2021年06月01日 (火) | 編集 |
J1第14節 神戸 △1-1△ C大阪(ノエビアスタジアム神戸)→先発。57分イニエスタと交代。
ルヴァン杯Gステージ第6節 神戸 〇3-0● 徳島(ポカリスエットスタジアム)→メンバー外
J1第15節 神戸 ●0-2〇 浦和(埼玉スタジアム2002)→サブ。不出場。
J1第16節 神戸 〇2-1● 柏(三協フロンテア柏スタジアム)→サブ。不出場。
J1第17節 神戸 △1-1△ 鳥栖(ノエビアスタジアム神戸)→メンバー外
・・・5試合で結局最初の57分以降不出場で、潮音個人についてはほとんど書くことが無く、かつ直近鳥栖戦では恐らくコンディション以外の理由で初めてのリーグ戦ベンチ外と、いよいよ立場が危うい近況ですが。
出てないものはしょうがないのでそれについてはまあ復活を祈っておくとして、今回はその出番減の最大の理由でもあろう神戸の外国人戦力の充実化とそこからある程度結論的に見えて来た三浦監督のチーム作りの特徴を、一回まとめておこうかなと。
振り返ってみて、日本人選手については大きな故障者もなく開幕からほとんど変わらない陣容の神戸ですが、その分外国人選手の出入りで分かり易く戦力・陣容に変化がもたらされています。
開幕時点でいたのは、DFフェルマーレン、MFサンペール、FWドウグラスの3人。
フェルマーレンはベルギー代表で、サンペールはコンデイション的理由でたまに外れますがそれ以外はほぼ出ずっぱり。サブから出発したドウグラスは先発に定着しかかるも、3/17のリーグフロンタ戦を最後にしばらくベンチ外に。(故障でしょうね)
そこから
4/17 ルヴァン湘南戦でMF/FWマシカが初出場
4/24 リーグ鹿島戦でマシカ初先発、FWリンコン初出場
5/1 リーグ広島戦でMFイニエスタが初出場
5/5 ルヴァンFC東京戦でリンコン初先発
5/15 リーグセレッソ戦、ドウグラス久々のベンチ入り、からの
5/19 ルヴァン徳島戦で交代出場
5/22 リーグ浦和戦イニエスタ初先発
5/26 リーグ柏戦ドウグラス久々の先発
と徐々に"集合"が進み、直近5/30リーグ鳥栖戦では、フェルマーレン、サンペール、イニエスタ、ドウグラスと4人の外国人選手が初めて先発で揃い、サブにはマシカが控える充実の陣容に。(リンコンは故障離脱中。)
その過程で見えて来たのは・・・なんか今更に聴こえるでしょうが、三浦監督の"属人"体質。分かってはいたけれど、予想の更にその上の。
"外国人"という分かり易い大駒の増減ごとに、あからさまに見えたそれというか。ほぼそれしかないのねという、基準が(笑)。なんて正直なというか。(笑)
選手で決める(例・戦術古橋)、選手で変わる(例・イニエスタのいる時いない時)、それは勿論そうなんですが。
それとは別に一応ある戦術らしきものの、その遂行自体において特定の選手の能力を極端に頼るので、むしろ"戦術"を遂行しようとすればするほど逆に"属人"性が高まるという、底なし沼のような事態に。(笑)
その"沼"の底に引きずり込まれたが最後、物理的な選手の欠損でもないと、逆転はかなり難しそうだなという、近況の芳しくない潮音にとってのやや絶望的な展望でもあります。(監督にとって)代わりのいない選手の"代わり"は、論理的に出来ないのでね(笑)。"ライバル"になる資格すら、事実上ほとんどの選手には与えられていない。
具体的に言うと一つは勿論、古橋の使い方。
前目に外国人が不在な時は、サンペールや山口蛍や時にフェルマーレンからの縦一本のパスでひたすら裏を狙わせる、1トップ古橋個人の能力と労働量に全賭けするその"威力"含めてある種「名物」感(笑)すら漂うご存知戦術古橋。
それで(見方にもよりますが)それなりの勝ち点を稼ぎつつも、しかしイニエスタがいる時は100%、ドウグラスやリンコンが元気な時も高確率で、"全賭け"していたはずの古橋をあっさり2列目に落として普通に"雑務"を(も)担わせる、変わり身の早さというか何というか。
この流れの問題は、まずは勿論"全賭け"した時の古橋の負担の重さとチームとしての選択肢の少なさがあるわけですが、ただそれはそれで一定の結果は出ていたわけですし、能力に限りのある監督の選択・割り切りとしては無くはないとは言えたと思います。"狭い"ことによってかえってチームが集中したいた結束していたという面も、見えなくはなかったと思いますし。
