今日のレアル(2003年10月02日)
今回もレアルの話でスタート。そんなに書いてたか。ちなみに題材はCLのポルト戦ということ。面白いのはペレス会長の言う”ジダンヌ”、高給取りのスーパースターたち以外のレアルの言わばポルトの選手と個人的には大差ない選手たちまでもが、前者とおんなじようなプレー態度でプレーするんですよね。それは舐めてるとかいう情緒的かつ悪い意味ではなくて、要は裁量権およびそれに伴う責任が極大だということですが。
つまり個々の技量の差とは別に「レアルマドリーの選手のプレーの仕方」というものがあるので、この試合でも頭数が減ってマークがきつくなってジダンヌたちが足掻く中、チームを救ったのはエルゲラやソラリといった選手の予想外に大胆なプレーだったわけで。
態度だけは立派にスーパースターですからね、ポルトの選手も面食らったことでしょう。元々それぞれに好選手ではあるんですが、そこから予想される範囲を越えた大きくて深いプレーを当然のような顔でするので、慣れないとピントのずれたマニュアルで対応するような格好になる。
"ジダンヌ"というのは記憶違いで、実際は「ジダネス」。レアルのペレス会長がチームの編成を、ジダンを代表とする国際的スーパースター("ジダネス")と、パボンに象徴される下部組織出身の若くて安い選手("パボネス")の二層に単純化すると宣言していた、その話。
実際にはそうは行かなくて、ここで活躍を称えられている「エルゲラ」や「ソラリ」というのは、そのどちらでもない中堅/中間的選手な訳ですけど。
そういう選手たちが、ある種のレアル的文化に沿って"スーパースター然"とプレーすることの思わぬ効果という話。
と、いうようなことを踏まえつつ(2003年10月04日)
信じてたんですけどね、"3000ページ"(笑)。期待してたというか。一言で言って成長期は終了したと認定。言い換えるとオジーのチーム作りは基本的に終わり、教えられることは全部教えた、ベースは今以上にアップすることはない。
え、もう?と思うかもしれないけど、一般にそれぞれの監督の教えられるものの幅、奥行きというのは意外に限られているもののように思う。少なくともある特定のチームを素材とした限りにおいては。勿論監督としては何かあるぞまだ何かあるぞとほのめかし続けて求心力をキープしなければならないが。
・・・・そういえばトルシエの教科書は3000ページあるんだっけ(笑)。あれで?
それぞれの監督が個性・個体性で(まだ)勝負していた時代は、特にこういうことが言えたと思いますね。この前提で、ネタが尽きた監督はさっさと交代すべき論をよく僕は主張してたものでしたが。
今はマニュアルがそこら中に溢れているので、"個性"よりもそれらの使いこなしで監督たちは競っている部分が大きいと思いますが。含めて&最終的に個性でないことはないんですけど、ただ優先順位としてはまずは普遍性一般性。
自分たちのサッカーと相手に合わせたサッカーの択一ではなくて、時期で分けてたのか。とにかくこれからは今持っているものを基準に、より細かく具体的な状況に合わせて対応、調整を繰り返す作業がメインになるはず。言わば戦略モード期
"預け"どころは桜井の方だという話を先月分まででは強調していましたが、ダイレクトプレー的な"当て"どころとしては、依然エムボマは重要ではあったようですね。僕としては立ち上がり方の意志統一が図りやすいこと、”オジーヴェルディ”のアイデンティティを大事にしていざという時にまた最高の状態が再現されることを期待してフラット/プレス型の再確認の方を望むが。ただその場合の不安はボマの常時出場がある程度条件になってしまうこと。当て所がないと早く攻める形が作れないから。
ちぇっ、つまんねえの(2003年10月09日)
