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読書日記(’22.3.18) ~文化の"ワンパッケージ"消費、ユダヤ教とキリスト教、「王狼たちの戦旗」
2022年03月18日 (金) | 編集 |
「東京山手文化」の正嫡としての幸福の科学 (togetter)


アニマックスで見た『遠い海から来たCOO』



のストーリーテリングの上手さに感銘を受けて、そう言えば(原作者)景山民夫さん(Wiki)の"幸福の科学"って、世間的にどういう受け取られ方になってるのかなと検索していて見つけた8年前のtogetter。
読んでるとなんか色んな方面にジワるので(笑)、紹介したいなと。

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 18:15:30
景山民夫が幸福の科学にハマったのは、文化史的には、必然みたいなもんだと思う。

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 18:23:44
高級官僚の家に生まれて、暁星いって、慶応中退して、アメリカでぶらぶらして、帰国後、クレイジーにみいだされ、大橋巨泉に気に入られ、萩本欽一を蛇蝎のように罵り一方ドリフを認める幅の広さを演出し、ブルータスに連載をもち… って、もうね、景山民夫こそ、東京山手文化の正嫡だったわけです。

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 18:25:52
その揺籃が、大正期少年少女文学にある東京山手文化は、つねに、文化を「ワンパッケージ」として消費する。景山民夫のあのノリは、まさに、「ワンパッケージ」だもんな。

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 18:30:14
幸福の科学を「イロモノ」と扱ってたら、舐められます。守護霊シリーズはさておき、あれ以外の「地道なブランディング」は、刮目すべきです。

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 18:31:41
「反体制を気取りたいけど、恥ずかしいことはしたくない」「人と違うことしたいけど、選択行為が面倒いから、ワンパッケージで飛びつきたい」というブルジョワノリにとって、幸福の科学は、とっても魅力的。


メインのポイントはここです。「ワンパッケージ」(で飛びつきたい)。
正直"東京山手文化""大正期少年少女文学"も僕にはよく分からないので、この人の文脈自体を正確には読めないんですけど、最後のツイートの「反体制を気取りたいけど、恥ずかしいことはしたくない」「人と違うことしたいけど、選択行為が面倒いから、ワンパッケージで飛びつきたい」の箇所は、2022年の問題として読んでも凄く何かピンと来るものがありました。
具体的には、一つは"ネトウヨ"&"陰謀論"の長期的流行と、更に遡って所謂「若者の右傾化」の動きの、少なくともある部分。
それからもっと最近で言えば、例の"倍速視聴"問題をめぐっても話題になった、「オタクになりたい若者たち」という現象。"インフルエンサー"問題でもあるかもしれない。

まず"陰謀論"は分かり易いですね。自分が今まで知らなかった巨大な未知の知識の体系や秘密の陰謀があって、それを知ることによってあるいはそうした把握を正に"パッケージ"として受け入れることによって、世界が反転する一挙に謎が解ける、あるいは"正しい"側に身を置いて無知な一般人にマウントを取れる、そういう心の動き/誘惑。陰謀論が魅力的である受け入れられる、基本的な構造としてこうしたものがあるのは既に自明だと思います。
そしてそれ自体は右でも左でもない訳ですけど、"戦後日本"という区切りで言えば見方にもよりますが長らく概ね"左"(リベラル)寄りに構成されて来た"表"の思想や常識、それに対して勿論個別に検討・評価すべき洗い直し的議論や事実はある訳ですけど、そうした是々非々とは別にやはり「一挙反転」的快楽や意識的無意識動機の存在は、"世代"規模の大きな動きの背景としてはあるように思います。そもそもの戦後思潮をしばらくの間導いたのも、一種のマルクス主義"陰謀論"だったと言える面もあると思いますし。左の革命に対して右の革命が起きただけというか。
郵政小泉に投票したのも政権奪取民主に投票したのも、あるいはオバマに投票したのもトランプに投票したのも、実はかなりの部分同じ層だったという話も聞きますし。個別の検討ではなくパッケージでベットするので、動く時は一気に動く。どちらの方向にも。まあそもそも「政党」というのはその為にあると、言えなくはないでしょうけど。(笑)

もう一つの「オタク」の方は・・・

彼らは、何かについてとても詳しいオタクに“憧れている”のだそうだ。ところが、彼らは「回り道」を嫌う。(中略)
彼らは、「観ておくべき重要作品を、リストにして教えてくれ」と言う。

