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「徹底」と「最大」の微妙な違い ~今更牽牛星さんへの返答
2022年02月16日 (水) | 編集 |
違うと言えば違うんだけどまあ別にいいかとその時は思ってたんですが、'22Jリーグ開幕を前に、気分的に区切りとしてやっぱり書いておこうかなと思い直して。
昨年末(12/2)牽牛星さんが書いてくれた僕へのレス(in『背反の先にあるもの』)に対するレス。


(サッカーにおける)「徹底」(という方法論)についての応答

まず簡単に流れを整理します。

"シティ"と"ペップ"(みどりのろうごくblog) ['21.9.20]

(おまけ)"チームの最大値"の出し方問題 より

③リーグは流動、大耳は不動を徹底
ケイン獲得、フォーデン期待、どちらになったとしても大切なのは、リーガはコアUTを用いて柔軟な起用で乗り越えながらビッグチーム相手で最終生産過程のブラッシュアップに時間をかけるべきだ。
リーグはケガの予防と戦術の拡充と実験も兼ねてフレキシブルな起用を心掛け、同格格上との闘いが続く大耳やリーグの重要な試合ではスタメンを完全に固定するのが良いと思う。
(『ペップの大耳10年戦争』)


という牽牛星さんによる"「徹底」の提案"を承けて。

僕が書いた昔話というか伝統的なサッカー状況についての認識。

対応すればその場はその試合は上手く行くかもしれないけど、それをメインにすると長いスパン長いシーズンの中ではチーム力の高止まり(注・誤用。"頭打ち"的な意味)が起きて結局勝てない、タイトル獲得レベルまでは行かない。
多少不器用なようでも特定のスタイル(戦術やシステム)を多くは特定のメンバーで煮詰めて、それの運用で"対応"にも当たった方が結局効率がいい、これがある時点までの、国によって程度の差はあれ日本に限らないサッカーチームの経験則だったと思います。(アト)


そして恐らく世代的に同様の認識を前提にしての、岩政大樹氏の今日状況の整理。

僕の補足。

僕流に言うと"「徹底」は「バリエーション」を凌駕できない"がスタンダードになったのは割と最近の事で、昔はそんなことは無かった。(アト)


用語法自体はこの際だから分かり易く、以後は"岩政語"に合わせることに。
長らく「徹底」の「バリエーション」・・・を志向しての結果的「中途半端」への優位がサッカー界を支配してきたように見えるが、近年の「バリエーション」の理論的充実によってその地位が逆転した。

という状況を前提にしての、

話戻して牽牛星さんがこんな年寄り臭い問題意識を特に持っているようには見えませんが(笑)、「バリエーション」優位の筈のトップレベルのサッカーの"頂点"対策の話として、回り回って再び「徹底」っぽい話が出て来ているのに単純におっと思いました。(アト)


というまとめ。

それに対する牽牛星さんのレス。短いので全文引用。

背反の先にあるもの(21/22MCI中間報告風)(牽牛星のよろず日記)['21.12.2]

第4章 Re "シティと"ペップ" 中の 4-2最大値形成 より

最大値形成における徹底とバリエーションという問題に関して、自分は以下で述べているようにリーグ、CLにおいては求められる素養が異なると考えている。
シティはリーガを制圧してしまっているので、自分がシティの課題について語る時にはCLでの支配力の増強、という事を念頭に主張を繰り広げるので、嫌と言うほど最終生産の話をするのも、CLを制覇するための絶対的な矛の欠落が課題なので、『徹底』したとしても相手が止められない武器の構築を訴えている。
リーグを取るだけならばバリエーションを広げるUT路線でも問題はないとは思うが、強敵との一発勝負が続く短期決戦においては、70点の武器を2,3持つのではなく90点の武器を一つ有して、その武器で殴り殺す事が求められるように思う。
『改めてお聞きしたい』とアトさんが書かれていた部分に、お答えするのなら、CLのような短期決戦においては徹底が重要であり、どんな盾でも防ぎきれない矛の生成、どんな矛でも耐え抜ける盾の生成、のどちらかをやりぬく必要があるように感じる次第である。


これ自体は要は牽牛星さんの持論のまとめですし、少なくともその文脈において僕も特に異論は無いんですが。(実際にそれで勝てるかとかはまた置いておいて、少なくと"論"としておかしなところがあるとは)


「徹底」の中身

「徹底」が必要だと、牽牛星さん。
「徹底」の必要性の方が優位であったと、僕。
ただ問題は、その「徹底」の中身に一致していない部分があって、つまり牽牛星さんによる"UCL制覇の方法論"は、僕(や恐らくは岩政氏)の"問い"に対する直接的な"答え"にはなってないという、すれ違いを僕が感じるということ。
・・・国語的にというか(笑)。国語の問題を出したつもりが理科や社会の解答が出て来てしまって、どうしようかみたいな(笑)。どうしよう?岩政先生。(at 職員室)


