2012年の本。著者略歴。
ツイッター上の話題から飛んで読んでみて、期待した感じとは少し違いましたが、まあまあ面白かったので書き留め。本田真美
1974年東京都生まれ。医学博士、小児科専門医、小児神経専門医、小児発達医。東京慈恵会医科大学卒業後、国立小児病院、国立成育医療研究センター、都立東部療育センターなどで肢体不自由児や発達障害児の臨床に携わる。2010年、世田谷区にニコこどもクリニックを開業。さまざまな援助を必要とする障害をもつ子どもを診療している
認知特性から見た6つのパターン
副題にあるように人には認知特性から見た6つのパターンがあり、そしてそれぞれの特性の優位劣位によって"頭のよさ"の形も変わるという、簡単に言えばそういうことが書いてある本です。
その6パターンとは
A 視覚優位者
(1)写真のように二次元で思考するタイプ
(2)空間や時間軸を使って三次元で考えるタイプ
B 言語優位者
(3)文字や文章を映像化してから思考するタイプ
(4)文字や文章を図式化してから思考するタイプ
C 聴覚優位者
(5)文字や文章を、耳から入れる音として情報処理するタイプ
(6)音色や音階といった、音楽的イメージを脳に入力するタイプ
の6つ。
まずパッと見て思ったのは、6つもあるのに自分がどのタイプなのかどうも当たりがつかないなということ。当たりがつかない分、興味を感じたというか。・・・つまり少なくとも、常識的直観を難しく言っているだけの、置きに行った(笑)研究ではないらしいなということで。
次に興味を持ったのは、例えば僕自身は自分が"視覚優位"の人ではないという自覚が以前からあって、それは具体的には学生時代(同じ理系の勉強の中でも)計算・方程式系は苦じゃなかったのに図形系の問題がはっきり苦手だったことや、(いつも僕の文章を読んでいる人は分かると思いますが(笑))漫画やアニメという"視覚"表現芸術を見る上での作画技術的なものへの自分の軽視傾向などを見てそう思っていた訳ですが、とにかく僕に縁遠いように思える"視覚優位"の世界においても、この分類・研究によると更に二次元タイプと三次元タイプはまたそれはそれで結構違うらしいという意外性というか新鮮な視点というか。目のいい人たちもみんな一緒じゃないんだ(笑)という。
同じことは"言語"と"聴覚"にも言えて、言語は勿論のこと、視覚に比べれば聴覚の方も、だいぶ僕は重視しているという自己認識だったんですが、だからと言って(5)(6)の違いがすんなり分かるかというとそうでもなかった。言語の方の(3)(4)もそう。
繰り返しになりますが、やはり日常直観だけでは追っつかないことを研究・記述しているものらしいとは。"三次元"じゃないのは確かなんですけど、"二次元"という限定で見ると意外と俺(1)タイプかもなと思えて来たりして、まさかの"視覚"優位の世界がこの自分にも?(笑)
はて俺は何者なんだろうという。
本田40式認知特性チェック
実際の研究でどのように利用されているのかは分かりませんが、上の「認知特性」を分類する為に、著者の研究所が一般公開しているチェックツールがあります。それが"本田40式認知特性チェック"。
・・・リンクページはこちら。尚利用にはLINEアカウントが必要です。
以前は"35"式だったようでこの本でもそうなってますが、今はそちらはリンク切れで修正版の40式のみ公開されています。見比べてみると5つ足された部分以外は、中身は一緒のようです。
早速僕もやってみましたが・・・。うーん、これは困った。
3択アンケートが40個ある訳ですけど、大部分の設問が僕的にはどうとでも答えられるorどれも選びようが無いと感じられる問いばかりで、一応答えてはみましたが結果に我ながら信ぴょう性を感じられない。気分によってその都度違う結果が出そう。
だからと言って何回もやるのも馬鹿みたいなので(笑)、とりあえず1回目の結果。


視覚系二分類の説明