(『「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来』)
「何者かになりたい」人たちが集うある種のオンラインサロンには、そういう考えの人たちが集っている。このサロンに入り、影響力のある人とつながって、インスタントに何か一発当てたい。脚光を浴びたい。バズりたい。そんな「一発逆転」を狙う人たちであふれている。(『同上』)
「彼らが探しているのは、要は“拠(よ)りどころ”なんだと思います。自分が属しているだけで、楽しいと思える場所。それが、オタクという属性です。」
「オタクという属性を手に入れられれば、結果的に自分は“個性的”にもなれる、と捉えている」

(『「オタク」になりたい若者たち。倍速でも映画やドラマの「本数をこなす」理由』)
タイパ重視の人はチート(的なもの)が大好きだ。「これさえやっておけば副業で儲かる」情報商材、「これさえ読んでおけばOK」のビジネス書や啓発書のリスト。最小の労力で最大のリターンを得られる、ラクな方法。
(『失敗したくない若者たち。映画も倍速試聴する「タイパ至上主義」の裏にあるもの』)

個性的な何者かになりたいけどその為のツールは一揃い一発で下さいそれに従いますという。
"菅野完"氏によればそれは大正時代から東京山手にあった"ブルジョワノリ"だそうですが、だとするとそれがついにある年代以降の日本人全体に一般化した、みんなが薄ーく"ブルジョワ"になったという、そういうことなのか。(笑)
言葉としてはその前の「反体制」が少し引っかかるかも知れませんが、"一般人からのいち抜け"という意味ではここで語られた「個性」志向と同じと言えば同じだと思います。元々"オタク"自体、"反体制"でないことはないわけですし。"少数派"というか。

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 18:41:15
ブルジョワサブカルノリが、カルトにしか吸収されないってのは、ちょっとこの国の宿痾かもしれませんね。

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 18:44:58
糸井重里は徳川埋蔵金という逃げ道があったからよかったけど、徳川埋蔵金ネタがなかったら、幸福の科学にハマったと思う

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 18:58:19
一時期、幸福の科学は、三宿に重点展開したことがある。すぐに徹底[撤退]したけど。つまり、三宿のあの「オシャレといわれてる」感が、幸福の科学に必要だったわけだ。

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 19:05:05
僕は、幸福の科学が、ネトウヨノリを装ってくれたのが、「不幸中の幸い」だと思っています。あれ、ネトウヨノリじゃなくて、エコロジー&リベラルノリを装うというブランディングを幸福の科学が採用してたら、いまごろ、リベラル陣営、死滅してると思います

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 19:09:28
つまり、ある時点で、幸福の科学は、「ネトウヨノリこそ、『人と違うことしたいけど選択行為が面倒いからワンパッケージで飛びつきたい』というブルジョワサブカルノリに効く」と判断してたということ。

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 19:17:36
もし、幸福の科学が、ネトウヨノリではなく、リベラルノリを採用してたら…
白金や三宿や代田橋や代々木上原のあのノリの街にある教団施設に、オーガニックなTシャツきて靴はコンバースでその癖履いてるデニムは一本七万とかの、ブルータスノリ善男善女が集まる…
…うーん。ありがち


ここは少し異論があるかな。
幸福の科学にブランディングや戦略があるのは確かでしょうが、ただそれが"ネトウヨ"的なのは偶然ではなくて、"装っている"というのとは少し違うと思います。はっきり言えば大川総裁資質自体がそもそもそうで、それがある意味"素直"に発揮された先が、結果的にある種のブランディングにもなったということではないかなと。

杉山真大@震災被災者 @mtcedar1972 2014年9月5日
>>juns76 そもそも大川自身、共産党の活動家だった団体職員の家に生まれ東大に進学したものの「東大リベラルアカデミズムとそりが合わず」(と言うよりついていけず)、ドロップアウトしたってところなど小室と多くが共通していたりするんだよね。


とコメント欄にもありますが。
糞真面目な田舎の秀才で、著書で再三公言してますがカント/ヘーゲルが至高でその後の相対主義的な知的諸潮流は何言ってるのか訳分からん、正しいものは正しくて正しくないものは正しくないに決まってるというタイプの旧型(当時的に)の"知性"で。
「宗教家」という形でその浮世離れに自ら一定の正当性を与えつつも、やはり主流から外れている面白くなさは感じていただろう日々を過ごす内に、メインは歴史観国家観ではありますが一部には相対主義的な哲学潮流への批判も含んだ形での思想の反転、戦後思想への一斉攻撃的な動きが活発化するのを見て、ならばと"デビュー"したのが2009年



