2021年08月07日 (土) | 編集 |
グループステージ
日本U-24 ○1-0● 南アフリカU-24 (東京スタジアム)
日本U-24 ○2-1● メキシコU-24 (埼玉スタジアム2002)
日本U-24 ○4-0● フランスU-24 (横浜国際総合競技場)
決勝トーナメント
日本U-24 ○0-0(4PK2)● ニュージーランドU-24 (茨城カシマスタジアム)
日本U-24 ●0-1〇 スペインU-24 (埼玉スタジアム2002)
3位決定戦
日本U-24 ●1-3〇 メキシコU-24 (埼玉スタジアム2002)
総評
・壮行試合あたりでも感じてはいましたが、"横内"ジャパン(笑)はともかくとして、"森保"ジャパンとしての割と片手間な感じの強化の過程を思い返すと、結構きっちり仕上げて来たまとめて来たなと感じさせるチームではあったと思います。
・さすが連覇を含む3回のJ1優勝に広島を導いた監督だけのことはあるなと。ちゃんと「目標」には合わせて来る「締切」には間に合わせて来るなと。
・やっぱりどのカテゴリーだろうとどのレベルだろうと、"勝たせる"監督は"勝たせる"監督なんですよね。目標や日程やレギュレーションに、いかにきっちりチームの資源を集中してフィットさせて来るか、そのこと自体に"戦術"のいかんはあんまり関係ない。
・恐らく今後サッカーがどのように変わっても、やるのが人間である限り"種"としてのヒトに大きな変化が無い限り(笑)、ここらへんの問題、"手腕"の次元は存在し続けるんだろうと思います。
・"永久に作業途中"な感じのまま勝ちまくるのは、ペップくらいのもので。(笑)
・そのペップですら、"合わせられない"弱さは折に触れて多くの人の目に現れてはいるわけで。
・というわけで恐らくは僕も含む多くの人の予想以上の奮闘を見せた我らが五輪代表チームですが、3決で負けて4位という結果だけでなく、内容的にもロンドンの関塚ジャパンと、よく似ているというか似たり寄ったりというか。ある意味で。結果的に。
・そのように見えてしまいます。
・ちょうどきっちり限界値というか。こういうタイプのチームの。
・どういうタイプでどういう内容なのかというと。
・集中した"一芸"を携えて大会にいい入りをして、勢いのまま勝ち上がるが、ピークは最初で徐々にガス欠&ネタ切れを起こして後は終わりまでひたすら尻すぼみという、そういう印象。
・もうちょっと具体的に言うと"一芸"というのはロンドンチームの場合は、永井謙佑の爆速鬼神プレスからのショートカウンター、東京チームの場合は主に林が踏ん張って作ったスペースを使って久保・堂安ら2列目の超絶技巧連鎖で崩す形。
・他にも色々あるように、楽な試合や楽な相手の時は見えなくもないわけですが、消耗して来たり相手が厳しく対応してきたりすると、要するにそれしかないというのが浮き彫りになりますね。
・ひたすらそれで何とかする、一種の"パワープレー"。
・ちなみに今回は最後の最後にようやく三苫と上田が本領を発揮して"決勝トーナメント以降無得点"の究極の尻すぼみだけは逃れたわけですが、あれはひょっとしたら"あったかもしれない"第二の陣だったかも。
・ただ全体的にはNZ戦・スペイン戦の沈黙/凪感が示すように、"尻すぼみ"感は否めなかったと思います。
・観念的&理念的に言うと、爆速ショートカウンターにしろ超絶技巧コンボにしろ、要は"無秩序"を生み出す混沌に乗じるのが「和式」アタックの基本な訳ですが。
・短期間に繰り返しやってると相手が慣れるのと同時に自分たちも慣れる、"無秩序"なりに「型」として可視化されて来てしまうところがあって、段々瞬発力が無くなって来るんですよね。
・エネルギー源としての「混沌」との連絡が細くなるというか。
・芸が痩せるというか。(笑)
・(一発屋の悲しさというか)
・とにかくどんなチームも消耗して行くのは同じなんですが、日本の場合は特に、万事フレッシュな大会当初がピークで、後は落ちるだけというかメッキが剝がれるに任せるだけみたいな感じが強くて、ロンドン・東京と2回それを見ると、若干悲しくなるというかやはり限界は感じざるを得ないというか。
・それが"失敗"例ではなくて相対的にはむしろ"成功"したチームの話だというのが、何とも。
・まあ実績(とそこから来る余裕)の無い国なんてそんなものかも知れませんが、たまには尻上がりとかやりながらの変化とか発展とか、見てみたいもの。
