代わり・・・というわけでもないんですが、Jの終了と入れ替わるように調子を上げて[12/19サウサンプトン戦から連勝スタート]、今や第二の全盛期と言えそうな状態に達してJオフ中の僕の関心をくぎ付けにしたマンチェスター・シティ、永井ヴェルディも有力な手本の一つとしているだろうペップのチームの観戦経験などから、永井ヴェルディの現状とここまでについて最近出たサカマガwebのインタビュー記事を叩き台として少し書いてみたいと思います。
それをもって、今季の"展望"にも。
別に上げ足を取っているつもりはないですが、種類としては"言葉尻"に近い内容なので。ぴんと来ない人は気にしないで下さい。
佐藤優平が喜び挑む「脳内猛レース」。「監督の進化に追いついていかなければ」('21.2.14)
"進化"
「監督が永井さんになって1年半ぐらいで、最初に言っていた基本ベースは変わりませんが、監督が求めることは進化しています。だから選手としては、常に向上心を持って練習からプレーできています。(中略)監督の頭の中はどんどん進化しているんです。だから早くその頭に、僕たちの技術と頭が追いつかなければいけないんです」
その"進化"とは。
「永井さんは最初は『80パーセント以上のボール保持』ということを言っていましたが、いまは『80パーセントのゲーム支配』に変わっているんです。最初は保持するのが80パーセントというところからこのサッカーを始めることが大事でした。非常に分かりやすくスタートしたんです」
うーんこれは、「進化」というよりも教授法とその"方便"の、「変化」ですよね。教授内容自体が変わっている(進化している)わけではない。そうでないと困るというか。
つまり、永井監督自身が、最初は『80パーセント以上のボール保持』が目的でそれで勝てると思っていたのが、その内いやそれでは勝てない、『80パーセントのゲーム支配』に目標を変更しようと"進化"したのだとすれば、余りに素朴過ぎてそこらの素人サポ以下みたいな話になってしまいますから。
佐藤優平自身も("ボール保持"で)「分かりやすくスタートした」と言ってますから、そんなことはないだろうとは思いますけど。さすがに言葉尻(笑)というか。"方便"だということは分かっている。(はず)
ただやはり、言い方としては正確ではないと思いますね。
変化しているのは方便としての目標の設定の仕方であって、元々の内容ではない。「監督の頭の中」は進化していない、元々知っていた事の伝え方が変化しただけ。・・・むしろ"好意"として(笑)、"進化"説は否定したいですね。(笑)
その伝え方の変化によって、監督の生産物としての「チーム」は"進化"するかも知れませんが。『ボール保持』から『ゲーム支配』へ。でもそれを監督の"進化"と言ってしまうのは、むしろ監督を馬鹿にしていることになる。(なりかねない)
まあ軽いインタビューの言葉尻を記者が編集しただけのものですから、別に優平を批判しているわけではないですけど。ただ文字として"残る"言葉ですから、一応修正はしておきたい気がします。
と、選手側の理解問題については一応それで決着をつけたことにして、一方監督側は・・・
永井秀樹監督の「異常なほど高い」理想。ロティーナ監督の称賛も「現状維持は後退の始まり」('21.2.13)
"理想"
「選手の取り組みの部分では80点ぐらいは与えたいと思います。僕の理想は異常なほど高いですが、それを差し引いて75点ぐらいかな。選手はみんなよくやってくれました」
うーん・・・・
これはかなり、ストレートに監督自身の言葉、強調点という感じですね。余り誤解の余地なく。
そして多少引っかかりますね、僕は。
「理想」なのか?。そしてそれは、「異常なほど高い」のか?