カタログスペックと実績メインで選んでいた"並べて"いたジーコが、より自分の感覚的必要に従ったピンポイントの選手チョイスをするようになったという話。ようやく本物の"監督"らしく、なって来たというか。トルシエで思い出したけどここんところのジーコの永田だの加地だの茂庭だのといった選考は、勿論例によって思い付きだとかJのリサーチが行き当たりばったりだとかいうのもあるんだろうけど(笑)、それ以上にトルシエ的なピンポイントのチョイスをやり出したなあという感が強い。
つまりJでの実績だとかレギュラーだとかいうのは要するに「べき」論のきれいごとでしかないので、その監督のチーム作りのイメージが明確であればあるほど「こういう選手が欲しい」というドライブが先に立って飛び級だろうが勇み足だろうがやらずにはいられないので、それはある意味でジーコの成長ということで好意的に見ることは出来ると思う。
ただそれは言い換えれば代表監督という重責を担う前に、一人の監督としての自己形成が十分に済んでなかったということであるので。やはりまあ、何だかなと。
日本代表を素人監督の練習台に使うなという、話でもあります。(笑)
戦術/戦略論の締め(前)(2003年10月16日)
"Variety Football"というのは今日の"戦術"の時代をかなり先取っていた、伝説的な考察サイト。Variety Footballのseriさんの2つのコラム「チーム戦略上の左サイド攻撃とレフティーの関係に関する考察」,「現代サッカーにおけるモビリティーとスペースの関係」での戦術/戦略という言葉の使い方が、僕がサッカーにおいて考えているものとほぼ一致しているようなので紹介しておきます。
例えばもう一人のGAITIさんのを読むとこれはまた少し違うんですよね。もっと戦略寄りに戦術という言葉が使われている。ことほどかように言葉の統一は難しい。
そしてその筆者の1人"GAITIさん"というのが、現在のフットボリスタ編集長の浅野賀一さんな訳ですね。
僕と用語法が合っていたのは、そうでない方の(笑)"seriさん"のようですが。
より"戦略寄り"につまりここの文脈で言えば"相手への対応"的なニュアンス強めに、既に「戦術」という言葉を当時から使っていたGAITIさんが現在のサッカー論壇のゴッドファーザー的な役割を果たしているのは、今振り返ると成程ではあります。
なおこの前後何回にも分けて「戦術」と「戦略」という言葉の使い分けについて僕は論じているんですが、正直ややこしいだけで余り面白くないので、お勧めしません。(笑)
祝・首位(2003年10月20日)
こんなにはっきり閉鎖宣言してたのか。まあ何回かしてたような記憶はあるんですが。(笑)・・・・というムードに水を差すようでナンですが、今季限りでこのサイトにひと区切りつけます。時期とか規模とか、具体的なことはまだ決めてません。2nd終了の11月一杯なのか、分かりやすく今年一杯なのか。閉鎖なのか、休業なのか。
何もこれから盛り上がろうというこのタイミングにというような話ですが、別に天の邪鬼を気取っているわけではなくてこのコーナーを立ち上げた9月頭の時点で既に決めていたことだったのです。突然の精力的な更新(笑)には”最後のご奉公”みたいな意味あいもあったということでして。
それでどうなって今日まで続くようになったのか、全然覚えてないので僕も顛末が楽しみです。(笑)
基本的にこの状態は今も変わってないんですけど、「仕事みたいになっちゃってる」というのが当時の悩みなら、その「仕事」の意味や需要の程度に悩んでいるのが近年ですかね。「仕事」なのはもうとっくに受け入れた。(笑)で、理由ですが、何とも簡単というか身も蓋もないというか、要はサッカーに興味がなくなった・・・・というより生活の中でのサッカーに対する関心の優先順位が著しく下がってしまったということです。それとサイト運営の物理的精神的負担との兼ね合いがちょっともう限界というか、自分を偽らないと続けていけないというか。
柏戦(1)(2003年10月22日)