・せめてその"最初の勢い"の落ちるところが、メダル圏内優勝争いまで届いていれば、贅沢も言わないんですけど。
・でも正直本当に希望・予感の無い、決勝トーナメントだったと思います。切れないように粘ってるだけというか(それも最後に切れたか)。"4位"という結果が全く立派じゃないとは、言いませんけど。
和式・ポゼッション・ゲームモデル
・おお、なんか立派なタイトルだな。
・いや、そんな大した話ではないんですけど勿論、僕がするからには。
・今回の森保U-24チームが披露した和式超絶技巧コンボサッカー(攻撃)は恐らく和式の歴史(笑)の中でも最上クラスのものであり、また全体のバランスとしても同じ監督で同じサッカーを基本的にやっているフル代表よりも、むしろ隙無くデザインされたものではないかと思うわけですが。
・だからこそ運や勢いに恵まれつつも、グループリーグ3連勝なんてことも出来た。
・ただむしろ出来がいいからこそ、フル代表のような分かり易い粗が見えづらいからこそ逆に、和式が和式である限界や不満みたいなものを、僕は強く感じてしまったんてすよね。
・修正ではなく根本に目が向いたというか。
・それは一言で言えば、これはつまり(僕の)"和式"の定義そのものでもあるわけですけど、スペースの均等で連続的な使い方が出来てないということ。
・中やら外やら、狭い所やら広い所やら、このチームもそれなりに振り幅を持ってスペースを使おうとはしていますし、その中で主に久保・堂安らの個人戦術やセンスでもって使える"スペース"を見つけ出すことも少なからず出来てはいたわけですけど、いかんせん結局場当たりというか不連続というか、点は点でしかないというか。
・仮に狭いのが得意ならば狭く使ってもそれはいいと思うんですけど、ただその"狭さ"が"広さ"とのor他のスケールとの有機的な関係の中で、均等で連続的なスペース把握の中で選ばれている決められている、そういう感覚が無い。
・普段見ているシティなりユーロなり、あるいは永井ヴェルディとの比較においても。
・...気が付くと随分慣れちゃってますけどね僕も洋式に(笑)。最早皮膚感覚として。
・とにかく連続的ではなくて、要はそれぞれの癖というか主観的な身体感覚メインで狭さ広さが決められているので、技術やセンスで結果有効なプレー自体は出来ていても、やはり効率が悪いというか精力の無駄遣いというか、力ずくというか、そういうプレーが多い。
・そのことが相手のレベルや警戒が高まった時に、自身の疲労以上に障害になっていたように僕には見えました。疲労はむしろ、"無駄遣い"が実を結ばないことが繰り返されることによって、蓄積する感じ。それくらいには日本の選手はタフ。
・勿体ないなあと、あるいは同じ技術やセンスを、より客観的で連続的で、その分個人の負担やある意味責任の軽い/最小化された状態で使わせてやりたいなあと、使っているのを見たいなあと、苦戦している時は勿論優勢な試合でも、思いながら見ていました。
・狭過ぎるのも広過ぎるのも、負担には決まってますから。自ずと決まる必要十分な狭さと必要十分な広さで。ヨーロッパの選手のように。
・勿論"森保ジャパン"としては、かなり最適化されたプレーではあったんでしょうけどね。出来ることはやっていたというか。
・まとめて言えば、要は"ポジショナルプレー"ということにはなるんでしようけどね。
・そこに集約するのが簡単というか。基礎教養としての。
・それは一応それとして、一方で気になるのは、これはなでしこを見ていてもそうなんですが、基本ボール回せないよなあということ、あるいは気が付くと有力選手のほとんどがドリブラータイプだよなあということ。
・つまりですね、ぶっちゃけ今日本人は、あるいは"日本代表"は、素でパスサッカーとか出来るのかなポゼッションとか出来るのかなということ。
・勿論あらかじめ"ポジショナルプレー"的なシステマティックな機構を作っておけば、ほとんどどの国でもどのチームでも、それなりに有効なポゼッションサッカーパスサッカーが出来るということは、世界のサッカーを見ていれば今は問答無用に分かるわけですけど。
・そういう特別な"仕掛け"無しにということ。
・それこそ「洋式」を拒絶して、「和式」にこだわるならば。
・昔は出来たわけですよね。割と最近までは、間違いなく。
・そもそも"ポジショナルプレー"なんてものが一般教養化したのはつい最近なわけで、その前から人類(笑)は延々サッカーをやっていたわけで。その中に"パスサッカー"派"ポゼッション"(という言葉かはともかく)派も、必ず一定数いたわけで。
