2021年10月13日 (水) | 編集 |
近況というか遠況というか。・・・中況?(いずれにしろそんな言葉は無い)
カタールW杯アジア最終予選 日本代表 ●0-1〇 サウジアラビア代表(King Abdullah Sports City)
カタールW杯アジア最終予選 日本代表 〇2-1● オーストラリア代表(埼玉スタジアム2002)
勝ち抜けるかどうかも、あんまり今は気にしていない感じ。一つのチームの何か観察結果。
「鎌田」という罠/毒
2018年の立ち上げ以来一貫して、「大迫に当てて落としたボールに"堂安・南野・中島翔"を筆頭とするちびっ子ドリブラーたちがわらわらと殺到する」メソッドで攻撃を構成して来た森保ジャパン。
そこに2019年から加わり、特に2020年以降は完全に主力スタメンの座を獲得したのが、比較的サイズがあり(184cm)、スピードではなくテクニックとキープ力を武器とする異質なタイプの二列目選手鎌田大地でした。
それなりの威力は定期的に見せるもののちびっ子バンザイアタックの一本調子に行き詰まりが否めなかった森保ジャパンにとって、鎌田の台頭は一つの希望であり、森保監督もエース南野の定位置をずらしてまで、かなり意図的にトップ下鎌田を活用して行こうという意思をある時期以降は見せていた/固めていたように見えます。
しかしその効果は意外な方向に、期待と違う方向に働いたと、そう僕は感じました。
まず一つは、それが"ヴァリエーション"や"柔軟性"に繋がらなかったこと。
唯一無二のポストマン大迫への依存と同タイプ二列目ローテーションの固定が森保ジャパンの"行き詰まり"だったわけですが、そこに鎌田は何をもたらしたか。最初は割とCF的起用も多かったので、「大迫の代役」的な役回りも含めての前線のヴァリエーションの一つになるのかと思ってたんですが、鎌田が加わっても大迫自体は相変わらず唯一無二のままで、鎌田は二列目/トップ下に固定。それも本当に固定で、"同タイプローテーション"の代わりに鎌田が固定されただけで、同タイプが他にいない分むしろ"固定"度が酷くなった、あるいはポストマン「大迫」に加えてトップ下「鎌田」という、"固定"ポイントが増えただけという、そんな事態になっていたように思います。
機能性自体も微妙で、能力は高い選手ですからそれなりに活躍はする訳ですが、それが例えば"堂安・南野・中島翔"的な前代の定番に匹敵するものなのか越えるものなのか、"新たな固定"に値するものなのか、相手関係もありますがどうもそういう場面はまだ目撃出来ていないように思います。"ヴァリエーション"としてならともかく。それこそ序列の下げられた格好の南野とかは、そこらへんどう感じているのか。
むしろ単に攻撃のスピード・直接的迫力が落ちた、なけなしの武器を失った、そう見える部分も無きにしも非ず。
逆にではなぜ森保監督が大迫-鎌田セット/ラインに執心するのかなと考えてみると、それは一つには安心感のようなものがあるのではないか。大迫一つだったキープポイントや起点が、鎌田と合わせて二つになった。それをプラスと考えているのかも。僕には余りプラスには見えてないんですけど。
ある意味ではそれは大迫への依存の"分散"のつもりなのかなと思うわけですけど、どちらかというと僕には、対象が誰であれ"依存"という思考/傾向自体の強化・固定(また出て来た(笑))に見えてしまいます。
実際それが鎌田起用の有用性の妨げにもなっていると思っていて、つまり大迫のポストがなぜ必須だったかと言えば、二列目がちびっ子ドリブラー軍団だったからな訳ですよね。だからそこが鎌田になったのならば、トップが大迫でなければならない必然性は薄れる筈。逆に大迫仕様のチームで使いどころの難しかった古橋なり浅野なりといった、こちらは日本にも人材豊富な"スピードストライカー"たちのトップでの起用し易さが大いに増えている筈。南野だって、そこで使ってもいい。それで大迫を途中から使えたりすれば、ねえ?