牽牛星さんの"最大値"論

そもそも何の為の「徹底」かと言えばそれはそのチームの戦闘力的「最大値」を引き出す、そこに到達する為の方法論としてなわけですが。
それに関しての牽牛星さんの持論。

シュートの上手い選手を中心に得意な戦型を創出し、それを最大値とし、そこへ接続するためのリーグを支配する構造を作り出す、このメソッドをバルサとバイエルンでは徹底していたペップ
(『背反の先にあるもの』)


これは直接的には現実にペップが採って来た選択についての観察ですが。

更にそもそもの牽牛星さん自身の考え。

(4)ペップという才能

集団競技において、よく聞く言説として『1+1=2にも3にもなりうる』といったものがある。しかし自分の持論として、集団は最も優れた構成員を上回るパフォーマンスを出すことは出来ないと考えている。1+1=1以下である。
それはサッカーでも変わらない。集団のエース、ここではスコアラーだが、その”器”を超える最大値は得られないのである。
(『坂道グループとペップを巡るメタゲーム』['22.2.12])


せっかくなので最新作より。(笑)
見ての通り簡単に言えば、スーパーなorベストな特定個人(の質)を起点[基準]かつ終点[最大]に考えるのが、牽牛星さんの論。
結論というか。


僕の「徹底」論

もう一度上の引用を、今度はもっとピンポイントに。

多少不器用なようでも特定のスタイル(戦術やシステム)を多くは特定のメンバーで煮詰めて


つまり僕が基本的に想定しているのは、あくまで"スタイル"や"戦術"や"システム"の次元の話であって、選手個々の資質は問題にしていない訳です。「特定のメンバー」という言い方がひょっとしたらそうでないように読めてしまう可能性はありますが、それは単に「固定」という意味であってその中に特別な選手がいるという意味ではない。(いるかもしれませんけどそれは偶々)
牽牛星さん自身もCL対策として「不動」「固定」を語っている(一番最初の引用)訳で、そこら辺を誤解しているとは思いませんが。

とにかく選手の質ありきの牽牛星流"最大値"論と、それには触れずに純構造的な問題として展開されている僕の論と、同じ「徹底」を問題にしているつもりの論でも見た目の違いは明らかな訳ですけど。
ただ選手のいないチームも要素の無い構造も存在しないので、いずれ実際の/個別のチーム作りにおいては当然何らかの形で選手の質は関わって来ます。だからこの二つが完全に対立することも完全に別の問題として扱われることも現実的に無いは無い訳ですけど、では何が問題なのかどこが引っかかったのかを、次に。


ボトムアップとトップダウン

簡単に言えば、ボトムアップでしこしこ考えていた(「徹底」という)問題に対して、突然トップダウン型の解答を投げつけられて謎は全て解けた!と言われたので、へ?となってしまった(笑)という事です。
トップダウンだから"間違って"いるという訳ではないですよ。一般論的に言ってもある問題の処理にボトムアップが相応しいかトップダウンが相応しいかは、その問題の性格によるわけですし。
ただボトムアップ的に設定された問題の、「答え」ではないということです、直接の。(だから国語的な問題と(笑))
ソリューションである可能性はあるけれどアンサーではないというか。

具体的なサッカー状況で言いましょう。
これは次項で扱う問題に先取り的に少し触れてしまうことでもありますが、MSNやBBCを擁する訳ではない(擁してもかも知れませんが)99.9999......%のクラブ/チームにおいて、チーム作りの努力は普通ボトムアップ的に行われるものだと思います。・・・言い方自体は一つの言い方ですけど。
例えば守備から攻撃へ、例えばDFラインから中盤、前線へ、あるいは基本構造から特定的具体的な動きの組織へ、あるいは計算出来る確実な部分から不確実でバクチ的創造的な部分へ。
"ハイプレス"や"ポストプレー"のような初手もあるので物理的にプロセスが下から上へ後ろから前に進むとは限りませんし、それこそ選手の質の問題としてそのチームの中のどこが最も"計算"し易いか(つまりチーム作りを始め易いか)は紛れがあるでしょうが、少なくとも発想としてはイメージとしては、まずボトムを確保してそこから積み上げるという順番で"フィニッシュ"を、チームの完成というフィニッシュであれ得点というフィニッシュであれ、考えるものだと思います。

そこにおいて牽牛星さんが真っ先に考えるようなフィニッシャー、スコアラーの存在や質は、勿論重要ではあるし偶々幸運にも能力の高いストライカーがいた場合は頼りたくはなりますが、いるとは限らないしいたとしても頼るのはチーム作りの物理/理念的プロセス的になるべくぎりぎりまで遅らせたいしという、そういう存在な訳です。その方が安全というか、努力の方向として誠実というか。
チーム事情は無限に千差万別ですが、あえて言えば"いない"という想定、あるいは(そのカテゴリーで)平均的なレベルの質を想定していかに運に左右されない部分で方法論を追究確立するか、そういう前提で例えば上で僕が言ったような"純構造的"な「徹底」論などもある訳ですね。・・・これ自体は、ごくごく一般的な発想・思考だと、僕は認識していますが。(岩政氏のなども含めて)
そしてまたこうした問題の次元を、牽牛星さんが理解していないとも思いませんが。

