ヴェルディ等サッカー、漫画、アイドル 他
’03.2&3月のみどりのろうごく
2022年10月05日 (水) | 編集 |
2003年になるとサッカー以外の記事も混じって来るんですが、こちらの記事を書く都合上当面サッカー記事だけを移植しています。


川淵キャプテン、PR賞の賞金で「動物愛護」(2003年02月01日)
「中田よ協会の幹部になって」川淵氏要請(2003年02月11日)
川淵会長「ドイツW杯までジーコ」(2003年02月15日)

こういうのってどういう意図があってこの時期に言うんですかね。僕にはよく分からないんですが。例えばジーコが世論の集中砲火を浴びていて協会幹部としてそれを沈静化する為とかいうんならまあよく見られるタイプの発言だと思うんですが、特にそんなことは無いし。分からん。


オフシーズンで暇だというのもあって、川淵当時"キャプテン"(サッカー協会会長)記事が3連発。(笑)
それだけ目立つ人であったというのと、ジーコ"お手盛り"代表監督招聘でこの頃めっきり信用を落としていた川淵氏の存在を、割とはっきり日本サッカー"進歩"の阻害要因的なものとして僕が意識していた様子が伺える気がします。その陰には多分、加藤久元協会強化委員長以下の"次"の世代以降のサッカー人たちへの漠然とした好感・信頼があって、だからこの大きな"荷物"(笑)さえ取り除ければ概ね世界のサッカーの潮流に沿った妥当な歩みが出来るのではないかという、そういうイメージがあったんだろうなと。
振り返ってみても&当時的にも、別にそうした(相対的)"新世代"サッカー人たちに特別優れたヴィジョンがあったと考える根拠は無いと思いますが、要は川淵氏や山本昌邦氏、田嶋幸三氏のような変に"自分"自身への関心の高い、特殊なパーソナリティの人さえ絡ませなければ、それ以外の生真面目な日本のサッカー人たちは時々多少右顧左眄しながらも、今に至るまでまあまあ無難な運用は出来たのではないかなという僕感。"政治家"は要らん、(技術)"官僚"だけで十分。
岡田(武史)さんなんかは、どちらとも言いづらい少し変わったタイプですけどね。アイデンティティとしては技術官僚的なのではないかと思いますが、しばしばそれを押しのける勢いで「政治家」的性格が顔を出す。風間さんはどうなんでしょうね、"技術"の人と見るのが普通なんでしょうが、その前提に実は"政治家""思想家"的なポジション意識が先行している気も。そこに教祖性が生じるというか。
まあ"開発独裁"期における川淵氏の有能性・稀有性については、バスケの方でも証明されていますし僕も勿論認めるところは大きいです。ただその時期を過ぎると・・・。田嶋幸三氏の"独裁"の方は、全く本人都合の無用のものに思いますが。
とにかくそういう感じなので、例えば今後本田圭佑が日本サッカーの中心部に入って来たりするのも、タイプ的には凄くですね僕は(笑)。勿論その時々具体的な課題と適材性については、一応公平に検討はしますが。長谷部(誠)もちょっとなあ、世評をよそに余りいい予感が。本田と仲良しなのが不安というか"ミスチル世代"とやらは信用出来んというか。(笑)

ほとんど一週間遅れのサッカーマガジンを図書館で読みましたが、今週号はなかなか面白かったですね。やはりオフトははっきりとパサーが欲しいという意図でエジに声をかけたのかとか、自己評価だとエジの最大の持ち味はスルーパスになるのかとか、他にも色々と面白い記事が。

