という内容。CM無しの50分弱。ジャニー喜多川氏が創設した男性のみのタレント事務所「ジャニーズ事務所」は、日本の芸能界を圧倒的な影響力で支配してきた。事務所は日本でスーパースターになるための登竜門であり、若い少年たちを訓練する「工場」として、日本のポップ・アイドル文化の中心に君臨している。
一方で、喜多川氏には、所属する少年たちに対する性的搾取の疑惑がつきまとってきた。
(中略)
番組では、ジャーナリストのモビーン・アザーが日本を訪れ、喜多川氏から性的虐待を受けたという人たちに話を聞く。そして、疑惑は長きに渡り噂されてきたにもかかわらず、ファン、メディア業界、そして日本社会が彼を英雄視し続け、その遺産が今も繁栄している驚愕の現実を知る。
動画とかは上がってもすぐ消されそうですから、その都度探してみて下さい。(手元に録画はあります)
番組全体及び最終的なまとめとしては、"モビーン・アザー"氏のある意味では個人的な、現代&国際基準の標準的な「性的虐待」観に則って語られて、それが2000年前後を中心とする日本のまたはジャニーズ界隈のそれと、終始嚙み合わないまま進行します。そのギャップにいちいち動揺し、必死で怒りを抑えること度々なアザー氏の真っ正直な態度に「価値観の押し付け」的な嫌な性格はありませんが、一方でこれと言った"分析"や"視点"を提供することもなく終わったと、そうも言える内容かなと。
とりあえず番組中で語られた、虐待やそれを告発した文春記事を巡る裁判やジャニーズ事務所の内情についての証言を列挙しておきます。(登場順に)
"被害/事件"
文春記者が1999年に取材した元ジャニーズ少年(当時)の証言1
同2・性的に搾取された
・中学生での入所時から16or17歳の時
・10~20回
・30-40代の証言者たちが当時を振り返って
・場所は"合宿所"("ドミ")と称するジャニー喜多川氏の自宅マンション
・複数の少年たちが雑居状態で、ジャニー氏がある少年に性的行為を行っているのを隣り/周りの少年たちは聴きながら寝たふりをしている。(その後その中の誰かのところにジャニー氏が続けて来ることもよくある)
文春vsジャニーズ裁判の際の、文春側弁護士の証言
・(ジャニー氏は)「少年たちの証言はうそだと彼は言いましたが、うそをつく理由は知らないと言っていました」
・「裁判所は証言を真実と認めています」
・「私は少年の1人にたずねました。"喜多川氏についてあなたは今どう思っているのか?"」
・「"長生きしてもらいたい"と少年は答えました」
ナレーション(モビーン・アザー)
「判決で東京高等裁判所は一部を除き記事の主張は真実であると認めました。少年たちへの性的搾取の疑惑も含めてです。」
「しかしこの訴訟は刑事裁判につながらず、報道もほぼされていません。」
「私が知る限り警察も捜査を開始していません。」
ある約30年前の入所者(匿名)の証言
・応募は15歳の時
・オーディションはジャニー氏と1対1
・翌週"合宿所"へ
・合宿所に落ち着いてしばらくして、ジャニー氏が風呂に入っておいでと言った。
・ジャニー氏自身が上着を脱がして、それがズボンにかかった時に「自分で脱げます」と言ったら無言の威圧を受けた。
・結局ズボンもパンツも靴下も全てジャニー氏の手で脱がされ、お人形さんのように全身を洗われた。
・「風呂へ行け」というのは他のみんなの前で言われた。
・帰って来てからみんなには「夢が壊れた」と言った/言われた?(映像ではどちらか分からなかった。翻訳は"言われた"になっていたが)
・「これを我慢しないと売れないから」と何人かに言われた。
・更にその晩ジャニー氏に「眠いだろう?寝ろ」と言われベッドに寝かされた。
・テレビを見ながら朝方までマッサージをされた。
・知る限りこうした行為が嫌で辞めるという人はいなかった。
