2006年05月24日 (水) | 編集 |
(承前)
まとめという感じでもないけどこれで終わり。
ヴェルディのJ2降格をめぐる騒動に対する色々な人の反応を見たことをきっかけに、今年は何かと”世代”ということについて考えています。勿論自分が十分おっさんな歳になったということも関係していますが。(笑)
そしてその結論はと言いますと、「ジェネレーションギャップは必然である」ということ。あるいは「各”世代”の良い関係とは、むしろ堂々と対立することだ」みたいな。
・・・・つまりグループ/集団/立場によった思考を強く意識する、その最たる例という意味でこれがまとめなわけですね。
会社勤めの経験が事実上ないことによる学生じみたパーソナリティ、前提としての一定レベルの相対主義・中立主義、そしてかなり気合の入った個人主義という性格から、どちらかというと僕は”世代”・・・・特に下の”世代”との壁はあまり意識しない、あるいは無くてしかるべきだという感覚を基本に生きて来ました。
話せば分かるという自信があったというか、違い/ズレで終わらせずに正誤の問題に追い詰める自信があったというか。
その認識が根本的に間違っているとは思いませんが、ただ最近意識しているのは逆のこと、人は前提・背景の部分でどうしようもなく自分の所属グループ(世代)に縛られているということです。各個撃破には今でも自信は持っていますが(笑)、それを基本に世界を見るには余りに無理がある大規模な”ギャップ”の存在を痛感してしまった。
例えばこういう構図があると思います。これは僕がちょいちょい言っている『今ドキの若いモンの保守化』や、前回述べた『自分を社会秩序の側に置いているかいないか』ということとも関係して来ますが。どうして今時の若いモンはこう無慈悲なのか。正義や道徳や価値に対して無防備なのか。
1.僕の親(以前)の世代 現在60歳近辺
・・・・社会や近代的価値に素朴な信頼感を持っている。僕から見ると頭が固い、アホである。
2.僕の前後の世代 現在35歳近辺
・・・・アホな親を軽蔑しながらいわゆる『現代思想』等価値相対主義的、アンチ産業社会主義的な風潮の洗礼を受けて育つ。→その直系がニート?(特に精神的に)
3.Jリーグ世代 現在20歳近辺
・・・・社会不安や将来不安を日常に、ちょい前の世代の曖昧さをだらしない、不安の元凶的なものだと苛立ちながら育つ。あるいは2.のように相対性に関心を持つ契機がそもそも無い。
2から3の間が狭まっているのは情報化のスピードのゆえだと一応しておきましょう。あまり深く考えてません(笑)。要するに右→左→右と振り子が揺れているということですね。
この”振り子”自体は歴史的にはありきたりなもので、代表的には「史上先進的な民主憲法を擁していたワイマール体制の後に、それへの不満などから反動としてナチズムが台頭した」という20世紀ドイツの例があります。はっきり言ってここ現代日本でも、たまに僕は自分が”ユダヤ人”であるかのような気分になることがありますが。ナチどもが沢山。
ともかく一応これは僕の『今ドキの若いモン』の一つの模範回答にはなると思います。出来れば”3”が次の”4”にもう1回批判されるのを見届けたい(笑)。言わば”思想の隔世遺伝”みたいな感じですが。・・・・まあしかし、いかにも相対主義的思考ですね。
まとめて言うと”世代”が分裂・形成されるのはいかんともし難い部分があるので、中途半端に寄り添うよりはちゃんと対立してそれを自覚して、分かり易い議論の場を構成する方がコミュニケーションの近道かなということです。これは集団的要素を持った思考全般に言えますが。
・・・・今回は”みなし”という前意識的観念ではなくて、年齢・経験というある程度実体的な話ですね。
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まとめという感じでもないけどこれで終わり。
ヴェルディのJ2降格をめぐる騒動に対する色々な人の反応を見たことをきっかけに、今年は何かと”世代”ということについて考えています。勿論自分が十分おっさんな歳になったということも関係していますが。(笑)
そしてその結論はと言いますと、「ジェネレーションギャップは必然である」ということ。あるいは「各”世代”の良い関係とは、むしろ堂々と対立することだ」みたいな。
・・・・つまりグループ/集団/立場によった思考を強く意識する、その最たる例という意味でこれがまとめなわけですね。
会社勤めの経験が事実上ないことによる学生じみたパーソナリティ、前提としての一定レベルの相対主義・中立主義、そしてかなり気合の入った個人主義という性格から、どちらかというと僕は”世代”・・・・特に下の”世代”との壁はあまり意識しない、あるいは無くてしかるべきだという感覚を基本に生きて来ました。
話せば分かるという自信があったというか、違い/ズレで終わらせずに正誤の問題に追い詰める自信があったというか。
その認識が根本的に間違っているとは思いませんが、ただ最近意識しているのは逆のこと、人は前提・背景の部分でどうしようもなく自分の所属グループ(世代)に縛られているということです。各個撃破には今でも自信は持っていますが(笑)、それを基本に世界を見るには余りに無理がある大規模な”ギャップ”の存在を痛感してしまった。
例えばこういう構図があると思います。これは僕がちょいちょい言っている『今ドキの若いモンの保守化』や、前回述べた『自分を社会秩序の側に置いているかいないか』ということとも関係して来ますが。どうして今時の若いモンはこう無慈悲なのか。正義や道徳や価値に対して無防備なのか。
1.僕の親(以前)の世代 現在60歳近辺
・・・・社会や近代的価値に素朴な信頼感を持っている。僕から見ると頭が固い、アホである。
2.僕の前後の世代 現在35歳近辺
・・・・アホな親を軽蔑しながらいわゆる『現代思想』等価値相対主義的、アンチ産業社会主義的な風潮の洗礼を受けて育つ。→その直系がニート?(特に精神的に)
3.Jリーグ世代 現在20歳近辺
・・・・社会不安や将来不安を日常に、ちょい前の世代の曖昧さをだらしない、不安の元凶的なものだと苛立ちながら育つ。あるいは2.のように相対性に関心を持つ契機がそもそも無い。
2から3の間が狭まっているのは情報化のスピードのゆえだと一応しておきましょう。あまり深く考えてません(笑)。要するに右→左→右と振り子が揺れているということですね。
この”振り子”自体は歴史的にはありきたりなもので、代表的には「史上先進的な民主憲法を擁していたワイマール体制の後に、それへの不満などから反動としてナチズムが台頭した」という20世紀ドイツの例があります。はっきり言ってここ現代日本でも、たまに僕は自分が”ユダヤ人”であるかのような気分になることがありますが。ナチどもが沢山。
ともかく一応これは僕の『今ドキの若いモン』の一つの模範回答にはなると思います。出来れば”3”が次の”4”にもう1回批判されるのを見届けたい(笑)。言わば”思想の隔世遺伝”みたいな感じですが。・・・・まあしかし、いかにも相対主義的思考ですね。
まとめて言うと”世代”が分裂・形成されるのはいかんともし難い部分があるので、中途半端に寄り添うよりはちゃんと対立してそれを自覚して、分かり易い議論の場を構成する方がコミュニケーションの近道かなということです。これは集団的要素を持った思考全般に言えますが。
・・・・今回は”みなし”という前意識的観念ではなくて、年齢・経験というある程度実体的な話ですね。
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