こんなことは誰でもすぐ思い付く筈ですけど、大迫依存のチームの延長線でしかチームを見ていない森保監督には死角になっているらしく、一向にそういう起用を試す様子が無い。必ず大迫と鎌田は一緒で、代える時も鎌田が先か二人一緒。
それ(大迫ありきのチーム)がそもそもの構想で動かせないというならそれはそれで仕方ないですが、その場合でも鎌田は固定せずに(新たな固定ポイントにはせずに)ヴァリエーションの一つとして例えば途中投入と半々くらいな感じで使った方が、"加えた"意義としては大きくなるように思います。余程の問答無用の最大値を、大迫-鎌田セットが示しているのでなければ。
このように鎌田の起用・固定の直接的効果にも僕は疑問が多いわけですけど、ある意味それよりも大きい/根本的かなと思うのは、先程"なけなしの武器"という言い方をしましたが、狭くても一本調子でも、むしろある意味一本調子ゆえに獲得出来ていたチームとしての求心性や集中力が、大迫-鎌田固定以降はがた落ちになっているように見えるんですよね。だからアジアですら醜態をさらす。単純にチームのまとまりやテンションが落ちている。
ということと関連して、次の話題。
"森保ウェイ"の自縄自縛
森保監督が代表監督として今回採用している/心がけている方法論、そしてその背後にあるらしい"ジャパンズウェイ"の大きな指標として、「選手の自主性の尊重」のようなものがあるというのは、最近一つの定説として固まっているようです。
・・・一例。
長期的にはその影響はあるでしょうし、短期的にはやはり鎌田台頭以降ですが、森保監督のプレゼンスが余りに薄過ぎる、引き過ぎているように僕は感じています。
"方針"を通り越して、単に"遠慮"している、どれくらい自分が能動的にチームにコミットしていいのか、もう分からなくなっている感じ。
なまじ「協会」の方針だけに、尚更自分なりの線引きが難しい。かつて反町監督がやりつけないポゼッション・サッカーを北京でやらざるを得なかったように、特に日本人監督にはなかなかここらへんは逆らい難い問題としてあるんだろうと思いますね。まじ中間管理職というか。
だから鎌田なのかも知れないし、"鎌田"をきっかけにそこらへんが一気に噴出したのかも知れない。どっちでしょう。
つまり鎌田というのは、簡単に言えば「司令塔」なわけですよね。フィールド上のプチ監督、監督代行。それまでも森保ジャパンには現人(あらひと)戦術大迫やよろず帳尻合わせ屋柴崎という特別な選手はいましたが、"トップ下の司令塔"鎌田の分かり易さはまた格別で。一気に監督の仕事が曖昧に。
あるいは「大迫・鎌田・柴崎」"3人"が揃ってしまったことで、隠れていた本質が変に本格化してしまったというか。(笑)
まあ3人でやらせるならやらせるで、方法論としては別にないことではないというか、昔からそういうチームは沢山あったというか。
"エバイール、ジーニョ、サンパイオ"に任せれば、それなりに強いチーム機能的なチームを作ることは、出来たわけで計算出来るわけで。(笑)
ただ「森保ジャパン」は別にはっきりそういうチームな訳でもない。森保監督は森保監督なりに、モダンなチームトータルなフットボールを、やろうとしていてそういう前提・体裁で、チームも動いている筈。つまり基本的には監督主導の。そこになし崩しに部分的に極端なマンオリエンテッドが絡んで来るので、誰がどう指揮するのか責任を取るのか、何とも分かり難い中途半端な状態に、"堂安・南野・中島"時代に比べても、なっているように見えます。
ただただ緩い。曖昧な選手の能力の合算。締め方や締めていいのかが、監督も分からなくなっている。方針的にも実態的にも。
そんなチーム。
・・・というのが、サウジ戦までの僕の認識でした。
オーストラリア戦
直接的にはサウジ戦の柴崎の、決勝点に繋がる分かり易い失態が契機なのかなと思いますが。