まずたかだか極東の2部リーグの中位チームでやっている自分の作業を、"異常なほど"高いと言ってしまう自負心に、どうも引っかかりがあります。恥ずかしげもなくとまでは言いませんが。舞台のレベルや現在までの1年半の客観的成果(主観的にどう思うか自体は止めませんが)を踏まえた上で、そんなに"高い"ことをやっていると思っているのか、あるいは舞台も成果も度外視していいくらいに、世界的にアヴァンギャルドorオリジナルなことをやっていると思っているのか。
まあ思っているのかもしれないし、本当にやっているのかも知れませんけどね。
ただ普通に聴けば、やっぱり違和感は感じます。
逆に"Jリーグとしては"というくらいなら、まあ定期的に褒めてくれる人もいますし、ぎりぎり言えなくはないのかもしれませんけど。
それにしても例えばロティーナやリカルド・ロドリゲスよりレベルが高いと、言えるようなものなのか、まあ別に言っているわけではないので(笑)ロティーナやリカルド・ロドリゲス"並"でもいいですけど、では彼らは自分のやっていることを"異常なほど"高いなどと言うだろうかという。
あるいは"舞台や成果を当面度外視出来るほどオリジナル"ということならば、今治岡田メソッドなどというものもありましたが、あれをどう評価するかは別にして岡田氏があれを言う為にどれだけの状況設定や理論的言語的準備をしているかを考えれば、いかにも"軽い"印象は受けてしまいます。
とどめとして言うならば、北九州なり何なりも含めた2020年のJ1/J2の各チームのサッカーを見て、永井少年/青年が吉武先生と構想を温めていた(らしい)数年前ならともかく、今永井ヴェルディがやってることやれることが、"Jリーグ"水準でもそこまでレベルが高かったりレアだったりするのだろうかという。ちょっと何か、内向きに固まり過ぎているのではないか自画自賛に過ぎるのではないかと、そういう印象は受けます。
そしてより実践的に言うならば、「"異常なほど"高い理想」という認識・性格付けは、ゴールやタイムリミットを曖昧にする、無限延長するという"効果"を、場合によってはもたらしてしまうことになると思います。予防線だなんてことは言いませんが、ある種の弱気や不安の無意識の表れなのかなくらいのことは、まあ。
そもそも「理想」という言い方自体、実は少し気に入らないんですよね。永井ヴェルディのチーム作りのプロセスに感じていたもやもや感(詳しくは後述)と、リンクもするし。どういう"プロセス"感なのか、どういうスピード感なのか。
・・・つまりですね。あくまで例えばではあるんですけど、ペップ・シティを日々&数年間見ていて、ペップが「理想」を追求していると感じることは、実はほとんど無いんですよね。もっと端的に、日々の課題目前の状況を、遥か先の問題としてではなくて今この瞬間解決しようとする、そういうある意味刹那的な作業の実は積み重ねに見える。そういう"切迫"感の方が、ペップとそのチーム作りが帯びているアトモスフィアのメイン。そういう意味では、そんなに例えばモウリーニョと大きな違いがあるようには感じない。立派な勝利至上主義者というか。日常的には。
別な言い方をすると、ペップは自分の作業を「理想」とは位置付けていない気がします。むしろ勝つ為にどうしても「最低限」今やらなくてはいけないこと、その繰り返し。だからこその"切迫"感スピード感。
一般的な目標設定の問題としても、「理想」と「最低限」では、やることは基本的に同じでも作業のスピード感切迫感は全然違って来ると思います。いつか達成すべき素晴らしい理想ではなくて、最低限出来てないと成り立たない立ち行かないと認識しているのでは。人間が死に物狂いになれるのは後者の目標設定ですよね。余程規格外に情熱的な理想主義者じゃない限り。少年漫画の主人公的な。(笑)
ペップにも「理想」はあるでしょう。ただ日々の監督業を駆動しているのは、それとはまた別の次元のタイム感のように、僕には感じられるのです。
ちなみにペップにも"理想を追求している"と感じられる時はあります。それは調子の悪い時です(笑)。就任初年度とか今回調子が上がる前の長めの停滞・不調期間とか。そういう時には、自分の過去の幻や未来のなりたい姿に向けて、果たしてたどり着くことがあるのかなと思わせるスローペースや空回り気味であがいているペップの姿も見えたりします。だから単に調子よく作業が進んでいる時は「理想」モードはかき消されて後退して、上手く行かないと浮かび出るだけ(笑)かもしれないですけど。
ペップ・シティの不調期≒永井ヴェルディの通常運転?