・また"日本"に限った話で言うならば、例の"暗黙のゲームモデル"のような形で、特段の打ち合わせや訓練が無くても"何となく"出来てしまうパスサッカーらしきものの"伝統"というか手癖のようなものも、認識されていたわけですし。
・ただ、それは「今」どうなっているのかというのが僕の疑問。
・"ポジショナルプレー"という形での整然とした"パスサッカー"を散々見てしまった後で、以前と同じような気持ちで同じような情熱で、感覚とセンスの"パスサッカー"が今更出来るのかということ。贅沢は言わない、以前と同じ水準でいいですけど。
・あるいは2018年西野ジャパンは、確かに"暗黙のゲームモデル"に基づいた即席のポゼッションサッカーで、それなりのクオリティを実現してグループリーグを突破してあわやベルギーも破るかというところまで行って見せたわけですけど、同じことを2022年に、別に西野さんじゃなくてもいいですけど(笑)誰か日本人監督にやれと言ったら出来るのかということ。
・監督がというか、選手がでしょうけど。
・結構疑問なんですよね僕は。
・洋式和式の選択以前に、「和式」の中身が変わっているのではないか部分的に空洞化しているのではないかと。
・"暗黙のゲームモデル"は、最早暗黙のまま消えつつあるのではないかと。(笑)
・はっきり言えないのは一つにはもう忘れてるかもしれませんが(笑)、「森保ジャパン」自体は「西野ジャパン」を引き継いだというよりも、その前の「ハリルジャパン」の後継、あえて言えばハリルジャパンの日本化(?)として出発したチームだということ。(と僕は認識している)
・だからそもそもポゼッションは最初から目指していない前提としていなので、直接の参考にはし難いということ。
・だからやってみないと分からんというところはあるわけですけど。
・どうなんでしょうね。
・そろそろ"ポジショナルプレー"ありきの時代しか知らないプロ選手も育って来ているだろうこの時代、あるいは基本"ダイレクト"志向の森保ジャパンが「和式」の代表例として語られざるを得ないこの時代において、日本の「普通」はどこにあるのかなという。
・どのみち時代によって常に変わるものではあるわけでしょうけど。
・集中的にスター司令塔が輩出したシドニー世代の"黄金"期が過ぎた後、早くも次のアテネ世代で既にパサータイプの人材不足は言われていたわけですし。
・そこから大きな変化はないまま時が過ぎ、ゲームメーク/パスワークの集団化・システム化としての"ポジショナルプレー"の嵐のような洗礼の時代を経て。
・別にシステム化がいけないわけではないし、その時その時強くなりそうな方法を追いかけるのは当然のことではあるわけですけど。
・ただかっての"画期"「プレッシング」と比べても、導入のハードルがまだまだ高い、明らかに大仕事な「ポジショナルプレー」が、余りに必須になるのはちょっと怖いよなというか居心地が悪い感じはあるわけですよね。
・「ポジショナルプレー」が無いとまともにパスが回せませんということだとすると、それはなんかどうだろうというのはあります。
・そもそも"ポジショナルプレー"自体も全く新しいプレーを発明したわけではなくて、習慣的散発的な先人の知恵の、爆発的に効率的ではあるけれど要は"総まとめ"でしかないわけでね。
・でも現実的には、難しいんじゃないかなあと、感じるところはあります。
・あるレベル以上のサッカーで。まあ単純に日本でもちょっと気の利いたチームは軒並み導入しているという現実も既にありますし。
・サッカーとは"ポジショナルプレー"のこと、ではないわけてなんですけどね。筈なんですけど。
・少なくともしばらくは、この状況に追随するしかないのかなという。
・いつかはもっと、「特定」的なものではなくなる筈なので、それまで静観というか。
結論的にはだから、もう黙って「洋式」やるしかないんじゃないの?という話にはなるかもしれません。(笑)
だって「和式」が実在しないのかもしれないわけで。(と僕は考えてるわけで(笑))
それが最初の項目の、"一芸"的なチームの限界を突破させることに、少なくともその固まり切った構造を壊すことに、なりそうでもありますし。
それで瞬発力が落ちる可能性はあると思いますけど。実際あるだろうと。
それでもまあ、やってみるしかないんじゃないかなという。
そんなことを思いながら、だらだら見ていました。(笑)
選手監督関係各位にあたっては、ともかくご苦労様でした。