・合宿所に大人はジャニー氏一人。
関係者及び日本社会の擁護的論調
1990年以降ジャニーズ事務所での体験を本にして来た(『ジャニーズのすべて 少年愛の館』)"淳也"氏の証言
・ジャニー氏がそういう"癖"を持った方であるのは確か。子供たちに対して必要以上の可愛がり方をしたのも確か。
・(具体的には)体を撫で回されるいじられる、いわゆる男の子の大事なところをぐりぐりされるなど。
・親たちはそういう内情を知っていた。
・結論として、個人的には"悪い"こと(虐待と呼ぶべき行為)だとは思っていない。コミュニケーションの延長。
・ジャニー氏の行為を「犯罪」とは認めなかったのは日本の社会であり、(ジャニー氏は?)日本そのものである。
"リュウ"氏(2002年から10年間ジュニアとして活動)の証言
・家に行ってご飯を食べて、お風呂に入らせてもらって、のち寝室の方にジャニー氏が来て、マッサージをしてもらう。
・社長がタレントにマッサージをするのは異様だとは思った、逆ならともかく。(「逆でも異常だ」とアザー記者のツッコミ)
・マッサージは肩から始まって、段々と下の方に行く。
・そういう実情を話には聞いていて、自分の番かと思った。ある程度は許したがそれ以上は駄目だと自分は言えるタイプ(当時16歳)なので言った。ジャニー氏はごめんごめんと部屋を出て行った。
・それ以上の行為をされた少年がいるという、話は聞いていた。
・ジャニー氏の行為がいいか悪いかと言えば悪いことだとは思うが、好意や敬意が上回るので自分にとってはそこまで大きな問題ではない。
街頭インタビュー(現在)
(中年女性)
噂には聞いているけれど本人が死んだ今その話題に触れたいとは思わない。
(自称ゲイの男性)
これはそんなに表立って追及すべき内容ではない。
現23歳ホストの元ジュニア(~2019)"レン"氏の証言
・(性的虐待とされる行為は)あったとしてもそんなに悪いことだとは思わない。
・周知のことなので、受け入れる側も承知の部分がある。
・もし自分がそういう状況になったら、有名になる為に受け入れると思う。
アザー記者の取材要請に対するジャニーズ事務所側窓口"カイ氏"の対応
「本気ですか?」というのは、例えば政治家やスポーツ選手と記者の間でよく繰り広げられるような、ある種の"メディア産業"内の内輪的駆け引き/取り引きの範疇として対応としようとした、対応出来ると思っているかのような"カイ氏"の態度への驚き、ですかね。カイ氏 そちらの意図は分かります。いい番組を作りたいのでしょう?
カイ氏 しかし先ほども言ったように・・・
アザー記者 本気ですか?深刻な疑惑に見合わない対応です。
カイ氏 訪問に感謝します。
「いい番組を作りたいのでしょう?」には僕も確かに驚きました。あくまで持ちつ持たれつの"ゴシップ"的レベルの問題であって、倫理的な問題だとも増して"犯罪"に関わる問題だとも、受け止めている様子が無い。
まあ普段相手にしているのが専ら芸能記者だというのは、あるのかも知れませんね。ただそういう人に対応を任せたのは事務所の方なので。仮にも"BBC"の取材だと名乗っている相手に。
・・・つい先日も"リネカー降ろし"問題で社本体はだいぶ保守化している/体制寄りになっていることが晒されてしまったBBCですが、少なくとも数多放送されている"ドキュメンタリー"番組に限っては、変わらず頑固にリベラルですから、こんな"日本的対応"(笑)が通用する相手ではない筈。
次は考察。
日本においてジャニー喜多川氏が許されている/受け入れられている理由
挙げられたような事実があったという前提で(裁判所は認定したそうですが)、あるいは少なくともあったという認識が、関係者や日本国民の多くに存在するという前提で。
