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追いかけて来るリベット実験 ~備忘録と予告
2023年04月13日 (木) | 編集 |
何だろうこのエントリーは。
いずれ/来月以降、本腰入れて書く予定のものへの僕の関心の、経過報告的な。
そんなん要るかよという感じですが(笑)、何度も書こうと思って準備だけして忘れてる内に、まるで忘れさせないようにとでも言うように関連する話題が目に入って来るんだよねという、そこらへんを書き留めておきたかった。捨て置くには、微妙に話題が豊富過ぎるというのもあって。

そういう"備忘録"と、最終的にどんなことを書けたらいいなと思っているかについての若干の予告的決意表明


まずは時系列。

1.BBCドキュメンタリー『自由意志 思考を決定するもの』 (2020.4.4初放送) を見る
2.ベンジャミン・リベット『マインド・タイム 脳と意識の時間』 を読む [2020.11月末]
3.アニメ『範馬刃牙』2022.3月MX放送回(11or12話) を見る
 ・「意識は無意識より0.5秒遅れてやってる」(その0.5秒の間は"意識"が無いので無防備理論)
 ・トール・ノーレットランダーシュ(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』)の紹介
4.トール・ノーレットランダーシュ『ユーザーイリュージョン』(序&第一部) を読む [2022.5月]
5.「受動意識仮説が語る驚異の無意識ネットワーク!!/MUTube」[2022.8.23] の、エンタメーテレ『超ムーの世界R』での紹介を見る
6.前野隆司『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』 を読む [2022年後半]
7.ノーレットランダーシュ『ユーザーイリュージョン』第二部以降 を読み始める [2023.1月]

・・・BBCで始まったものが、『範馬刃牙』とか『ムーの世界』とか。(笑)
俺の立ち回り先どこにでも出て来るなと。そんなに研究させたいかと。(笑)

以下各々についてざっと。


1.BBCドキュメンタリー『自由意志 思考を決定するもの』 (2020.4.4初放送) を見る

BBCワールドニュース『自由意志 思考を決定するもの』(書き起こし) [2020.4.22]

(リベット実験)
'80年代初めにベンジャミン・リベット氏は、脳の意思決定のメカニズムを理解する為の実験を行いました。
回っている点を好きな時にクリックすればいいのです。その時に私の脳の活動がモニターされています。そしてこの選択をする時に脳の活動が高まります。
それでボタンをクリックすると思ってしまいますけども、実際にはその前に準備電位と呼ばれる段階がありました。1秒早く、クリックをするという決定をしているのです。

20200422182147c87

それが何百回と繰り返されました。その実験には、どんな意味があるんでしょうか。

自由意志というのは、心が体をコントロールしていると思うわけです。つまり心が自分の好きな決定をして、命令を体に送っているとみなされるわけですけども、リベット実験を考えると、この意識した意思というのは、その前の脳の活動によって決まっているということが分かるわけです。心と体の因果関係という考え方に、異議を唱えるんです。

読解&考察(1) [2020.5.1]
読解&考察(2) [2020.6.3]

・・・これが出発点。

"心"(意識)がクリックするという決定をする(決定を意識する)に、"体"(脳)は既にそのクリック/決定のプロセスを始めている。"心"の決定を"体"が実行しているのではない、むしろである。意識は無意識が既に行っていた決定を追認しているだけなのに、自分がその決定を行ったかのように思っている、という実験。
なおここではその"準備"(電位)の始まりを"1秒"前としていますが、リベット自身の実験も含めてこの数値は結構微妙に変動しています。概ね0.5秒前後とされているのが普通で、ここの"1秒"というのはかなり長めの表現で、番組がなぜそれを採用したのかは正直分かりません。
番組自体は、このリベットの実験を冒頭に起きつつ、その後かなり色々な観点から「自由意志は存在するのか」(意識は何かを決定出来るのか)という問題について取り上げています。


2.ベンジャミン・リベット『マインド・タイム 脳と意識の時間』 を読む [2020.11月末]