言語系二分類の説明

聴覚系二分類の説明

繰り返しますが自分自身の結果に関しては、まあどうなのかなという受け止め方です。
やはりピンと来ないまま選んだorそれゆえ"中"を取っただけみたいな回答の仕方を多くしたので、細かい数値の違いはほとんど誤差の範囲なのではないかなという。・・・現にこれの前にやってみた簡易版だと、上では"ファンタジー"タイプ優位とされているところが"辞書タイプ"となってましたしね。
一方で本の中の説明を読みながらあれ俺意外と"カメラ"タイプ?と思った部分は、ある意味ちゃんと数値として出て来ていますね。"3D"タイプとは微差ですが、(二次元の)グラビアは好き(笑)なのに細かく描き込んだ奥行き感のあるタイプの漫画の絵とかがそうでもないのは、"3D"適性の問題なのかと思わなくはない。(笑)
"ラジオ"の互角の健闘も聴覚優位の自己認識に合致していて割と嬉しいですが、"サウンド"の極端な劣位は音楽好きとしてはやや不本意。もう一度確認すると
というのがこの二つの違いですが、心当たりがあるとすれば確かに自分はある種聴覚的音楽的に世界を捉えている自覚はあるんですが、その"音楽"が意味するところは専ら"リズム"なので、そういう意味で"音色や音階"が脱落している可能性はあるかも。C 聴覚優位者
(5)文字や文章を、耳から入れる音として情報処理するタイプ
(6)音色や音階といった、音楽的イメージを脳に入力するタイプ
・・・ちなみに僕が普段殊更リズミックな音楽が好きだということはありません(笑)。基本はあくまでロッカーであって、ヒップホッパーではない(笑)。"音色"が無いと寂しいです。パターンだけでなく、質感も欲しい。
「ワーキングメモリー」(能力)のあや
この本の中で、個人的に特に興味を惹かれた個所。
"同時通訳者"
同時通訳を行う場合、耳で聞いた言葉を即座に他言語に変換しなければならないために、「ワーキングメモリーが小さくないと、少し前の言葉に注意が引っ張られてしまい、次の言葉が耳に入ってこない」と言います。
(p.157)
また、ワーキングメモリーが小さい分、短期記憶から長期記憶への変換は人より速いと言います。
ワーキングメモリーの小さい人は、捨てる情報と脳内に残す情報をすばやく振りわける能力に長けているのかもしれません。
(p.158)
"一夜漬け"
記憶力には、長期記憶と短期記憶(ワーキングメモリー)がありますが、一夜漬けでテスト勉強をし、いい点数がとれる人は、ワーキングメモリーがいい人です。一夜漬けの勉強がよいことか悪いことかは別にして、一夜漬けは誰にでもできる能力ではないのです。
(p.186)
まず"ワーキングメモリー"とは何かと言うと、人間の記憶に長期的/恒久的に保持される"長期記憶"と短期的にしか保持されない"短期記憶"があるところに、更に目の前の作業(思考)を行う為だけに保持される一時的な記憶がワーキングメモリーであり、「作業記憶」(作動記憶)という訳語が当てられる。・・・と、学生時代には習ったんですが、必ずしもそういう定義でない場合もあるようで。
上の"一夜漬け"の箇所を見ると、本田氏もワーキングメモリー=短期記憶として使う人のようで読んでてあれ?と思ったんですけど、しかし一方でここに引用したような一連のワーキングメモリーについての論考を見ると、意味合いとしては"情報の操作を伴"う積極的な意味で使っているのは明らかだと思います。ワーキングメモリという語の用法は必ずしも一貫しておらず、情報の操作を伴わず単に一時的に保持しているという短期記憶の意味で用いられていることも少なくない。
(ワーキングメモリWiki)
こっちの立場ですね。ワーキングメモリという用語を短期記憶という用語と特に区別して使うことには、受動的な記憶保持よりも能動的な情報操作の側面を強調する意図があると思われる。(同上)