なんて酷いことを!(笑)
いや、まあ、今書いたことを繋げてみたらそういう話になってしまって、あれ困ったなとなっているところです。(笑)
まあそういう嫌味はともかくとして、永井監督よりも天下のペップの方に、より"必死さ"を感じることが多いというのは、別に嘘ではないです。
「開幕してからも、現状維持は後退の始まりだと言ってきているように、毎試合毎試合バージョンアップが必ず必要です。そこはこだわっていきたい」
うーん。これな。
いや、何が問題なのかと思うと思うんですが、例えば去年の年末こんなことを書きました。
>・仮に2分するとしたら永井監督がどちらなのかは、難しいところがあるかもしれませんが。
>・"狂気のポゼッションサッカー"の人として「自分たち」派の究極として、特に"批判"される場合も多いですが。
>・ただその"スタイル"の構築自体の中に「対策」「対応」の思想が色濃く入っているとも思うので。
>・僕自身は、あえて言えば「対策」「対応」派の監督だと思っています。
永井監督は大別するとどういうタイプの監督なのか、スタイル構築派なのか対策・対応派なのか。
いくつかの理由でこの時点では僕は後者という性格付けを一応しておいたわけですけど。
うーん、なんか怪しくなって来た。(笑)
それこそ今言ったばかりの"ペップ結構場当たり主義"論の中では、逆に永井監督を"遠大な目標に向けて気長にスタイル構築"をしている人として描き出したわけですし。
今回の個所で引っかかっているのは、「毎試合バージョンアップ」という言葉なんですよね。
つまり"場当たり主義"論で言うならば、問題となるのは"毎試合のバージョンアップ"ではないんですよ。その都度の行き詰まりや困難を打開する為の努力や工夫が問題なのであって、逆に言えば行き詰まらなければそのままでいいわけです。別に"バージョンアップ"は必要ないわけです。少なくとも"毎試合"は。勝つ為にやってるので、勝ててるなら変える必要は無いわけです。
"不断のバージョンアップが毎試合必要"というスケジュール感というのは、要するに究極理想のスタイルの構築に向けて遠大な努力を続けるというチーム作り像、プロセス感のものだと思います。勝つ為というより理想の為。到底「対策・対応」型のものとは言えない。
勿論二分する必要ないと言えば必要ないんですけどね。"不断の努力"自体は、どうあれ必要ですし。一般論として。(笑)
そういう"一般論"を述べているという部分は当然ありつつも、しかしそれ以上に/それ以外に、どうも永井監督の"チーム作り"の一つの傾向というか性格というか偏りというか、そういうものを言葉のニュアンスとして、今回僕は感じてしまったという話。
最近新たに強化された"ペップ・シティ"の印象と、それとの比較での永井ヴェルディのある種の悠長さというかスピード感の不足の実感と疑問への、一つの答えとして。彼はやはり"スタイル"派なのかなという。
"スタイル"派にしてはチームを全体として形成しようとするグリップ力が弱いなという印象から、"対策・対応"派という結論も出してみたんですが、違うのかな。"弱いスタイル"派の方だったのかな、その後で書いている。
・・・3つ目として、再び2.14の方の記事(『佐藤優平が喜び挑む「脳内猛レース」。「監督の進化に追いついていかなければ」』)から。
"ギュンドアン"という一つの解答
「いまはシュートの選択肢が最優先だと監督は言っています。打つところは打つ、チャレンジするパスは出す、というようにどんどん変わっていっているんです。ボールを持つだけではないんだよ、ということは、選手の頭の中にどんどん入ってきています」
「去年までは決めきるところで迫力が欠けていました。ゴール前の迫力、人数のかけ方、ボールの運び方で少しずつチャレンジが増えてきています。ゴールに直結するプレーが求められていますね。結果を出さないと試合には勝てないのは、1年半やってきて全員が分かっていること。得点に直結するプレーが最優先で求められています」
「自分たちはつなぐことがメーンとされていますけれど、裏でフリーになるならそこを選択するし、ドリブルで運んでシュートを打つことも選択肢になります。きれいなサッカーと言われてきたけれど、強引さも必要だし、ゴール前の迫力に欠けているのは明らかで、もう少し泥臭く変わっていかないとこじ開けられない」
監督の/チームの進化という話の流れで出て来た、最近の重点ポイント。
とにかくシュートだゴール前だもっと強引に泥臭くと言ったワード(標語)が並んでいるわけですが、さてどうなのか。
それが"進化"なのか。少なくとも永井戦術の。