後でも述べるように、1.のBBCの議論自体は僕が元々持っていた意識/無意識観と大きなずれがあった訳ではなかったんですが、ともかく読んでみようということでリベットの主著を読んでみました。
大雑把に言うと、実験・研究の"詳細"が書かれている本です。そこまで"一般向け"でもなくて、そういう意味での分かり難さ、色々書いてあるけど結局何が要点なのかなと戸惑う時もある本でした。
結論的には大きくまとめると、2つのことが書いてある本かなと。

(1)"意識"と"無意識"の違いは、感覚入力の持続時間の差

意識および無意識の精神機能の最も重要な違いというのは、前者にはアウェアネスがあり、後者にはそれがないというところにあります。
感覚信号のアウェアネスを「生み出す」には脳にはある程度の時間(約○・五秒間)が必要である一方、無意識の機能が現れるにはより少ない時間(一○○ミリ秒前後)でよいことを、私たちはこれまでに発見しています。(p.117)

タイムーオン(持続時間)の必要条件は、どの時点においても意識経験を制限する「フィルター機能」の機能を果たすことができます。一秒間につき何千回も脳に到達する感覚入力のうち、意識的なアウェアネスを生み出すことができるものはほとんどないことは明らかです。(p.134)

BBCの言い方だと、単に無意識(の決定)が先にあって意識が後にあるという話に見えますが、リベットが実際に言っているのは脳に伝わる感覚入力の内、一定時間"持続"したもの(入力され続けたもの)だけが意識/アウェアネスを生み出し、それ以下の持続時間のものは"無意識"にとどまるということ、そしてその為の具体的な必要時間が「0.5秒」(BBCだと「1秒」)だということですね。
つまり0.5秒(1秒)"遅れる"という言い方は、本質的ではない。その0.5秒のおかげで、そもそも意識は存在出来ている訳で。
ちなみに"フィルター"機能とは何かというと、意識の発生が条件付きであるむしろおかげで、"一秒間につき何千回"もの感覚入力の大部分を我々がいちいち意識することなく、"正気"を保って日常生活を送ることが出来るという、そういう話です。

(2)無意識の決定を変更出来る可能性

アウェアネスが生じるために必要な皮質での大幅な遅延という私たちの発見からすれば、アウェアネスが意識的に現れる前に、他の入力によって経験内容が変更されるのに必要な生理的時間は十分にあるということになったのです。(p.83)

提示されたイメージの主観的な内容の変化に影響を与えるには、刺激の後に一定の時間が必要となります。
感覚イメージをただちに意識できるとすると、意識的なイメージを無意識に変容できる機会はなくなります。
意識を伴う感覚アウェアネスが現れるまでの時間間隔の間に、脳のパターンがイメージを検出し、意識経験が現れる前に内容を修正する活動が生じることによって、反応することができるのです。(p.141)

ほぼ同じ内容ですが、分かり難いと思うので、両方引いておきます。
何を言っているかというと、無意識が事態を決定してからそれが意識に昇るまでに0.5秒"も"あるのだから、それを利用してその決定内容を修正したり(別の箇所の表現では)拒絶したりすることは可能だという話。言ってみればこの「隙間」に、"自由意志"なり"良心"なりが存在出来るという主張。
ここらへんが読んでてしばらくの間戸惑っていたところで、BBCの番組では(&一般的な認識では)「"自由意志"という思想の処刑人」として登場していたリベットとその実験ですが、この本の最終的な主張はむしろその擁護・救済に当てられているんですよね。科学者としての真正の主張なのか、ある種の"罪の意識"が言わせているのか、今いちよく分からない感じの読後感でしたが。
これについては、後の箇所で日本人学者前野隆司氏のコメントも紹介します。
ともかくそういう本です。


3.アニメ『範馬刃牙』2022.3月MX放送回(11or12話) を見る

バキアニメ3期の11話だったか12話だったか忘れましたが、"Mr.アンチェイン"ことオリバと対峙したバキは、リベット実験を出発点とした"トール・ノーレットランダーシュ"の理論を引いて、「意識は無意識より0.5秒遅れて発生するのだから、その0.5秒の間に攻撃すれば"意識の無い"相手は防御出来ない」という説に基づいた攻撃をオリバに仕掛けます。(結局それでは勝てなかった訳ですけど)
バキにリベット実験らしき理論(名前は直接は出ていない)が出て来たのにも驚きましたし(笑)、またその解釈の独特さにも驚かされました。あれ?そういう話だったかなあと。(笑)
結論的に言えば、これは間違いだと思うんですけどね、板垣先生の。