「固定」に頼らずに流動性とちゃんと向き合ってるのが強いチームだと、ある種「常識」のように書いていますが、(ポジショナルプレー以降の)現在だと、整然とした「固定」を前提として、そこにいかに流動を組み込むか、もしくは組み込まずに強くするかというのが、強いチームの主なテーマになっていますかね。固定点を思考の中心に置くというのは頭の整理には役に立つので、力的に劣勢のチームや諸事情で混乱しているチームにとりあえず安定感をもたらす為に「しっかり」や「じっくり」が戦略的/戦術的(笑)に導入されるのはよく見られる。
ただし安定しているだけでは、あるいは安定にかまけているとむしろ点が入らないというのが(現代の)サッカーなので、世界中のほとんどの強豪たらんとするチームは何らかの形で流動性を上手く組み込むように、変な固定点で流れを堰きとめないように努力している。
11月
勝ち過ぎでんがなレッズさん(2003年11月04日)
"中嶋"というのは誤記で「中島裕希」、鹿島出身で仙台山形を経て現在も町田でプレーしているFWですね。出て来た時は"ストライカー"としてのセンスに、何か日本人離れしたものを感じていた・・・んだけど思ったように点が取れていないという事態について書いています。へえ。(笑)しかし中嶋っていつ見ても急所を突いたいい動きをするのにどうしてもシュートだけ入らない。言葉の上だけだと例の先輩と同じだけど(笑)、中身はだいぶ違う。もうちょっと力の抜き方を覚えてきたらという感じですが、案外その頃には普通の選手になっちゃってたりするんで若い選手の育て方は難しい。
あんまりチーム事情で大きな期待をかけるのもね。ウチにも飯尾一慶という微妙な前例がいますが。
飯尾一慶云々というのはヴェルディでは李政権で10代で抜擢されて以降、"ストライカー"という期待メインでしばらく見られていたのが、どうもそんな感じではない、むしろ守備や繋ぎに本分のある世話焼き系の選手なのではないか?というのが分かりかけたバレかけていた時期の話ですかね。期待の方向を間違えると本人が大変という。そもそも怪我体質でもあるし、期待し過ぎた面もあったろうという。
ここは浦和サイトか(2003年11月05日)
つまり前に僕はヴェルディについて「勝ち負けそのものよりも成長のプロセス自体に興味がある」という意味のことを書きましたが、別に負けても降格したり存続の危機に晒されたりしない日本代表チームについてはもっとそうで、勝ちゃいいってものでは全くないと思っています。
あくまで狭い意味での日本人がその人種的民族的限界を引き受けた上で、いかに創意工夫奮闘努力自己啓発奇想天外四捨五入・・・・とにかく色々やって列強と伍していく、その過程で大げさに言えば自分たちを見つめ直していく為の一種の条件を統制された実験場として意義付けているので、前提を変えてしまうような変数の導入は喜べないのです。
浦和の怪物FWエメルソンに日本帰化話が持ち上がったことに刺激されて書いた、僕の"帰化"選手観。今も基本的に変わってないかなあ。代表の目的は勝利ではなく実験。日系だとか日本で生まれ育ったとかいうならもう諦めます。いずれ移民が増えて国の形自体が変わって、”狭い意味での日本人”という言い方が本当に意味を成さなくなったら何をか言わんやですし。(バスク選抜みたいなのでも作るか。)
まあ現実には、これだけ非黄色人種系帰化or混血選手が増えて来ても、容易に大勢に影響を与えることは無いようですけどね。
本当にゲームチェンジャーになったのは、今のところ闘莉王だけでしょう。"中澤・闘莉王"コンビ抜きで、"最終ラインで耐える"2010年南ア岡田ジャパンの戦いは無理だったと思います。それも今では"黄色い"日本人だけで出来ますし。
一応見たので何か言う(2003年11月13日)
