妙なことを始めてしまいました。
前々から特に意味もなく分かれている'05年以前のログを統合したいなとは思いつつ、きっかけが無くて取り掛かれないでいたのが一つ。
それからこれも前々から、たまに来る昔の記事に対する"拍手"を辿ったりした時に古い記事を読んでみると、普通に懐かしい場合もあるけれどまるで他人が書いた記事のように見えたり、そもそも書いた覚えが全く無いことも少なくなくて、興味と恐怖(笑)をその都度覚えていたというのが一つ。
それから最近の帯状疱疹発症をきっかけとする腰の長期不調によって、ブログの物理的継続可能性を割と真剣に危ぶみながらの静養期間中に、来し方や未来について色々と考えることが多かったこと。
最後にこれは偶然のおまけですが、2002年の個人サイト"緑の牢獄"開設から数えて、気が付くとちょうど20年(!)の節目を迎えていること。
こうした色々合わせて、懸案のログ移植作業と同時にその内容の、現在の視点からのチェック・再読(何せほとんどが書いた記憶が無い(笑))も行っていこうというそういう企画です。2002年は3か月分、2003-5年は12か月×3で計39回、その後は現FC2blogになって以降の2006年からの記事についても、様子を見ながらやっていこうかなと(近くなればなるほどヒリヒリしそう(笑))。まあ全部取り上げるということはないでしょうが。リーグの各試合の感想とかは今読んでも何のことか分からないものが多いでしょうし、単純にどうでもいい記事も沢山。
では'02.8月の分からスタート。"ブログ"を使い始めたのは'05.1.23らしいので、それ以前のものは"FrontPage Express"でこつこつと自分の"ホームページ"に書いたものですね。
カワブチさんの言うことにゃ (2002年08月05日)
川淵三郎当時協会会長による、Jリーグ「サラリーキャップ」(=戦力均衡)の提案2002。
・・・ていうかその前に、この頃はですます調じゃなかったんですね(笑)。どこで変わるんだろう。
「競技力の差のかなりの部分は戦術や運営で決まっているように見える」。つい最近も"Jリーグの特徴"として、みぎさんのツイートをきっかけに一部で盛り上がったような議論。(参考)1.今の寂しい給与水準に更にキャップをかぶせるというのはいかがなものか。
2.目クソ鼻クソくらいの貧富の差しかないのにサラリーキャップで戦力が均衡するのか。
3.そもそも現在のJリーグにはイタリアなりスペインなりのような極端な戦力差はないように思うが。競技力の差のかなりの部分は戦術や運営で決まっているように見える。
4.ところでつい最近他ならぬ川淵氏が、「Jのクラブにも個性が必要だ。何も全てのクラブが優勝を狙うことはない」的な発言をどこかでしているのを見かけた記憶があるんですけど・・・・。
DAZNの参入もありこの当時に比べればJリーグの資金力≒戦力の上下差はだいぶ広がった筈ですが、それでも、20年経っても、特徴はあんまり変わっていないようで。まあみぎさんの元ツイートは、この程度の差ではまだ"差のない"リーグの範疇だという、そういう前提で書かれているもののように読めますが。
とはいえさすがにもう、"目クソ鼻クソ"ではないですよね、"下"側の立場からすれば特に。(笑)
下部組織で育てた若手選手や独自のスカウト網で発掘してきた隠れた逸材を継続的にビッグクラブに売ってクラブ経営を成り立たせる努力は尊いけど、せっかく輝きを放ち始めた選手が自分のクラブにとどまれない運命が悲しくないはずはない。