あたりに始まる嫌韓反中反リベラル戦前戦中日本の肯定的評価を基調とする菅野氏言うところの"ネトウヨ"路線。概ねこんなイメージですけどね、僕は。
それがかなりな急展開だったのはやはり戦略/ブランディングがあったゆえなんだろうとは思いますが、金正日や安倍晋三(の"守護霊")等の直接的な"題材"から始まり、その内自分が青年時代に読んだり影響を受けた保守系の学者やビジネス思想家等の"霊言"を次々と、自分史を紐解くように世に送り出していく様は何やら楽しそうで(笑)、"装っている"などというマーケティング的な理解の範疇を大きく逸脱していたように思います。(著作数は膨大ですが、これ古い順からバーッとタイトルだけでも見て行くと、概ね雰囲気は掴めると思います)

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 19:43:13
話あちこちいくけど、幸福の科学。幸福の科学は、景山民夫路線のころは、エコロジー&リベラルノリだったのよ。しかしそれじゃ商圏がひろがらなかったのだろう。あのあと、しばらくして、ネトウヨノリになった。つまり、そっちの方が、「ターゲット層」の本質やったのよ。

菅野完 @noiehoie 2014-09-04 19:45:01
幸福の科学がエコロジー&リベラルノリからネトウヨノリに変えたというのは、幸福の科学が狙う「あの層」の本質が、ネトウヨノリにあるということ。これは、東京山手文化圏の本質に潜むもんだと思いますよ。村岡花子の戦争加担に通じる例のアレ。


上のコメント欄でも言われているように、共産主義活動家でもあった父親が主導した初期の教団・教義、そこから喧嘩別れ的に自立・独立しての模索の果てに見出したのが、"ネトウヨ"的とも言い得るアイデンティティだった訳ですよね。そこに"流行に乗った"要素はあったとしてもそれ以上にご本人の("保守"的な)資質的必然性があって、少なくとも大川氏主導の幸福の科学が「エコロジー&リベラルノリ」で着地する現実的可能性は無かったと僕は思いますね。
むしろもう初期とは別の教団なので、一時よく見ていた現役信者が集う掲示板(公開のものです(笑))では、"信仰"は一応保持しつつも一体何がどうして今自分はこんな"右"寄りの活動を後押ししなくてはならないんだろうと悩む初期からの信者の書き込みなども、定期的に見かけました。


まあ別にいいんですけど幸福の科学の事は(笑)。最近あんまり名前も聞かないですし。
世間話としては、怪しい面白さがあるでしょ?(笑)
そもそも「宗教」自体、「信仰」「入信」という行為自体が、"ワンパッケージ"丸ごと受け入れ行為であり(是々非々では"信仰"にならない)、パッケージのチョイスによる自分のブランディングや選民化やあわよくばの"勝ち組"ベットを目指す行為な訳で、まあなんか小規模な「宗教」行為がそこら中に溢れている、むしろ社会を動かす主体にすらなっているように見える今日この頃ではあります。インフルエンサーって何?(笑)
なんかほんと、"忠誠心"の厚い人が目につくことが多くなったなと、領域・対象を問わず。いちいち避けてると付き合える人が本当に限られて来てしまうので、出来る限りスルーするように努力してますが。ぶっちゃけサッカー界でもね、うん。昔に比べると。"ガチ"度がなんか。



話変わって。
まあある意味「宗教」の話ではありますが。




元々今週は、昔読んで抜き書きだけしておいたこの本のレポをやる予定だったんですが、やってる内に読み返したくなってしまって時間切れでこういう形に。(笑)
その中から今回は、本題には余り関係無い面白かった箇所を。

p.176

ユダヤ教キリスト教における黄金律には興味深い違いがあります。
キリストの時代の少し前に生きたユダヤ教指導者ヒレルは、このように述べています。「自分がされたくないことを、人にしてはならない」。これは言い換えると、寛容な心を持って、他人のことには構わないようにしようということです。
一方、キリスト教信者は、積極的な活動家の意見を持ちます。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人に行ないなさい」(出典『マタイ伝七 : 一二』)。
今は亡き哲学者であるウォルター・カウフマンは、彼の著書である『異端者の信念』(一九六一年)で、この違いの重要性を主張しています。キリスト教信者の黄金律は、他人の願望と衝突する、つまり結局は何かを押し付けることになる、とカウフマンは述べています。