一番上の"動物愛護"記事より。
前にも言ったように来日前のエジムンドのイメージはまずストライカーで、その次に"ドリブラー"イメージが来て"パサー""司令塔"の面は来日してから僕は知った感じだったんですが、主に日本でのプレーを見ての(浦和の戦力としての)評価であろうオフトはともかくとしても、本人の認識としても真っ先に来るのは"パサー"であるらしいというのが分かるインタビュー記事、が多分載ってたんですね。(笑)
ほんとかしらと思う部分も少しあって、つまりもしそもそもそうであったなら来日1年目の2001年の時も、もっと遠慮なく最初からそういう自己主張をしたのではないかなと。僕の観察だとあくまで監督が代わって2002年にパサー/司令塔として機能し出してから、エジムンド自身もはっきりそう言う面を表して来たような記憶。だからエジムンドのそういう部分は日本に来てから引き出されるようになったか、あるいはブラジル時代のある時点までは好き勝手に全部やってたのが、イタリア(フィオレンティーナ)に渡ってより厳しい戦術的規律の中で限定的にプレーする習慣がついて、それが日本という"優しい"環境で自由を得て改めて全能力が思い出された、そんな感じなんじゃないかなと。
もしくは日本人にゲームメークを任せておけないので、自然そこから自分でやるようになったとか。まあ同じことか。


・・・と、エジムンドの話も出て来たところでここからヴェルディ記事。
まずは開幕前。

練習試合山形戦(2003年02月26日)

急造トップ下の平野はともかく、中盤両サイドのコバとアツは自分の判断で前後左右自由に動いて繋ぎに入ってとてもやりやすそうでした。ただそのやりやすさが強さにそのまま結び付くかというと僕的には結構疑問です。いつも言うようにヴェルディの「自然」はしばしば「安易」と同義語なので。
システム的にはやっぱり林のワンボランチだとどうしても脇が甘くなるので、何回もそこからサイドのスペースにボールを出されてピンチになっていました。ラモンがいない時にトップ下をどうするのか、ホントに平野なのかという問題もありますし。


練習試合川崎F戦(2003年03月02日)

とりあえずこの2試合の練習試合だけを材料に僕が消去法で考えたナビスコ初戦のベストメンバーはこんなん。

    かずき   ボマちゃん

       アチュ

   たく        コバ

       やしけん
スズキィ          ヤナギ
     かんぺー ヨネ

       ヨシナリ

2003シーズン開幕前、懐かしメンバー案件。
2002年途中に就任したロリの2年目で、エジムンドが浦和に去り代わりにかつてガンバで大活躍したスーパーFWエムボマが入団、他にブラジル人ゲームメーカーラモン、神戸から元名古屋の平野孝、山形から左SB鈴木健太郎と、今気が付きましたが(笑)左利きばかり4人も補強しての新シーズン。華やか。
ただエムボマとラモンは怪我がち、平野は次のアルディレスが来るまで使い方がよく分からず、鈴木健太郎に至ってはシーズン途中で新潟に貸し出しと、結局そこまで戦力にはならなかったんですけどね。
前年の主力級だと小林大悟は怪我で出遅れ、共に3ボランチを支えた高木成太は横浜FCに返却、田中隼磨は引き続きマリノスから貸し出し中ですが現状のチームへのフィットで柳沢(将之)の方がいいという、僕判断だった模様。アツも実際のところアルディレスに左SBにコンバートされるまでは大した働きはしてなかったんですけど、とりあえずキープ力だけはあるので擬似エジムンドとしてトップ下にという提案。・・・実際どう使われてたんでしたっけ、ほんと影薄くて覚えてない、この後の自分の記事見て思い出す予定。(笑)


そして開幕後。
ナ杯予選リーグ第1節 神戸戦(2003年03月09日)

鈴木健太郎は悪い選手ではないが、1対1の対処、攻撃参加時のプレイの選択、共にいかにもまだJ2モードでアバウトな感じがする。ちょうど去年の入団当初のナリタのよう。それと右のハユマとタイプが似すぎているのも気になる。ハユマの対岸に置くなら例えばより堅実なタイプか、あるいは同じ攻撃参加するにしても違うタイミングを持った選手が望ましいと思う。自分で持ちこむのではなくスペースを狙う柳沢とか、球離れが良くて逆サイドへの展開の意識も高い羽山とか。
まあ基本的にこのポジションは平野も含めて誰を使っても能力的にはそんなには変わらないと思う。あとは考え方。