ところがそれを、駒が増えて来たことによって、あっさりとひっくり返してしまう。ほとんど無かったことにしてしまう。特殊な責任感によって過大な負担に耐えていた特別な選手だった筈の古橋に、はい今日から普通の仕事をしてね?でも仕事量は今まで通りね平均キャパ110%でお願いと申し渡すような、僕から見ると"非情"な采配。それでもそう簡単にへこたれない古橋ではありますが、心身のバランスが崩れて変な怪我でもしないかと、冷や冷やしながら見ていたりします。
ただ恐らく三浦監督の関心はそういうところに無くて、では何にあるかと言えばそれは"イニエスタ"。シンプルに。イニエスタが帰って来たから、イニエスタに合わせたサッカーを今度はしようポゼッションだ、戦術古橋から戦術イニエスタだ、それはそれこれはこれなので、古橋の役割も自動的に変わってその意味とかは別に気にしない。まあちょうど使いたい外国人FWも増えたしと。
チームの機能性や今季のここまでなどを総合的に見れば、イニエスタが加わったからと言って(FW)古橋の"縦"を捨てる必要は無い、上手く組み合わせればいいじゃないかというか普通にそうするもんだと僕は思っていましたが、あっさり古橋のポジションごと変わってしまってびっくりしました(笑)。調整や融合を、試す気配もない。古橋との"心中"に一面の割り切りと覚悟の美を見ていたのは、幻だったようで(笑)。熱く愛は語るけど、相手は誰でもいいのね、義理も人情もないのね。
よりサッカー的に問題だと思うのは、要は「イニエスタ」がいないと「ポゼッション/パスサッカー」は出来ないという、そういうシンプルな思考なようなこと。だからこそいきなり"別"のチームにするわけで。チームとしてボールを運ぶという発想がハナから欠けているらしいというのと、それにしても"イニエスタ"かよという。高齢でもあるし、一方で余りにも"天下の"イニエスタであるし。徹頭徹尾"代わり"がいなくて、またもや結局全賭けなのねという(笑)。まあイニエスタへの全賭けは意図的、古橋のは成り行きという性格が強いとは思いますが。何にせよ1点突破の属人手法。
「司令塔」がいるから「パス」を繋ぐという、言語的にも実感的にも、冗談でなく15~20年前くらいのサッカーの感覚だなという。そしていなければスーパーFWにお任せ。誰か少し真面目に論じてる神戸サポがいましたけど(名指しできるけど面識ないので(笑))、あえて言えば"イタリア"的な感覚なのかもしれない。セリエA的な。まあそういう世代の選手ではありましたけどね、一応イタリア留学経験などもありましたし。(笑)
往時イタリア金満チーム(特にインテルかな)のようなサッカーを、たまたま金満チームの監督に就任しちゃったのでやっている/やれているという。いずれにしても、"バルサ化"に是とか非とか言えるような立ち位置に、"時代"感の中にはいない感じ。
話戻してもう一つの、「戦術」が「属人」を深めるという話。
要はなぜかこだわりがあるらしい、"最終ラインからのビルドアップ"の話ですけど、フェルマーレンがいる時はとりあえずフェルマーレンにお任せ出来る、でもいない時は小林友希や菊池流帆や大崎玲央といった日本人CBとしてはそれなりの能力のある選手でシステム的にやりくりするのではなくて、単純に中盤のサンペールを下ろして来てやらせる。そしてサンペールもいない時は・・・山口蛍を下ろす。(笑)
蛍を下ろした時は、のけぞりましたね。既にサンペールを下ろした時点で下ろした後の中盤に特に手当てがなされずに、仮に最後尾の組み立てが向上したとしても差し引きプラスなのかという問題があからさまに出ていたわけですが、更に蛍にまで下りられると・・・。そして誰もいなくなった状態で。(笑)
こだわり自体の理由や効果への疑問も頻繁に呈されているわけですがそれは置いておくとして、僕が"興味"があるのはそれを実現する為の三浦監督のやり方。基本的には"ポゼッション"には"イニエスタ"が必要であるというのと同じパターンの思考ではあるわけでしょうが、フェルマーレン→サンペール→山口蛍と次々と"依存"相手をリレーして行く三浦監督の振る舞いを見ていると、何かより切ないというか切実な"本能"のようなものが感じられて、苦笑いしてしまいます。ある意味やむにやまれぬ行動なんだろうなと。