それまで遠藤・柴崎中心のドイスボランチでほぼ固定されていた(セントラル)MFの構成が変わって、遠藤と若手二人のセントラルによる3センターに、それにつれて全体のフォーメーションも4-3-3に変更。
結果風は通って選手の動きはそれなりに活発に、更に言えばスムーズになったようには感じられました。
"スムーズ"というのが結構ミソで、上であえて今時"フォーメーション"という言い方をしましたが、4-3-3という、現在トップレベルのサッカーで最もポピュラーな形をとったことによって、個々の選手の動きのイメージの共有は思いの外と言っていいくらい上手く流れるようになっていたかなと。
(フォーメーション表記なんて)「電話番号」だと馬鹿にするむきもあるようですが(笑)、いやいやどうして市外局番の一つでも分かれば少なくともどこらへんにかけているのかは分かるわけで、そうそう馬鹿にしたものではないというか。(笑)
低レベルな話ではありますが、混乱するよりはマシ。
まあドイスボランチから3センター(4-3-3)への変更というのは一般にはそこまで簡単な事ではなくて、それで混乱するJチームを見る事も近年まで少なくないわけですけど、さすがそこらへんは海外組中心の代表チームというところは、あったかも。
その"共通理解"の価値を重く見るならば、これが「和式」から「洋式」への小さいが大きな一歩になる・・・可能性もあったりはしないのかな。知りませんが。(笑)
まあ目先が変わっただけと言えばそうでしょうし、いよいよ追い詰められた森保ジャパンに残された変化の可能性はこれくらいしか無かっただけなのかも知れませんけどね。(昔3-4-3もやりましたけど・・・でしたよね)
ただ人材選択の変動含めで、僕が上二つの項目でまとめたようなどん詰まりを抜け出す可能性は少し感じました。それでどこまで行けるとかはこの際無しで。とにかく変な"固定"を見せられるのは、これ以上たまらないので。
以上日本サッカーの大戦略とも大戦術とも余り関係のない、"1チーム"としての森保ジャパンの、特にチーム作りの流れ的な視点からの雑感でした。
カタールW杯アジア最終予選 日本代表 ●0-1〇 サウジアラビア代表(King Abdullah Sports City)
カタールW杯アジア最終予選 日本代表 〇2-1● オーストラリア代表(埼玉スタジアム2002)
勝ち抜けるかどうかも、あんまり今は気にしていない感じ。一つのチームの何か観察結果。
「鎌田」という罠/毒
2018年の立ち上げ以来一貫して、「大迫に当てて落としたボールに"堂安・南野・中島翔"を筆頭とするちびっ子ドリブラーたちがわらわらと殺到する」メソッドで攻撃を構成して来た森保ジャパン。
そこに2019年から加わり、特に2020年以降は完全に主力スタメンの座を獲得したのが、比較的サイズがあり(184cm)、スピードではなくテクニックとキープ力を武器とする異質なタイプの二列目選手鎌田大地でした。
それなりの威力は定期的に見せるもののちびっ子バンザイアタックの一本調子に行き詰まりが否めなかった森保ジャパンにとって、鎌田の台頭は一つの希望であり、森保監督もエース南野の定位置をずらしてまで、かなり意図的にトップ下鎌田を活用して行こうという意思をある時期以降は見せていた/固めていたように見えます。
しかしその効果は意外な方向に、期待と違う方向に働いたと、そう僕は感じました。
まず一つは、それが"ヴァリエーション"や"柔軟性"に繋がらなかったこと。
唯一無二のポストマン大迫への依存と同タイプ二列目ローテーションの固定が森保ジャパンの"行き詰まり"だったわけですが、そこに鎌田は何をもたらしたか。最初は割とCF的起用も多かったので、「大迫の代役」的な役回りも含めての前線のヴァリエーションの一つになるのかと思ってたんですが、鎌田が加わっても大迫自体は相変わらず唯一無二のままで、鎌田は二列目/トップ下に固定。それも本当に固定で、"同タイプローテーション"の代わりに鎌田が固定されただけで、同タイプが他にいない分むしろ"固定"度が酷くなった、あるいはポストマン「大迫」に加えてトップ下「鎌田」という、"固定"ポイントが増えただけという、そんな事態になっていたように思います。
