2021年11月16日 (火) | 編集 |
ビデオキャプチャーというものを買いまして、これまで録り溜めていた大量の何かを画像化できるようになっ(てしまっ)たので、しばらく何だかんだと放出する為にこの場(自分のブログ)を使って行こうかなと。
似たようなものはネットにも色々落ちてはいますがやはり自分の"ツボ"は自分でしか押し切れないので。(笑)
差し当っては"乃木坂卒業生"(予定も含む)シリーズと銘打って、トップバッターは生田絵梨花さん。
生田さんと言えばやはり(?)『NOGIBINGO!』#9「特技で掴め! ファン獲得大作10」('13.8.28放送)で"特技"として披露された、バラエティのお約束への違和感を歌った名曲"ウクレレ毒奏"が忘れられません。永久保存です。(笑)







・・・動画はyoutubeで。
何度聴いても素晴らしい。(笑)
「なんでバレた」のワードチョイスのおかしみと哀しみ、"転"としてのハマりの良さ、そこから畳みかけて行って番組のテーマでもある"BINGO"でオチを作る構成力。
メロディの全体としての定型性は、アイドル歌謡や"ウクレレ"というより、むしろ「ブルース」的なセンスを感じる気がします。
実際"ブルース"であるからこそ、"暴露話はしたくない"とか"下品な事は嫌だ"とこの後続く番組批判業界批判的な内容でありながら、誰に対しても特に攻撃的にはならずにしみじみと作者(生田絵梨花)個人の素直な戸惑いの感情が、こちらに伝わって来る歌になっているんだと思います。
聴いているスタッフや業界人も、まあ改めて言えばそれはそうだよなと、特に気分を害さず聴けるのではないかと。
本人は一応、反省したり気にしたりしているようですけどね。
生田絵梨花 実はバラエティが嫌いだった!公然と番組批判をした過去と変わった瞬間(ねこねこにゅーす)
でも全然気にする必要無いと思いますね。ただの名曲。(笑)
まあ前提的な問題として、生田さんの場合は"ドイツ生まれの帰国子女"(4歳まで)で幼少期からピアノやクラシックバレエや書道や各種習い事に忙殺される若干浮世離れした育ち方をした(Wiki)という背景があって、単に好き嫌いとか性格というよりも"異文化""カルチャーショック"的な抵抗が日本のバラエティに対してあったという、そういう構造が先にある訳ですね。そこらへんが他の日本人タレントによる同質文化内の異議申し立てや世代的下克上的な時々あるタイプの批判とは、ニュアンスの違うところ。まあ"外国人"から見たらそうだろうなあ、無理もないなと素直に聴けるところというか。
そしていざ慣れてからは・・・ほとんど天才ですからね(笑)、彼女のバラエティでの立ち居振る舞いは。だから負け惜しみというでもないわけで。
3年前の僕の評。
"天然""普通""指摘された後の収拾"というのも、要するに「異文化」ギャップということに関連している訳ですね、その時は書かなかったですけど。ギャップの面白さとその修正過程の興味深さ。
ということでいちタレントとしては見事"適応"と"修正"を経ての今日の生田絵梨花さんはある訳ですが、存在としては依然としてやはり"違和"から来るポータル感というかボーダー感というかターミナル感というか、そこらへんが一番の特徴ではあると思います。そこにいるだけで、何かを考えさせる人。
つまり異文化人生田絵梨花が感じたジャパニーズ・バラエティの"下品"、それは実際そうなんでしょうけど、一方でそれはそれとして割とすぐに生田さんがそれに適応出来て、定期的に戸惑いは見せつつも至って楽しそうにむしろしばしば誰よりも生き生きとその中で輝いているのを見ると、逆に"下品"ジャパニーズ・バラエティの魅力が再認識・再発見される、そういうところもある訳です。
それを見つけたから、適応も出来た訳ですからね。今でも下品だと、思ってはいると思いますよ(笑)。ただそれはそれだよねという。それで話は終わりではないよねという。
またピアノ演奏や歌唱力、ミュージカル女優としての実力の本格が言われる生田さんですが、仮にドイツにいたままだったらあるいはそうでなくても日本に来なければ日本のアイドル・カルチャー圏に入って来なければ、その才能を(各国それなりにはある)"アイドル"という形で発揮する事にはならなかった、アイドルという"職業"につくことはなかったろうと思われます。才能・教養的にも、タイプ的にも。