以下は原作版(70話)からのその個所の抜粋。(サイト主に感謝)

「人が行動(うご)くとき――――」
「脳が「動け」と命ずる0.5秒前に信号が発せられる」

「つまり――――」
「信号を発してから意識するまでのほんのわずか――――」
「0.5秒間は無意識というワケだ」
「0.5秒間はやりたい放題というワケだ」

ちなみに説明しているのはオリバ。
そしてそれに対するネット民の反論。(「バキの0.5秒云々って勘違いしてるよな」)

1 :このスレは古いので、もうすぐ消えます。:16/03/10(木)12:00:41 ID:393727032

バキの0.5秒云々って勘違いしてるよな
行動した0.5秒後にようやく脳が行為を意識するって事で
行動自体は本人の意思から始まる訳じゃない

3 :名無しさん:16/03/10(木)12:04:10 ID:393727413

反応や行動自体は意識する前にしてる
意識は脳が情報を受け取って作られる後付け

以下結構この問題が"常識"に晒された時に発生する典型的で興味深い議論が展開されていますが、とにかくこれはネット民の方が明らかに正しいと思います。板垣先生のは何ですかね、脳(の命令)=意識としちゃってるということですかね。それで"無意識"の間は、まるで脳が働いてないみたいな理解になっている。

baki70

この引用のコマだと、「行動の決意」(意識)「脳の信号」(無意識)との区別はちゃんとついているように見えるので、何でそういう結論になっちゃったのか。恐らくは後に先生も間違いに気づいたんでしょう(笑)、上のスレによるとこれは"忘れられた設定"になっているようですね。(笑)
とにかくでも、僕がトール・ノーレットランダーシュの名を初めて聞いたのはこのバキアニメなので、そういう意味では感謝感謝。(笑)


4.トール・ノーレットランダーシュ『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』(序&第一部) を読む [2022.5月]



という訳で図書館で借りて読んでみたんですけど、序~第一部の120ページを。
ただどうもピンと来なくて。言っていることはひと通り分かるしそれなりに興味深いんですけど、この問題全体の中の何を話しているのかが、その時点ではどうもよく分からなくて、やや漫然と読んでました。挙句読了しないまま、返却期限で一回返却の憂き目に。(笑)
結論的に言うと、少し"科学的"過ぎるんですよね、第一部は、序で著者も若干危惧していたように。あらかじめある程度の科学史的研究史的知識が無いと、細か過ぎて要するに何の話をしているのかが、ぴんと来ない。
間を置いて第二部以降を読んだ経験から言うと、何なら最初は読まなくていいと思います一般読者は、第一部は。"何の話"をしているのかが二部以降で分かってからだと、一部で言われていたことの意味もなるほどなとなるんですけど。


5.受動意識仮説が語る驚異の無意識ネットワーク!!/MUTube&特集紹介」[2022.8.23] の、エンタメーテレ『超ムーの世界R』での紹介を見る

そんな感じでまた一回離れかけたところで、飛び込んで来たのがこれ。
CSの人気長寿オカルト&陰謀論番組『超ムーの世界R』で、レギュラー出演者で定期的に少し毛色の違うハード(め)サイエンスネタをぷっこんでくる雑誌「ムー」の現編集長三上丈晴氏が、その少し前にYouTubeと本誌で紹介したらしいネタをここでも、余程気に入ってるんでしょう、転用の割には高いテンションで(笑)語っていました。
内容的には上のリンクページ内のYouTube(25分)とほぼ同じだった気がするので確認したい人はそちらを見て頂きたいですが、リベット実験を導入に使いつつ、その系統の一連の研究を「受動意識仮説」としてまとめた日本の脳生理学者前野隆司氏の研究・主張を、専ら紹介した内容。「0.5秒」の中身を意識発生そのものにかかる時間(0.35秒)と発生後の実際の行為の為の筋肉反応にかかる時間(0.2秒)に分割してあるのが、新味と言えば新味でしょうか。(余談ですが、後者の"0.2秒"の方に着目すれば、"3"の板垣的解釈も何とか修正して成立しないことも無いかもなとぼんやり(笑))
とにかく"また出て来たよ"という再会の喜び(?)と、日本人研究者の存在を知った回でした。(#いくつの回だったかは忘れちゃったんですけど、youtubeの方があるからいいかと)