持たざる者の恨み節、に一見見えますが、実際には2002年のヴェルディは讀賣には捨てられ極貧の1999&2000年を過ごしはしたものの、東京移転の2001年からは徐々に資金もまた注入され始めてそこまで目に見えて貧乏という訳でもなかった筈。今のように下部組織から続々人材を輩出していた訳ではないのもあり、"買われた"経験も特に。また2001年には確かに降格の危機を経験はしていますが、実際に落ちた訳でもないししかもその危機を"エジムンド"獲得というアクロバットで救ってもらっている訳で、"持たざる者"代表とはとても。(笑)2部制により下方向の競争が激しくなって、J1の内容が向上したようには僕には思えない。
だからまあ、上のクレームは専ら"公"的な視点でのクレームですね。正直"明日は我が身"という危機感もなかった筈。結局は"我が身"の話になってしまった訳ですけど。
全体としては、下がしんどい思いをするだけで上向きの良い効果も生まない"競争原理"なら、いっそ均衡目指すのもありなんじゃないのと割と川淵ヴィジョンに賛成でないでもないような当時の立場。ただその場合ある程度クローズドなリーグシステムを想定せざるを得ない訳ですが、まさか我が身(ヴェルディ)の安泰だけを訴えていたとも思えないので2部制自体をチャラにして大きな均衡1リーグでも考えていたのか、1999年にJ2が創設されたばかりでJ3どころかまだJ2のプロクラブも1ケタしかいなかった当時なら、やって出来ないことは無さそうですけど。
・・・多分そこまで考えてないですね(笑)。「育成型クラブ」や(サバイバルメインの)「競争原理」というサッカー的な"常識"に、ともかく抵抗感を示しているだけで。とにかく解せんとクダ巻いてるだけ(笑)。そもそも川淵氏本人はどう考えていたんでしょう、J1だけの「均衡」を考えていたのか。
ツーロン雑感 (2002年08月18日)
世代的には2004年のアテネ五輪を目指す世代による、恒例のツーロンU-21大会2002年の総括。
"谷間の世代"。言われてましたね。準優勝した前の世代のようにはワールドユースで勝ち進めなかったからか、結果歴史的にも豊作過ぎる程豊作だったシドニー世代に比べてゲームメーカータイプの選手に人材を欠いたからか、その反面ちょこまかすばしっこいドリブラータイプは沢山いて、それが逆に似たり寄ったりの"小粒"感の印象を与えていたのか。要するに2つしかない予選グループの2位どうしの対決をPK戦で制しただけだから、”3位”という結果の価値自体はそれほどでもない。しかしそれにしても「谷間の世代」などというのはひどい誤解であることが確認できた大会であった。
いずれにしても"谷間"というのは山と山との"間"にある筈で、次の北京世代が"山"であることは誰が保証していたのか。(笑)
後に所謂「和式」の中心的な特徴としてネガティブに語られることの多くなる日本的な狭いスペースでの高速(拙速?)コンビネーションですが、この当時はむしろそれが"出来"始めた(または定着した)時期なので、自ずと評価軸は今とは。上手くなったなあと、素直に思いましたよ。トルシエの庇護やヒデ・俊輔らの天才抜きに("谷間"なのに)、日本が中央でのパス回しを欧州各国代表相手に"武器"に出来るようになるなんてと。・・・その後も僕にしては割と具体的なことを色々書いてますねパート(1)では。ウチの大悟・隼磨以下既にJの各チームでもこの世代の選手たちの「気の利いた」プレーぶりは目を引くものがあったが、それが一つに集められた時に実現したパス回し、コンビネーションのクオリティは既に十分に進化して来ている日本のサッカーにおいても見たことのないものであった。あえて例えれば俊輔と伸二が同時にピッチに立った数少ない機会に見せたダイレクト・プレーのコンビネーション、あれを連続的にこなせる選手が常時4,5人いるという風景だろうか。
続いてパート(2)(3)より。
そうした彼らの巧さ/賢さは、日本代表の日本代表としての限界を打ち破るようなものなのだろうか。
100の力を100発揮する能力。
結論だけ言うとアトランタ以後の加茂ジャパンもトルシエの五輪/フル代表も、そして今回のツーロンのアテネ世代のチームも現状それは出来ていないように見える。(中略)