ユダヤ教・キリスト教共に膨大な教えがある中から、この抜き出しがどれくらい公平なものなのかは僕には何とも言えませんが、面白げな話ではあります。米欧の"ドラマ"の描写から心当たりを思い出すと、確かにこの2つが接触する時に、「放っといてくれ」というユダヤ教徒とそれでもおせっかいを焼きたがるキリスト教徒という対立構図(笑)は、よく見られる気がします。だからと言ってイスラエルと対峙しているアラブ人たちが、ああ相手がユダヤ教で良かったキリスト教よりはなんぼかましだと納得するとは思えませんが。(笑)
国語的に読めば、自分がしてもらいたいことが他人もしてもらいたいこととは限らないというのは、余りに明らかですけどね。対してしてもらいたくないことを他人にしなかったとしても、それが喜ばれるとは限らないけれど少なくともそれ自体が迷惑をかける可能性は薄い。人のことは放っとけと、そう言えばつい最近僕も『工場夜景』に絡んで吼えてましたっけ(笑)。"寛容"とか"価値相対""多様"とかいうのは、言ってみればそれだけのことです。ただでさえみんな大変なんだから、イキって干渉して余計な面倒を増やすなと。
ユダヤ教が世界を制すれば良かったのか。うーん、疑わしいな、そもそも「世界宗教」というのはおせっかいなものでしょう。おせっかいだから世界宗教になれるし、世界宗教になる過程で結局どんな宗教も"おせっかい"に変質しそう。仏教ですら、"大乗仏教"になりましたし。"救い"はタダじゃないというか。必ずおせっかいに耐えるという、"対価"を支払わなくてはならないことになる。(笑)






最後は最早恒例『ゲーム・オブ・スローンズ』の小人の賢者"ティリオン"のぼやき。

got_t

章ごとに視点主人公が変わる原作本だと特に、ティリオンのパートが最も作者がノって書いてるのは明らかに感じます。(笑)

p.217下

完全に事実だと知っていながら、これらの告発に対して、彼女が居丈高になって怒り狂うのは驚きだった。


"彼女"というのはこれもお馴染みですが、ティリオンの姉で女王/皇太后のサーセイ・ラニスター
怒れるんですよね、ああいう人は。真に自己中心的な人自分が可愛い人は、最終的に事実も因果関係もどうでも良くて、今現在自分が感じている不快感だけに関心を向けて全力で怒ることが出来る。自分を被害者だと感じることが出来る。
ただ事実を突きつけても無駄。反応を予測して回り込んで、対処しないと。

p.297下

サーセイは待たせれば待たせるほど、余計に怒る。そして、怒ると愚かになる。冷静で狡猾な姉より、怒って愚かな姉のほうがずっとましだ


という訳で"対処"法?(笑)
いや、これはむしろ"怒り"の種類の問題で、上のような実はどこか冷静で習慣的で自己防衛的な怒りではなく、もっとストレートでプリミティブな怒りにまで追い込めば、こういう"いつも怒っている"人の怒りも利用可能なものになる。
ま、動物なんで、必要なのは説得よりも調教。


p.377下

十六歳で、ユーモアとか自信喪失などの影響をまったく受けていない、若さの確信とでもいうようなものに毒されている。


腹痛え。(笑)
サーセイのお気に入りの少年騎士の話ですが。
"ユーモア"や"自信喪失"とは無縁のげんなりするような「若さ」、日々のインターネットなどでもまま出会いますね。
「確信」に"毒されている"というのがまた。"病"の一種としての「確信」。




p.118下-p.119上

ティリオンは姪のミアセラが大神官の前にひざまずいて、旅の祝福を受けているのを眺めた。(中略)
大神官は家のように太っていて、パイセルよりも尊大で、その声は切れ目なく続いた。"もういい、爺さん、終わりにしろよ"ティリオンはいらいらして思った。"神々はお前の祈りに耳を傾けるより、もっと大切な仕事があるんだ、おれだってそうだ"


誰も聴く者がいない内心の声でもユーモアを忘れない、律義(笑)なティリオン。
むしろあれかな、自分自身を常に「観客」として置いておけるようになるというのが、客観性や俯瞰視野を身につけているということなのかなと、まあそんな大げさな話でもないんでしょうけど。


以上。


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テーマ:雑記
ジャンル:本・雑誌
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