ではなぜ論じ方の違いが出て来るのか。
選手/ストライカーの質をなるべく/当面は前提としないような設定の問題への"解答"として、当たり前のように質ありきの解答が提示されて来るのか。
ボトムアップにトップダウンで答えるのか。(笑)


議論の土俵自体を変えてしまう選手の質の差

一言で言えば、それは住む世界が違うからだと思います。(笑)
ブログで見た限りではありますが、牽牛星さんが名前を挙げるのはメッシでありクリロナでありレバンドフスキでありハーランドであり、あるいはそれに近いレベルの欧州クラブサッカーの人材のプールから、"選ぶ"こと"選べる"ことが自明もしくは暗黙の前提として話が進められています。(実際には獲得の成功不成功はあるにしても)

それに対して、僕がこうした問題を考える時に頭に浮かんでいるのは、あるいは考え始めていた時期に目の前に存在していたのは、"外国人"で揃えたとしてもせいぜいが「バロン」(元甲府'98→ジェフ→清水他)とか「ベンチーニョ」(元ヴェルディ'94→柏→大分他)なです(笑)。・・・実際にはもっと有象無象の、名も無き日本人ストライカーや泡沫外国人FWであることの方が多い訳ですけど。

メッシやクリロナがチームにいたら、そりゃ合わせますし合わせれば"解決"するでしょう。
でもバロンやベンチーニョに合わせても、ありきのチームを作ったとしても、多少本人たちの個人成績は上がるかもしれませんがそれでチーム作りいっちょ上がりとはいかないでしょうし、リーグ優勝や昇格レベルに到達したりしない事は、彼らの現実の"活躍"を見ても明らかだと思います。
ちなみにバロンやベンチーニョでは古過ぎて牽牛星さんは知らないとしても、それは問題ありません(笑)。どのみち同時代にいたとしても、牽牛星さんが前提とするのはJリーグの"そこそこ優良"外国人FWではないだろうと思われますから(笑)。住む世界が違うのです。(再)

逆にJリーグでも、たまたま同等の条件が揃えば牽牛星さん流の"処方箋"が通用する事はあります。代表的には何と言っても、'07年フッキを擁してJ1昇格を達成した時のヴェルディ。あの時のフッキは(J2レベルでは)それこそメッシクリロナ級の怪物であって、戦術フッキでそれで充分、チームも周りもフッキのサポートに徹して彼にそれこそ"バイタル解放"させれば勝手に攻撃は完結してそれ以上特にすることは無かったわけです。ただそんなことはJ開幕後に限ってもヴェルディの30年弱の歴史の中でそれ一回切りなので、それ以外の20数回のシーズンには別の事を考えなくてはならなかった。

他の例はどうでしょうね。意外と思い浮かばないな。エメルソンを擁してナビスコで初戴冠した頃('03)の浦和はどうだったか、対戦相手からすると恐怖感含めて"エメルソン"のチームだった訳ですけど、監督は禁欲的ポゼッション主義者オフトですし田中達也という近いレベルのパートナーもいましたし、そこまでシンプルな設計ではなかった気が。エムボマのガンバはそもそも強くなかった(笑)ですし、オリバ清水('96-'98)あたりが近い例でしょうが、清水の元々の地力実績からするとナビスコ優勝だけではちょっとインパクトが薄いか。

・・・この話の進め方はあまり良くないな。ただのJリーグ怪物外国人列伝になってしまう。もう一回"チーム作り"論に話を戻して。"列伝"的に言うならばオオサコ・ムトウの両外国人を揃えた現在の神戸こそが、案外フッキヴェルディの次に来る例ではないかと思ったりしますがそれはともかく。

要するに、"ストライカーの利益≒チームの利益"になるのは、ストライカーを獲る/いることがチームの強化≒"最大値"アップ・確保に繋がることが期待できるのは、そのストライカーが相当のレベルの選手であるか相当上手くチームに嵌まった場合だけではないかと思う訳です。
実際問題、Jクラブサポを中心とする大部分の日本のサッカーファンにとって、意気込んでストライカーを獲っても特に得点力が上がらない、得点力が上がってもあるいはそのストライカーが点を取ってもチームが強くは別にならない、こういう経験・記憶の方が遥かに多いのではないかと思います。後はストライカー?意気込みは結構、期待しないで待ってるよという半ば身に付いた諦め。(笑)