日本U-24 ○1-0● 南アフリカU-24 (東京スタジアム)
日本U-24 ○2-1● メキシコU-24 (埼玉スタジアム2002)
日本U-24 ○4-0● フランスU-24 (横浜国際総合競技場)
決勝トーナメント
日本U-24 ○0-0(4PK2)● ニュージーランドU-24 (茨城カシマスタジアム)
日本U-24 ●0-1〇 スペインU-24 (埼玉スタジアム2002)
3位決定戦
日本U-24 ●1-3〇 メキシコU-24 (埼玉スタジアム2002)
総評
・壮行試合あたりでも感じてはいましたが、"横内"ジャパン(笑)はともかくとして、"森保"ジャパンとしての割と片手間な感じの強化の過程を思い返すと、結構きっちり仕上げて来たまとめて来たなと感じさせるチームではあったと思います。
・さすが連覇を含む3回のJ1優勝に広島を導いた監督だけのことはあるなと。ちゃんと「目標」には合わせて来る「締切」には間に合わせて来るなと。
・やっぱりどのカテゴリーだろうとどのレベルだろうと、"勝たせる"監督は"勝たせる"監督なんですよね。目標や日程やレギュレーションに、いかにきっちりチームの資源を集中してフィットさせて来るか、そのこと自体に"戦術"のいかんはあんまり関係ない。
・恐らく今後サッカーがどのように変わっても、やるのが人間である限り"種"としてのヒトに大きな変化が無い限り(笑)、ここらへんの問題、"手腕"の次元は存在し続けるんだろうと思います。
・"永久に作業途中"な感じのまま勝ちまくるのは、ペップくらいのもので。(笑)
・そのペップですら、"合わせられない"弱さは折に触れて多くの人の目に現れてはいるわけで。
・というわけで恐らくは僕も含む多くの人の予想以上の奮闘を見せた我らが五輪代表チームですが、3決で負けて4位という結果だけでなく、内容的にもロンドンの関塚ジャパンと、よく似ているというか似たり寄ったりというか。ある意味で。結果的に。
・そのように見えてしまいます。
・ちょうどきっちり限界値というか。こういうタイプのチームの。
・どういうタイプでどういう内容なのかというと。
・集中した"一芸"を携えて大会にいい入りをして、勢いのまま勝ち上がるが、ピークは最初で徐々にガス欠&ネタ切れを起こして後は終わりまでひたすら尻すぼみという、そういう印象。
・もうちょっと具体的に言うと"一芸"というのはロンドンチームの場合は、永井謙佑の爆速鬼神プレスからのショートカウンター、東京チームの場合は主に林が踏ん張って作ったスペースを使って久保・堂安ら2列目の超絶技巧連鎖で崩す形。
・他にも色々あるように、楽な試合や楽な相手の時は見えなくもないわけですが、消耗して来たり相手が厳しく対応してきたりすると、要するにそれしかないというのが浮き彫りになりますね。
・ひたすらそれで何とかする、一種の"パワープレー"。
・ちなみに今回は最後の最後にようやく三苫と上田が本領を発揮して"決勝トーナメント以降無得点"の究極の尻すぼみだけは逃れたわけですが、あれはひょっとしたら"あったかもしれない"第二の陣だったかも。
・ただ全体的にはNZ戦・スペイン戦の沈黙/凪感が示すように、"尻すぼみ"感は否めなかったと思います。
・観念的&理念的に言うと、爆速ショートカウンターにしろ超絶技巧コンボにしろ、要は"無秩序"を生み出す混沌に乗じるのが「和式」アタックの基本な訳ですが。
・短期間に繰り返しやってると相手が慣れるのと同時に自分たちも慣れる、"無秩序"なりに「型」として可視化されて来てしまうところがあって、段々瞬発力が無くなって来るんですよね。
・エネルギー源としての「混沌」との連絡が細くなるというか。
・芸が痩せるというか。(笑)
・(一発屋の悲しさというか)
・とにかくどんなチームも消耗して行くのは同じなんですが、日本の場合は特に、万事フレッシュな大会当初がピークで、後は落ちるだけというかメッキが剝がれるに任せるだけみたいな感じが強くて、ロンドン・東京と2回それを見ると、若干悲しくなるというかやはり限界は感じざるを得ないというか。
・それが"失敗"例ではなくて相対的にはむしろ"成功"したチームの話だというのが、何とも。
・まあ実績(とそこから来る余裕)の無い国なんてそんなものかも知れませんが、たまには尻上がりとかやりながらの変化とか発展とか、見てみたいもの。
・せめてその"最初の勢い"の落ちるところが、メダル圏内優勝争いまで届いていれば、贅沢も言わないんですけど。
