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それはそうとセネガル戦
2003年09月11日 (木) | 編集 |
久しぶりに「身体能力の差」という馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことを痛感させられましたね。イーブンのこぼれ球に対する反応は言うに及ばず、せっかくうまいトラップをして時間を作ってさあこれからという時に、考えられない反転力・ダッシュ力であっという間に優勢を奪われて「そりゃねえだろ・・・・」と悲嘆に暮れる繰り返し。

あれだけ間合いの常識を破壊されると、流れの中で1つ先2つ先の展望がほとんど立てられない。これくらいなら通る/キープ出来る/受けられるといった共通認識が持てないわけですから。
対応策は・・・・基本的には無い、でしょう(笑)。瞬間瞬間やられるのはもうどうしようもないのでやられ慣れる、動ぜず気にせずまた形を作りに行って、そのどれかが決定的なチャンスになるのを信じてやり続けるだけ。

ただその作業をやるにしてもベースの作り方というものがあるので、これは身体能力だけじゃなくて技術的・戦術的に上回る相手とやった時いつも感じることですが、日本はもっと意思のはっきりしたプレーをしなくてはいけない。大きなプレーはもっと大きく、細かいプレーはもっと徹底的に細かく。なんとなく、とかこれでいけるんちゃうかなみたいなプレーの数を減らさなくてはいけない。

同じようなことでさっき「流れの中で展望が立てられない」と言いましたが、ならば流れが始まる前、もっと早く、もっと遠い間合いから展望を描いておけばいいわけです。作業の裾野が大きくなるので、これは自動的に一種の凝縮された圧力の強さとして意思の明確さにも繋がります。走り出したら止まらないぜ 土曜の夜の天使さ というわけで(?)、気がついたら局面の敵のプレッシャーも「今忙しいんだ、どけ」とあっさり弾き飛ばせるかもしれない。
・・・・いや、まじめに意志統一のはっきりしたチームの強さというのは1つにはこれだと思うんですよ。目先の作業をああでもないこうでもないとやっているのと、その先の到達目標へのプロセスとしてサクサクやっているのとでは、見かけは同じプレーでもスピード感とそこから来る迫力が全然違う。(これはなぜ日本人FWが駄目かという話にも繋がると僕は思うんですが、それについてはまたいつか。)

まとめて言うと要は「もっと約束事を!」ということで”ジーコ批判”みたいな話になっちゃいそうですが(参考:俊輔コメント)、じゃあトルシエがそれを出来ていたかというと全然そんなことはないので。組織か個人かではなく、あんなん(トルシエ)では足りないからもっとレベルの高い組織性をという方の話、どっちかというと。
ジーコに批判があるとすればわざわざこの2つ(組織と個人)を分けてしまったことですかね。択一が問題なのではなくて、問題の立て方が空想的なのが問題。


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テーマ:サッカー日本代表
ジャンル:スポーツ
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