僕が「バロン」「ベンチーニョ」という例をいきなり挙げたのは、彼らが特にあちこちのチームを渡り歩いてそのどのチームでも同じようにそこそこ点を取るけどどのチームも別に強くならない(笑)という風景を見ていて、ストライカーって何だろう、ストライカーがいてチームが強くなる場合とならない場合の違いは何だろうという思いに強く駆られたからな訳ですが。
もう少し責任を取れるところでヴェルディの例で言うと、大黒('08年フッキ離脱後に加入)は疑いなく能力の高い選手でしたし大黒なりに活躍はしましたが、チームは強さを維持することも強くなることも無くJ2陥落→定着の道を歩みましたし、個人能力的にはクラブの歴史上フッキに次ぐクラスの怪物だったろうワシントン('05年加入)に至っては、前季末天皇杯優勝を成し遂げたチームを(僕がしつこく言う恨み言ですが(笑))間違いなく"弱く"して降格させました。一方でガンバ時代の大黒の得点力が強豪ガンバにおいてストレートに武器だったことも(ヴェルディの後の)浦和時代のワシントンがシンプルに浦和の脅威を倍加(駄目押しかな?)させる存在だったのも、それ自体は大いに認める事実。
ちなみにガンバはよく知りませんがワシントンの浦和は、"ワシントンという最大値"に合わせたチーム作りとかは全然していなかったと思います。どちらかというと想定最大値を時々"突破"させる、ある種のおまけ的伸びしろとして置かれていたような。頼る時も無くは無かったですけどそれは相当にチーム状態が悪い時、言わばチーム作りが"失敗"していたイレギュラーな時。
それはともかく。

現代における自己完結的なアタッカー類型

いつもの如く予定より長くなって若干焦り気味ですが(笑)、ここで一つサブ概念を導入したいと思います。
サッカーの歴史上、どの時代にも時代を彩るスーパープレーヤーやストライカーはいる/いた訳ですが、トータルフットボールやプレッシングの時代以降、チーム戦術への貢献やフィジカル的要求がどんどん高くなり、かつては許されていた異形性や長所と裏腹の欠落のようなものへの許容度はつれてどんどん小さくなっていった訳ですね。
そこからまず出て来たのが前線からの守備等のチーム戦術への貢献を怠らない、多くはフィジカル的にも強健・健康な勤勉実直優等生アタッカー類型。これはまあ、Jリーグレベルでも既に標準化されていることだと思います。
そして次に出て来たのが、そうした要求をこなすことを最早苦にせずに生き生きと自らの創造性を爆発させる超人的or万能型のアタッカーや(ハーランドやレバンドフスキ)、逆に"戦術の時代"においても尚少なからぬ義務の免除を堂々と要求する/出来る、メッシ・クリロナを代表とする異次元アタッカー。
類型としてはもう少し細かく言いたいところもあるんですがそれはともかく、共通するのはプレーの"基準"、要求水準の決定的上昇と、更にはグローバル化によるその集約・集積的加速の試練を乗り越えることによって生まれた、歴史的視点で見てもある種突き抜けた"新しい"アタッカーたちだということです。(ちなみにポジショナルプレーは規律を高度化すると同時に選手を解放もして、自己完結化を促進する役割を果たしていると思います。[参考])

よくメッシ・クリロナが同時代に存在していた"奇跡"について語られますが、近年のハーランドなりムバッペなりに至るその後の"後続"選手たちのクオリティを見ると、彼ら(メッシ・クリロナ)は一方で必然的合理的な流れの先触れでもあったのではないかなと思ったりします。
で、何が言いたいかというと、欧州乃至世界トップレベルとJリーグ(しばしばその二部)という昔からある格差とは別に、"トップ"の更に上に"超絶"とでも言うべき領域が近年新たに発生していて、牽牛星さんの論/定式化はむしろ専らそこら辺に立脚して繰り出されているように見えるということです。それと底辺・・・とまでは言えないでしょうがJリーグ(二部)の日常及びそれを含むサッカー"一般"についてめぐらされる僕の思考とでは、逆に"対立"すら即時には困難なくらいの距離があって、なかなか何というか、難しいよなという話です。(笑)

自己完結できるアタッカーを前提としたチーム作りの話と、しないチーム作りの話とではという。
たまたま僕の基盤チームヴェルディには「フッキ」という歴史があるので、特権的に比較がし易いと思いますが。



[結]
"ボトムアップ"と"トップダウン"の出会い? ~再度の検討


まとめのようでまとめでない結び。
以上専ら二人の立場(立脚点)を対置的に、場合によっては対立的に比較して来た訳ですけど。
でも意外とそうでもないんですよね。

なぜかというと選手の質を当面捨象しての一般論的な、あるいは選手(特にストライカー)の質に頼らないという前提でのボトムアップ的なチーム作りやその「徹底」を標榜(?)しつつも、そのこと自体に"成功"している訳でも答えが見つかっている訳でも、実はないからです。
"ボトム"アップの果てに"トップ"に至る道筋が、見えている訳では必ずしもない。目指す"頂"は雲の上にあって、いつどのように至れるのかそもそもちゃんとあるのかこの"ルート"で登れるのか、多くの場合甚だ心細い登山客/登山家として、我々はいる。(笑)

