2003年07月29日 (火) | 編集 |
がっぴょーん。
・・・・いや、その、チームが安定してくると逆に書くことがあまり無くなってくるもので。仕方なく思いつくままにパラパラと(いつもか)
・桜井は落ち着いたか?
まだまだ満足は出来ないが、一時の追い詰められたような窮屈な感じは無くなったと思う。これまでも活躍してないことはなかったのだが、何というかスーパーサイヤ人のなり方を忘れて仕方なく二十倍界王拳で戦っているような息苦しさがあったから。
一つには僕の見方が変わったというのもあると思う。つまり前回は”ポストプレーヤー&ゲームメーカー”エムボマを軸に、そのパートナーとしての桜井の適性を疑問視していたわけだが、その一方で僕は桜井がいなかったナビ磐田戦のエムボマについても、タメるプレーの少なさにチーム構成上の物足りなさを表明していた。
実はこの2つの問題を一気に解決する方法があって、それはむしろ桜井をボールの落ち着きどころ、前線の司令塔と考えて、エムボマは専らストライカー、気楽に使われる側の選手として考えるということ。で、実際それほど明確な決まり事があるとは思わないが、だいたいそのような関係で落ち着いているようにも見える。ここんところのエムボマが派手で遊び心満載の、飛び道具性全開の得点を連発しているのもこうしたチーム内の位置付けの問題と無関係ではないのではないか。
ここで思い出されるのはガンバ時代の松波との定評のあったコンビの良さである。確かに桜井はいわゆるゲームメーカーともポストプレーヤーとも少し違うが、2人の関係性という観点からはだいたいこんなようなものと考えた方が、見る側としてもチームとしての機能性としてもスムーズなような気がする。
・ヴェルディは変わったか?
変わったといえば変わったが、変わってないといえば全然変わっていない。
つまり勿論慢性的な機能不全は解消されているが、それは不調時に決まって言挙げされていた「スペース」「フリーラン」「サイド攻撃」等々、まとめて言うと自己否定的教科書的なヨーロッパ化の方向性とは違うということ。持ち味が中央突破であり、柳沢など一部の例外を除いて第1の選択肢が足元であるのは実は何も変わっていないと思うのだ。
では何が変わったのかというとその足元パスの強さ、速さ、狙い目の厳しさである。いやほんと、見ててたまに冷や冷やする、少し手加減してやれよというような容赦無く強く速いパスが足元にボンボン出て、またそれをウチの選手たちは簡単に処理しやがる。それが一つはやまたくあたりが口にしていた「選手どうしの信頼感」ということであろうが。(巧いって、素敵やん?)
そしてその狙い目は、なるべく縦に、相手の入ってほしくないポイントをダイレクトに突いていってそれをしっかり受けた選手からまた次の展開が始まる。薄いスペース、フリーな選手を使えるがその代わりいったん迂回しなくてはならない一般的なサイド攻撃の効率性とは一味違った、足元パスならではの効率性である。通常の用法とは少し違うかもしれないが、「クサビのパス」という語感がぴったりである。
安易な比較かもしれないがやっぱり現代だとレアルあたりを連想させるものがある。そういう意味では高機能だがクラシカルで、まあヴェルディはやっぱりヴェルディだなと。・・・・ただしいわゆる”黄金時代”のヴェルディ川崎よりも、選手のスキルの粒はよほど均等にそろっていると思うが。
こうしたヴェルディの持ち味、いやがおうでも蓄積してしまったものを全体の構成の工夫によって(自己否定ではなく)そのまま武器として甦らせるというヴィジョンは正に僕が主張/希望していたものであり、まあ何というか願ったり叶ったりである。「中間の人」アルディレス(アルゼンチンは南米と欧州の中間であり、またオジー自身はアルゼンチンとイングランドの中間)ならではというと単純化し過ぎかもしれないが、まあとにかく今のところは特に注文をつけることはない。この前挙げた”観戦のポイント”も含めて、今後もそれぞれの状況が浮かび上がらせる問題を一つ一つ解決していって強いチームになって行って欲しいものでR。
・・・・いや、ホントね、こんな裕福でもないチームに色々な行きがかりでこんなに優れた選手が一度に集まるというのはそう滅多にあることだとは思えないから、せいぜいいい夢を見せて欲しいものですよ。勝ちまくっていい軌道に乗せてまたビッグなクラブに、なれないかなあ。
・・・・いや、その、チームが安定してくると逆に書くことがあまり無くなってくるもので。仕方なく思いつくままにパラパラと(いつもか)
・桜井は落ち着いたか?