グループ首位を逃すことになったイタリア戦の敗北、結果PK勝ちしたがイングランドとの3位決定戦でのスコアレスドロー、共に「本来の力関係からするとこんなはずじゃないとも思うのだがいつもこうだから結局これが実力なのかな」という”日本代表”らしいいつもの煮え切らない戦いぶりであった。
こんなこと考えてたんだ。100の力を100発揮する能力。この不完全燃焼体質の解消は、アトランタ・チームがそうであったようなコントロールされた放任、ある種の個人の解放という方向で行われるはずだと考えている。
技術戦術そのものでは突破出来ないように思える、諸外国に比べて"日本代表"が特異に見劣りするように感じる(感じていた)能力。
僕自身何となくは分かりますが、この表現("100の力を100発揮する")を使っていた記憶が特に無いですし、引用元のやまかんさんの文章や前提となっている僕のアトランタチームについての文章が現存しないのもあって、なかなか説明は難しい。
その後の箇所で"ジーコに期待する"と意外なことを書いていますが、これは代表版ジーコの"黄金の中盤"をやってくれという意味ではなくて、「鹿島の総監督として注入していたような独特の底堅さを日本代表にもよろしく」という、そういう意味ですね。それで何となくニュアンスは分かるかなと思いますが。最も分かり易い言葉で言えば"勝負強さ"なんでしょうけど、別な言い方をすると"がめつさ"(笑)とか、遠慮の無さとか。こすいことをするマリーシアという意味ではなくて、その時持っているものはともかくも勝負の場で全部ちゃんと発揮して、その結果として当然勝てる相手(イングランド!)にはきっちり勝ち、互角の相手(イタリア!)には無駄に星を落とさず、あるいは僅かな勝ち筋でもしぶとく掴み(アトランタブラジル戦)、チームとしては壊れていても相手が隙を見せれば一気に力を集中してスコア的には勝ってしまう(アトランタハンガリー戦)、など。
巧いから賢いから戦えるのではなくて、戦えるから戦えるのだと。そこに巧さや賢さが加われば、鬼に金棒だけど。でも金棒だけあっても戦えないし、無ければ別のもので戦う。
いずれぼんやりした話ではありますが。そしてそれは「コントロールされた放任」や「個人の解放」で達成されるのか。まあ俄かには(笑)。ちなみに後に北京チームの観察で、僕は恐らくは概ね同じ問題をもっと戦術的要素の問題として提出している記憶がありますが、それについてはまたその時に。
アテネチーム観察記(1) ~親善試合中国Uー21代表戦 (2002年08月23日)
指揮官がツーロンの小野剛コーチから山本昌邦監督に代わって、本格的に「アテネ五輪」を目指すチームとなっての初戦。確かに突破の意志はツーロンに比べても少々稀薄だった気がする。それが松井・山瀬らの不在によるものなのか、山本監督の方針によるものなのか。なんとなく後者、という感じもする
この試合ではまだ初戦とあって色々と上手くは行ってないがやってることは特におかしいとは思わない的な書き方になっていますが、この後割と早々に見る見るツーロンチームは山本監督によって破壊されて行くんですね(笑)。同じ選手たちがやってるのかなというくらいに。
4-4-2がバランス型で4-2-3-1が攻撃型みたいな類型はあった、かな?そうして中山(悟志)がオーソドックスな1トップをソコソコこなすことによって、攻撃サッカーの一つの典型としての流行りの4-2-3-1を使いこなす可能性が日本代表にも開けてくるのだが、中国戦の中盤の基本的なイメージは2-1-2つまり森崎(和)を重心(”1”の部分)に据えたボックス型であったように思う。Jで一時これを採用していた磐田の例(名波を重心に据えた”N-ボックス”)でいえば、これは残念ながら中止になってしまった「世界クラブ選手権」用に個人能力の劣勢をカヴァーする為のものであったわけだから、そういう意味では「総体的にレベルは高いが小粒」という世評に従ったような山本監督の選択に見えないこともない。
