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’02.9&10月のみどりのろうごく
2022年09月27日 (火) | 編集 |
まずまず好評だったようなのでシリーズ継続。(笑)


えじむんど in オールスター(2002年09月03日)

噂のオールスターでのエジムンドのプレーをやっと見たが、凄いとか巧いとか以前にヴェルディとはほとんど別人球離れの良さがやはり目を引いた。そういえば来日当初の練習試合ではそんなプレーをしていてさすがセリエA経験者と感心したっけなあとか、そうそう「小倉が一番やりやすい」発言とかもあったなあとか、何かと思い当たるところはある。

(2007年まであったらしいJリーグの)"オールスター"ゲームでのプレー自体は・・・全く覚えてないですね(笑)。見た記憶自体が無い。
ただ"「小倉が一番やりやすい」"(という'01年後半の来日当時のエジムンドの)発言の方は、何となく覚えてるかも。・・・若いサポに一応説明しておくと、'01年のヴェルディ東京移転新体制の呼び物として国内スター選手によるプチドリームチーム的なチーム作りが企画された時に、三浦アツ(これはびっくりした)や復帰の永井秀樹(むしろヴェルディを離れてからスターになった)らと共に元スーパースター候補の"レフティーモンスター"こと小倉隆史選手も獲得され、1年だけ在籍していたんですよね。コンディション不良とチーム戦術(というより特徴)との齟齬で全く活躍出来ませんでしたが。
その活躍出来ない理由の一つでもあった小倉の"ダイレクト"プレー志向が、一瞬"救われた"のが上のエジムンドの賛辞だったように感じた記憶。(その後も結局活躍は出来ませんでしたが)

ならなぜ('02年の)ヴェルディでそういうプレーをしないのか(中略)
というのは去年なら確かに、ダイレクトのパス回しに参加出来るのは事実上小倉1人であった。しかし今年の場合は小林大悟を筆頭に(いつも筆頭だ)、ダイレクトプレー自体を普通に出来る選手は常時何人かピッチ上にいる。にも関わらずエジムンドがこれでもかとばかりにキープし倒すのは、つまりそれがゴールへ向けての最も有効な手段だと考えているからで、逆に言うとウチの手下どもとの見映えのする調子のいいパス回しにエジムンドが実効性を見出していないからなのだろう。

出来る&出来る環境なのにやらないのは、それを無効/不要なプレーだと考えているからだという話。
つまりオールスターに集うようなメンバーならば簡単に味方を使ってゴールに向かうプレーはそのままゴール/勝利に近付くプレーだとエジムンドにも感じられるが、パートナーがヴェルディの(若手)選手たちだと全部自分でやった方が結局確率が高いようにエジムンドは感じているんだろうという話。(勿論オールスターと公式戦という試合の性格の違いはありますが、ブラジル人/エジムンドのとにかく勝利にこだわる性格を考えるとそこらへんの真剣度に本質的な違いは無いような気がします)

要は得点を取る為、チームの勝利の為に必要なことを自分で判断し、それがいわゆる「良いプレー」だろうがなんだろうが、場合によっては監督の指示に逆らってでもやり切ること。それが選手としての責任感の究極である。(中略)
当たり障りなく自分の持ち場を守るプレイは批判は受けにくいだろうが言わば「ガキの使い」であって、状況によっては無責任の形態の一種にもなり得る。エジムンドはそれを自分に許さない

責任感とは。フォア・ザ・チームとはという。
勿論これはかなり原始的(笑)で独りよがりな責任感ではあり、実際彼が(僕が思うに)"良かれ"と思ってやるプレーの多くはしばしばヴェルディに混乱を引き起こしてはいた訳ですが。あるレベル以上の"組織"サッカーの監督の下で、彼がどのような挙動を見せるのかは本当はもっと確認しておきたかったところ。・・・次に移籍したオフトの浦和は、(主に家庭の事情だったらしいですが)3か月で退団してしまいましたからね。
というような問題はありつつも、僕がエジムンドという"実物"を間近に見て学んだ、気付かされたのは、世界的選手もしくはブラジル人(トップ)選手が、いかに"踏み込んだ"プレーヴィジョンで、深いコミットメントでプレーするのかということ、その時に「責任感」や「フォア・ザ・チーム」や「規律」(に従うか従わないかの選択)といったものが、日本人の平均的な感覚とどのように乖離した表れ方をする可能性があるのかということですね。勿論規律にはなるべく従うべきではあるんですけど、目的は規律に従うことではなくて点を取ることや勝つことな訳で。(と言葉にしてしまうと簡単ですが)
まあもっと単純に、Jリーグ開幕以来無数に見て来た見せられて来た(笑)ブラジル人選手の"我がまま"の、中身は質のいいもの悪いものごちゃ混ぜではありますが、ともかくも「正体」が一つ垣間見えた(笑)気がしたという、そういう経験でした。
まあ最近だとデブライネとかもね、能力は勿論凄いんですが何より毎度びびるのは自分の"駆り立て"方の凄さですね。技術的に高いから難しい所を通す/難しいプレーを狙うというだけではなくて、そこを通せばそれが成功すれば最短確実に点になる、そのヴィジョンに向けて"踏み込む"その躊躇の無さが、あのレベルの選手たちの中でも抜けていて、必ず一歩先んじるんですよね。そういう意味では個人的資質も大きいとは言えますが、同時に戦いの中で"抜け出す""先んじる"為には独自の踏み込みの深さが必要である/有効であるという、普遍的な構造の話でもあると思います。


