ヴェルディ等サッカー、漫画、アイドル 他
戦術/戦略論の締め(前)
2003年10月16日 (木) | 編集 |
お題は”サッカーにおける「戦術」という言葉の意味の拡散・肥大について”。

まず前提。
1.掲示板(2944~2952)では”フロントと現場”というより大きな土俵でマクロとミクロが語られていたが、ここではあくまで現場のレベルに限定してその範囲内でのマクロとミクロの区別について扱う。
2.その際用語法としては、基本的にはマクロ=戦術、ミクロ=戦略で一貫させる。ただしその関係が逆転する一般的な用法で使われている場合は(般)をつけて区別することにする。

・言葉としての「戦術」

必ずしもイコールではない「やりたいサッカー」と戦術がしばしば同一視されるのも、大なる戦術と小なる戦略が混同して議論されるのも、基本的には単なる慣用的な問題で大した意味はないのだと思う。
あえて言えば一般ファンならともかくいわゆる「専門誌」の記者においても、これらを特に使い分ける意識が稀薄なのが影響しているということはあるかもしれない。概してこの件に限らず言葉の使い分けないしは独自の意味付けの意識が、外国人記者(の翻訳文)に比べて日本人記者は雑駁だなと感じることはよくある。

そこらへんから引っ張ってみると掲示板では「日本人の戦略(般)的思考の欠落」が話題になったが、実はそれ以前に言わば戦術(般)的思考も含めて物事を緻密に論理的に考える・処理するという習慣に日本人が馴染んでいないので、サッカーに関しても”何かしらそんなようなもの”という感じでとりあえずよく目にする戦術という言葉に全てを負わせてそれ以上の区別・追求の段階にはまだ至ってないというようなことはあるかもしれない。

(後編に続く)

・・・・前に、Variety Footballのseriさんの2つのコラム「チーム戦略上の左サイド攻撃とレフティーの関係に関する考察」,「現代サッカーにおけるモビリティーとスペースの関係」での戦術/戦略という言葉の使い方が、僕がサッカーにおいて考えているものとほぼ一致しているようなので紹介しておきます。
例えばもう一人のGAITIさんのを読むとこれはまた少し違うんですよね。もっと戦略寄りに戦術という言葉が使われている。ことほどかように言葉の統一は難しい。


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テーマ:サッカー
ジャンル:スポーツ
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