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「ザ・カップ」
2005年01月09日 (日) | 編集 |
ザ・カップ〜夢のアンテナ〜 ザ・カップ〜夢のアンテナ〜
ウゲン・トップゲン (2001/09/29)
キングレコード

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年末MXテレビでやってたのを録画しておいた「ザ・カップ」。封切当時結構話題になった、ブータン発の変わり種のサッカー(?)映画。とてもいいです。

「実際の修行僧たちが繰り広げる、異空間での出来事のようなファンタジックな物語。しかしこれが何と実話というのも人気の秘密。」


オフィシャルの紹介文ですが、そうなんですよね、ナチュラル/リアルかつファンタジック、そこが素敵。何と撮ったのはチベット仏教のリアル高僧だそうですが、普通に出来がいいです。別に素朴でもエキゾチックでもなければ、お芸術でもない。どこでこんな抜けのいい西洋人的感覚を手に入れたんでしょう、変な国、ブータン。

中心人物(主人公、とはちょっと違う)のロナウドファンの小坊主の描写が好きですね。はっきり言っていけすかないガキで、修行中の身とはいえ自己中だし差別的だし、普通に学校にいたら一度や二度はいじめの加害者になりそうなタイプなんですが、それがそのままその部分も含めて許されてる感じで、しまいには僕も好きになってしまいました。
最後に一ついい面を見せるんですが、それがなくても十分に救われている描き方。これが御仏の心なんでしょうか。(笑)


サッカー的には何が見えるかというと、「文化」や「地域密着」といった思想性、題目が先に立っているJリーグ/当世日本サッカーからは感じることが難しい、国民スポーツ、大衆スポーツの素朴な楽しさ、包容力みたいなもの。おいちゃんもじいちゃんも、坊さんだってスポーツと言えばそれはサッカー。それがなぜかとか、どういうのが正しい姿だとか、そんなことは誰も何も考えずに、ただただみんなで一喜一憂してのめり込む。

こういう原風景的広がりというのは日本ではサッカーはいまだに獲得出来ていないもので、比較するとすればむしろ街頭テレビの力道山とか、ON砲と讀賣巨人軍とか。
勿論これは別にサッカーがプロレスや野球より劣っているということではなくて、基本的にはそれぞれの時代の問題、置かれた位置の問題。「プロスポーツ」というほとんど空白のジャンルを独占(寡占)的に草刈り場に出来た時代と、先発スポーツとの差別化を意識しながら最初から党派性・相対性を身にまとって自己主張しながら自分の居場所を確保しなければならないサッカーとの違い。あるいはそもそも「国民」「大衆」という概念が一定以上のリアリティで存在していた時代と、いわゆる価値観の多様化した時代、分衆の時代との違い。

だから多分かなりの確率で、日本におけるサッカーは人気スポーツ、または一番人気のスポーツになることはあっても、かつての野球と同じ意味での「国民スポーツ」になることはないんじゃないかと思います。
それでも出来るならば、むしろ人気スポーツの義務として、”サポーター”や”理念”の求心性を誇示するだけでない包容力を持つようになって欲しいと思いますが。僕ら第1世代から2世代3世代後には、サッカーが普通のサラリーマンの日々の憂さをいっとき優しく忘れさせる、むしろ愚かで陳腐な存在にもなっていて欲しい。サッカーを見るという行為がただそのこと以外の何も意味しないですむような・・・・。御仏の心をもって。(笑)

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