6.前野隆司『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』 を読む [2022年後半]



慶応の、何学者なんだろう、Wikiも紹介に困っているようですがとにかく脳/意識問題の専門家ではあるらしい人の初著書。(2004年)
ちなみに多分名前は全くの初見ではなくて、去年末に書いた『メモ : "マインドフルネス" (とワーキングメモリー)』参考記事の一つの中でもちらっと名前が出ているんですよね。そっちが先だったかなあどうだったかなあという、割とぎりぎりのタイミング。とにかくそういう意味でも、僕の関心の周辺にいる人ではあるんだろうなとは。
内容はリベットに始まる意識の非主体性、前野氏はそれを「受動」性と言いますが、とにかく'80年代に始まるそうしたタイプの研究の2004年段階でのまとめと独自解釈。特にその非主体的・受動的な"意識"が、逆にではなぜ存在しているのかどのように生まれたのか。("脳はなぜ「心」を作ったのか")
その具体的内容については、今回はちょっと割愛させて下さい。それなりに納得した部分もありますが、ノーレットランダーシュの方をちゃんと読んでから、コメントしたい感じ。全体として、"科学者"として自分の専門性の範囲で語っている部分は面白かったし同意できる部分も多かったんですが、それを離れて言わば"哲学者"や"思想家"として、専門外の思考を展開している部分には、正直あんまり感心しなかったんですよね。普通のおじさんだなあというか。良くも悪くも科学者でしかないというか。(なので僕自身が代わりに"位置づけ"をちゃんと出来ないと、賛否が言いづらい)

取りあえず今回は、それ以外の部分でたまたまメモってある面白かった部分を引用しておきます。

p.88

ただ、私と意見が違うのは、リベットとノーレットランダーシュは、「意識」が最終的な拒否権を持つと考える点だ。さまざまな錯覚でだまされている意識も、最後に行動を起こすことを「やめる!」と決める権利だけは持っていて、それこそが「意識」の主体的な役割であり行いうるタスクなのだという。一方、私は、あとで述べるように、「意識」には拒否権すらないのだと考えている。

リベットの所で書いた、意識の"裁量権"の話。最終的に前野氏に賛成するかは別にして、僕が読んでいて感じた戸惑いをちゃんと問題にしてくれている人がいて、ともかく安心しました(笑)。リベットはこのことを他の主要な研究・主張と、割と淡々と並列的に、さも当然のことのように書いているので、あれ?戸惑ってる俺がおかしいのかなリベット実験の自然延長で理解すべきことなのかなと、結構困ってたので。
その件についてノーレットランダーシュがリベットと同意見だというのは、僕がこれまで読んだ範囲ではちょっと分からなかったですね。いずれ報告します。

p.108-109

川人は、『脳の計算理論』の最終章で(中略)「意識とは無意識下で生じている非常に膨大かつ並列に行われている計算を、非常に単純化されたうその並列演算(脳の他の部位のモデル)で近似すること」ではないか、と述べている。まさにその通りだと私は思う。

面白い。が、明らかにこんな通り魔的に紹介する内容ではない。(笑)
所詮(無意識下の"真の思考"の)近似なので、「論理」だろうが「アナロジー」(類比)だろうが大差無いというか、論理自体が既にアナロジーであるというか。全ての思考はアナロジーであると、確かユングが言ってましたがどういう意味だったかなあれは。
リベットの"持続時間"論からすれば、ある種"たまたま"0.5秒以上入力され(て意識上に浮上し)た刺激と刺激の間を飛び石的に結んで作られた雑なマップ、それが意識だということになりますか。(どれくらい"たまたま"なのかが多分次に問題になると思いますが)