機能性自体も微妙で、能力は高い選手ですからそれなりに活躍はする訳ですが、それが例えば"堂安・南野・中島翔"的な前代の定番に匹敵するものなのか越えるものなのか、"新たな固定"に値するものなのか、相手関係もありますがどうもそういう場面はまだ目撃出来ていないように思います。"ヴァリエーション"としてならともかく。それこそ序列の下げられた格好の南野とかは、そこらへんどう感じているのか。
むしろ単に攻撃のスピード・直接的迫力が落ちた、なけなしの武器を失った、そう見える部分も無きにしも非ず。
逆にではなぜ森保監督が大迫-鎌田セット/ラインに執心するのかなと考えてみると、それは一つには安心感のようなものがあるのではないか。大迫一つだったキープポイントや起点が、鎌田と合わせて二つになった。それをプラスと考えているのかも。僕には余りプラスには見えてないんですけど。
ある意味ではそれは大迫への依存の"分散"のつもりなのかなと思うわけですけど、どちらかというと僕には、対象が誰であれ"依存"という思考/傾向自体の強化・固定(また出て来た(笑))に見えてしまいます。
実際それが鎌田起用の有用性の妨げにもなっていると思っていて、つまり大迫のポストがなぜ必須だったかと言えば、二列目がちびっ子ドリブラー軍団だったからな訳ですよね。だからそこが鎌田になったのならば、トップが大迫でなければならない必然性は薄れる筈。逆に大迫仕様のチームで使いどころの難しかった古橋なり浅野なりといった、こちらは日本にも人材豊富な"スピードストライカー"たちのトップでの起用し易さが大いに増えている筈。南野だって、そこで使ってもいい。それで大迫を途中から使えたりすれば、ねえ?
こんなことは誰でもすぐ思い付く筈ですけど、大迫依存のチームの延長線でしかチームを見ていない森保監督には死角になっているらしく、一向にそういう起用を試す様子が無い。必ず大迫と鎌田は一緒で、代える時も鎌田が先か二人一緒。
それ(大迫ありきのチーム)がそもそもの構想で動かせないというならそれはそれで仕方ないですが、その場合でも鎌田は固定せずに(新たな固定ポイントにはせずに)ヴァリエーションの一つとして例えば途中投入と半々くらいな感じで使った方が、"加えた"意義としては大きくなるように思います。余程の問答無用の最大値を、大迫-鎌田セットが示しているのでなければ。
このように鎌田の起用・固定の直接的効果にも僕は疑問が多いわけですけど、ある意味それよりも大きい/根本的かなと思うのは、先程"なけなしの武器"という言い方をしましたが、狭くても一本調子でも、むしろある意味一本調子ゆえに獲得出来ていたチームとしての求心性や集中力が、大迫-鎌田固定以降はがた落ちになっているように見えるんですよね。だからアジアですら醜態をさらす。単純にチームのまとまりやテンションが落ちている。
ということと関連して、次の話題。
"森保ウェイ"の自縄自縛
森保監督が代表監督として今回採用している/心がけている方法論、そしてその背後にあるらしい"ジャパンズウェイ"の大きな指標として、「選手の自主性の尊重」のようなものがあるというのは、最近一つの定説として固まっているようです。
【超分析記事】
— Smart Sports News[スマートスポーツニュース] (@ssn_supersports) September 29, 2021
日本の弱点は「試合が始まってから考えている」こと。
‣ 書き手:五百蔵容 @500zoo
‣ 内容:
・日本代表の「委任戦術」「委任戦略」
・想定外の中国=進捗を推し量る設定
・日本代表の試行錯誤20-40分/90分
・3年前から進捗なし?