・でも正直本当に希望・予感の無い、決勝トーナメントだったと思います。切れないように粘ってるだけというか(それも最後に切れたか)。"4位"という結果が全く立派じゃないとは、言いませんけど。
和式・ポゼッション・ゲームモデル
・おお、なんか立派なタイトルだな。
・いや、そんな大した話ではないんですけど勿論、僕がするからには。
・今回の森保U-24チームが披露した和式超絶技巧コンボサッカー(攻撃)は恐らく和式の歴史(笑)の中でも最上クラスのものであり、また全体のバランスとしても同じ監督で同じサッカーを基本的にやっているフル代表よりも、むしろ隙無くデザインされたものではないかと思うわけですが。
・だからこそ運や勢いに恵まれつつも、グループリーグ3連勝なんてことも出来た。
・ただむしろ出来がいいからこそ、フル代表のような分かり易い粗が見えづらいからこそ逆に、和式が和式である限界や不満みたいなものを、僕は強く感じてしまったんてすよね。
・修正ではなく根本に目が向いたというか。
・それは一言で言えば、これはつまり(僕の)"和式"の定義そのものでもあるわけですけど、スペースの均等で連続的な使い方が出来てないということ。
・中やら外やら、狭い所やら広い所やら、このチームもそれなりに振り幅を持ってスペースを使おうとはしていますし、その中で主に久保・堂安らの個人戦術やセンスでもって使える"スペース"を見つけ出すことも少なからず出来てはいたわけですけど、いかんせん結局場当たりというか不連続というか、点は点でしかないというか。
・仮に狭いのが得意ならば狭く使ってもそれはいいと思うんですけど、ただその"狭さ"が"広さ"とのor他のスケールとの有機的な関係の中で、均等で連続的なスペース把握の中で選ばれている決められている、そういう感覚が無い。
・普段見ているシティなりユーロなり、あるいは永井ヴェルディとの比較においても。
・...気が付くと随分慣れちゃってますけどね僕も洋式に(笑)。最早皮膚感覚として。
・とにかく連続的ではなくて、要はそれぞれの癖というか主観的な身体感覚メインで狭さ広さが決められているので、技術やセンスで結果有効なプレー自体は出来ていても、やはり効率が悪いというか精力の無駄遣いというか、力ずくというか、そういうプレーが多い。
・そのことが相手のレベルや警戒が高まった時に、自身の疲労以上に障害になっていたように僕には見えました。疲労はむしろ、"無駄遣い"が実を結ばないことが繰り返されることによって、蓄積する感じ。それくらいには日本の選手はタフ。
・勿体ないなあと、あるいは同じ技術やセンスを、より客観的で連続的で、その分個人の負担やある意味責任の軽い/最小化された状態で使わせてやりたいなあと、使っているのを見たいなあと、苦戦している時は勿論優勢な試合でも、思いながら見ていました。
・狭過ぎるのも広過ぎるのも、負担には決まってますから。自ずと決まる必要十分な狭さと必要十分な広さで。ヨーロッパの選手のように。
・勿論"森保ジャパン"としては、かなり最適化されたプレーではあったんでしょうけどね。出来ることはやっていたというか。
・まとめて言えば、要は"ポジショナルプレー"ということにはなるんでしようけどね。
・そこに集約するのが簡単というか。基礎教養としての。
・それは一応それとして、一方で気になるのは、これはなでしこを見ていてもそうなんですが、基本ボール回せないよなあということ、あるいは気が付くと有力選手のほとんどがドリブラータイプだよなあということ。
・つまりですね、ぶっちゃけ今日本人は、あるいは"日本代表"は、素でパスサッカーとか出来るのかなポゼッションとか出来るのかなということ。
・勿論あらかじめ"ポジショナルプレー"的なシステマティックな機構を作っておけば、ほとんどどの国でもどのチームでも、それなりに有効なポゼッションサッカーパスサッカーが出来るということは、世界のサッカーを見ていれば今は問答無用に分かるわけですけど。
・そういう特別な"仕掛け"無しにということ。
・それこそ「洋式」を拒絶して、「和式」にこだわるならば。
・昔は出来たわけですよね。割と最近までは、間違いなく。
・そもそも"ポジショナルプレー"なんてものが一般教養化したのはつい最近なわけで、その前から人類(笑)は延々サッカーをやっていたわけで。その中に"パスサッカー"派"ポゼッション"(という言葉かはともかく)派も、必ず一定数いたわけで。