・・・"川人"というのは脳科学者の川人光男氏。



8300円もするのか。
ちょっと考えさせて欲しい。(笑)
とりあえず市内の図書館には無いらしい。国会図書館でも行くか。


7.トール・ノーレットランダーシュ『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』第二部以降 を読み始める [2023.1月]

前野氏の本を読んで、納得"いかない"部分も含めて改めて思考が刺激されたので、やはり読んでおかないといけないだろなと、再び図書館でゲット。
今回は前回の続きの第二部から読み始めましたが・・・。やばい。面白いこれ。めっちゃストライクゾーンやんけ。
これは明らかに返却期限を気にしながらまいて読むような本ではないなと、結局買ってしまって借りた方はさっさと図書館に返しました。
ストライク"ゾーン"だというのは、まずは"研究史"的記述・視野の豊かな僕好みの本だというのと、もう一つはそのことにも大きく起因しますが、様々に引かれる登場する科学者たちの研究や発言を見ている内に、"リベット"的なものの「直観」化が可能なのではないかそしてそれは正に自分の求めるものなのではないか、そういうことに思い至ったということ。

どういうことかというと。
各分野で日々新理論や新思想が社会に送り出されて来て、それらは多かれ少なかれそれぞれに実証性や論理性を備えていたりする訳ですけど、ならばそれでもって社会が/一般の人々がそれらを積極的に受け入れるかというとそんなことはなくて、やはり新しいものを受け入れるにはそれなりの動機や受け入れても大丈夫だという安心感(慣れも含む)が必要な訳です。"受け入れた後の世界"についての、ヴィジョンというか。
近々&僕の周辺で言えば、例えばサッカーにおける"エコロジカル・アプローチ"。いかに属人性を減らすか普遍性再現性を高めるかに腐心していたと言っていい欧州を中心とするサッカー界の長らくの潮流に対して、ある種属人性そのものの、その組み合わせによる見方によっては"その場限り"のチーム作りの方法論/方向性が、ローカルならともかく"最高峰"の"最先端"のレベルにまで至る有効性の問題として、次の"潮流"として提案されたことに対して、事例も含めて一応の有効性は認めつつも、多くのサッカー愛好者は戸惑いを見せたと思います。言いたいことは分かる(論理的にも実証的にも)、ただそれがサッカー界の"主流"になっている未来が世界が、どうにもイメージ出来ない。"受け入れた後の世界"が。僕自身も戸惑いを覚えて、手掛かりや具体的な運用の"風景"を探ってみたりした(『"エコロジカル"メモ』)訳ですが。
あるいは最近何かと話題の性的多様性・少数者の問題なんかも、原理的にどうというよりもそのいささか極端にも見える多様性の先にどんな社会があるのかどんな日常が待っているのか、そのことに対する不安は、これは基本(受け入れ)賛成の立場の人にだってあって、少なからず大きな阻害要因になる/なっているだろうと思います。

・・・なんか妙に"例示"に力が入って話があらぬ方向に行きそうになりますが、言いたいのはだから、繰り返しになりますがある理論や思想の受容は最終的にはそれを受け入れた後の"世界"や"生活"の想像可能性、直観化の可否にかかっているというところがあって、増して"意識"や"自由意志"が幻想である世界なんて「不安」そのものな訳で(笑)、そこらへんの問題が実際どう処理されているかを、それを提唱している様々な論者の姿や言葉を通して結構いい感じに描写出来そうなイメージが『ユーザーイリュージョン』の第二部以降を読んでいる内に湧いて来たので、それをやってみたいと、そういうことです。他ならぬ僕自身の不安や疑問も、片付けながら。(基本的には受け入れている人ですが)
来月以降にね(笑)。まだ最後まで読めてもいないので。買っちゃっていつでも読めるとなると、つい後回しになっちゃって。"期限"の近いもの(ありていに言えばほぼ海外ドラマのサブスク)から、優先的に時間を使ってしまって。

その前に出来ればもう一つ、ある種の理論的「補助線」的な内容についての記事を、書けたら書きたいと思っていますが。これは最短来週。(笑)


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