を上げること自体を目的とする選手売買」を指して使われている。


初めて「プレーヤートレーディング」的な動きが起こったのは、1990年代末のイタリアだった。(中略)
有力7クラブの間で選手獲得競争が過熱した結果、ローマ、ラツィオ、パルマ、フィオレンティーナという4クラブが過大投資による赤字で深刻な財政危機に陥り、2002年から04年にかけて実質的に経営破綻するという結末になった。


その過程で、帳簿上の赤字を粉飾する手段として使われたのが、「等価交換移籍」という手法だった。
2つのクラブが同じ値札のついた選手を交換すれば、結果的には一銭も移籍金を支払わずに移籍が成立する。その値札についた金額は、同じ数字でさえあれば、高かろうが安かろうが実質的には相殺されるのだから、何の変わりもない――はずなのだが、実際には大いに変わりがある。それぞれの選手を獲得した費用よりも高い値段をつけて売れば、帳簿上はそこに差益が発生するからだ。(中略)
形式的な移籍によって、文字通り無から有を生み出す。「プレーヤーの債券化」の始まりである。


世代的にプロ野球ファンとして子供時代を過ごして、その後Jリーグを筆頭とするプロサッカーに主な観戦対象を切り替えた身として、"プロ野球にはあったけどプロサッカーには無い"(くて少し寂しい)要素として、一つは「"キャンプレポート"と"オープン戦"」(の楽しみ)、もう一つは「交換トレード」(による編成の活性化)があります。
前者はサッカーにも無くは無いけどかなり薄い、情報価値のあるものは一般にはほとんど流れて来ない、後者はそもそも移籍制度保有権の制度が全然違うので、"ドラフト制度"も含めてサッカーにはほぼ存在出来ないものなわけですね。
一応選手に打診はするけど基本的には球団どうしが自己都合で生身の人間を"交換"し合うという制度に"人権"的な問題はあるのではないかということは、サッカーとは無関係に野球界内でも昔から言われていて、法的にはサッカーの制度の方がちゃんとしてるとは思いますが(笑)、それはそれとしていちいち金銭を発生させないでも双方の編成や適材適所を合理化出来るというのは"スポーツ"的にはかなり魅力的であって、そこそこ現実性のあるロマン(合意さえあれば貧乏球団でも出来る)として知恵の絞りどころでもあって、サッカーにそれが無いのは結構ショックでしたね。逆に野球の世界で(サッカーの慣行に近い)"金銭トレード"というのはむしろ軽蔑の対象というか殺伐感の伴うものであって、球団ファンやその選手のファンに、怒りを買う危険の大きなものでした。"交換"の方が、よっぽど「人間」扱いされてる気がした。勿論個別に悲しむ選手や釣り合いのおかしな交換例などは、あったりはしますが。

というわけでここでは「赤字粉飾」の為の手段としてのみ事例的に取り上げられている(笑)「等価交換移籍」ですが、むしろイタリア人たちの"悪知恵"が開いてくれた「可能性」の方に、目を向けたい気持ちもあったりしますというか読んでて思いました(笑)。制度的には出来なくは無いのかと、逆に。
力が無いわけではない保有選手を、単に「干す」より首にするよりちまちま「貸し出す」より、あちらの浮いている実力選手と「交換」する方が、随分と楽しい気はするんですけどね。ダイナミックだし。まあ近い事例もたまに無いわけではないようですけど。
林陵平とか林陵平とか林陵平とかね(笑)。何だったんだろうあれはという心残り。どのみち若手以外はほぼ金になんかならないわけですからね、"移籍金"ったって。少なくともベテラン選手の選手寿命はどちらかというと伸びる気がしますけどね。早めに居場所の見つかる可能性は高まりそう。


自転車に補助輪はムダ。「コンテクスチュアルトレーニング」とは何か? (浅野 賀一 2020.04.04)



この本の監訳者へのインタビュー。

「いろんなことを知っているがばかりに、優先順位をつけるのが難しくて。現在のスポーツ界でも、お金があったり規模が大きなチームでは選手一人に対して何人も専門家がつく。そこで選手がケガをした場合、医者の診察、理学療法士のリハビリ、鍼灸師のマッサージ、ストレングスコーチのトレーニングが要素還元的にバラバラのコンセプトで進んでしまう。で、その選手はまたケガをして戻ってくるわけですよ。そこには、選手が復帰するまでの過程で選手を中心とした共通理解がないとダメなんです。それが欠落している」


そういうことって起きないのかなと思ってはいたんですけど、やっぱり起きているようですね。
科学は普遍・客観なはずだけど、実際にはそれぞれがそれぞれにやっているだけという部分も多い。

「ボッシュはもともと解剖図を描くアーティストだったんですけど、それぞれの専門書が矛盾していることに気づいたんですよ。その矛盾を解消するために、彼は論文を集めて読んでいって、共通のコンセプトを作っていったわけです。」


何というか、"よく出来た"逸話だなと。(笑)
正に人体を"バラバラ"にする「解剖」図の、「専門」書どうしが"バラバラ"であると。
その"バラバラ"の"専門"性を、繋げる試み。
"アーティスト"というのがまた面白くて、つまりは(解剖学の)「専門家」じゃないから気付いた日常的な"全体"感からの、素朴な疑問の追求。
・・・こういうこともあるから、サッカー素人の僕の"疑問"も、追求していいのではないか的な?(笑)
「論理」的であることは、前提ですけど。「論理」は「科学」より広い。(こともある)

それで具体的にどうするかどうしたかという内容は有料部分なわけですが・・・それではあんまりなので(笑)支障無さそうな範囲でざっと要約しますと、

・動作の過程ではなく結果に意識を向けさせる「ナレッジ・オブ・リザルト」
・動作の仕方ではなく、結果としてそういう動きが生まれる状況を作ってあげる
選手自身に問題解決させる。(判断基準を作らせる)

というようなことが語られます。
先に"結果"や"全体"を示して、プロセスや細部については自己組織化によって自動的(それが自発的でもある)に決まる/決めさせるということですかね。

・・・無料部分で言えば、

「2人の選手がいたらそれぞれに合わせた教え方をするんですよ。人によっては左を注意させたり、上を注意させたりして、それぞれの選手に独自の問題解決を促していたんです。」


というあたり。

ちなみにタイトルにある『コンテクスト』という言葉は直接出て来てないのでこの記事でははっきりとは分からないんですが、選手に経験させる「状況」のことを言ってるのか、それとも選手個々に置かれる状況・文脈(コンテクスト)が違うという、「個別性」具体性のことを言ってるのか。両方かも知れませんが。


以上3つくらいですね、引用して使える記事としては。少ないですが。
上の記事以降はどんどん「無料」部分が少なくなって、一番笑ったのは上の"コンテクスチュアルトレーニング"の項でも出て来た「要素還元主義」批判に絡んだ『「戦術脳」を鍛えるヒントは野菜にあり!サプリメント=要素還元主義の限界』という記事で、何と無料部分はこれだけです。(笑)

ビタミンCよりもピーマンを食べよう


ギャグ、なのかなと思わなくもないですけど。(笑)


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テーマ:サッカー
ジャンル:スポーツ
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