2003年09月12日 (金) | 編集 |
トリビアにかけたつもりらしい。せめてセルビアならね。
そう、ユーロ予選のセルビアモンテネグロ代表惜しかったあ。もうちょっとで男の敵にしてスペイン・サッカー愛好家の敵、つまりは僕の敵である唖頭痢をプレーオフ送りに出来そうだったのに。ならばいっそ病院送りに(それはダメ)
名前変わってから初めて見るくらいなので相対比較は出来ないんですが、やれ人材日照りだ結束力不足だおまけに当日はコバチェビッチら主力選手が軒並み欠場だわでどうなることかと思って見てましたが、どうしてどうして、やっぱり一人一人上手いし引いたイタリアでも崩し切りそうな迫力もあったし、プチ感動。
で本題ですが何を補足しようというのかというと、最後のジーコの問題設定の話。よく見るとあんまり前の話と繋がってないような気もするので。
とはいえ「組織と個人」なんて巨大テーマをちゃっちゃと書く準備もつもりもないので、あくまで一例として前からちょっと思っていることを。キーワードは「個人」と「海外進出」と「自由」。わー、でかい。でも大丈夫。
まず言うところの「日本人はもっと個の力を伸ばす必要がある」。まあそうでしょう。「そのためにもどんどん海外に進出すべきだ」。まあそうかな。で、「自由」は?そこにどう繋がる・・・・?当面あんまり繋がらない気が。
つまり確かに海外、あるいはよりレベルの高いリーグでプレーすることによって日本人選手の能力が伸びることは今までも、これからも、普通にあるでしょう。でも具体的にそこで何をすることによってその選手は伸びているのか。
個人練習?ノン。むしろそういう時間は制限されるので技術的に落ちてしまう危険をヒデなどは感じているという話(イタリアの例)。ではジーコよろしく向こうの監督は選手に大きな自主性を与えてくれるので、それで個々の判断力が鍛えられて伸びるのか。言うまでもなくノー。事態はその逆。日本でのような特別扱いや理解を奪われて持ち味を発揮出来ずに苦しむというのが日本人選手のまず見せる姿。
ただ”監督との軋轢”みたいなものは1つの側面・構図でしかなくて、要は色々な監督、色々なサッカー、色々な戦術やタスクを経験し適応して行く過程で総合力を上げ、「持ち味」をブラッシュアップして位置付けし直してそれの効果的な発揮の仕方を学んで行くというのが、基本的な「海外進出によって成長する」プロセスであるように思います。
ジーコが日本人選手に植え付けたがっている時々の試合状況への自発的な対応というのもそういったものの中で、あるいはそれを基盤として行われるものであって、選手に自由を与えることはそれに逆行するとまでは言わないけど特に有効な方法として一般に認められているとは思えない。
つまりあえて図式的に言えば、「組織との関連においてこそ個人は成長する」わけ。少なくとももうほとんど絶対能力は伸びる余地がない、フル代表に選ばれるような年代の選手に関しては。
・・・・ただしジーコ自身の力点は”伸ばす”というよりも”解放する”という方にかかっている気はします。つまり監督が邪魔さえしなければ(日本人)選手はもっとやれる、十分にやれる、というわけ。そうならいいですけどね。(いいかな?)
そう、ユーロ予選のセルビアモンテネグロ代表惜しかったあ。もうちょっとで男の敵にしてスペイン・サッカー愛好家の敵、つまりは僕の敵である唖頭痢をプレーオフ送りに出来そうだったのに。ならばいっそ病院送りに(それはダメ)
名前変わってから初めて見るくらいなので相対比較は出来ないんですが、やれ人材日照りだ結束力不足だおまけに当日はコバチェビッチら主力選手が軒並み欠場だわでどうなることかと思って見てましたが、どうしてどうして、やっぱり一人一人上手いし引いたイタリアでも崩し切りそうな迫力もあったし、プチ感動。
で本題ですが何を補足しようというのかというと、最後のジーコの問題設定の話。よく見るとあんまり前の話と繋がってないような気もするので。
とはいえ「組織と個人」なんて巨大テーマをちゃっちゃと書く準備もつもりもないので、あくまで一例として前からちょっと思っていることを。キーワードは「個人」と「海外進出」と「自由」。わー、でかい。でも大丈夫。
まず言うところの「日本人はもっと個の力を伸ばす必要がある」。まあそうでしょう。「そのためにもどんどん海外に進出すべきだ」。まあそうかな。で、「自由」は?そこにどう繋がる・・・・?当面あんまり繋がらない気が。
つまり確かに海外、あるいはよりレベルの高いリーグでプレーすることによって日本人選手の能力が伸びることは今までも、これからも、普通にあるでしょう。でも具体的にそこで何をすることによってその選手は伸びているのか。
個人練習?ノン。むしろそういう時間は制限されるので技術的に落ちてしまう危険をヒデなどは感じているという話(イタリアの例)。ではジーコよろしく向こうの監督は選手に大きな自主性を与えてくれるので、それで個々の判断力が鍛えられて伸びるのか。言うまでもなくノー。事態はその逆。日本でのような特別扱いや理解を奪われて持ち味を発揮出来ずに苦しむというのが日本人選手のまず見せる姿。
ただ”監督との軋轢”みたいなものは1つの側面・構図でしかなくて、要は色々な監督、色々なサッカー、色々な戦術やタスクを経験し適応して行く過程で総合力を上げ、「持ち味」をブラッシュアップして位置付けし直してそれの効果的な発揮の仕方を学んで行くというのが、基本的な「海外進出によって成長する」プロセスであるように思います。
ジーコが日本人選手に植え付けたがっている時々の試合状況への自発的な対応というのもそういったものの中で、あるいはそれを基盤として行われるものであって、選手に自由を与えることはそれに逆行するとまでは言わないけど特に有効な方法として一般に認められているとは思えない。
つまりあえて図式的に言えば、「組織との関連においてこそ個人は成長する」わけ。少なくとももうほとんど絶対能力は伸びる余地がない、フル代表に選ばれるような年代の選手に関しては。
・・・・ただしジーコ自身の力点は”伸ばす”というよりも”解放する”という方にかかっている気はします。つまり監督が邪魔さえしなければ(日本人)選手はもっとやれる、十分にやれる、というわけ。そうならいいですけどね。(いいかな?)
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