基本的に、もうどうしようもなく個人の能力しか信用出来ないというかそれを基にしてしかサッカーを見られない人なんでしょうね。"方法"意識とかいう以前に。恐らく自分自身が怪物的な天賦能力を持った選手であったことと、関係してるんでしょうが。そこらへんの"どうしようもない"感じとして思い出すのは、やはり(日本代表監督としての)ジーコですか。そういうレベル。ラモスよりもむしろアツの方が、業が深いというか"業"任せでやってる部分は大きい気がします。
細かいことを言うと、中盤から前線にかけての"その他大勢"の中では郷家友太選手の優先順位が常に高いのも、要はガタイがいい(183cm74kg)/身体能力が高いことから来る漠然とした信頼感なのではないかなと。潮音や中坂など他の便利系選手の中で。広義の(深層の?)個力主義の一環としての。
(後ろの方も含めて)大駒と大きい/強い選手だけで、出来れば11人を埋め尽くして安心したい志向。
外国人選手が出揃って来て、ほぼ実現しつつありますが。
とにかくそういう人だというのが、今の見え方ですね。"属人"的と言ってもそれを"方法"として意識してやっている監督もいますが(アルディレスとか)、アツは多分違って自分をそういう人だとはあんまり思ってない。別の自分的には"戦術"的な配慮の中でチーム運営をしながら、しかし気が付くと"引力"としてどうしようもなく属人的な決定因に引きずり込まれる感じ。
そうした中での潮音の立場は将来はということを書き始めるとまた長くなりそうですし、一方で今後ますますここで書くことは欠乏しそうでもあるので(笑)、また今度にでも。次いつ出番があるのか、かなり心許ない現状ですが。
一つだけ言うとすれば、これまでの起用法を見てもまた例えば最も最近のサンペールの欠場試合(15節浦和戦)においてそのポジションで使われたのが郷家であることからも分かるように、基本的に中央/ボランチで使うというイメージは監督の中には無い、従って同じく中央でイニエスタのバックアップ的に使われる予定も無いわけでしょうから、ポジション的には結局サイドで頑張るしかないということは言えるでしょうね。
頑張ったとて、という感じもしなくはないですがそこらへんはまた新たなデータ(?)も出来れば加えてまた今度。
辛い。(笑)
ルヴァン杯Gステージ第6節 神戸 〇3-0● 徳島(ポカリスエットスタジアム)→メンバー外
J1第15節 神戸 ●0-2〇 浦和(埼玉スタジアム2002)→サブ。不出場。
J1第16節 神戸 〇2-1● 柏(三協フロンテア柏スタジアム)→サブ。不出場。
J1第17節 神戸 △1-1△ 鳥栖(ノエビアスタジアム神戸)→メンバー外
・・・5試合で結局最初の57分以降不出場で、潮音個人についてはほとんど書くことが無く、かつ直近鳥栖戦では恐らくコンディション以外の理由で初めてのリーグ戦ベンチ外と、いよいよ立場が危うい近況ですが。
出てないものはしょうがないのでそれについてはまあ復活を祈っておくとして、今回はその出番減の最大の理由でもあろう神戸の外国人戦力の充実化とそこからある程度結論的に見えて来た三浦監督のチーム作りの特徴を、一回まとめておこうかなと。
振り返ってみて、日本人選手については大きな故障者もなく開幕からほとんど変わらない陣容の神戸ですが、その分外国人選手の出入りで分かり易く戦力・陣容に変化がもたらされています。
開幕時点でいたのは、DFフェルマーレン、MFサンペール、FWドウグラスの3人。
フェルマーレンはベルギー代表で、サンペールはコンデイション的理由でたまに外れますがそれ以外はほぼ出ずっぱり。サブから出発したドウグラスは先発に定着しかかるも、3/17のリーグフロンタ戦を最後にしばらくベンチ外に。(故障でしょうね)
そこから
4/17 ルヴァン湘南戦でMF/FWマシカが初出場
4/24 リーグ鹿島戦でマシカ初先発、FWリンコン初出場
5/1 リーグ広島戦でMFイニエスタが初出場
5/5 ルヴァンFC東京戦でリンコン初先発
5/15 リーグセレッソ戦、ドウグラス久々のベンチ入り、からの
5/19 ルヴァン徳島戦で交代出場
5/22 リーグ浦和戦イニエスタ初先発
5/26 リーグ柏戦ドウグラス久々の先発
と徐々に"集合"が進み、直近5/30リーグ鳥栖戦では、フェルマーレン、サンペール、イニエスタ、ドウグラスと4人の外国人選手が初めて先発で揃い、サブにはマシカが控える充実の陣容に。(リンコンは故障離脱中。)