とりあえずスピード感は出易いですからね。まだ3トップ(4-3-3)は特殊かむしろ古いシステムという位置づけだった時代。
・・・てそれよりも(森崎)"和-ボックス"?マジですか?全く記憶に無い。怖い(笑)。なんか淡々と書いてるんで、そんなに奇説を主張しているつもりな気配は無いですが。配置的には森崎和が2ボラの前にいるのはツーロンの基本形ではあるんですが、何でわざわざN-BOXなんて持ち出してるのかな。その後で2列目が「野沢と森崎(幸)のバランスタイプ」だと書いているので、松井山瀬的な突撃タイプとの比較でより"パス回し"の重視を見てN-BOXを連想してるのかも。
怖いわあ。(笑)
・・・ここまで一般系。この後はヴェルディ。
’02年ヴェルディ1st総括 ~W杯前 (2002年08月26日)
"1st"って何だろうと思ったら、まだ2ステージ制だったのねこの頃は。
つまりは1stステージの更に前半戦についての総括。細かい。(笑)
スタートは小見監督。エジムンドは開幕時は不在。マルキーニョス1トップの3-6-1。
後(のち)のロリ時代の"エジムンドと合わなくてハブかれ気味"な印象の個人的に強い相馬直樹ですが、この時点ではエジムンドと"並ぶ"中心選手としての存在感を認めていたんですね。へえ。・両チーム散漫な戦いの中で、岩本テルと相馬という双方共自分の「型」を持った選手が目立った試合。
・「今年もウチの“戦術“は「エジムンド」であり「相馬」そのものであり、ここにいかに「石塚」なり「小林慶」という名前が加わるか。」
鹿島に移ってからの成熟したプレーには尊敬の念さえ抱かせられたマルキーニョスですが、初来日のヴェルディ時代は初年度の2001年には何て不器用なブラジル人だと悪い意味でびっくりさせられ、徐々に能力を発揮し出した2002年も、それはそれで"身の程を知らない"とか言われて結構散々(笑)。同様に、李国秀前総監督の管理から離れてがむしゃら一本ではなくなった脱皮途中の桜井のプレーにも、この時点では余り好感を持ってなかったようですね。・マルキーニョスは好調であるが、プレーエリア/スタイル共に欲張り過ぎの感がある。身の程を知らないと去年の桜井のように、持ち前のケレン味のなさが損なわれそうで心配である。
エジムンド合流。ボックス4-4-2に。
・選手たちが無気力に見えるのもエジムンドがキレ気味なのもまずはチームとしてのやり方がしっかりしていない、どっちの方向に頑張ればいいのか分からないからであって、闇雲に選手個々人に頑張りを求めまた糾弾するのは馬鹿げている。
・それはそれとして今年ずっとやり続けていてまた少なくとも大崩れはしていなかった3バックを突然止めてしまった不安、手馴れてはいるがその分易きに流れる悪い癖がしみ付いている4バックの怠惰な安心感、この2つがごちゃまぜになってこういう「何にもない」試合が生まれたのではないか。
ロリに監督交代。再び3-6-1に。
北澤とは意外な比較のようですが、若手時代の永井秀樹なども「テクニックのある北澤」的なイメージで捉えていた、本来そうかはともかくそういうチーム内位置づけだった記憶なので、なまじ若くて走れる大悟も最初はそういう感じだったのかも。走れるけどスタミナはもたないらしい(笑)、でもこれはある時期までの北澤も実はそうでしたよね、単位時間当たりの運動量は多いけど90分もつわけではない。・ボランチか2列目かはともかく、小林大悟の基本イメージは北澤+テクニック-スタミナである。
5試合で3得点11失点とは酷いですね小見さん(笑)。そりゃ首になるわ。前半戦成績
小見:0勝5敗 勝ち点0 3得点11失点
ロリ:1勝1分 勝ち点3 3得点2失点
合計:1勝5敗1分 勝ち点3 6得点13失点