"J2モード"。
そうだよなあ、まだJ1だったんだよなあ、J2に落ちたことも無かったんだよなあ、そういう目線だよな。そもそも「ナ杯」に参加している時点でそうですし。(笑)
下のカテゴリーで活躍して個人昇格して来た選手が上でやろうとする時に、最近のJ2→J1ルートだとどちらかというとフィジカルを中心とする1対1で下の時のように優位が取れない、それによって使われなかったり振る舞いを変えざるを得なくなったりと、そういうパターンが主なように思います。ただここで言っているのはそういうことよりも、対人優位だった選手がそれゆえに自足的というか自己完結的なプレーしか出来なくて、周囲のプレーの流れに上手く乗れなかったり"完結"しているゆえに問題になり難かった弱点が目立ったり、そっちの方のパターンだった記憶。・・・最近のヴェルディで言えば"J3"鳥取の技巧派レフティ福村貴幸選手がJ2ヴェルディに来た時とかが、ちょうどそんな感じだったかなと。確かに上手いんだけど、なんか雑なんだよねという。要求水準の少し低いところでプレーしてたんだろうな感というか。
相対的に言えば当時のJ2が今のJ3くらいの実力感で、今はその間に"劣化版J1"的な中間領域としてJ2が挟まっているみたいな、そんな風景なのかなとか。
「球離れが良くて逆サイドへの展開の意識も高い羽山」。懐かしいですねえ。地味に好きだったな、羽山拓巳。元中盤で少しひ弱だけどプレーは真面目でいい左足を持っていた左サイドバック。・・・シティでの"ジンチェンコ"?みたいな(笑)。平野もそう言えばアルディレスが来る前は、左サイドバックがメインでしたか。神戸でもやってたし。
エムボマと飯尾の相性の良さ。なんかあったかも。


ナ杯予選リーグ第2節 浦和戦(2003年03月16日)

「ラモンがいれば・・・・」と身も蓋も無いボヤキを繰り返していたのも本当に特定の個人に頼らなければ中盤の構成は出来ない人だからで、別に堕落していたわけではなかった。最初にヴェルディで手腕を発揮した時の3-6-1システムも基本的には中東的堅守速攻スタイルのためのものと考えるべきで、見かけの類似性だけでアテネ・チームあたりがやっているものと同一視してはいけなかったのだなと。4バック移行後のチーム運営を見てずっとそういう疑問を感じてはいましたが。ちょっと期待し過ぎでした。


南米式カウンターサッカー?(2003年03月22日)

またはトヨタカップの弱い方。いや、マジで攻める欧州に守る南米という感じでしたね。

必ずしも意図してやってるわけではないでしょうが、ロリが監督を続ける(&4バックを堅持する)という前提に立てばそれも結構アリなヴィジョンのような。こう攻守共に中盤が機能しないんじゃねえ・・・・。エジムンド級のよっぽど凄い選手だというのでもない限り、ラモンがいればどうという問題ではないと思います。

ジェフとの開幕戦。つまり"攻める欧州"がジェフ。屈辱。(笑)
まあ振り返ってみるとこれがつまりは、オシムの初年度なわけですが。
前年シーズンはエジムンドと田中隼磨の個人能力を活かし切った、攻撃的かどうかはともかく少なくとも攻撃面に面白さの豊富にあるサッカーを展開してみせていたロリ監督でしたが、よくよく見るとむしろ守備的な監督で特に"中盤"の構成力には問題がある人だと、この頃はそういう評価に。あんまり覚えてないな。次のアルディレスのサッカーが楽し過ぎてその印象しか(笑)。まあ監督交代したくらいだから、上手く行かなかったのは確かなんでしょうけど。

大悟のスルーパスに繋がる果敢な持ちあがりには驚かされました。出しっ放しパスか使いっ走りかのどちらか極端みたいなところがあったけど、なかなかメリハリの効いた責任感のあるいいプレーでした。
(中略)
何となく沢山ある引き出しの実戦での使い方を、一つ一つ学んでいる最中という雰囲気も。頭の中は意外と晩成なのかも。