より分かり易くというかあけすけに言うと、"超絶"レベルに近いストライカーでもない限り、ストライカーの補強も起用もチームの問題を解決できない"フィニッシュ"を完成させないことが多いという無数の苦い経験則、それ自体は容易に無視することを許さない"実情"としてトップありきの処方箋に対する反駁材料になるとしても、それは逆に言うとボトムアップ的に構築したチームにストライカーを嵌める、あるいは"載せる"方法が単によく分かってないという意味でもある訳です。
実際は"途中"まで構築された良質のボトムアップ的な"チーム"、それ自体が与える基礎や余裕や選択肢が、何らかの形でどうにかして(笑)、チームを完成形に導いたり形はどうあれコンペティション的な目標を達成するだけの戦闘力を与えたり、そういうことは普通に/しばしばあります。ただそれはその都度の結果論であって、汎用可能な定式化可能な、すっきりした方法論がある訳ではない。人事を尽くせば天命が降って来るだろうと、期待しながら毎年頑張ってるだけなんですよね。(笑)

ぶっちゃけボトムアップ自体でチームが完成することは、無いのだろうと実は僕は思っています。
論理的に"完成"らしきものは描けても、むしろそれは"窒息"や"袋小路"に近くて、"優勝"や"昇格"のようなブレイクスルーに必要な活力爆発力を逆に妨げてしまったりする。端的に"得点"でもいいですけど。真面目なだけのチームは大して強くならない。(笑)
まあ地力が高かったりライバルたちがしょぼかったりすると、"確実"な部分だけで悠々と勝ってしまったりしますけどね。一時期の鹿島のように。

多分最後の段階では、ボトムアップの矢印を"反転"させるような、ちゃぶ台返し的ご都合主義というか調整が、必要となるんだろうな、"トップ"の問題はトップダウンで処理する方が効率的現実的なんだろうなと、諦め的に思っているところが僕はあります。
だからまずトップを見よそれが最大値だそれに合わせよと言う牽牛星さんの論の明快さは、魅力的ではある誘惑的(笑)ではあるし何らか取り入れるべき視点だとは思うんですよね。
上で言ったように余程の能力の選手を指標にしないとそう簡単にそれは機能しない、単にアンバランスになったり(だからこそたいていはまずボトムアップ的努力から始める)逆にその見かけ上の最大値が"蓋"として機能してしまったり(バロンやベンチーニョのチームが強くならないように)する。あるいは"浦和のワシントン"のところで少し述べたように、ストライカーの能力とチームの最大値の関係はそこまで単純ではないというか、もっと多様な類型を考えるべきだと思います。

これら色々ひっくるめて今僕が考えていること、抱いているイメージは、いかに"ボトムアップ"と"トップダウン"を上手に「出会」わすかみたいなこと。二つの原理の非統一的接合というか。
とりあえずはまずボトムアップで考えるべきだけど、最終的にはトップダウンが必要になる。そこの接合点/面をいかに処理するか、なるべくどちらの機能も殺さずに。監督が柔軟で引き出しが十分ならあるいは具体的に"トップ"を担うストライカーに万能性や理解力が豊富なら、この"出会い"はスムーズに行われ見かけ上矛盾や葛藤が存在しなかったようにすら見えるかもしれない。でも実際には陰で(笑)ちょこちょこひっそりと、微調整や談合や裏工作が行われているわけですね。本来は別の原理なので。

それが上手く行かなければ、"木に竹を接いだ"状態になったり接げさえせずに盛大に分裂したりする。足し算や完成どころかあぶはち取らずで壊滅的に戦闘力が減退したりする。"'05ヴェルディ"と"ワシントン"のように。(せめてどちらかに寄せてればねえ)
とにかく接合状態が鍵で、例えば牽牛星さんと僕の共通土俵であるシティの話で言えば、牽牛星さんは持論の説明の為に再三再四"いかにアグエロの能力が不十分か"を語る訳ですが(笑)、僕の観点からするとむしろアグエロ"程度"の能力だから上手く行くちょうどいいという可能性も現実的にあるかなと思ったりします。勿論実際のアグエロの稼働率が話にならないものだったことは、論を待たないとしても。

つまり健康なor若いアグエロ(笑)がペップシティにもたらすものは、クリロナやハーランドやムバッペ(その他誰でもいいですけど)がもたらすものよりも大きいかもしれない。例え単純比較でアグエロの個人能力が彼らに劣るとしても。
チーム力の"最大値"というならば、ストライカーやエースの個人能力の最大値というよりも、それとチームやその他メンバーのプレーとの足し算なりかけ合わせなり、それで出て来る"数値"の最大値と言うべきなのではないか、何かやけに常識的な結論のようですが(笑)、そういう反論は可能かなと。そしてその際に"接合状態"のような関数が、陰で大きく効いて来るのではないかなと。
別にアグエロにこだわってるわけではないですよ僕も。まあ漠然と(アルゼンチンも含む)スペイン系の選手の方が、リズム的プレーの"襞"的に相性がいいのではないかみたいなことは考えますが。ゲルマン系やアフリカ系の直線的な能力より。