2002年アジアユース(つまりアジア予選)後に大熊監督がチームを引き継いでワールドユースに向かおうとしているチームの"惨状"(の始まり)について書いた文章。アジアユース時の今野大悟成岡の黄金のトライアングルを中心とした既に十分な水準に達しているある意味出来上がっていたチーム。そこから主に大悟に冷や飯を食わせつつ、さんざん人を入れ換えて色々試行錯誤した挙句、結局特に進歩も変化もしていない感じ。
あえて言えば当時は今イチ分かり難かった菊池直哉の恐るべき万能のゲームアイ/ゲームコントロール能力が、メンバーが変わるほどに疑いようもなく存在感を強めて来たこと。それも単に僕の目が節穴だったからかもしれないけど。
なんかね、形容の難しい選手。「司令塔」という言葉では足りない、むしろ「ゴッドファーザー」とか言いたい(笑)。深いんだよね、ゲーム関与が。いなくてもいる。調子のいい時の林健太郎とかもこんな感じか。ラモスも勿論。
こういうのって例えばヒデは持ってるけど俊輔は持ってない。シンジも怪しい。同年代での比較で言えばあんなに巧いのに小林大悟がどうしても信頼性で一歩も二歩も譲ってしまう理由だと思う。
前年チームの今野小林大悟のボランチコンビの上にトップ下成岡を戴いたトライアングルは機能的で美しかった。そしてリベロに入った菊池直哉。未だに結構忘れられない"天才"感の印象の残る選手ですね。"未成年淫行"の不祥事で挫折しなかったら、どんな選手になっていたのかな。まあどのみち生まれたのが少し早過ぎた感もある、高級なユーティリティープレーヤーでしたが。
俊輔はまあ、中田への気後れもあったんでしょう、本当にいい選手になるのはもう少し先だったと思います。まだまだ上手いだけの選手の範疇。大きく言えばね。
いい試合でした(2003年11月23日)
これほんとそうだったんですよね。ある時期までのFC東京との試合には、異様と言いたいような緊張感があった。それは"ダービー"とかいったお座なりな物語性ではなく、サッカー自体の質・思想の余りの違いによる、"文化戦争"的なもの。異種格闘技というか。まあルール自体は同じなので、どちらかだけが関節技を使うなんてことはなく(笑)、空手とキックみたいな違いですが。(いやでももっとだな)いや、何ていうかね、初めてFC東京とちゃんとサッカーをやったような気がするんですよね。これまではどっちが勝つにしろ一方的だったり噛み合わなかったり、何か同じスポーツをやってる感じが全然しなかったので。
スタイルの違いが歴然としてることに変わりは無いんですが、今回は凄く相手の顔がよく見えて、やや乱戦気味ながらも自然に高まるテンションの中で互いの持ち味を引き出しあって、サッカーらしいサッカーが出来ていたように思います。
成程ね。ヴェルディの東京移転による一区切りによって、古豪と新興との間にある種の"同期生"性が生まれたと。今回うまく噛み合ったのは両者のリーグ内での位置付けやコンディションが本当に接近していたということと同時に、ある種の歴史的サイクルの同調のようなものを感じました。古豪と新興という大枠は大枠として、ロリ→オジーのヴェルディと原のFCが積み重ねたそれぞれに見るべきもののある”歴史”はだいたい同じくらいのもので、ようやく同じリーグで切磋琢磨する相手としての互いの顔を正面から見る自然な心の準備が出来ている、そういうタイミングでの対戦だったのではないかなと。
柏戦(2)(2003年11月24日)
しつこくオジーヴェルディ回顧。あの躊躇なくかつ容赦なく、こちらの予想の常に先を行く鋭いクサビのパスで縦へ縦へと迫るスリリングなパスサッカーの慣れの果てがこれですか?
そうだったそうだった。全員の足元に止める能力の高さによって実現していた、短いクサビを次々に打って、あれよあれよと縦に進行/侵攻して行く鮮烈苛烈な"パスサッカー"。最初はね。
なるほど(2003年11月27日)
"こんな"というのは移籍というか、レンタル元のマリノスへの帰還ですね。P.S.