なぜジャニー喜多川氏は、ある種"許されて"いるのか、少なくともBBCのジャーナリストが現代の西側先進国的常識から当然行われるべきと考えるような糾弾・処罰を、生前も2019年の死後も、受けないで来ているのか。
なるべく常識的、または当たり障りのなさそうな順から、考えてみると。
1.ジャニー喜多川氏の人格的魅力・影響力
番組中の"擁護"派側の口からは勿論口々に言われ、弁護士によれば文春がジャニーズ事務所に対して行った告発の、言ってみれば「原告」的存在である被害少年(と自認している人物)にすら(ジャニーさんには)"長生きしてもらいたい"と語らせる、確かに存在するのだろう、氏の特有の人格的魅力。
カルト宗教の類まで含めたあらゆる"カリスマ"的人物の周りには多かれ少なかれ存在して、当事者の行動や感情を外部の人間から分かり難くするそれが、ジャニー氏にも、しかも恐らくかなり強力な包容力を発揮する類のものが存在するのだろうと、それは考えられますね。
それをアザー氏は"グルーミング"だと、虐待加害者が被害者を懐柔する典型的な手口(参考)だと断ずるわけですが、そう分類できたとしてそれで済むレベルのものとは、ちょっと僕には思えません。各証言にある直接的な"行為"誘導の際に使われる"手口"は確かにそうなんでしょうが、それで済ますには余りにも影響範囲が広範で永続的過ぎる気がします。
関連して、"街頭インタビュー"にもあるように、一般の日本人がそうした噂を耳にしたりはしつつもたいていは氏を"名物"的人物として好感を持っている、あるいは特殊に"赦免"の対象にすべき人物だと考えていることが多いのも、不思議と言えば不思議ですよね。会ったことは勿論、極端な秘密主義の氏を見たことすら、ほとんどの日本人は無い訳で。・・・強いて言えば特にダウンタウンとの絡みで語られる氏の"天然"的な人物像が、好感を後押ししているということは言えるだろうと思いますが、それで全て説明する訳にも。
2."枕営業""取引"の「実績」
ジャニーズ事務所の草創期はともかく、少なくとも氏や事務所が業界での影響力を確立したある時期以降は、多かれ少なかれ業界に存在はするだろうそうした慣行の中でも、特別に"確実"でそこから利益・恩恵を得るルートが見え易いものとして、言ってみれば"良心的な枕営業"として、ジャニー氏のそれは存在した、事実はどうあれ少なくともそういう"信頼"を広く持たれていた、ゆえに糾弾という選択肢の優先度が著しく低くなったと、そういうことはありそうですね。・・・むしろ"常習"的だからこその"信頼"感という、皮肉な事態というか。
"淳也"氏の言を信じるならば、少年たちの親ぐるみで黙認が行われるくらいに。
勿論例外は多々あって、何も知らずに入って"衝撃"を受けて"裏切られ"て傷つく少年(や親)も、一定以上の割合でいたでしょうけど。
3.ジャニー氏&事務所の権力・圧力
による封殺。
まあ個別にそういう事例は沢山あるでしょうけど、余りに当たり前過ぎて無視は出来ないけれど強調する気にもなれない要因。多かれ少なかれジャニーズ以外の事務所にもあるでしょうし、日本以外の各国にもまた存在するでしょうし。
よほど僕の知らない、ジャニーズ事務所固有の特殊な陰謀構造でも存在していない限り。
ただ民事での事実認定後も警察が一切動いてないというのが本当なら、それはなぜなのかひょっとして"そういう"事情があるのかということは、つい考えてはしまいますけどね。(そんな単純な話では無さそうにも思いますが)
・・・ここらへんまではまあ、常識的な想定の範囲で、特に大きな反対は無いだろうと思いますが、ここからはもう少し、個人的な推測。
4.ジャニー氏の"行為"の実態
凄く馬鹿なことを言うようですけど。