そういう彼女が"アイドル"として世に出る、戸惑いはあっても自発的にそういう選択をする過程を踏む、日本の"アイドル"カルチャーの独自性というか独特の包容力というか多義性というか。勿論一生アイドルということはないでしょうし(実際卒業もしますし)その立場で彼女の才能ややりたいことが100%望む形で発揮されるということも無かったろうとは思いますが、ともかくも約9年間、こういうコがアイドルをやれたこういうコをアイドルとして見ることが出来たというのは、非常にこう不思議と言えば不思議な幸せであり、日本の芸能界を知らない人には説明の難しい気のすることではあると思いますね。"アイドル"って何?という。
つくづく面白い世界だなと。まあAKBに始まる"多人数"グループ方式だからこそという部分も、彼女の場合は大きかった気もしますが。3人くらいできっちりキャラ決められてやる昔ながらの形だと、厳しかったのではないかなと。
ともかく"卒業"ということで。
乃木坂生田絵梨花が12月末で卒業「巡り会えたことに心から感謝」(日刊)
ぶっちゃけグループ・アイドルのメンバーとして人気だった人のむしろ大部分が、"卒業"後見る見る色あせて行く(周りは気を遣って"当時"の扱いをすることが多いですが)中で、でも彼女の場合は全然大丈夫というか何も心配はしていません僕は。
元々ソロというか、"独立"した才能・パーソナリティの人で、ある意味元に戻るというか本来の姿になるだけみたいなところもあると思いますし、恐らくは"音楽"としての本格性を増した活動が軸になるとは思いますが、一方でアイドルとして手に入れた武器、それこそバラエティでの立ち居振る舞いなどはむしろ凄みを増して行ったりするのではないか何も"失う"ものは無いのではないか、そんな風に思います。いつまでも、"乃木坂46の生田絵梨花"の輝きを失わないでいてくれるだろうと。元々意識的な学習で作り上げた現在の姿/自分である訳でしょうしね。グループで持ち上げられていたタイプでも"立ち位置"ありきの人でもないですし、そこら辺の強靭さは安心して見ていられるかなという。
・・・"厳しい"人もいますよね。あるいはそれなりに活躍はしてても、誰?みたいになっている人も。
生田さんは、大丈夫だろうと。(笑)
いつまでもファンでいると思います。
活躍を期待しています。
似たようなものはネットにも色々落ちてはいますがやはり自分の"ツボ"は自分でしか押し切れないので。(笑)
差し当っては"乃木坂卒業生"(予定も含む)シリーズと銘打って、トップバッターは生田絵梨花さん。
生田さんと言えばやはり(?)『NOGIBINGO!』#9「特技で掴め! ファン獲得大作10」('13.8.28放送)で"特技"として披露された、バラエティのお約束への違和感を歌った名曲"ウクレレ毒奏"が忘れられません。永久保存です。(笑)







・・・動画はyoutubeで。
何度聴いても素晴らしい。(笑)
「なんでバレた」のワードチョイスのおかしみと哀しみ、"転"としてのハマりの良さ、そこから畳みかけて行って番組のテーマでもある"BINGO"でオチを作る構成力。
メロディの全体としての定型性は、アイドル歌謡や"ウクレレ"というより、むしろ「ブルース」的なセンスを感じる気がします。
実際"ブルース"であるからこそ、"暴露話はしたくない"とか"下品な事は嫌だ"とこの後続く番組批判業界批判的な内容でありながら、誰に対しても特に攻撃的にはならずにしみじみと作者(生田絵梨花)個人の素直な戸惑いの感情が、こちらに伝わって来る歌になっているんだと思います。
聴いているスタッフや業界人も、まあ改めて言えばそれはそうだよなと、特に気分を害さず聴けるのではないかと。
本人は一応、反省したり気にしたりしているようですけどね。
生田絵梨花 実はバラエティが嫌いだった!公然と番組批判をした過去と変わった瞬間(ねこねこにゅーす)
でも全然気にする必要無いと思いますね。ただの名曲。(笑)
まあ前提的な問題として、生田さんの場合は"ドイツ生まれの帰国子女"(4歳まで)で幼少期からピアノやクラシックバレエや書道や各種習い事に忙殺される若干浮世離れした育ち方をした(Wiki)という背景があって、単に好き嫌いとか性格というよりも"異文化""カルチャーショック"的な抵抗が日本のバラエティに対してあったという、そういう構造が先にある訳ですね。そこらへんが他の日本人タレントによる同質文化内の異議申し立てや世代的下克上的な時々あるタイプの批判とは、ニュアンスの違うところ。まあ"外国人"から見たらそうだろうなあ、無理もないなと素直に聴けるところというか。