すみません、僕が前半戦の試合評でハユマを褒めるのを忘れたばっかりにこんなことに・・・・。いやあ全く、久しぶりに彼特有の”間合いの天才”とプレー選択の納得性の高さを満喫させてもらいました。やっぱ好きだなあ。行かないで、お願い。
チーム構成の都合でその(↑)素晴らしいチームに加われていなかった右SB田中隼磨が、直前の試合でようやく前年に発揮していたような能力を披露した・・・ものの時既に遅しというそういう流れだったらしい。
同時代だったら内田篤人より余裕で能力上だった気がするんですけどね。好きだったなあ。
話変わって(2003年11月30日)
酷い状態のままワールドユースの初戦でイングランドに勝ってしまったらしい大熊ユース代表の話。まあ逆説的に個々の日本人選手の世界大会慣れを実感して嬉しくないこともなかったですが。
まだ海外移籍の一般化は進んでいないものの、シドニー世代('77年以降生まれ)以後の年代別代表の充実もあり、"世界大会慣れ"みたいなものはこの頃から生まれて来てはいたかも。
石塚、名古屋戦力外(2003年12月03日)
短いので全文引用。外国人枠使わないで獲れるオランダ人(笑)。"和製フリット"。ラストの清水戦、贔屓目抜きでいいプレーをしていたと思うのだけど。
怪我明けで久しぶりでもスムーズに試合に入ってポジショニングもいちいち利いてたし、ウェズレイに出したヘッドと足の2つのラストパスは結構しびれた。せめてその前のシュート決めときゃあなあと言いたいところだけど、まあ試合前には既に決まってたことなんでしょうね。はあ。
まだまだやれる、と今年に関しては自信を持って言えるので、お願いだから次のチャンスが与えられますように。
とりあえず久さんが監督就任するとかいう大宮あたりでどうでしょう。クラブの伝統にも微妙に合ってる気がするし。外国人枠使わないで獲れるオランダ人だよ?お買い得だよ?(でもJ1で問題なくやれると思いますが。)
まあそれが石塚啓次の基本イメージではあるんですが、名古屋での石塚は結構細かい立ち回り・繋ぎも頑張っていて、普通に有用なMFに(も)なって来たなあと思っていたんですが、余り評価はされず。一回ついた"天才"イメージが強過ぎるので、それなりではそもそもお呼びでない感じだったんですかね。
本当はね、東京移転で松木安太郎オールスターズみたいな変なチームが作られてなかったら、多分"FW"としての大成・長生きの道があったろうと思うんですけどね。李政権終盤はむしろそっちでしたし。点も取れるようになってましたし。
東ア中国戦(2003年12月05日)
"東ア"はこの年新設された東アジア選手権。ていうかやっぱ落ち着くなあ、3バック。システムとしての一般的な優劣とかは別として、レンジの小ささという短所と狭い地域でのアジリティの高さという長所を裏腹に併せ持つ日本人選手にとりあえずは向いている気がしてならない。セコセコしたリズムが合っている(笑)。
実際にはどっちかというと中盤の数の方の問題なのかもしれないけど。「5」か、「6」か、とにかくゴチャゴチャしててそれぞれの担当区域が小さい方が迷いがないように見える。
前回の記事では「和式」プレーの"小ささ"を問題視していましたが、ここではそれはそれとしての日本人のそういう"特性"の最大化最適化の方法を探っているというか、ある意味「和式」ポリシーの根拠のいち説明をしているというか。
ラモンとロペ(2003年12月06日)
そうかエムボマの契約延長が早々に決まってたのか。言わずもがなですがラモンはいい選手であり、いい助っ人でもあり、いるといないとでは大違いな選手。
だからこそいつガタが来てもおかしくないボマ翁と既に契約延長してしまった以上、この上ああ故障がちな選手をもう一人外国人枠使って置いておくのはちょっと無理があるというか、チームの発展性への希望という観点から疑問がある。いるといないとでは大違いなら尚更いてくれる保証がないとね。
どう見てももう相当にポンコツではあったんですが、そもそも戦力というより"スター"が欲しいというニュアンスでフロントが連れて来た選手なので、それでそれなりの活躍をした以上、将来性なんか無くても切る理由は無いだろうなという感じではあったか。
ラモンは変わった選手でしたね。上手いトップ下でしたがブラジル人とはとても思えない薄味で、ボールにも必要最低限しか触らない。ちょっと潮音に似てなくもない気がしますがゲームコントロールは潮音の方が全然上でしょう(ポジションが違うというのもありますが)。ボール持ってからの決定的なプレーは、ラモンの方が上。