まあここらへんは具体例で考え出すと切りが無いですけど。牽牛星さん自身も、"サンチェス"のような相性/適合性メインの例を検討されたりしてますしね。
ただちょっと、アグエロはいじめ過ぎだと思います(笑)。何かトラウマがあるのかなと疑ってしまうくらい。


以上、途中ちょいちょい目的を見失いかけながらの、ボトムアップ的「徹底」論とトップダウン的「最大値」論の比較でした。
地底人(アト)と天界人(牽牛星)を対話させる試みというか。(笑)
牽牛"星"とはよく言ったもん(笑)でね。僕なんて、立つ鳥に濁される"跡"ですからね。
おしまい。


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テーマ:サッカー
ジャンル:スポーツ
コメント
この記事へのコメント
今回の記事は、「ああ徹底ってそういうふうに捉えられちゃったか、まあ確かにこの情報量だったらそう思われてもしょうがないし、そもそもそういう捉え方にまったくこちらの本意が含まれてないわけじゃないしな」と思ったことに対して改めて自分の本意について精密に返答したものと捉えても大丈夫でしょうか?

最初読んだ時に、すれ違いってなんのことを言ってるんだろう?牽牛星さんの返答って聞かれたことに対してきちんと応えているように見えるけどな、思ってしまったので。
2022/02/17(Thu) 20:24 | URL  | 名無し #-[ 編集]
難しいですね。どれくらい細かく答えたらいいものか。
「改めて自分の本意について精密に返答」したものなのはその通りです。
ただ「そういう捉え方にまったくこちらの本意が含まれてないわけじゃない」の方は、ノーと言えばノーかも。
"捉え方"はやはり"本意"ではなかったんですよ。しかしその本意ではない捉え方による牽牛星さんの答え自体は、"本意"に基づく僕の疑問に対する、回り回って答えである可能性も見えたので、間違いとも言い切れなくてわざわざ訂正しなくてもいいかなと、最初は思ったんですね。
結局その"訂正"作業を通していくつかの問題領域を広く示せるかもしれないその意義の方を重視して、文章化することにしたんですけど。

これで答えになってますかね。細かすぎる気もするし足りない気もする。
納得いかなければまた聞いて下さい。(笑)
2022/02/18(Fri) 06:03 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
コメント返しありがとうございます。
考えれば考えるほど、ああ本筋とは関係ないところに引っかかってるのかもしれない。って内省してました。
ただせっかく(笑)なので、何を思ったのかを書かせて頂きます。

僕が思うに、牽牛星さんのいう徹底というのは単に、勝てるんだったら、CL取れるなら、その方法に徹しろという意味の徹底だったのではないかと。

例えば、11/12のCLでベップバルサを破ってそのまま優勝したチェルシーのように、チェフ→ドログバでなんとかしてみたいな中盤どころかビルドアップすらすっ飛ばした方法でもなんでもいいから、勝てるんだったらそれを徹底するべきだという意味で徹底と言ってるような気がしたんです。
まぁこれは極端な例で、この方法は常に相手を貫ける矛にはなり得ないと思いますが。 

翻って、アトさんがおっしゃっていた徹底というのはそれぞれの国やチームが定めた普遍の真理、これを極めれば常に勝ちを計算できる方法論、を徹底するという意味の徹底だと僕は思ったんです。

そして、「CL取れるならなんでもいいから、勝てるんだったらその方法に、必殺技に徹しろ」という論から、
「サッカーで勝つ方法論とは、それぞれが思う普遍の真理を徹底すること」という意味の徹底がまた再評価されるかも。思ったと説明されたときに、
「いつ」徹底という意味が、僕が思う索牛星さんの徹底からアトさんの本意の方に変わったのかが分からなかったのです。
これは単に、僕の読み込み不足や読解力不足が原因かも知れませんが(笑)

それで何が引っかかったというと、徹底の中身がアトさんが思った徹底の意味になってることが分からないままに、
サッカーで勝つために、徹底するという方法論用いることについてどう思う?と問いました。そして、その返答に感じた違和感について今から説明しますと言われたときに
アトさんがこの記事で何について説明するのかが一回読んだ時には分からなかったということなんです。

最初のコメントの括弧の中身に関しては、聞きたいことがあるんだけども何を聞けばいいのか自分でもはっきりしてない中で、聞くからにはある程度質問をまとめなければならないと思った上での苦肉の質問と言いますか、
一番したかったのはこの記事で何をしているのか僕はきちんと掴めてるかの確認だったので、そこに関してどう返そうか考えるのに手間がかかったとしたら本当にすみません。