ドリブルというか状況を見てキープしての持ち上がりプレーが出来るようになった(小林)大悟。パスもゴーも出来るけどパス&ゴーは出来ない、連続性や有機性のあるプレーが苦手な印象の選手でしたが、少しずつ"サッカー選手"になっている最中(という当時の僕の評価)。もうカタログスペックだけとは言わせない!(言ってたらしいのは僕(笑))


・・・最後余りやる気の無い"代表"記事。

代表ウルグアイ戦(2003年03月28日)

フェイエでもそうなんですが、小野のボランチってあんまりよく分からないんですよね僕。確かに視野がパノラマなのでバランサー、繋ぎ役としてはいいかもしれない。ただ基本的に長いパスの無い人なので、技術が高い割りにはいわゆる「展開力」というものが期待出来るイメージが無い。(中略)
小野は悪くはない。悪くはないがただこのポジションの選手としてスーパーである/スーパーになり得るとは思えない。そんな小野を不可欠の要素として含んだ中盤が”黄金”であるとはとても思えない。

そもそもオランダではボランチとは言わないだろうというのは置いておいて。
テレ・サンターナの'82ブラジル代表の"黄金の4人"(トニーニョ・セレーゾ、ファルカン、ジーコ、ソマラテス)の日本版としての、所謂"黄金の中盤"(小野、稲本、中田ヒデ、中村俊輔)をジーコがぶち上げた時に、個人技ベースという方向性自体はとりあえず良しとするとして(したくないけど)ブラジルならともかく日本如きが「黄金」とは何の冗談だよ、ひょっとして最終目標はアジアカップなの?それなら分かるけどやっぱりワールドカップの方なんでしょ?一応という、根本的疑問は措くとしても。より具体的に疑問で僕が最初の最初からあのチームに期待を抱けなかったのは、2列目のヒデ俊輔の方はともかくとして小野稲本のボランチコンビの機能性が、どうにも組み合せとしてイメージ出来なかったというのがあります。配置だけしてコンビが自然に熟成するに任せるにしても、一応どういう"コンビ"になるのかの基本的なイメージ/アウトラインはある筈だと思うんですが、本当に見えなくて。
このポジションに関する当時の通念に従えば、フィジカルの強い稲本が潰し屋/守備的な役割として1stボランチで、技巧派の小野がより攻撃的な2ndと、基本的にはそういう組み合わせなんだろうと思いながら見てはいた訳ですが。"4人"の中で言えば前者が"トニーニョ・セレーゾ"で、後者が"ファルカン"と。
ただ問題はまず稲本は確かに潰し屋の出来るフィジカルを持ってはいるんですが、プレースタイルとしてはそのフィジカルを利してぐいぐい前に出て行って攻撃に参加するのが得意な形で、動かずにポジションを守ってバランスを取ったり散らしたりというタイプではおよそない。その一方小野は確かに技術はあるんだけどパスの基本はショートレンジで、シュート力はそもそもなく、最も個性を発揮できるのはゴール近くの密集に参加してダイレクトパスを交換しながらサーカス的にすり抜けるプレーで、こちらも後方に構えてそれほど何かが出来る選手(それこそファルカンのように)ではない。・・・ぶっちゃけ代表どころか浦和レッズのボランチとしても、物足りないところの方が多かったプレーヤーなので個人的には。熟成以前にそもそも適材ですらないんじゃないのこの二人、この組み合わせという。
今だったら多分、軽量だけどパノラマ視野の小野を"アンカー"に据えて、稲本がそのやや前方でプロテクトするというような役割分担もイメージし易いと思いますが、当時そういうポジション概念が一般的だったともジーコにそういうヴィジョンがあったようにも、僕には思えない(思えなかった)。オランダの小野はそれに近いプレーもしていたようなので、ひょっとしたらと思わなくも全くはないんですけど。