ワールドユースエジプト戦(2003年12月06日)
当時まだ国見在学中の、ミスター釜本をして「俺以来」と言わせしめた大スケール日本人FW平山相太の初見。ほぼ初めて見ましたが、噂の平山相太クンはホントにいい選手っぽいですね。デカイとかうまいとかもそうなんですが、自分の間合いをしっかり把握している感じが頼もしいです。それがゴール前での冷静さにも繋がっている。
今時喋りが駄目な奴はプレーも駄目だという信念のもとインタビューも注目して見てましたが、最初は余りに言葉が出て来なくて「こりゃ駄目か?」と思いました。でもその後の「負ける時もあるかもしれないけど応援よろしくお願いします」という発言に爆笑してひと安心。きみブッチャケ過ぎ。
要は通り一遍の言葉は口にしたくないタイプかと。そこはかとなく顔つきも中田ヒデに似てるし。今後も期待。
最初から言うこと無いくらい上手かったですね。そして変わってた。(笑)
結局その部分が、余りプラスに寄与しなくて、大成し損ねたのかも知れませんが。
どっちかというと遠藤の方を残しておいて欲しかった(2003年12月08日)
タイトルはジーコジャパンに初招集された山田卓也の出場時の状況についてらしい。遠藤ヤットの隣でやらせたかったなという。・言ってみれば俊輔と三都主と久保のための代表か。
・ただし三都主は3バックでこそというのも身も蓋もないほど明らか。
俊輔と三都主と久保のための代表というのは、本当にそんな感じ。俊輔の(ジーコが考える)"ファンタジー"最優先のチームであり、それに次ぐ優遇選手が左サイドの三都主であり、トルシエ下ではとても無理だったろう引っ込み思案の怪物久保竜彦が、一瞬輝いた代表チームでもあるという。
前二者との心中は(過大評価により?)実利を然程伴わず、久保がコンディション的理由で最終的にチームを外れたのは、まあどちらかというと不運な出来事であったでしょうか。
忙しくて(2003年12月16日)
長くサッカーネット界にいると色々な"ジェネレーションギャップ"は目にしますが、後にも先にもこれほど口を極めて李時代を中心とするヴェルディのサッカーを批判し続けていた人は見当たらないと言える湯浅健二氏を、若い人がいちサッカー評論家として普通に取り上げたり引用していたりするのを見るのは、結構抵抗に近い違和感を感じる僕(世代)ではあります。あえての見識なのか、知らないだけなのか。人それぞれではあるでしょうが。(僕は逆に最近を知らないですが)湯浅健二という人はサッカーが好きなんではなくて”真面目に一生懸命に”やることそのものが好きなんだなと、ふた昔前の学校教師みたいだなとそんなことを思う今日この頃です。
一方でJスポーツのスター解説者で海外サッカーファンの信頼厚かった幸谷秀巳氏が、Jリーグ解説では蛇蝎の如く嫌われているのを見るのも、哀しいものではあります。まあ分からんでもないんですけど。元々温度の低い"皮肉"な語り口(それは世代的特徴でもあるし単純に照れ屋なのもある)であるだけでなく、アトレティコユースの監督も務めたくらいの人で、当時から完全に"世界"基準"スペイン"基準でしか物を見ない語らない人なので、J(2)リーグには興味も無いというか一定以上の熱意で語る対象ではないというか。そもそもやらせない方がいいとは最初から思ってましたが、ただ"アンチヴェルディ"というのは誤解だろうと思います。アンチになるほどの関心も無いでしょう。
アンケート自由回答編(2)(2003年12月18日)
サイト閉鎖宣言に併せて、サイトについての読者アンケートを実施していて、その回答の一部。(笑)
こうやって個別の名前がわざわざ挙がるくらい、ある時期までの水着グラビア界(グラドル界というと少し狭くなる)は本当に多士済々で個性豊かで、既に有名な人やその後有名になる人も沢山いて、僕も情熱的に取り上げていたものでした。"今度誰にしよう"の基準が高かったというか。・・・・城山未帆さんとか充実させて欲しいです。あと岩佐真悠子さんという方も気になります。
こちらはまたピンポイントな。いや、しかしお目が高い。確かにこの2人は非・巨乳系では並び称されるべき2大ホープですね僕の中でも。城山未帆のしなやかなポストプレーに岩佐真悠子が俊敏なステップワークで絡む的な。クライフェルトとサビオラ?