ヴェルディと”足元サッカー”(2002年09月07日)

繋ぐ技術自体が優位でかつ相手が引きこもってスペースを与えてくれないのが常態だったヴェルディが足元パスを多く使うのは、ある種必然だったという話に続き。

問題はその優位が崩れた時、相手がヴェルディを恐れず普通に戦ってスペースも与えてくれるようになってもヴェルディが足元のパス回しに終始するが抜けなかったこと。つまり状況的必然性は無くなっているのだからこれは単なる「癖」である。更に空いているスペースを簡単に使うという、当然あるべき選択肢が狭められている訳だからこれは「悪癖」である。

・・・・余談だが僕が見るに、実際の技術的優位以上に”無敵ヴェルディ”イメージの有効期間は長かった。このタイムラグが状況的必然性を悪癖に変質させる準備期間となった

なるほどね。
手段だったものが目的になり果てたのが現在(2002年)の姿であると。そしてそのプロセスの段階的活写。そういう面はあるかもしれないですね。なかなか面白い。(割と他人事)
そもそもの讀賣クラブの"革命"、これくらい古い話になると僕も見たことより聴いたことの方が多いですが、あれは当時のメンバーがやりたかった"スタイル"、言うなれば「目的」性と、日本サッカーの状況やレベルに対する差別化や優越性/効果、言うなれば「手段」性が、ある意味幸運に一致した、同時実現した現象だったのではないかなと。クラブが志として持っていた革命性や先進性の、手段として意識的に"選ばれた"ものでは必ずしも無かった。技術レベルが低過ぎては話にならないので何らかそういう面は必ず関わっては来たでしょうが、クラマーが正に代表チームに止める蹴る(笑)から教え始めたように、それは"ドイツ"でも良かったかも知れないし"オランダ"でも良かったかも知れないし、とにかくあそこまで"ブラジル"色が強くなったのは偶々という面が大きかったと言えるのではないかと思います。(論理的には。実際に当時日本にまとめて人材をよこしてくれる可能性があったのは、サッカー先進国の中で"ブラジル"だけだったのかもしれませんが)
それが成功体験の常として、分析や対象化のフィルターを経ずにまとめて肯定され、絶対化され目的化され、状況的必然性(≒手段性)とほとんど関係ないレベルで維持対象とされるようになった。・・・"無敵ヴェルディイメージ"などという話が出ていますが、実は周りにもそう期待されている面があって、尚更その気にならざるを得ないなんてところもあった(笑)のかも知れない。
・・・ぶっちゃけヴェルディがJ2に落ちて居ついて、逆に「個性」くらいしか売るものがなくなってからは、だいぶ僕も軟化して(笑)それはそれとして好意的にというかなるべく活かす方向で考えるようにはなったんですけどね。かつては、真剣に(J1での)勝ち負けにこだわっていた時は、ヴェルディ内アンチヴェルディみたいな欧州派でしたが。

湯浅氏の書くものやある種の掲示板上の発言などを見てると、何やら足元でパスを繋ぐのは根本的に悪いことでヴェルディはダメなチームだから足元パスをするのだと聞こえる時があるが、そんなバカなことはない。足元パスにもピンからキリまであるし、足元パスを主体としたスタイルは今でも十分にサッカーの大きな可能性の1つであると思う。