点が取れるようになること自体は、どんなチームにおいても「強化」には違いないわけですけど、その為に"ゴール前"や"最後のところ"に力点を置くというのはアプローチの可能性の一つであって、そしてあんまり"永井戦術"そのものの延長に見えるものには思えないんですよね。「強化」ではあっても「進化」ではないのではないかというか。だから駄目とは言いませんけど。
かたや今回のもう一方の主役ペップ・シティがどのように復活したかというと、周知のように別に"ゴール前"が強化されたからではない。頼みの綱のアグエロは長らく欠場したままですし、ジェズスやスターリングの"宿題"は一進一退ですし、代わりの"ストライカー"が新たに補強された訳でもない。あくまで"崩し"の質を高める、チャンスの数を無限に増やすという、基本方針は変わらないままに、カンセロのような新要素を加えつつの全体の機能性の良化によって、基本的には復調したはずです。(それ以前に守備の強化が先行しているという話はまた別にありますが)
ただそういう「正論」は正論として、もっと端的な誰にでも分かる(笑)"新要素"としてやはり無視できないのが、アンカーorボランチから新たにインサイドMFとしてフル活用されるようになって開花した、ギュンドアンの得点力。・・・開花というか、狂い咲きというか。(笑)
そこにおけるギュンドアン個人の改めての確認された能力の高さは勿論として、もう一つやはり「端的」に印象深いのが、中央からゴール前に出て行く得点力の高い選手(MF)という要素の、分かり易い有効性。ペップのチームの歴史においても、これまでさほど目立っていなかった要素としての。
個人的な感慨として非常に印象深いのは、なるほどギュンドアンみたいな選手が中盤にいれば、別に殊更「戦術」として「偽9番」のような仕掛けを用意しなくても、勝手に/自然にセンターフォワードはいかにギュンドアンの為にゴール前のスペースを"空ける"かということを考えるし、ポジションチェンジはスムーズに行われるよなということ。
勿論そうした「仕掛け」自体も基本戦術として用意はされているわけですが、ギュンドアンの存在がそれに命を吹き込んだというかより説得力を持たせたというか。それゆえの威力。
"戦術"的に言うならば、従来メイン的に使われて来た3トップの"横"の入れ替わりに対して、(無かったわけではないですが)"縦"のベクトルの強化、再設定。
翻って永井ヴェルディにおいてここらへんがどうかというと、やはりメインで考えられているのは、その名称が示唆するようにセンターのフリーマンとサイドのワイド"ストライカー"との間の「横」の入れ替わりなわけですね。
「縦」が無いわけではないですが、メンバー編成的にも"前"に出る力を特徴とする選手が中盤に置かれることは基本的に無かった。一瞬澤井直人が置かれたりすることもありましたが。そしてそうした時そのプレー/存在の有効性を指摘・主張する人もいたわけですが、ただそれをチーム全体の中でどのようにどのような比重で位置付けるべきなのか、僕もよく分からなかった。基本的にはやはり、監督の"狙い"の方を、先に考えるべきではあるでしょうし。チーム全体に、まだ未完成感も濃い中で。
それが・・・。まああけすけに言えば、「ペップもやってるんだからいいのか」と、そういう心境になったという話です(笑)。その目覚ましい有効性の例示と共に。
少なくともそこを強化しても、必ずバランスが崩れる基本戦術が揺らぐわけではないんだなと。シティはシティではあるんでしょうけど、最終的に。そして永井ヴェルディは永井ヴェルディで。
一応言っておくと、今のギュンドアンのようなプレーがペップの戦術の中核部分には無かったのだろうということは、他ならぬギュンドアンが在籍自体は5年目でもこれまでほとんどそういう使われ方をして来なかったことに、表れているだろうとは思いますが。ここまでやるとまでは思っていなくても、今のようなプレーが"出来る"選手だということ自体は、シティ・ファンのほとんどが最初から分かっていたことだと思います。少なくともアンカーとかよりは(笑)。フェルナンジーニョの代わりよりは。(笑)
とにかく"ゴール前頑張れ!"よりは、こちらの方が「方法」らしいかなと、自分で考えたわけではないですがシティにおけるギュンドアンのプレーを見ていて、思ったという話です。
凄く当たり前の方法ですけど、気持ちコロンブスの卵というか。
今年加入した選手の中では、梶川諒太なんかは、割りとそういう要素のある選手には思いますが。他にも例えば僕のよく知らない若手の中に、そういうプレーの出来る選手がいたりしないものか。
まあ具体的には、見てからですね。
以上、特にペップ・シティとの比較という視野における、今僕の(心の)目に映る"永井ヴェルディ"という話でした。
開幕前にして妙に悲観的な展望も含まれていたりはしましたが、より"上"を見る上では無視できない側面だとは思ったので。