"それ以上のことをされた"少年の存在もほのめかされつつ、しかし1990年代から2010年代の広範な期間において、氏の"少年愛"行為の具体的内容についての証言はかなり似通っていて、ほとんどの場合は"撫でる""触る"が基本の"悪戯つきマッサージ"のようなもので、それこそ射精であるとかフェラチオであるとか肛門性交であるとかいう、ハードな(?)行為にまでは至らないもののよう。勿論今日においては、あるいはおかなくても、そうした"マッサージ"は明らかに性的行為であるし虐待の一種と定義すべきものだとは思いますが、しかし当事者的に全ての行為が同じ意味を持つかというと、そうは思えない。
「そこまではされていない」という自分への言い訳・慰めの可能性も含めて、望まない・不快な行為ではあるけれど"糾弾"するまでのものではないと、そう事態を了解・収束させ易い、そういう面はあるのではないかなと。誰に対しても"常に同じ"である(と共有される)ことによって、"風物詩"的な希釈化もし易いでしょうし。上で言った氏の"人格的魅力"も、肛門性交までしてしまっては駄目でも"悪戯マッサージ"程度なら、事態の許容の大きな力になるでしょうし。勿論許容出来なかった"被害者"が少なからずいる可能性は、前提ですが。
5.結局"男どうし"の行為であるということ
4.と関連してですが。
番組中で、「日本では伝統的に法的に"性被害"は女性の男性から受けるものに限られていて、男性どうしのそれが法的に認定されたのは2017年になってからである」という解説があり、そうした社会通念や法的実態が被害の声を上げづらくしていたのではないかということが語られていました。
訴えてから、あるいは具体的な訴えに至る段階ではそういう話になるでしょうが、それ以前の"事実""被害"認定においては、"性意識"はもう少し複雑な働きをしている感じがします。単純に黙殺されるというだけでも、日本人の意識だけが遅れている訳でもないのではというか。
簡単に言えば、"男どうし"の行為であることが、"被害""被害者"意識を持たせ辛くする、ただし良くも悪くもという。
例えば僕自身の話をすると、近年はもう面倒なので"QBハウスで丸刈り"一本鎗ですけど(笑)、もう少し"普通"の美容院で髪を切っていた時代には、ゲイっぽい男性美容師から性的ニュアンスを強めに感じる"接客"をされたことが何回かあります。やけに丁寧だし、やけに触るし、やけに褒めるし、何よりも触り方が・・・という。それ以上のことはされていませんし、本人に問い質したことも無いので思い込みかも知れませんが、とにかく自分的にはそう感じたという経験。知る限り僕の性的嗜好はガチヘテロというかストレートなので、それらは必ずしも"愉快"な経験ではありませんでした。ただでははっきり不愉快か怒りや屈辱を感じる経験だったかというと、案外そうでもなく、どちらかというと「奇妙」で「イレギュラー」な経験として、そういうこともあるんだなあ、そういう"好意"を向けられることもあるんだなと、割と冷静というか他人事というか、そんな受け止め方。
ある種の自己防衛として、人間は日常的な自我に統合しずらいイレギュラーな経験を、それがいよいよ問題になるまでは別枠にくくり出して棚上げするということをすると思いますが、ジャニーズ"合宿所"における少年たちの経験も、ある程度はそういうものであり得るのではないかなと(繰り返しますがそう"対処"出来なかった人も大勢いたでしょう)。つまりジャニー氏による常習的な性的接触はあるものの、それはひたすら受動的で(頻度はともかく)例外的な経験であり、彼ら自身の性的嗜好やアイデンティティの変更を迫られた訳でもなく、また多くの仲間が同じ経験をしていたことである種組織的で頑強な"例外"化も可能だった。あれはあれ、俺らは俺らと。