ということで改めてこちらの定義、僕が習った通りの(笑)定義でここでは話を進めます。短期記憶を発展させた作動記憶という概念が提唱されている。ワーキングメモリは短期的な情報の保存だけでなく、認知的な情報処理も含めた概念である。
(記憶Wiki)
・・・とその前に、心理学を離れてほぼ誰もがしているだろう経験の中からこの概念について説明してみると、パソコンを買う為に性能について調べた時に、CPU自体の能力と共に「メモリー」の容量が大切だということが必ず書かれてますよね。一種の作業台であって、それが狭いといちいちどけてから次の作業をしなくてはならないので結果遅くなる的な。要はあれです。
"一時的な記憶"だとちゃんと書いてありますね。意識したこと無かったですが。データやプログラムを 一時的に記憶する部品で、コンピューターでは 主記憶を担当します。
分かりやすく例えると机や作業台です。何かの課題に取り組んでいるとします。書類や辞書を並べたり、筆記用具をおいたり、参考書を開いたりします。机の上が広ければ広いほど作業はしやすくはかどります。それと大変似ています。[メモリー]
表現が似ているのは別に偶然ではなくて、"ワーキングメモリー"自体がそもそもがコンピューターをモデルに人間を考えるという流れ(認知心理学)から出て来た概念なので、当たり前なんですね。
という感じで言葉の意味については概ね理解出来たということにして、本題の本田氏の話に戻ります。
このワーキングメモリー(の容量)は、所謂"頭の良さ"と重要な関係があるだろうと、兼ねてから僕は考えていて。つまり人間が思考する時に、様々な知識やアイデアやシミュレーション試行を、未決のまま同時並行的に(作業台に)"並べて"保持しながら検討して、その結果が言語化されたり実行されたり反応に反映されたりする訳ですが、この"未決"の状態は結構微妙で、並んでるだけで位置づけの確定していない危うい情報を、なるべく多く/出来る限り全部、こぼさないようにそーっと(笑)持ち運んで取り扱ってるような感覚が自分自身その都度ある。結果まずまず十分な"思考"の成果を他者に対して披露出来たとしても、自分でもどうやってその作業を完遂したのかは毎度よく分からない、我ながらよく切り抜けたなみたいな気持ちになる事も多い訳で、要するにそこらへんは自分自身のいじれないスペック(この場合はメモリー容量)の領域だよな、僕も頑張ったけどそれ以前に脳が(勝手に)頑張ってくれているんだよなという感覚は常にあって、同レベルのスペックを持たない相手(コンピューター?)に同じようにやれというのは酷だよなとも思う訳で。スピードについてもそうですし、どれだけ多くの材料を同時に検討出来るか、どれだけ遠くまでシミュレーションを走らせてから回答出来るかもそう。抱え切れるかどうか微妙な量の情報を、僕は抱え切れたけどこの人は抱え切れずにこぼしてしまった、それで検討のだいぶ手前(僕の目から見ると)で結論を出さざるを得なかったり、途中で諦めてケツをまくってしまったり(笑)。まあしょうがないよね、逆に俺だって作業台からぼろぼろ物がこぼれてしまって、ああもう!となることはあるから。(笑)
勿論問題は作業台の広さだけではなくて、そもそもの個別の作業の速さ/CPUの能力/演算速度、これが速ければ作業台が溢れる前に次に行ける訳で、だからこの両方を併せてPCの性能(笑)な訳で。
ただまあ、広いに越したことは無いのは確か。
・・・と、思っていたんですが。
本田氏の記述する"ワーキングメモリーが小さいゆえに出来ること"を見ると、これは必ずしも「能力」の問題ではなく、「タイプ」の問題でもあるのかなと。頭の良し悪しというよりも、頭の使い方の違い。一時保持に重点を置くか、置かないでどんどん次へ行くか。