いずれ昔の話ではありますが、改めてそもそものテレ・サンターナ版についての記事を漁ってみると。

ファルカンが召集される前は、国内でプレーするトニーニョ・セレーゾがレギュラーで、サブの一番手は守備に強いバティスタということになっていた。(中略)トニーニョ・セレーゾは守備の能力以上に攻撃的センスとシュート力が買われ、抜群の運動量を誇っていた。
(中略)
ここで名将・テレは画期的な選手起用をする。トニーニョ・セレーゾとファルカンを同時にピッチに立たせたのだ。(中略)こうして後に伝説となる‘黄金の4人’が誕生したのであった。
 4-3-3が主流であった当時は、その方式に懐疑的な意見を呈する者も少なくなかった。しかし、結果がそうした意見を封殺した。
(ミラクル3の世界「W杯スペイン大会③~黄金の4人~」)

なるほどね。
セレーゾの前にジーコ・ソクラテスという形だった所に、ファルカンが割り込んで中盤が一人増えてFWを一人減らして4-4-2になったのか。そして攻撃得意でかつ"抜群の運動量を誇"るトニーニョ・セレーゾは、むしろ稲本に近いタイプだった?だとすると稲本と小野は単純に役割分担するというよりも、基本的には稲本がやれるだけ一人で中盤の底としての役割を果たして、小野はそれを補助しつつ上乗せするような"贅沢"要素?それなら何となく分かる気がする。W杯"後"の浦和でのプレーを見ても、基本的に小野には"重要"な役割は振らない方がいい(笑)んですよね、そういう選手。

オスカー('82年チームのDF/主将)の図では、FWセルジーニョの下にソクラテス、ジーコは右のハーフスペースだった。ボランチにはトニーニョ・セレーゾとファルカン、そして左サイドバック(SB)のジュニオールもほぼMFの位置。GKとCB2枚は普通だが、右SBレアンドロの位置も高めだった。
(西部謙司「名将テレ・サンターナは美しさを尊ぶ。選手と観衆のためのサッカー」)

ジーコは右のハーフスペース。
あんまり関係ないですけど、イメージは掻き立てられますね。どちらかというとヒデと俊輔の"役割"についての参考材料か。

同時に、プレーの面で彼が目指したのは、74年ワールドカップのオランダ代表だった。ポジションなど消えてしまったかのような全員攻撃のサッカー。攻撃が始まると、渦を巻くように選手たちが動き、相手の守備をかき乱すサッカーこそ、彼の理想像だった。そしてワールドカップという最高の舞台で、彼はそれを見事に実現してみせた。
(大住良之:サッカーの話をしよう「No.602 テレサンターナ」)

ほお。
そういう意味での、"自由"でもあったのか。ここら辺は何というか、ジーコがテレ・サンターナから"継"げたものと"継"げなかったものという、問題にもなる気がします。どう贔屓目に見てもジーコ・ジャパンの"自由"を、トータル・フットボール的に解釈することは僕には出来ません。

ソクラテス
「4人に決まり事は全くなかった。一応、ファルカンとジーコが前、ぼくとセレーゾがやや後ろというのは決まっていたけれど、相手の力、戦い方によって、毎回4人の選手の役割は違っていた。どんな風に4人が動いたかというのを説明しようとしたら、一冊の本を書いても足りないぐらいだよ」
(「W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。ジーコに影響を与えた名将テレ・サンターナ」)

ファルカンの方が前?もしもし、そこから引っくり返すんですか?ソクラテスさん。(笑)
オスカーの言うこととすら違ってる。これが"トータル"ということなのかも知れませんが、追及すると深みにはまりそう。(笑)
特に解決はしてませんが、少なくとも2002~2006年当時よりは色々な可能性を考えられるようになりつつ、今日のところは終わりです。


・・・今気づきましたが2003年に入ったところで、早速今の"です・ます"調に変わってますね。
特に変えようと思った記憶はないんですけど。(笑)


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