ちなみに広くサッカーの流行的視点で、ここらへんを考えてみると。
最初・・・が意外と定式化が難しいんですが、ヴェルディ自身もそうであったような(そして実は日本中が多かれ少なかれそうであった)"技術"と"プレー"についての素朴で直感的な(足元サッカー的)アプローチがあり。・・・その対極に(ボールを持たない側の)"カウンターサッカー"というものもあった訳ですが、実はこの二つはセットで世界観なので。上手い側は足元、下手な側はスペースという。
それに対して、中田ヒデが主に先導者として切り開いてくれた見せてくれた、上手い側が(あるいは上手くても)"あえて"するスペースベースのサッカー、良いスペースに良いタイミングでまずボールを出して人の側がそれに追いつく/合わせるというアプローチのサッカー、象徴的には!"キラーパス"ですけどそれ一点ではなくてチームが全体としてそういうアプローチで攻撃を行うという世界。それが欧州基準でありトップであり、正義である(半面単体で強いチームは未だあっても原理としては南米式はアウトオブデートである)という時代が次に来た。
その後世界的にはどういう扱いかはよく分からないですが少なくとも日本では、「人もボールも動く」サッカーという言い方が一世を風靡して。"人"が動く(走る)スペースサッカーと"ボール"が動く(走らされる)足元サッカーの、融合・折衷型と言えばそうなんですが、大きなスケールではどちらかというと"スペース"サッカーの変奏というか修正型と言った方がいいのかなと僕感。まず狙いたいスペースがあってそこに人が動くこと(のメカニズム)が第一の関心で、ただその際に足元でのボール処理やキープをなるべく無理なく伴えるように工夫されたサッカーというか。・・・まあ実例があるような無いような類型なんですけど。オシム、ユース~FC東京時代の城福、上手くは行かなかったけどやろうとはしていたらしい北京の反町チームとか。もっと漠然としたイメージとしては、Jリーグでも色々あった気はしますけどね。未だに解説で口にする人もたまにいますが。正直よく分からないと言えばよく分からない。反町ジャパンの選手選考などを見ても、"走力の前にテクニック""テクニシャンが労を惜しまず&システマティックによく走る"サッカーみたいな、基本イメージはあるような気がしますが。
世界に話を戻してその後に来たのが"ペップバルサ"ショック。そこから(なのか僕の海外サッカーの知識では確かとは言えませんが)一気に「足元パス」の復権が始まった印象で、しばらく沈黙していた金田喜稔さん世代(笑)のサッカー親父なども、嬉々としてやっぱりパスはしっかり足元で繋がないとねとそれまでの"スペース"サッカー期間を完全に無かったことのように語るのを見て苦笑いしてましたが(笑)。勿論必要なタイミングで必要なスペースにまずボールを送り込むことの局面的な有効性/優先性が失われた訳ではなくて、それに関する要求水準自体は維持されたままだと思いますが、その一方で足元パスの最大の特徴である「確実性」をポゼッションや所謂ポジショナルなプレーの基盤とし、更には"テーブルゲーム"(チェス/将棋)的な組み立て/戦略性に活かすことの関心が大きく高まった、主流化した、そういう流れで現在に至っていると、概ねそういう整理でいいかなと。
まあ上では擁護的に書いてはいますが、ここまで足元パスが復権するとは、2002年当時全然予想してなかったですけどね。ちなみに"湯浅氏"とは湯浅健二氏、一応讀賣OBながらヴェルディのサッカーのダイナミズム不足を、親の仇のように(笑)繰り返し批判していたライター。


ここまでヴェルディ。次からは海外&代表系。


シ・ロ・ク・ナ・ル(2002年09月10日)

鈴木隆行が新しい移籍先ベルギー・ゲンクでの"活躍"を、日本人サッカーファンにむしろ"見て欲しくない"という意味の発言をしたという話を承けて。

例えば中田ヒデを筆頭にシンジ、シュンスケ、イナそれからジョーショウジあたりも含めた連中の海外移籍は、望むと望まざるとに関わらずやはりある種日本の名誉を背負って立つ性質のものであろうし、本人たちにも「立身出世」的な感覚は強くあるように思う。しかし今回の鈴木隆行やそれからジェノアはともかくディナモ・ザグレブの時のカズのようなケースは何というかそれらとは別の、もっと個人的なチャレンジという感じがする。つまりこう言ってはなんだが(当時の)彼らは必ずしも本当の意味で日本の最高の選手ではないので、失敗してもそれはあくまで個人的な失敗で日本のサッカーファン全体の心を折るようなことにはならない。本人たちも別に華々しい成功を期待して行っているわけではないであろう。(ちなみに廣山は実力的には前者のグループ寄りだけど感覚的には後者かなと。名波の場合本人的には結構後者だと思うのだが、日本での存在感が前者であることを強いたという感じ。)