例えばWikiの"ワーキングメモリのトレーニング"の項には訓練次第である程度メモリー容量を増やせる可能性が示唆されていますが、そういう可塑性もそうですし逆にあえてワーキングメモリー(での作業)を小さくする、それは元々ある分の容量を使い切らないという形なのか、それとももっと流動的に思考・記憶全体の中で"ワーキングメモリー"として割り当てる領域を狭くするのか、「コンピューター」というアナロジーを重視するなら前者なんでしょうけど、どこまでそのアナロジーで行けるのかはまだ分かってはいない訳ですし。ある種のパーソナリティバイアスというか、"タイプ"の問題として、一時保存/作業をそこまで念入りにはやらないという人はいる気がする。一般的には"頭がいい"と目されるような人あるいは職業の人でも。
逆に僕なんかはワーキングメモリーの容量ないしそこでの作業に多くを負っているタイプなのかなと。雑多に近い複数のことを同時に/気長に考えることは得意な方だと思いますが、一方でそれこそ"同時通訳"のような、シンプルな作業を即時にどんどん行うことを要求されるのは苦痛。その時に切り捨てられる多くの情報の方に、後ろ髪を引かれてしまうというか。(笑)
おっしゃる通り一夜漬けは得意だと思いますし、"短期記憶から長期記憶への変換"が、遅いないし不活発な可能性も、心当たりが無くはない。目の前の作業台で出来ることが多めなので、大抵のことはそこで済ませてしまってその場限りになりがちというか(笑)。・・・逆にその作業台が小さいないしいかにも最低限だと、そこで行う作業は当座のものだという割り切りがはっきり出来るので、それ以上の検討を要するものはさっさと長期記憶(化される情報の)レベルの処理に回す、というのが上の「同時通訳」者の例で言われていることですね。まあ長期記憶は長期記憶で、確定され過ぎ命題化され過ぎて柔軟性に欠けるという問題はある訳ですけど。「正論」思考というか(それが転じての陰謀論思考(笑)も)。"雑多"状態に慣れている僕のようなタイプは、そういう傾向は薄い訳ですけど。良くも悪くも、いつも現在進行形で曖昧。
ここら辺は話し出すと切りが無いので今回はこれくらいにしておきますが(反応次第では(笑)続きも)、最後にこの本の中からもう一つだけ、関連しそうな箇所を。
アレックス・F・オズボーン。"ブレインストーミング"の名付け親として知られるカリスマ経営者のようです。(Wiki)創造性を高めるための四つの法則があります。
それは、①判断延期②自由奔放③質より量④結合改善です。
これは、米国の広告会社BBDOの社長オスボーンの考案したものです。
(p.200)
「判断延期」に「質より量」、いかにもワーキングメモリー的ではあります。曖昧雑多なものを雑多なままに目一杯抱え込む。結果変なものをくっつけるのは得意ですよ?確かに(笑)。(結合改善)
俺って創造的?
実際は自分のことをどう考えてるかというと、演算速度はそこまででもないけど、メモリー容量他の補助的な要素が充実しているので、値段の割にまあまあ使えるPCくらいに思っています(笑)。損はしないと思うよ?買って?
一般ユースとしては十分でしょうけど、NASAで使われたりはしないでしょうね(笑)。ゲーミングPCとしては、どうなんだろう。それ用に作られてないの確かだけど、何とか対応くらいはしたいものだ。
前半で言ったように、結局自分が(認知特性的に)何者なのかについては、かえって分からなくなってしまったところもあるんですけど(笑)。ただ少なくとも分からなくなるくらいの新しい視野は得られた訳ですし、ここからがむしろ再度本番なのかも知れない。思ってた程視覚劣位でもないし、思ってた程聴覚優位でもない?言語優位なのは、多分間違いないでしょうけど。
ワーキングメモリーの役割についての示唆は、大いに刺激されましたね。こちらは自分が何者なのかについて、かなり積極的なヒントをもらえた気がします。
結論(定義)と例示があるだけで、そんなに原理的なことが書かれている/予感出来る内容の本ではないので、必ずしも読んで"分かる"タイプの本ではないと思いますが、"紹介"本としては面白かったです。