その過程で見えて来たのは・・・なんか今更に聴こえるでしょうが、三浦監督の"属人"体質。分かってはいたけれど、予想の更にその上の。
"外国人"という分かり易い大駒の増減ごとに、あからさまに見えたそれというか。ほぼそれしかないのねという、基準が(笑)。なんて正直なというか。(笑)
選手で決める(例・戦術古橋)、選手で変わる(例・イニエスタのいる時いない時)、それは勿論そうなんですが。
それとは別に一応ある戦術らしきものの、その遂行自体において特定の選手の能力を極端に頼るので、むしろ"戦術"を遂行しようとすればするほど逆に"属人"性が高まるという、底なし沼のような事態に。(笑)
その"沼"の底に引きずり込まれたが最後、物理的な選手の欠損でもないと、逆転はかなり難しそうだなという、近況の芳しくない潮音にとってのやや絶望的な展望でもあります。(監督にとって)代わりのいない選手の"代わり"は、論理的に出来ないのでね(笑)。"ライバル"になる資格すら、事実上ほとんどの選手には与えられていない。
具体的に言うと一つは勿論、古橋の使い方。
前目に外国人が不在な時は、サンペールや山口蛍や時にフェルマーレンからの縦一本のパスでひたすら裏を狙わせる、1トップ古橋個人の能力と労働量に全賭けするその"威力"含めてある種「名物」感(笑)すら漂うご存知戦術古橋。
それで(見方にもよりますが)それなりの勝ち点を稼ぎつつも、しかしイニエスタがいる時は100%、ドウグラスやリンコンが元気な時も高確率で、"全賭け"していたはずの古橋をあっさり2列目に落として普通に"雑務"を(も)担わせる、変わり身の早さというか何というか。
この流れの問題は、まずは勿論"全賭け"した時の古橋の負担の重さとチームとしての選択肢の少なさがあるわけですが、ただそれはそれで一定の結果は出ていたわけですし、能力に限りのある監督の選択・割り切りとしては無くはないとは言えたと思います。"狭い"ことによってかえってチームが集中したいた結束していたという面も、見えなくはなかったと思いますし。
ところがそれを、駒が増えて来たことによって、あっさりとひっくり返してしまう。ほとんど無かったことにしてしまう。特殊な責任感によって過大な負担に耐えていた特別な選手だった筈の古橋に、はい今日から普通の仕事をしてね?でも仕事量は今まで通りね平均キャパ110%でお願いと申し渡すような、僕から見ると"非情"な采配。それでもそう簡単にへこたれない古橋ではありますが、心身のバランスが崩れて変な怪我でもしないかと、冷や冷やしながら見ていたりします。
ただ恐らく三浦監督の関心はそういうところに無くて、では何にあるかと言えばそれは"イニエスタ"。シンプルに。イニエスタが帰って来たから、イニエスタに合わせたサッカーを今度はしようポゼッションだ、戦術古橋から戦術イニエスタだ、それはそれこれはこれなので、古橋の役割も自動的に変わってその意味とかは別に気にしない。まあちょうど使いたい外国人FWも増えたしと。
チームの機能性や今季のここまでなどを総合的に見れば、イニエスタが加わったからと言って(FW)古橋の"縦"を捨てる必要は無い、上手く組み合わせればいいじゃないかというか普通にそうするもんだと僕は思っていましたが、あっさり古橋のポジションごと変わってしまってびっくりしました(笑)。調整や融合を、試す気配もない。古橋との"心中"に一面の割り切りと覚悟の美を見ていたのは、幻だったようで(笑)。熱く愛は語るけど、相手は誰でもいいのね、義理も人情もないのね。
よりサッカー的に問題だと思うのは、要は「イニエスタ」がいないと「ポゼッション/パスサッカー」は出来ないという、そういうシンプルな思考なようなこと。だからこそいきなり"別"のチームにするわけで。チームとしてボールを運ぶという発想がハナから欠けているらしいというのと、それにしても"イニエスタ"かよという。高齢でもあるし、一方で余りにも"天下の"イニエスタであるし。徹頭徹尾"代わり"がいなくて、またもや結局全賭けなのねという(笑)。まあイニエスタへの全賭けは意図的、古橋のは成り行きという性格が強いとは思いますが。何にせよ1点突破の属人手法。