2001年の廣山(望)のパラグアイセロ・ポルテーニョへの移籍の"自由"感、24歳とバリバリピークの年齢なのにあえてローカルなリーグに冒険の場を求める選択の意思性は新鮮でしたし、その後各国を渡り歩いて帰国したヴェルディ(の在籍後半)での、離日前の"快足サイド"のイメージに留まらない"縦横無尽に走り回るゲームメーカー"みたいなプレーは本当に好きでした。勝手にあのクライフのイメージを重ねていたくらい。(この項は主にそれが言いたかった(笑))

では彼らが成功以外の何を求めてベルギー・リーグやクロアチア・リーグといったレベル・環境共Jと比べて特に優れているわけではないリーグに行くのかといえば、それはもうぶっちゃけ外に出たいから、”J以外”の所でやりたいからであろう。「サッカーに対して真っ白になりたい」というようなことをカズは言っていたが。つまり日本人、日本サッカー、Jリーグ、愛するクラブその他モロモロの地縁血縁時の運(?)、全て取っ払って一選手として一個人として頭をカラッポにしてぶつかって行く快感。例えレベルは似たようなものでも燃焼の質には大きな違いがあると思う。

カズそんなこと言ってたっけ。ていうかそこからタイトル取ったのか俺。(笑)
まあ僕自身がそろそろこの時期、"Jリーグ"を見ることに興奮や楽しみを見出すのが難しくなっていたんでしょうね。それ自体"腐れ縁"の(何せ"牢獄"ですから(笑))ヴェルディの栄枯盛衰との絡み以外で。"サッカー"自体としてはというか。・・・何となく覚えているのは2000年代に入ってから、"優勝チーム"にそれまでのような敬意を抱けなくなった("優勝"の内容が薄く見え出した)ことで、優勝に価値が薄ければリーグの価値も薄くなり、自分のチームでも関わっていなければ勝った負けたにも興味を持てなくなるという、そういう順番。ここら辺は詳しく話し出すと長くなるので、またの機会にしますが。
代表の方はまだ、少なくとも格上列強との対戦では"白くなる"ような緊張と興奮を味わえていましたし、(ジーコ政権に邪魔されつつも)ぎりぎりザック期の途中くらいまでは、ストレートな"進歩""成長"を期待していた部分もまだあったんですけどね。
"海外移籍"に関してはその後色々状況が変転して、上で言う「国民的」なタイプの移籍と純個人的な移籍の、中間くらいのものが増えたというか主流になったというか、そんな感じでしょうか。


「剛のナカタ」と「柔のナカムラ」?(1)(2002年09月19日)

(サッカーダイジェスト9/11号で)
それら純サッカー的な分析以上に興味深かったのは、2人のパーソナリティの比較である。中田が冷淡だインタビュー嫌いだパソコンばっかりやってるとかいう苦情(?)は特に目新しいものではないが、俊輔の評価が概ねかなり好意的なのにはちょっと驚かされた。いわく「人当たりがいい」「素直」「誰とでもすぐに仲良くなる」「クレバー」・・・・。日本からやって来た線の細い頼りなげな青年(イタリア人の目にはほとんど“少年”と映ってるのではないか)をいきなりイタリア人記者がバッシングする事は考えにくいにしても、簡単に言えば「オタクで暗いからベンチには置いとけん」としたトルシエの評価とはえらい違いである(笑)

これはほんと面白かったですね。
後のセルティックでも"伝説のマンU戦フリーキック"の功績は別にしても、普通に好かれていたアイドルだったことが伝わって来ましたし、リアルタイムでも思ってましたがちょっとトルシエの俊輔への(小笠原へはもっとですが)当たりは、やはり厳し過ぎた偏見を含んでいたのではないかなと改めて。何の偏見かというと・・・"陽キャ"の偏見?(笑)。好きな監督ですし悪い人ではないんでしょうけど、"他人の気持ちの細かい所の分からない陽キャ"みたいな部分が、国籍というより個人的性格として、トルシエはあったのではないかなと。通訳ダバディですし(笑)。リア充感半端ない。
それが特定の相性の悪い陰キャ選手に向くと・・・という。不幸な出会いが。
楽しいですよね俊輔の話はいつも。ぐいぐいは来ないけどむしろオープンだし。

「剛のナカタ」と「柔のナカムラ」?(2)(2002年09月22日)