記事の更新を日々楽しみにしているので、これからも面白い記事よろしくお願いします。
2022/02/18(Fri) 18:34 | URL  | 名無し #-[ 編集]
求められてる気がするので(笑)なるべく逐語的に答えてみますね。
僕も牽牛星さんも最初は必ずしもそうでなかったのを途中から便宜的に"岩政語"としての「徹底」にあえて寄せているので、言語的にはぴたっとはまっていない箇所(ないし時期)はあるんですけど。

>牽牛星さんのいう徹底というのは単に、勝てるんだったら、CL取れるなら、その方法に徹しろという意味の徹底だったのではないかと

CL用の一種の方便として提案されているのは確かですが、「スタメンを完全に固定」して、(特定の)「最終生産過程のブラッシュアップに時間をかけ」るという提案内容自体が"方法"(論)でもあると思います。
・・・"戦術"とは違いますけどね。"戦術"にあたるのは「最終生産過程」の具体的内容になるかと思いますが、それ自体は今後の選択ということでその場では書かれていない。
とにかくそれが岩政区分でいう『徹底』と『バリエーション』というチーム作りの方法論(タイプ)の二分法の内、前者の色彩の濃い提案である、それが今の流行にある意味逆行してるように見えるのが面白いと、僕が読み取ったところから話が始まる訳ですね。

>アトさんがおっしゃっていた徹底というのはそれぞれの国やチームが定めた普遍の真理、これを極めれば常に勝ちを計算できる方法論、を徹底するという意味の徹底

これはちょっと読み過ぎかも。(そう読めてしまったのならすみません)
そこまで特定的な意味ではなくて、ある意味どれでもいいからそのチームが平均的に最も得意としている戦い方を『徹底』するという意味ですね。その戦い方が(普遍的に)優れているから"勝ちを計算できる"のでなくて、何であれ『徹底』したチームの出力の方が、いちいち状況ごとに(岩政的に言えば『中途半端』に)戦い方を変えるチームの出力よりも、最大値が上回る&より多く"勝ちを計算できる"、そう見えることが伝統的には多かったという、そういう話です。
引用部分と照らして言えば、「方法論」にあたるのは"戦い方"ではなくてその"徹底"の方ですね。


>「いつ」徹底という意味が、僕が思う索牛星さんの徹底からアトさんの本意の方に変わったのかが分からなかった

「いつ」。僕の記事の中でという意味ですか?
とりあえず上の2つの再定義を前提に読み直すと、どうなりますかね。
そこで更に疑問が出て来るようならそれに対して答えた方が、多分現段階で僕が推測して答えるよりも良さそう。

>サッカーで勝つために、徹底するという方法論用いることについてどう思う?と問いました

「徹底するという方法論」と、ここでは僕の言う意味でちゃんと使われているように見えますがそれはともかく。(笑)
"問いました"の主語がちょっと分からないです。
質問者さんが問うたのか、僕が問うたのか。牽牛星さんではなさそうですけど。

とりあえずこんなところですかね今答えられるのは。
更に追究の必要があれば、また。(笑)
2022/02/19(Sat) 11:15 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
何度も付き合って頂き、ありがとうございます。
できの悪い生徒に対する家庭教師みたいになってるなって再読して思いました(笑)


>サッカーで勝つために、徹底するという方法論用いることについてどう思う?と問いました

「徹底するという方法論」と、ここでは僕の言う意味でちゃんと使われているように見えますがそれはともかく。(笑)

この部分については、アトさんが牽牛星さんに
「サッカーで勝つために、徹底という方法論を用いることについてどう思う?」と質問したということです。

そして、その返答として牽牛星さんは「CLで勝つことにおいては、スーパーなFWの得点力を最大限に利用できる形を徹底するのがいいと思う」と返答したのかなと。

つまりお二人のここまでのやりとりは、一つのやり方を徹底することの現代サッカーにおける有用性について議論してるんだろうなと僕は思ってたんです。

この記事はこういう経緯で、「今一つのやり方を徹底することの有用性を議論しています。その議論においての一番新しい返答に対して再返答します。」という始まり方をしたと思うんですけど。

その後に牽牛星さんの返答がアトさんと岩政さんの問いの答えになってないっていう記述があったと思うんですが、ここに引っかかっちゃたんですよね。

岩政さんのあのツイートは、一つのやり方を徹底するだけじゃ臨機応変に様々な状況に対応できないので行き詰まる。だけど臨機応変に対応できるということは、全てが半端で何一つとして確立できてない状態と紙一重という意味だと思いました。
つまり徹底とは、一つのやり方を徹底するという意味でしか使われてないのかなと。

