2003年09月16日 (火) | 編集 |
前編(9/10)アップ後に最終段落を書き足しています(「ちなみに」以下)。
さて、とにもかくにもフレッシュな時期というのはそうは続かない。別な言い方をすると、最初の勢いのそのまま延長上で強豪に成り上がるのは難しい。
その理由としては外面的には研究されて同じやり方では通用しなくなる、内面的にはある時点で無我夢中からひと息ついて自分たちがやっていたサッカー、作り出していたバランスの成り立ちを変に意識化するようになってぎくしゃくする(金の卵を産むガチョウの腹を裂く?)、あるいは単に緩んで一人一人が楽をし出すor余計なことをし出すというようなことが考えられる。
これはこれで興味深いテーマだが、今回はあくまで結果論的(運命論的?)により表面的なパターンを追うのが目的であるのでさっさと先へ進むと、こうした半ば必然的な失速の後何が起こるか。当たり前だが一度崩れる、言い方を変えると前編で述べたような力強く美しいスペシャルな状態を日常的に実現するのが難しくなる。
これは残念だが仕方ないことであるし、必ず訪れるということは逆に本当に強くなる為には必ず一回経験しなくてはならない過程だとも言えるかもしれない。
・・・・ただし崩れてそのまんまということも十分にあり得るというのは、Jの過去の流れ星チームたちを思い返せば容易に分かることであるが。
話戻してスペシャルというのはつまりトップ、それもトップ中のトップフォームということであるが、そもそもあるチームの強さをトップフォームのみで測るのは長期的には危ういことであろう。むしろオーディナリーなフォーム、あるいは「底力」という言い方があるくらいだからボトムで測った方が見誤る危険は少ないかもしれない。
それは1つは単純で、オーディナリー以下の状態で実戦に臨むケースの方が多いのであるから、その時に一定以上の強さを発揮出来なかったらいくらトップフォームが強くても勝ち点の獲得が間に合わないからである。
もう1つは理想的な状態というのは本質的に自己中心的なものであり、行った行ったで押し切れればいいがそうならなかった時の状況や相手の変化への対応という点では脆い、もしくは融通が利かない部分があるからだ。そういう意味ではオーディナリー/ボトムな状態の方がより冷静でタフな戦いが出来、結果的に多くの実利を獲得出来る可能性がある。
ただこれは難しい面があって、対応・対策にかまけているだけではいつまでたっても突き抜けられないでしまいに緊張が切れてジリ貧というパターンも多々見られる。余程決定的な選手を複数抱えているのでなければ(そうであっても)、やはりまずは多少自己中心的でも自分のスタイル、ペースを確立して押し切ることを考えるべきであろう。・・・・ともあれ必要な要素ではある。
* * * *
ここでようやく京都戦の(自己)検証。
つまり京都戦の「本来やるべきものから遠いもの」(オジー)ではあるが、一方で京都の潰しを上手くかいくぐって単純に味方を使って結果をもぎ取って行った(金田喜稔?)戦いぶりというのは、京都側の混乱を差し引いてもオジーヴェルディがファーストインパクトの段階から抜け出して次の段階、真に強いチームになるための不可避的スローダウンの段階に差し掛かった現れである可能性があるという事だ。
あくまで論理的な可能性であって、清水戦までの僕がむしろスローダウンの煮崩れの方を気にしていたのは見ての通りであるが。
さて今晩0:00からの圧勝を伝え聞く神戸戦のVTRは、どんな妄想の種を僕に提供してくれるのだろう。(変?)
さて、とにもかくにもフレッシュな時期というのはそうは続かない。別な言い方をすると、最初の勢いのそのまま延長上で強豪に成り上がるのは難しい。
その理由としては外面的には研究されて同じやり方では通用しなくなる、内面的にはある時点で無我夢中からひと息ついて自分たちがやっていたサッカー、作り出していたバランスの成り立ちを変に意識化するようになってぎくしゃくする(金の卵を産むガチョウの腹を裂く?)、あるいは単に緩んで一人一人が楽をし出すor余計なことをし出すというようなことが考えられる。
これはこれで興味深いテーマだが、今回はあくまで結果論的(運命論的?)により表面的なパターンを追うのが目的であるのでさっさと先へ進むと、こうした半ば必然的な失速の後何が起こるか。当たり前だが一度崩れる、言い方を変えると前編で述べたような力強く美しいスペシャルな状態を日常的に実現するのが難しくなる。
これは残念だが仕方ないことであるし、必ず訪れるということは逆に本当に強くなる為には必ず一回経験しなくてはならない過程だとも言えるかもしれない。
・・・・ただし崩れてそのまんまということも十分にあり得るというのは、Jの過去の流れ星チームたちを思い返せば容易に分かることであるが。
話戻してスペシャルというのはつまりトップ、それもトップ中のトップフォームということであるが、そもそもあるチームの強さをトップフォームのみで測るのは長期的には危ういことであろう。むしろオーディナリーなフォーム、あるいは「底力」という言い方があるくらいだからボトムで測った方が見誤る危険は少ないかもしれない。
それは1つは単純で、オーディナリー以下の状態で実戦に臨むケースの方が多いのであるから、その時に一定以上の強さを発揮出来なかったらいくらトップフォームが強くても勝ち点の獲得が間に合わないからである。
もう1つは理想的な状態というのは本質的に自己中心的なものであり、行った行ったで押し切れればいいがそうならなかった時の状況や相手の変化への対応という点では脆い、もしくは融通が利かない部分があるからだ。そういう意味ではオーディナリー/ボトムな状態の方がより冷静でタフな戦いが出来、結果的に多くの実利を獲得出来る可能性がある。
ただこれは難しい面があって、対応・対策にかまけているだけではいつまでたっても突き抜けられないでしまいに緊張が切れてジリ貧というパターンも多々見られる。余程決定的な選手を複数抱えているのでなければ(そうであっても)、やはりまずは多少自己中心的でも自分のスタイル、ペースを確立して押し切ることを考えるべきであろう。・・・・ともあれ必要な要素ではある。
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ここでようやく京都戦の(自己)検証。
つまり京都戦の「本来やるべきものから遠いもの」(オジー)ではあるが、一方で京都の潰しを上手くかいくぐって単純に味方を使って結果をもぎ取って行った(金田喜稔?)戦いぶりというのは、京都側の混乱を差し引いてもオジーヴェルディがファーストインパクトの段階から抜け出して次の段階、真に強いチームになるための不可避的スローダウンの段階に差し掛かった現れである可能性があるという事だ。
あくまで論理的な可能性であって、清水戦までの僕がむしろスローダウンの煮崩れの方を気にしていたのは見ての通りであるが。
さて今晩0:00からの圧勝を伝え聞く神戸戦のVTRは、どんな妄想の種を僕に提供してくれるのだろう。(変?)
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