ヴェルディ等サッカー、漫画、アイドル 他
清水戦にまつわるエトセトラ
2003年09月05日 (金) | 編集 |
ヴェルディ側の事前の条件(2トップの欠場)、清水側のゲームプラン(回させてカウンター)、それに運と展開(失点の仕方、タイミング)が合わさるとああいう結果(1-3で敗戦)が出る、とある意味では非常にリーズナブルな試合ではありましたが。
ただそれにしても気前が良過ぎましたねえ。あちらの選手たちが一様に「え?こんなんでいいんスか?」みたいな顔をしてたのが何とも。あー、悔しい。

さて僕の興味の焦点はというとマガジンやらダイジェストやらが軒並みヴェルディのパス回しそのものは高く評価していた事で、ちょっとそれは僕の実感とはずれている。確かに支配率そのものは明らかにこっちだったけど別に「ボールの支配とゲームの支配は違う」とかそういう次元の高い話じゃなくて、単純にオジー就任後のヴェルディ自身の戦いトータルの中での比較として、例え作りの部分に限定してもヴェルディの出来がポジティヴなものには思えなかった。こんなんで褒められるの?甘いんじゃない?という感じ。

どうも酷評した(掲示板2844番)鹿島戦も含めて、僕のヴェルディのパス回しに対する基準は世間に比べて際立って高くなってしまっているらしい。
それは一つにはさっきの”次元の高い話”とも関連して、今時ちょっとパスが回るくらいじゃ屁のつっぱりだろうと。そのこと自体に意味があるのは例えば初めてのJ1でそもそも技術的に現存メンバーが通用するのか不安視されていたようなチームや、長年しみ付いたリアクション体質から抜け出そうと試行錯誤中のチームで、そうでないウチの場合「パス」というテーマで目指すべきはそれこそジュビロのような限度を越えて(?)パスが回るというレベルで、普通じゃしょうがないんだ普通じゃという焦燥感がかなり強い。特にウチの場合、油断すると恐竜サッカーにすぐ逆戻りだぞというのもあるし。

もう一つはステージ単位の話で、つまり過去のJの例を見ると15試合の短期決戦で推進力となるのは客観的なクオリティよりもそのチームの内部的なブレイクスルーが生み出す勢い、緊迫感であって、だから例えば李さん就任直後のウチなんかもあの戦力、あの得点力で危うく優勝しそうになった。
その点で(去年の同じ時期のロリ/エジのチームと比べても)早くもフレッシュさが無くなって下手すると緩やかな下り坂に差し掛かりつつあるようにも見えるウチの状態は、1試合単位のクオリティという観点から見える以上にまずいのではないか。底力がつくもうしばらくまでの間は勢いの方に頑張ってもらわないと。

実際に今のウチが成長曲線的にどういう位置にいるのかはそれこそ1試合単位では分からない問題で、またオジーの言うように「メンバーの揃った時を見て下さい」ということなのかもしれない。
ただ一つ言えるのは”ヴェルディ”という名前にはやはり他の普通のJチームには無い特殊な魔力、場合によっては呪詛の力があって、優勝できないまでも上位争いで自尊心をキープできる状況にチームが無いと中位を通り越してあっという間に下位争いのレベルまでテンションが落ちてしまう。中位の力だから中位でコツコツというのは、少なくともリアルタイムのモチベーションとしてはなかなか難しい。優勝か降格か、上位常駐か下位低迷か。それがヴェルディ、実際の歴史を見ても。だから落ち着かねえなと思いつつも煽らざるを得ない。

・・・・と、いうのがこの人の危機感の正体らしい。何だよ、ただの自己分析かよ。
チームの成長のパターンという問題についてはもう少し広げられそうなので、明日にでもまた書いてみることにする。


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テーマ:Jリーグ
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