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ヴェルディ川崎の誘惑?! ~京都戦感想
2003年05月23日 (金) | 編集 |
ラモン、ボマ、桜井と主役を張れる器が三人揃い、かつ過不足無く役割分担できると違うものだね。それだけでサッカーがサッカーとして動き出す。苦笑混じりに「王様」呼ばわりされていたエジムンドだったけど、内心の孤独はいかばかりだったか(いや、分からんけど)。ちなみにこれが二人となると例えば名古屋のピチブー&イヴォ、浦和のエメ&トゥットのように、もっと言えばセリエAのありがちな強豪チームのように破壊力はあってもサッカーとしては壊れてしまうのが通例だから、やはり「3」は社会性の始まりなのか。

まあ試合自体は一部で酷評もされていたように、京都の想像を絶する悲惨なチーム状態にウチの個人能力の高さがつけこんだようなどちらかというと低レベルの美しくない試合だったように思う。ヴェルディの得点シーンはいちいち絵に描いたように鮮やかだったけど、実は京都の2点も同じように鮮やかだったりするので、要するに互いに一つ一つのプレーが緩くて攻撃練習を有料で見せ合ったような格好。
「ヴェルディにもサイド攻撃が出来た」的な喜び方をしている人も多いけど、むしろサイド攻撃すらもする余裕を京都が与えてくれたというべきで、まともな相手に同じことが出来るかというと半信半疑・・・・よりもちょっと疑寄りという感じ。どのみちあれは元々それぞれの選手が持っていた個人戦術の寄り合わせで行っていることで(グループ戦術ですらない)、チームとして特に狙いがあるとか何か方向性が変わったとか、そういうことではないように思う。レアンドロ(体制)は何か特別な戦術やコンビネーションを新たに教えたとかではなく、そうした個人戦術を発揮出来るような常識的なバランスとムードをチームにもたらした、つまりはそういうことなのだろう。

勿論、そのものとしては至って上出来ではある。大まかに言えば去年のロリも同じことをしたのだと思うが、冒頭の話に戻って中心がエジムンド一つではなく三つあることによるヴァリエーションの豊さは歴然としているし、3人のパーソナリティ及び当の3人が仲良く役割を交換し合うことによって技術的にも雰囲気的にも、その他の選手たちが積極的にそれに絡む余地が大きくなっている。こうなるとウチの「準代表/代表未満クラスの宝庫」的な時に生殺し的に悪く作用する特異な選手層が俄然生きてきて、うまくするとこれはうまくするかもしれない(笑)
ポイントポイントにスペシャルな選手がいて、それを中心に平均的に高いレベルの選手たちを縒り合わせた一つの巨大な個人戦術の集合体・・・・。ブラジル代表やレアル・マドリーにはちと足らんとしても、ヴェルディ川崎くらいにはなれるかも知れない。
やってみる?別に止めないよ僕は。

最後に一つ。
案ずるより産むが安しとはあなたのためにあるような言葉ですなアツさん。
要はヴェルディ移籍後の「MF」として試行錯誤は全て無駄だっということか。あまりに低レベルのプレーぶりにいくら何でも身体的精神的な故障があるんだろうと色々推測してきたけど、こうもあっさりと”ジャックナイフ”に復帰するとは。いや久しぶりにゾクゾクしました。


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