今も"情"はあるんですけど、素材がエロとロリの両極しかいないところがあって、"情熱"的というよりも"情欲"的(笑)。ほとんどは無名から始まり無名に終わりますし、一般レベルで言うと。謎コンテンツになってますよね。(笑)
これは多分、常時稼働していた雑談用の掲示板とは別に、議論・討論用の掲示板を設置することを何回か試していた内の一つの話だろうと思います。2ちゃんねるはありましたが完全匿名なので、SNSがまだ無い時代、ある程度の"人格"性を持って議論する為の場は、主に個人サイトが設置する掲示板しかなかったんですよね。大してメジャーでもなかった僕のサイトにすら、その機能は期待されていた。・・・・ずっと前にあったヘビーな話題の掲示板。参加しそびれた。
ほとんど稼動させなかった泡沫コンテンツなので、惜しむほどのことはありません。
年越しに向けて(2003年12月27日)
「いい選手かどうか」ではなくて「よくやっているかどうか」。一言で言うと「いい選手かどうか」、ではなくて「よくやっているかどうか」というのが僕が選手をあえて褒めたりけなしたりする基準です。
どれくらいいい選手か、ではなくて既に持っているものをどれくらい有効に使えているか、あるいは初期状態からどのように創意工夫し、適応し、自分の可能性を閉ざさずに成長し、ブレイクするか。1試合単位で、ステージ単位で、年単位で。それぞれの年齢で、それぞれのコンディションで、それぞれの天分で。
単純に言うと出来不出来なんですが、成功失敗の結果そのものと言うよりは僕が想定するその選手のその時点でのポテンシャルと対峙した状況の種類・難度、それに対するその選手の態度、選択したプレーに対する自己関与の深さ。そうしたものを評価して褒めたりけなしたり、感動したり白けたり、ノーコメントだったり無関心だったりするわけです。
結果や数字だけで選手を上げたり下げたり忙しくしない為と、僕から見て分かり易い能力が高いだけの選手が持ち上げられがちな風潮から距離を取る為の、僕の評価基準。
・・・"為の"と言ってますがそもそもそういう風にしか評価しない人だったということではありますが。
まあ言ってることはまともだと思うんですけど、国内的にはJのカテゴリー差が固定し、国際的にはグローバル化でトップ選手の能力が余りに極限的に高まってしまったことで、現在では多少優先度の落ちる議論には見えますか。身体能力を筆頭に、まず基礎能力が高くないとにっちもさっちもいかなくなるシーンが増えた/目立つようになってしまった。その"後"の話としては今でも通用するでしょうけど。
その選手の能力を自分が使ったら、もっと上手く出来るかどうか。これはなかなかユニークかと。(笑)馬鹿げた設定のようですが自分がその選手が現に持っているスキルや身体能力と共にその状況に放り出されたら、実際にその選手が行ったプレーと比較してどの程度のプレーが出来るか。
自分が出来るだろうプレーより貧弱なプレーをした選手はけなし、レベルの高いプレーもしくは考え付かなかったかもしれないプレーをした選手は賞賛し、何でそんなプレーを思い付いたのかどうやってやったのかお手上げなプレーをした選手は拝む。そういうこと。フェアでしょう?それなりに。
勿論検証は不可能ですがこんなこと。でもよくある「じゃあお前がやってみろ」という類の批判に対する想像上の反駁にはなる。自分ならもっと出来ると心から思っているから、プロ選手に向かって本気で腹を立てたり厳しいことを言ったりするわけですね(大丈夫かこんなこと言って)。少なくとも成功失敗の風任せではない。
元は多分、野球ファン時代の"選手"原辰徳に対するいらつきあたりからの発想だと思いますが。(笑)
そのスペックで何でその程度なのよという。巨人にはそういうタイプが多かった気がしますけどね、元々ハイスペック選手が集まって来るのもあって。淡口憲治とか(知らないよね(笑))、いらいらしたわあ。まあこれも、最終的には想像上の自己評価でしかないとはいえ、発想としてはフェアだと今でも思うし今でも密かに(笑)採用してます。最近だとスターリングに厳しかったのも、そこら辺。(笑)
という訳で2003年も終わってしまった訳ですが、全然サイト閉じる気配が無いですね。
どうなってたんでしょう。
2004年編を待て。(笑)