・また"日本"に限った話で言うならば、例の"暗黙のゲームモデル"のような形で、特段の打ち合わせや訓練が無くても"何となく"出来てしまうパスサッカーらしきものの"伝統"というか手癖のようなものも、認識されていたわけですし。
・ただ、それは「今」どうなっているのかというのが僕の疑問。
・"ポジショナルプレー"という形での整然とした"パスサッカー"を散々見てしまった後で、以前と同じような気持ちで同じような情熱で、感覚とセンスの"パスサッカー"が今更出来るのかということ。贅沢は言わない、以前と同じ水準でいいですけど。
・あるいは2018年西野ジャパンは、確かに"暗黙のゲームモデル"に基づいた即席のポゼッションサッカーで、それなりのクオリティを実現してグループリーグを突破してあわやベルギーも破るかというところまで行って見せたわけですけど、同じことを2022年に、別に西野さんじゃなくてもいいですけど(笑)誰か日本人監督にやれと言ったら出来るのかということ。
・監督がというか、選手がでしょうけど。
・結構疑問なんですよね僕は。
・洋式和式の選択以前に、「和式」の中身が変わっているのではないか部分的に空洞化しているのではないかと。
・"暗黙のゲームモデル"は、最早暗黙のまま消えつつあるのではないかと。(笑)
・はっきり言えないのは一つにはもう忘れてるかもしれませんが(笑)、「森保ジャパン」自体は「西野ジャパン」を引き継いだというよりも、その前の「ハリルジャパン」の後継、あえて言えばハリルジャパンの日本化(?)として出発したチームだということ。(と僕は認識している)
・だからそもそもポゼッションは最初から目指していない前提としていなので、直接の参考にはし難いということ。
・だからやってみないと分からんというところはあるわけですけど。
・どうなんでしょうね。
・そろそろ"ポジショナルプレー"ありきの時代しか知らないプロ選手も育って来ているだろうこの時代、あるいは基本"ダイレクト"志向の森保ジャパンが「和式」の代表例として語られざるを得ないこの時代において、日本の「普通」はどこにあるのかなという。
・どのみち時代によって常に変わるものではあるわけでしょうけど。
・集中的にスター司令塔が輩出したシドニー世代の"黄金"期が過ぎた後、早くも次のアテネ世代で既にパサータイプの人材不足は言われていたわけですし。
・そこから大きな変化はないまま時が過ぎ、ゲームメーク/パスワークの集団化・システム化としての"ポジショナルプレー"の嵐のような洗礼の時代を経て。
・別にシステム化がいけないわけではないし、その時その時強くなりそうな方法を追いかけるのは当然のことではあるわけですけど。
・ただかっての"画期"「プレッシング」と比べても、導入のハードルがまだまだ高い、明らかに大仕事な「ポジショナルプレー」が、余りに必須になるのはちょっと怖いよなというか居心地が悪い感じはあるわけですよね。
・「ポジショナルプレー」が無いとまともにパスが回せませんということだとすると、それはなんかどうだろうというのはあります。
・そもそも"ポジショナルプレー"自体も全く新しいプレーを発明したわけではなくて、習慣的散発的な先人の知恵の、爆発的に効率的ではあるけれど要は"総まとめ"でしかないわけでね。
・でも現実的には、難しいんじゃないかなあと、感じるところはあります。
・あるレベル以上のサッカーで。まあ単純に日本でもちょっと気の利いたチームは軒並み導入しているという現実も既にありますし。
・サッカーとは"ポジショナルプレー"のこと、ではないわけてなんですけどね。筈なんですけど。
・少なくともしばらくは、この状況に追随するしかないのかなという。
・いつかはもっと、「特定」的なものではなくなる筈なので、それまで静観というか。
結論的にはだから、もう黙って「洋式」やるしかないんじゃないの?という話にはなるかもしれません。(笑)
だって「和式」が実在しないのかもしれないわけで。(と僕は考えてるわけで(笑))
それが最初の項目の、"一芸"的なチームの限界を突破させることに、少なくともその固まり切った構造を壊すことに、なりそうでもありますし。
それで瞬発力が落ちる可能性はあると思いますけど。実際あるだろうと。
それでもまあ、やってみるしかないんじゃないかなという。
そんなことを思いながら、だらだら見ていました。(笑)
選手監督関係各位にあたっては、ともかくご苦労様でした。
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