「司令塔」がいるから「パス」を繋ぐという、言語的にも実感的にも、冗談でなく15~20年前くらいのサッカーの感覚だなという。そしていなければスーパーFWにお任せ。誰か少し真面目に論じてる神戸サポがいましたけど(名指しできるけど面識ないので(笑))、あえて言えば"イタリア"的な感覚なのかもしれない。セリエA的な。まあそういう世代の選手ではありましたけどね、一応イタリア留学経験などもありましたし。(笑)
往時イタリア金満チーム(特にインテルかな)のようなサッカーを、たまたま金満チームの監督に就任しちゃったのでやっている/やれているという。いずれにしても、"バルサ化"に是とか非とか言えるような立ち位置に、"時代"感の中にはいない感じ。
話戻してもう一つの、「戦術」が「属人」を深めるという話。
要はなぜかこだわりがあるらしい、"最終ラインからのビルドアップ"の話ですけど、フェルマーレンがいる時はとりあえずフェルマーレンにお任せ出来る、でもいない時は小林友希や菊池流帆や大崎玲央といった日本人CBとしてはそれなりの能力のある選手でシステム的にやりくりするのではなくて、単純に中盤のサンペールを下ろして来てやらせる。そしてサンペールもいない時は・・・山口蛍を下ろす。(笑)
蛍を下ろした時は、のけぞりましたね。既にサンペールを下ろした時点で下ろした後の中盤に特に手当てがなされずに、仮に最後尾の組み立てが向上したとしても差し引きプラスなのかという問題があからさまに出ていたわけですが、更に蛍にまで下りられると・・・。そして誰もいなくなった状態で。(笑)
こだわり自体の理由や効果への疑問も頻繁に呈されているわけですがそれは置いておくとして、僕が"興味"があるのはそれを実現する為の三浦監督のやり方。基本的には"ポゼッション"には"イニエスタ"が必要であるというのと同じパターンの思考ではあるわけでしょうが、フェルマーレン→サンペール→山口蛍と次々と"依存"相手をリレーして行く三浦監督の振る舞いを見ていると、何かより切ないというか切実な"本能"のようなものが感じられて、苦笑いしてしまいます。ある意味やむにやまれぬ行動なんだろうなと。
基本的に、もうどうしようもなく個人の能力しか信用出来ないというかそれを基にしてしかサッカーを見られない人なんでしょうね。"方法"意識とかいう以前に。恐らく自分自身が怪物的な天賦能力を持った選手であったことと、関係してるんでしょうが。そこらへんの"どうしようもない"感じとして思い出すのは、やはり(日本代表監督としての)ジーコですか。そういうレベル。ラモスよりもむしろアツの方が、業が深いというか"業"任せでやってる部分は大きい気がします。
細かいことを言うと、中盤から前線にかけての"その他大勢"の中では郷家友太選手の優先順位が常に高いのも、要はガタイがいい(183cm74kg)/身体能力が高いことから来る漠然とした信頼感なのではないかなと。潮音や中坂など他の便利系選手の中で。広義の(深層の?)個力主義の一環としての。
(後ろの方も含めて)大駒と大きい/強い選手だけで、出来れば11人を埋め尽くして安心したい志向。
外国人選手が出揃って来て、ほぼ実現しつつありますが。
とにかくそういう人だというのが、今の見え方ですね。"属人"的と言ってもそれを"方法"として意識してやっている監督もいますが(アルディレスとか)、アツは多分違って自分をそういう人だとはあんまり思ってない。別の自分的には"戦術"的な配慮の中でチーム運営をしながら、しかし気が付くと"引力"としてどうしようもなく属人的な決定因に引きずり込まれる感じ。
そうした中での潮音の立場は将来はということを書き始めるとまた長くなりそうですし、一方で今後ますますここで書くことは欠乏しそうでもあるので(笑)、また今度にでも。次いつ出番があるのか、かなり心許ない現状ですが。
一つだけ言うとすれば、これまでの起用法を見てもまた例えば最も最近のサンペールの欠場試合(15節浦和戦)においてそのポジションで使われたのが郷家であることからも分かるように、基本的に中央/ボランチで使うというイメージは監督の中には無い、従って同じく中央でイニエスタのバックアップ的に使われる予定も無いわけでしょうから、ポジション的には結局サイドで頑張るしかないということは言えるでしょうね。
頑張ったとて、という感じもしなくはないですがそこらへんはまた新たなデータ(?)も出来れば加えてまた今度。
辛い。(笑)
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