ロリの方、1勝1分で勝ち点3ということは、勝利勝ち点はまだ"2"だったんですね。
W杯後 (2002年08月28日)
田中隼磨レンタル加入。
マルが1トップでエジが2シャドーの一角に入る3-6-1が基本で、(後の記事を見ると)たまにエジマル2トップ3-5-2もやってた模様。(そしてどっちも駄目だった)・マルキーニョスがやりたい動きはエジムンドとかぶっている。だから「ロリの指示がどうあれエジと同時にピッチに立っている時のマルは、不満たらたらエジと消極的にワークシェアリングしているような状態。」
・エジのフリーな動きを活かす為にも、マルにはまずポストやプレスの一番手としての動きを期待したい。
小見前監督と同様、再びボックス4-4-2に変更。
・「4ー4ー2自体はあからさまな失敗で(中略)中盤の散漫さはほとんど松木時代並み。」
・「エジムンド自身はほぼノー文句」「いったんボールを持ってからは随分と呼吸しやすそうで、同じ動き回るにしても無駄なプレーがほとんど無かった。やっぱり4ー4ー2はブラジル人の心の故郷?」だが、依存度の高さも改めて露呈。
別の試合。
3バック派であるというよりも、とにかくヴェルディ"らしくない"ことをやれという否定的自己認識。・「とっととこの”志が低くて身の程知らず”という矛盾した特徴を兼ね備えた素晴らしい4バックをやめい。」
・「本能だけで頭を使わず、楽な方へ楽な方へ流れるヴェルディ」
・「”ヴェルディ”という名の惰性/慣性を振り切る為の力(3バック)を捨ててしまった時点でこうなることは見えていた」
対するロリの"解答"は。
*マル・平本2トップの下にエジという3頭体制スタート。
4バックは4バックでも、4-3-1-2というヴェルディの伝統からはずれるやり方で、結果これがハマった。・「エジトップ下でスタートする変則3トップ気味のヴェルディの攻撃は」「いわゆる”ちゃんと中盤を作る”というのとは違うんだけど」「ある意味高度な、なんというかジャズ的なフレキシビリティの高いコンビネーションで相手としては対応が難しいと思う」
個人編 (2002年08月29日)
(4-3-1-2で)完全に"エジムンドのチーム"になり切る前の時点で、既にエジムンドは相馬を無視していたんですね。(笑)(相馬)
また特に3バックの時の苦しげな守備が目立たなかったのは、当時の「相馬に出せエジムンド」キャンペーンの影に隠れていたからに違いない。加えて単純に上げるだけの古臭いセンタリングの質は、FWのヘディングの強さに難があるチーム事情からはもっと問題視されていいと思う。
相馬のクロスが古いという話ですが、"加茂ジャパン"基準で言えば新しい面もあって、「センタリングを上げる」のではなくて「サイドから中央に"パス"を通す」という感覚を相馬は持っていた。ただそれこそこのチームの対面の田中隼磨のように、より本格的に"パス"の出せるサイドバックが日本にも出て来た時世では、やはり伝統性の方が目立ってしまっていたというそういう話。
やはり"北澤"。決定的なプレーをする選手とはまだ認めていない。(大悟)
間違いなくロリ改革の旗手であるが、実際の役回りとしては裏方/穴埋め的なものが多かった。何でもかんでもやらせて申し訳ないねえと恐縮するにやぶさかではないが、じゃあ逆に何が出来るのか何がしたいのかまだあまり見えないのも事実。
ドリブルはあんまりしなくなったけど代わりにシュートが撃てるようになってたらしい。(桜井)
繋いではたくだけで勝負に行かないプレーに不満たらたらだったが、最近になってどうも監督の指示らしいと思うようになった。しかし・・・・。それにしてもシュートの威力は何事か?という感じ。そんな選手だったんだ。
ポストプレーの出来始め、かな?(平本)