中田のような特別な筋肉武装はせずにあくまで純粋にサッカー選手としての技術で勝負する、小野や俊輔のこうした選択を可能にしたのはあくまで中田の成功という前例によるものである。とりあえずそれだけは言っておきたい。中田の成功によって心理的障壁が取り除かれたこと、中田のプレーから世界との距離感が図れたこと、そうしたことが等身大の自分でイケるはずだという彼らなりの勝算(間違っているかもしれないが)の基盤であろう。

特に付け足すことは無い感じですが。
DAZNもYoutubeも無い時代に日本に居ながらにして勝手に欧州基準を体得して、当時世界最高峰イタリアセリエAに移籍フルシーズン大活躍してみせて、一方で代表チーム自体をいち選手の立場ながらほとんど独力で作り変えてしまったあの時期の中田ヒデのとんでもなさは、未だに比較の対象がいないと思いますしそれに対するつまらないケチつけには未だに即座に反応する準備があるので、20年前の記事にもタイムラグが無いという。(笑)
このブログ(じゃないけど正確には)記事自体は長谷川健太解説員による"フィジカルの中田とテクニックの俊輔"(そして俊輔に期待する)という余りに一面的な決めつけに対する反論として書かれている訳ですが、長谷川健太氏自身もフィジカルの強さに大きな特徴がある選手だった訳で、何でそんなつまらないことを言うのかなというのも改めて。で、今回ふと思ったのは上の「ヴェルディと”足元サッカー”」の項で書いた金田氏ら"日本リーグ"世代のサッカー観で、選手としてのタイプは違うとはいえ同じ日産組、中田が先導した"スペース"と"走力"のサッカーの時代に金田氏同様の反感を健太氏も持っていたのかな、それに対する巻き返しとしての俊輔の持ち上げや中田の過小評価もあったりしたのかなと少し。
分かりませんけど。(笑)


アジア大会予選リーグ ~アテネチーム観察記(2)(2002年10月07日)

パレスティナ戦 2-0 得点者:田中(達)、根本
GK 黒河 DF 池田、三田、青木 MF 鈴木、森崎(和)、田中(隼)、根本、松井 FW 中山、大久保
[交代]石川(←中山)、田中(達)(←松井)、野沢(←田中(隼))
バーレーン戦 5-2 得点者:大久保、松井、中山、大久保、田中(達)
GK 黒河 DF 池田、三田、青木 MF 鈴木、森崎(和)、石川、根本、松井 FW 中山、大久保
[交代]田中(達)(←中山)、田中(隼)(←石川)、阿部(←松井)
ウズベキスタン戦 1-0 得点者:中山
GK 黒河 DF 池田、三田、青木 MF 鈴木、森崎(和)、田中(隼)、根本、松井 FW 中山、大久保
[交代]石川(←松井)、阿部(←青木)、駒野(←鈴木)

メンバーが書いてあるとストレートに懐かしくていいですね。(笑)
池田は清水の池田昇平、三田は新潟の三田光、根本は鹿島からセレッソにレンタル中だった根本裕一、鈴木は啓太。(参考)
見ての通りこの大会から3-5-2に変更しています。

3バックか4バックかというのはこのグループの歴史からすればさほどの違いではないかもしれない。しかし終始一貫していた「1トップ2シャドウ(2トップ下)」をやめたのは大きな変化である。(中略)
突出したパサーは見当たらないものの誰が出てもパス交換のクオリティが平均して高く、また逆に1.5列目をこなせるアタッカータイプの人材は豊富なこの世代の特徴に1トップ2シャドウは非常によくあっていたように思う。(中略)1トップのポストを起点に目まぐるしくボールを動かして相手にアタックの余地すら与えず一気にゴールを落とし入れる攻撃スタイルは、ツーロンで既にほとんど完成していたように見えた。

とりあえず現象としては、持ち味だった攻撃のスピード感はかなり損なわれている。
(中略)
(親善試合)中国戦の選手起用を「オーソドックスで理に適っている」と僕は評したが、要するに山本監督はツーロンより一段低いテンションである程度ゲームを落ち着いて立ち上げて、そこから変化をつけていこうと思っているのかもしれない。
あまりツーロンを理想化しても仕方がないが、とにかく出来ていたことが出来なくなっているのだからこれが何かの産みの苦しみでなかったら山本監督は単にチームを壊したことになる。

結果単に壊したのでありましたね。(笑)
何せこの後付け足されたのが"戦術闘莉王"と"戦術平山相太"な訳で、山本監督自身は壊すだけ壊して何も作っていない。新規の帰化選手と飛び級のアマチュア頼み、他力にも程がある。
・・・アテネ山本チームには愚痴しか出ない。(笑)


今回&2002年更新分は以上。


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