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今日のレアル
2003年10月02日 (木) | 編集 |
CLポルト戦。まあ何にせよ観察しがいのあるチームで。

今更ですが個人に始まって個人に終わった感の濃厚な試合でした。
まず序盤はラウル、ベッカムという2人の特別な個人が抜けたことによるほとんど単純な引き算の劣勢に悩まされるレアル。最近居場所を探しながらの窮屈なプレーぶりを伝え聞くラウルはともかく、ベッカムの欠場は結構響いてましたね。・・・・え?あんた要らんて言ってなかったっけ?(笑)

いや、要らんは要らんのですけどね、あったものがないというのはそのものが何かに関わらずやっぱり困るものなので。
押しなべて”喪失(感)”というのはそういうもの。獲得し、一部と化し、そのものが占有していたスペースそれ自身が正に喪失の対象なので。基本的にマッチポンプな性質を持っている。得たから失う。例外は処女膜くらいなもので(コラ)

確かに大きなサイドチェンジのパスの主たる出し手がいなくなったという戦術的理由もあるんでしょうが、それもまあない時はないで済ませてたわけで(昨シーズン)。
ていうかやっぱりきれいだよなベッカムのキックは。見られないと寂しい・・・・あ、騙され始めてる?俺。

で、先制されて、苦しみながらも追い付いて、それからはいつものふんぞりモードに入るわけですが・・・・(3-1で勝利)。
面白いのはペレス会長の言う”ジダンヌ”、高給取りのスーパースターたち以外のレアルの言わばポルトの選手と個人的には大差ない選手たちまでもが、前者とおんなじようなプレー態度でプレーするんですよね。それは舐めてるとかいう情緒的かつ悪い意味ではなくて、要は裁量権およびそれに伴う責任が極大だということですが。

つまり個々の技量の差とは別に「レアルマドリーの選手のプレーの仕方」というものがあるので、この試合でも頭数が減ってマークがきつくなってジダンヌたちが足掻く中、チームを救ったのはエルゲラやソラリといった選手の予想外に大胆なプレーだったわけで。
態度だけは立派にスーパースターですからね、ポルトの選手も面食らったことでしょう。元々それぞれに好選手ではあるんですが、そこから予想される範囲を越えた大きくて深いプレーを当然のような顔でするので、慣れないとピントのずれたマニュアルで対応するような格好になる。

こういうのは戦術だとかいち監督の指示だとかはなくて、言わば現場レベルの”文化”みたいなものだと思うんです。ある程度の時間をかけて、多くは半ば自然発生的に熟成されてくる。・・・・そう、今讀賣クラブとか連想した人正しい。


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テーマ:欧州サッカー全般
ジャンル:スポーツ
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