まだまだ満足は出来ないが、一時の追い詰められたような窮屈な感じは無くなったと思う。これまでも活躍してないことはなかったのだが、何というかスーパーサイヤ人のなり方を忘れて仕方なく二十倍界王拳で戦っているような息苦しさがあったから。
一つには僕の見方が変わったというのもあると思う。つまり前回は”ポストプレーヤー&ゲームメーカー”エムボマを軸に、そのパートナーとしての桜井の適性を疑問視していたわけだが、その一方で僕は桜井がいなかったナビ磐田戦のエムボマについても、タメるプレーの少なさにチーム構成上の物足りなさを表明していた。
実はこの2つの問題を一気に解決する方法があって、それはむしろ桜井をボールの落ち着きどころ、前線の司令塔と考えて、エムボマは専らストライカー、気楽に使われる側の選手として考えるということ。で、実際それほど明確な決まり事があるとは思わないが、だいたいそのような関係で落ち着いているようにも見える。ここんところのエムボマが派手で遊び心満載の、飛び道具性全開の得点を連発しているのもこうしたチーム内の位置付けの問題と無関係ではないのではないか。
ここで思い出されるのはガンバ時代の松波との定評のあったコンビの良さである。確かに桜井はいわゆるゲームメーカーともポストプレーヤーとも少し違うが、2人の関係性という観点からはだいたいこんなようなものと考えた方が、見る側としてもチームとしての機能性としてもスムーズなような気がする。
・ヴェルディは変わったか?
変わったといえば変わったが、変わってないといえば全然変わっていない。
つまり勿論慢性的な機能不全は解消されているが、それは不調時に決まって言挙げされていた「スペース」「フリーラン」「サイド攻撃」等々、まとめて言うと自己否定的教科書的なヨーロッパ化の方向性とは違うということ。持ち味が中央突破であり、柳沢など一部の例外を除いて第1の選択肢が足元であるのは実は何も変わっていないと思うのだ。
では何が変わったのかというとその足元パスの強さ、速さ、狙い目の厳しさである。いやほんと、見ててたまに冷や冷やする、少し手加減してやれよというような容赦無く強く速いパスが足元にボンボン出て、またそれをウチの選手たちは簡単に処理しやがる。それが一つはやまたくあたりが口にしていた「選手どうしの信頼感」ということであろうが。(巧いって、素敵やん?)
そしてその狙い目は、なるべく縦に、相手の入ってほしくないポイントをダイレクトに突いていってそれをしっかり受けた選手からまた次の展開が始まる。薄いスペース、フリーな選手を使えるがその代わりいったん迂回しなくてはならない一般的なサイド攻撃の効率性とは一味違った、足元パスならではの効率性である。通常の用法とは少し違うかもしれないが、「クサビのパス」という語感がぴったりである。
安易な比較かもしれないがやっぱり現代だとレアルあたりを連想させるものがある。そういう意味では高機能だがクラシカルで、まあヴェルディはやっぱりヴェルディだなと。・・・・ただしいわゆる”黄金時代”のヴェルディ川崎よりも、選手のスキルの粒はよほど均等にそろっていると思うが。
こうしたヴェルディの持ち味、いやがおうでも蓄積してしまったものを全体の構成の工夫によって(自己否定ではなく)そのまま武器として甦らせるというヴィジョンは正に僕が主張/希望していたものであり、まあ何というか願ったり叶ったりである。「中間の人」アルディレス(アルゼンチンは南米と欧州の中間であり、またオジー自身はアルゼンチンとイングランドの中間)ならではというと単純化し過ぎかもしれないが、まあとにかく今のところは特に注文をつけることはない。この前挙げた”観戦のポイント”も含めて、今後もそれぞれの状況が浮かび上がらせる問題を一つ一つ解決していって強いチームになって行って欲しいものでR。
・・・・いや、ホントね、こんな裕福でもないチームに色々な行きがかりでこんなに優れた選手が一度に集まるというのはそう滅多にあることだとは思えないから、せいぜいいい夢を見せて欲しいものですよ。勝ちまくっていい軌道に乗せてまたビッグなクラブに、なれないかなあ。
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