更に言えば上で言ったようにそれは周知の、"ジャニーズ"経験の明確な一部として位置付けられていて、少なくとも概念的には"消化"のし易いものであった。だから"その時"が過ぎれば、"くくり"出された一つの「奇妙」で「イレギュラー」な経験として、上手く対処すればそれ程本格的な危機を自我にもたらさずにその後の人生を生きることも可能であった。(勿論そうでなかった人も以下略)
逆に女性が男性から受ける性的接触や被害や虐待は、余りに「レギュラー」で「日常」的なものなので、そういうやり過ごしは難しいだろうと思います。確実に人生や自我の"中心"部分に、攻撃を加えて来る。変わった経験をしたと面白がる余裕も無い。
・・・以上は厳密に言えば現在までの日本での話で、もし今後男性どうしの性愛がより「レギュラー」化したら、その時は"やり過ごす"ことももっと難しくなるんだろうと思いますが。
簡単に言えば、その経験を"軽く"考えてい(られる状況があ)るからこそ、深刻に受け止めずにいられるという。"軽く"ないんだ、女性が男性から受けるものと同様なのだと理論的には言うべきなのかも知れませんが、自覚が無いからこそ理論的に"間違って"いるからこそ、少なくとも心理的には被害が食い止められているという、可能性。
実際のところいったん自覚すると、"同性"ゆえの尚更深刻な衝撃や恥の意識を感じることにもなるという描写は、欧米のドラマ・映画などではよく見かけますね。
6.結局のところ「性」は売り物であり取引の材料であるという諦め
最後の"レイ"氏との会談後、アザー記者は「こんなにあからさまに枕営業を肯定する人には初めて会った」と、ほとんど涙目で衝撃を受けてましたが。
ただレイ氏に限らず、ジャニー氏に好意的な証言者には共通して、多かれ少なかれ性的な"取引"についての、ある種静かな「肯定」感は感じられなくはなかったです。個人的な「意見」ですらないというか。ただの現実。
人類社会のどこを見ても、性がある種の"商品"であること"取引"材料として機能していることは、あえて言挙げするのも馬鹿馬鹿しいくらいの"現実"だと思いますが、そこらへんについての日本の、先進国的なやや建前要素多めの「社会正義」とも途上国的な強権や暴力によるあからさまな強制の蔓延ともまた違うある種の撤退的な「現実主義」は、独特と言えば独特なのかも知れません。・・・具体的には、日本的な売買春"風俗"やそのマイルドな形態である所謂"アイドル"産業、勿論世界で人気のジャパニーズ・ポルノ"AV"まで含めて、これら日本的な性の"売り"方の、余り他国で例を見ない気がする明るいクリエイティビティ。性を売ることの是非はとりあえず置いておいて、とにかく明るく華やかに創意工夫を凝らして無限の多様性を持って、なるべく安全性も確保しながら売ろうという、"割り切り"(時に黙認)を前提にした"前向き"さ。売るか売らないかではなく、いかに"良く"売るかへの集中・専心。
・・・という大層な前振りが必要なのかどうかはともかくとして、ジャニーズ関係者に漂う取引材料として自分の性を提供することへの、余りに達観的な"受容"に、アザー記者の正義や常識は空転し続けます。喧嘩すらしてもらえない。否定すらされない。いいこととは僕も思わないですけどね・・・ ・・・ ・・・終わり、という。(笑)
僕も含めた多くの日本人が、ここに出て来るジャニーズ関係者ほどそうした行為に受容的ということは無いでしょうが、でも逆にそこまで決定的に大きなずれがあるかというと・・・。それこそ上の"街頭インタビュー"の例にもあるように、そうでもないのかなと。彼ら街角の一般人は、丸っきりの顔出しで、ジャニー喜多川"事件"の追及をこれ以上あえてする必要は無いと、語ってしまう訳で。何か特別なことを言おうとしている様子も無く。
7."愛"と"搾取"の境界の不分明、"人格"と"性行動"の分離
証言者たちのジャニー氏の行動への評価・許容の背景に見えるものを更に言えば、一つは彼ら自身も認めないではない彼の"性的搾取"が、しかし同時に"愛"でもある、少なくとも氏が事務所の少年たちに"愛"をもって接していたことの否定にはならないという、そういう見方感じ方。