1トップとして試されてる時は「無理無理、ガタイはいいけどしょせん行った行ったのドリブラー」と決めつけていたが、どうしてどうして、少なくとも2トップなら十分にCFとしてサマになってきた。すっかりかけがえのない選手。点取りゃ(フル)代表だ。
全体編[1] (2002年08月30日)
来る前は"自分の点にこだわるエゴイスティック"なのかと思ってましたが、来てみたら"あらゆるプレーに関わりたがるエゴイスティック"の方でした。まあエジムンドなりのフォア・ザ・チームでもあるんですけどね。結果とてもいい人でした。(笑)1.エジムンドの位置付け
(1)昨季終盤
いわゆる「ポスト」とは少し違うが、前線でキープして味方の上がりを引き出し、シコウシテ自分もゴールに向かう1stFW。と、一応は言えたが、一方で思いの外ピッチを縦横無尽に走り回ってあちこちに顔を出したがるプレーヤーであることも判明。その側面が今年は開幕から全開になったのが全ての混乱の元。
以下それぞれの時点での"混乱"の情景が細かく書いてあります。興味がある人はどうぞ。
エジムンドをチームに収めるのは大変でした。何をやっても"うなぎ"のように逃げる。(笑)
全体編[2] (2002年08月31日)
なんか思い出した。(1)小見時代(第1節~第5節)
結局1勝も出来なかった小見ヴェルディであるが、それでも去年のチームに比べて一応のボトムが確保されていたこと、勝ち負け以前に必ずゲームの形にはなっていたことは僕の観点からは十分に評価の対象である。
勝てる気はあんまりしなかったけど、嫌いではなかったんですよね、小見3-6-1。
それだけ"伝統型"のヴェルディの惨状が目に余ったということでしょうが。
長(おさ)田のシャドーとか嫌いじゃなかったな。(笑)
小見ヴェルディがやりたかったことを実際にやって見せたのが初期ロリ。(という認識)(2)ロリ3バック時代(第6節~第9節)
小林大悟を筆頭とするアテネ/シドニー世代の若い選手のスムーズな理解を得て、今までのヴェルディにないポンポンと速いテンポでシンプルにパスを交換してボールをキープし、ゴールへ向かう基本イメージは短期間に随分浸透していたと思う。
エジムンドという"異物"がいなければそのまま行けた、行って欲しかったというのが当時の僕の希望だったようです。
"スペシャリスト"とまで言っている。(3)ロリ4バック時代(第10節~第13節)
ロリはもっと職人的で3-6-1ないしは3バックのスペシャリストで、少なくとも最初は別にヴェルディの陣容にあわせてシステムを選択した訳ではないのだろう。
"半FW的トップ下"という言い方に、えらく躊躇してますね(笑)。それだけ馴染みが無かったというのと、上で言ったように"3トップ"の古臭いイメージへの連想に繋がるのに、引っ掛かりがあったんだと思います。攻撃力を高める為にFWの数だけ増やしてくなんて、馬鹿っぽいという。今や"6トップ"の時代ですけど。(笑)(4)ロリ新4バック時代?(第14節~第15節)
具体的にはエジムンドを半FW的トップ下に置いた4-3-1-2、あるいは変則3トップ。キープ率は高いし攻撃的だが、いわゆる中盤を作る、グループとしてのポゼッション(特殊な意味ではない)を行う訳ではない。(中略)
後に恥を掻く可能性が大の予言的分析だが、まあ掻いてもいいタイプの恥だと思うので一応主張しておく。”半FW的トップ下”という人材はなかなかいないものだから、本当にやっているとしたらそれなりに貴重な見世物である。
"ポゼッション"に注釈があるのは、この概念が入って来た当初はオランダ的なそれこそ"ポジショナル"な特殊に細かいポジショニング設計に基づいたものを指すというニュアンスが強かったので、この頃定着し始めていた単に"保持"全般を指す使い方に僕は抵抗があったんですよね。
以上。
もっと恥ずかしいかと思いましたが意外とちゃんとしている印象。(?)
しかし最後とか3日連続で書いてるし、元気ですねやっぱり。(笑)