ヴェルディ等サッカー、漫画、アイドル 他
ブレイクスルーとスローダウン(前)
2003年09月10日 (水) | 編集 |
約束の成長パターン話その1。いくつまで行くか分からんが。
とりあえず自己検証。

鹿島戦
「ひょっとして緩んでますか思い上がってますか早くも成長期終わってますか?
特に攻撃が気に食わなかったです。「前へ、速く」というベクトルが一時ほどはっきりしてなくて、勝ってる時と同じことをやっているようで一つ一つ判断が遅くて迂遠。」
清水戦
「15試合の短期決戦で推進力となるのは客観的なクオリティよりもそのチームの内部的なブレイクスルーが生み出す勢い、緊迫感」
京都戦
「それ(京都の意図的な中盤の封殺)をかいくぐったウチのパス回しは立派なものだったのでしょう。」


鹿島戦及びそれに続く清水戦で、僕はヴェルディの攻撃に一時のスピード感、勢いが無くなったことを嘆いた。
しかし個別の原因論はとっぱらって1つのパターン認識としてこれは当たり前のことでもあるので、つまりその”一時のスピード感、勢い”というのは正に「チームの内部的なブレイクスルー」によって生み出されたものであるからだ。
具体的にはそのいい流れが始まる前の混乱していた状態とのコントラスト、抜け出してくる過程で生じる昂揚感、暗闇から見えた共通の希望の光へ向けたある種無心な意志統一、こういったものが「客観的なクオリティ」を越えて敵をひるませ、観客に鮮烈な印象を与える。

これらは本質的にスペシャルなものであり、例えば既に確固とした実力を証明済みの強豪チームであっても、いざ大事なこの1戦となるとその前までの試合が手を抜いていたかのように見える一段上の集中力・統一感を見せたりする。チームのレベルを問わずそういうギャップは存在し得る。
ただ売り出し中のチーム、低迷から抜け出している最中のチームの場合、そのスペシャルな統一意識なり集中力なりを知らず毎試合ぶっつけているのであり、またそうでないと次のステージへの扉は開かれない。それがどれだけ持続出来るかは準備にどれだけの厚みがあったかや、その過程でどれだけ具体的な結果がついてきて勇気を補充してくれたかによるが、いずれにしても早晩そんな時期が終わってしまうのは避けられない。

ちなみにここらへんオジーヴェルディはどうかというと、見ようによっては”オジーマジック”ではあるがぶっちゃけ即席のチームでとても厚みのある準備を元に出来あがったチームとはいえない。
結果については立ち上げ当初から快調に数字を出してきたのは確かだが、時期的には1st終わりの駆け込みで、残留という観点の1年間トータルならともかく上位進出で名を上げるという意味では一種の無駄打ちであった。2ndはまだまたこれからだが今のところ(4試合で1勝1敗2分)はギリか。これ以上下がるとまた迷いが生まれかねない。


・・・・意外と長くなりそうなのでいったん切ります。(なんかいつもこれだ)


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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
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