一方で彼がやはり性行動において良くないことをした、"虐待者"であったことは認めなくはないが、しかしそれが彼の人格の素晴らしさ、愛して尊敬すべき対象であるという認識を、覆すものにはならないという、総合評価。
こうしたことが理解出来ずにアザー記者は戸惑い続けるわけですが、まあこれはそこまで「日本的」なものでもないような気がします。前者についてはあくまで"ジャニー喜多川"個人の見え方の問題で、仮に彼らの評価に正しい部分があったとしても、個別事例の範疇を越えてこれを公的社会的に是とするのはさすがにまずい。日本でも(笑)まずい。単なる虐待の肯定になる。結果愛だからオーライという訳には行かない。先にある"搾取"の方を、必ず問題にすべき。
後者に関してはまあ、その通りと言えばその通りですよね。性は性であって、基本的にはそれ以上でもそれ以下でもない。今回は性"犯罪"の疑惑が絡んで来るので大ごとには見えますが、それが"性癖"の問題だとすればどうでしょう。それでその人を判断するの?という話で。そして誤解を恐れず言えば、彼の性"犯罪"だって、"性癖"ではある訳でね。たまたま法や倫理にもとる性癖というか。(まあ状況は意図的に作り出したものなので、やはり犯罪性は大きいでしょうが)
・・・と、以上のような"理由"が、とりあえず僕には見えましたという話。
[まとめ]
"モビーン・アザー記者"と"日本人証言者"とのすれ違いを、最後により包括的に言語化してみると。
"事実"と"意識"の間には、少なからぬギャップ/飛躍があるということ。
ある性的問題行為があったとして、"被害者"が被害者になるには被害者"意識"が必要で、そしてそれを成立させるのはこれこれこういう状況でのこういう行為は搾取である虐待である加害であるという、"理論"(的認識/構図)が必要。
今日性的虐待や搾取についての"理論"は先進諸国間で共有されつつはあるが、逆に言えばそれらは依然単なる理論でしかない、一つの現実の切り取り方でしかないので、受け入れないところでは受け入れられないし、受け入れている集団と受け入れていない集団では、ものの見方は自ずと違ったものになり、どちらの見方が総合的に利点が多いかという比較は可能だがどちらが正しい/間違っているとは必ずしも決め難い。アザー記者の今回の取材・分析が上滑り気味なのは、こうした"理論"の存在や必然性について余りにナイーブであり、日本での"受け入れ"られ方の観察や想定に、センシティビティを欠いたことに理由があると思われる。"布教"なら布教でもいいのだが、そういう意識すら見られなかった。ただただ日本人が自分と同じ見方をすることを、「期待」していただけだった。
そんな感じです。
まあ勿論基本はアザー記者側の視点に立って見てはいたんですけどね。おぞましやおぞましやと。
ただ余りにいちいち驚くので、いやいやそろそろそういうものだと理解しろよと、途中から。(笑)
街角の"日本人"たちのジャニー氏への"好意"は、予想を上回るものでした。渋谷等の繁華街でしか聞いていないようなので、その偏りもあったりするのかなと思いますが。
近年のシティへの「UKの高級紙記者の態度」と「日本のプレミアファンの態度」の違いを思い出しちゃいましたね。
自国の話かどうか、年齢層の違いとかありますけど、それ置いといても、そんな悲壮な顔で一々糾弾してたら疲れない?みたいな。笑
今回の記者の"憤慨"ぶりはかなり本気度が高くて「正論」で片づけては可哀想ではありましたが、"憤慨"にとどまってしまっていたのはやはり問題というか、辺境民の信用を得るのは困難だろうなと。
25分ならともかく、50分の番組ですし。もうちょっと何とかせいよとは思いました。笑