‣ 7000字超の論考へhttps://t.co/xVSZOIE50G
・・・一例。
長期的にはその影響はあるでしょうし、短期的にはやはり鎌田台頭以降ですが、森保監督のプレゼンスが余りに薄過ぎる、引き過ぎているように僕は感じています。
"方針"を通り越して、単に"遠慮"している、どれくらい自分が能動的にチームにコミットしていいのか、もう分からなくなっている感じ。
なまじ「協会」の方針だけに、尚更自分なりの線引きが難しい。かつて反町監督がやりつけないポゼッション・サッカーを北京でやらざるを得なかったように、特に日本人監督にはなかなかここらへんは逆らい難い問題としてあるんだろうと思いますね。まじ中間管理職というか。
だから鎌田なのかも知れないし、"鎌田"をきっかけにそこらへんが一気に噴出したのかも知れない。どっちでしょう。
つまり鎌田というのは、簡単に言えば「司令塔」なわけですよね。フィールド上のプチ監督、監督代行。それまでも森保ジャパンには現人(あらひと)戦術大迫やよろず帳尻合わせ屋柴崎という特別な選手はいましたが、"トップ下の司令塔"鎌田の分かり易さはまた格別で。一気に監督の仕事が曖昧に。
あるいは「大迫・鎌田・柴崎」"3人"が揃ってしまったことで、隠れていた本質が変に本格化してしまったというか。(笑)
まあ3人でやらせるならやらせるで、方法論としては別にないことではないというか、昔からそういうチームは沢山あったというか。
"エバイール、ジーニョ、サンパイオ"に任せれば、それなりに強いチーム機能的なチームを作ることは、出来たわけで計算出来るわけで。(笑)
ただ「森保ジャパン」は別にはっきりそういうチームな訳でもない。森保監督は森保監督なりに、モダンなチームトータルなフットボールを、やろうとしていてそういう前提・体裁で、チームも動いている筈。つまり基本的には監督主導の。そこになし崩しに部分的に極端なマンオリエンテッドが絡んで来るので、誰がどう指揮するのか責任を取るのか、何とも分かり難い中途半端な状態に、"堂安・南野・中島"時代に比べても、なっているように見えます。
ただただ緩い。曖昧な選手の能力の合算。締め方や締めていいのかが、監督も分からなくなっている。方針的にも実態的にも。
そんなチーム。
・・・というのが、サウジ戦までの僕の認識でした。
オーストラリア戦
直接的にはサウジ戦の柴崎の、決勝点に繋がる分かり易い失態が契機なのかなと思いますが。
それまで遠藤・柴崎中心のドイスボランチでほぼ固定されていた(セントラル)MFの構成が変わって、遠藤と若手二人のセントラルによる3センターに、それにつれて全体のフォーメーションも4-3-3に変更。
結果風は通って選手の動きはそれなりに活発に、更に言えばスムーズになったようには感じられました。
"スムーズ"というのが結構ミソで、上であえて今時"フォーメーション"という言い方をしましたが、4-3-3という、現在トップレベルのサッカーで最もポピュラーな形をとったことによって、個々の選手の動きのイメージの共有は思いの外と言っていいくらい上手く流れるようになっていたかなと。
(フォーメーション表記なんて)「電話番号」だと馬鹿にするむきもあるようですが(笑)、いやいやどうして市外局番の一つでも分かれば少なくともどこらへんにかけているのかは分かるわけで、そうそう馬鹿にしたものではないというか。(笑)
低レベルな話ではありますが、混乱するよりはマシ。
まあドイスボランチから3センター(4-3-3)への変更というのは一般にはそこまで簡単な事ではなくて、それで混乱するJチームを見る事も近年まで少なくないわけですけど、さすがそこらへんは海外組中心の代表チームというところは、あったかも。
その"共通理解"の価値を重く見るならば、これが「和式」から「洋式」への小さいが大きな一歩になる・・・可能性もあったりはしないのかな。知りませんが。(笑)
まあ目先が変わっただけと言えばそうでしょうし、いよいよ追い詰められた森保ジャパンに残された変化の可能性はこれくらいしか無かっただけなのかも知れませんけどね。(昔3-4-3もやりましたけど・・・でしたよね)
ただ人材選択の変動含めで、僕が上二つの項目でまとめたようなどん詰まりを抜け出す可能性は少し感じました。それでどこまで行けるとかはこの際無しで。とにかく変な"固定"を見せられるのは、これ以上たまらないので。
以上日本サッカーの大戦略とも大戦術とも余り関係のない、"1チーム"としての森保ジャパンの、特にチーム作りの流れ的な視点からの雑感でした。
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