そこで牽牛星さんの、CLで勝つためにはスーパーなFWの得点力を最大限に利用する形を徹底するのがいいと思うという返答が、岩政さんの問いの答えになってないと言われたときに、
えっ?じゃあこれまでのやりとりって一つのやり方を徹底することについてのあれこれじゃなかったの?と混乱してしまったと。

それで、>「いつ」徹底という意味が、僕が思う索牛星さんの徹底からアトさんの本意の方に変わったのかが分からなかった
このようなことを思ったということでした。

そして読み進めるうちに(これは間違いでしたが)最初から徹底っていうのは普遍の真理を追うみたいな意味で使ってたのかと思い込みまして。

最初のコメントで、徹底の意味を取り違えた返答をされたので、改めて自分の本意の徹底について説明された記事ですか?という意味で質問した次第です。

自分で書いてて、そこは別に疑問に思うようなことかよ。そもそも自分が意味を取り違えてただけだろ。と思いますし、何より最初と二回目のコメントできちんと質問できてないと、何が言いたいのかあんまり分からんと読み直して改めて思いました。(笑)

本当に構ってくれてありがとうございます。


後、改めてこの記事の内容なんですけど、
2010年の岡田ジャパンがある程度世界でも守れた。
守備という面では、ああいうやり方を「徹底」すればベスト16のその先でも通用しそうだなということはわかった。
ただ優勝するにはあの守備力を前提にして、ベースにして攻撃力を上げなくては、さて、どうしよう?と考えてる時に、
本田、大久保、松井の代わりにファン・ペルシー、ロッベン、スナイデルをチームに入れて同じこと徹底すれば勝てるじゃんって言われて、
いや…それはそうだけど、そういうことを考えてる訳ではない。という感じのことだったのかなと今思ってるんですけど、こういうことですか?
2022/02/21(Mon) 19:23 | URL  | 名無し #-[ 編集]
いえいえ。元々書いたのが僕なので情報的な非平衡は当たり前なので、上と下とかは。
例えで言うなら「作家」と「インタビュアー」とかじゃないですかね。(笑)

前半部分については・・・。そうですね、牽牛星さん本人には僕が書きそびれた部分も含めてもうきっちり本意が伝わっているようなので、余り掘り返したくはないんですけど、出発点の混乱が実はありまして。
つまり牽牛星さんは多分、該当箇所
http://atlanta.blog24.fc2.com/blog-entry-3677.html
末尾の疑問形になっている部分(「どこまで一般化し得る話なのか牽牛星さんの"サッカー観"的なものに関わる話なのか」)について、直接的に答えられたんだと思うんですよね。ただ僕が興味があった(と書いたつもりだった)のはそこも含みますけどその前からの全体で、だから仮に牽牛星さんに「改めてお聞き」するとすれば質問はその時にまた考えるつもりだったので、問うたつもりもないまま答えられてしまった形で、かなり予定外だったんですね。(笑)
でも疑問形になってるのも確かだし牽牛星さんの労力を無駄にするのも失礼なので、なるべく牽牛星さんの論に沿いながら本来言いたかったことに引き戻す少しトリッキーな作業をやったんですね。牽牛星さんの読解力のおかげで、それでも無事に、ある意味期待以上の意思疎通が出来て良かったですけど。
・・・という混乱ですという、答えでいいでしょうか。(笑)
逐語的な問題としては、僕がマズったなと思ってるのは「それは改めてお聞きしないと」の"それは"の部分で、そこを「そんなような話は」とでもぼかしておけば(実際その程度のつもりだったので)、牽牛星さんがダイレクトにお答えになることもなかったのかなと少し。分からないですけど。(笑)

後半部分。
まず僕は、そして多分岩政氏も、Jリーグベースの人なので基本的に「1年のリーグ戦」の為のチーム作りを前提/目的に、あの議論をしているんですね。UCLやW杯のような超重要トーナメント/短期決戦が毎年ある環境ではないので(世界中ほとんどのクラブにとってそうでしょう)、基本的にそっちの議論はしていないと、そこは押さえておいた方がいいと思いますがそれはともかく。
で、それはそれとして岡田ジャパンの話ですが、今回書いたのはFW/人材の能力(差)によって戦術の組み方自体が変わってしまう/変える必要があるという話な訳で、元々「本田、大久保、松井」で組んでいた戦術に「ファン・ペルシー、ロッベン、スナイデル」という上位互換選手を持って来ても、戦術自体は変わらない("同じこと徹底")わけで、余り意味が無いというか別の話になる気がします。
そもそも前段の守備の話ですが、"岡田ジャパン"というチームベースで見ればあれはむしろそれまでのハイプレスという本来のやり方からの「バリエーション」に近い気がします。「徹底」を"諦め"て成功した例(笑)というか。だから場当たり的な成功で将来に繋がらない的な批判も少なくなかった訳で。その時々覚悟を決めて実行する事が"徹底"では(今回の議論では)ないので、少し定義の混乱がある気がします。
2022/02/22(Tue) 14:02 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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