そしていざ慣れてからは・・・ほとんど天才ですからね(笑)、彼女のバラエティでの立ち居振る舞いは。だから負け惜しみというでもないわけで。
3年前の僕の評。
いつ何どき誰とでも面白い天才性は後述堀未央奈と2トップですが、こちらは専ら"天然"系。多分乃木坂に入るまでは、自分を普通だと思ってたんじゃないでしょうか。
ただし"ボケ"を「指摘」された後は、気が付いてすかさずそれを収拾する手際は至って知的で、そのプロセスがまた面白い。
(『"推し"とはなんだろう』)
"天然""普通""指摘された後の収拾"というのも、要するに「異文化」ギャップということに関連している訳ですね、その時は書かなかったですけど。ギャップの面白さとその修正過程の興味深さ。
ということでいちタレントとしては見事"適応"と"修正"を経ての今日の生田絵梨花さんはある訳ですが、存在としては依然としてやはり"違和"から来るポータル感というかボーダー感というかターミナル感というか、そこらへんが一番の特徴ではあると思います。そこにいるだけで、何かを考えさせる人。
つまり異文化人生田絵梨花が感じたジャパニーズ・バラエティの"下品"、それは実際そうなんでしょうけど、一方でそれはそれとして割とすぐに生田さんがそれに適応出来て、定期的に戸惑いは見せつつも至って楽しそうにむしろしばしば誰よりも生き生きとその中で輝いているのを見ると、逆に"下品"ジャパニーズ・バラエティの魅力が再認識・再発見される、そういうところもある訳です。
それを見つけたから、適応も出来た訳ですからね。今でも下品だと、思ってはいると思いますよ(笑)。ただそれはそれだよねという。それで話は終わりではないよねという。
またピアノ演奏や歌唱力、ミュージカル女優としての実力の本格が言われる生田さんですが、仮にドイツにいたままだったらあるいはそうでなくても日本に来なければ日本のアイドル・カルチャー圏に入って来なければ、その才能を(各国それなりにはある)"アイドル"という形で発揮する事にはならなかった、アイドルという"職業"につくことはなかったろうと思われます。才能・教養的にも、タイプ的にも。
そういう彼女が"アイドル"として世に出る、戸惑いはあっても自発的にそういう選択をする過程を踏む、日本の"アイドル"カルチャーの独自性というか独特の包容力というか多義性というか。勿論一生アイドルということはないでしょうし(実際卒業もしますし)その立場で彼女の才能ややりたいことが100%望む形で発揮されるということも無かったろうとは思いますが、ともかくも約9年間、こういうコがアイドルをやれたこういうコをアイドルとして見ることが出来たというのは、非常にこう不思議と言えば不思議な幸せであり、日本の芸能界を知らない人には説明の難しい気のすることではあると思いますね。"アイドル"って何?という。
つくづく面白い世界だなと。まあAKBに始まる"多人数"グループ方式だからこそという部分も、彼女の場合は大きかった気もしますが。3人くらいできっちりキャラ決められてやる昔ながらの形だと、厳しかったのではないかなと。
ともかく"卒業"ということで。
乃木坂生田絵梨花が12月末で卒業「巡り会えたことに心から感謝」(日刊)
ぶっちゃけグループ・アイドルのメンバーとして人気だった人のむしろ大部分が、"卒業"後見る見る色あせて行く(周りは気を遣って"当時"の扱いをすることが多いですが)中で、でも彼女の場合は全然大丈夫というか何も心配はしていません僕は。
元々ソロというか、"独立"した才能・パーソナリティの人で、ある意味元に戻るというか本来の姿になるだけみたいなところもあると思いますし、恐らくは"音楽"としての本格性を増した活動が軸になるとは思いますが、一方でアイドルとして手に入れた武器、それこそバラエティでの立ち居振る舞いなどはむしろ凄みを増して行ったりするのではないか何も"失う"ものは無いのではないか、そんな風に思います。いつまでも、"乃木坂46の生田絵梨花"の輝きを失わないでいてくれるだろうと。元々意識的な学習で作り上げた現在の姿/自分である訳でしょうしね。グループで持ち上げられていたタイプでも"立ち位置"ありきの人でもないですし、そこら辺の強靭さは安心して見ていられるかなという。
・・・"厳しい"人もいますよね。あるいはそれなりに活躍はしてても、誰?みたいになっている人も。
生田さんは、大丈夫だろうと。(笑)
いつまでもファンでいると思います。
活躍を期待しています。
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