ヴェルディ等サッカー、漫画、アイドル 他
柏戦(1)
2003年10月22日 (水) | 編集 |
パッと見攻撃のヴァリエーションや技術点の高さが目につくようだが、実際のところ基本構造としてはエラくシンプルなチームになってきたような気がする。

例えばこの日の柏が見せ損なった「しっかり守ってカウンター」と、ウチの持ち芸である「じっくりキープして力攻め」。まるで反対のようでいてある意味同じタイプの発想とも言えると思うのだ、この2つは。
つまりどちらも「しっかり」「じっくり」とあからさまに落ち着いた状況を意図的に作り出し、しかるのちにそれを足場に次を考えるという静的/固定的/分割的な現実解釈をしているという点において。

固定点を思考の中心に置くというのは頭の整理には役に立つので、力的に劣勢のチームや諸事情で混乱しているチームにとりあえず安定感をもたらす為に「しっかり」や「じっくり」が戦略的/戦術的(笑)に導入されるのはよく見られる。
ただし安定しているだけでは、あるいは安定にかまけているとむしろ点が入らないというのが(現代の)サッカーなので、世界中のほとんどの強豪たらんとするチームは何らかの形で流動性を上手く組み込むように、変な固定点で流れを堰きとめないように努力している。つまりは冒頭の両極の間の振幅の中に普通のチームの目標は存在しているわけだが。

ちょっと哲学的に(?)言うとこれはつまり、流動性そのものである現実の方に自分を合わせることによって望ましい結果を誘導しようという態度で、ある種の謙虚さと辛抱強さの賜物である。まあ立派な大人はたいていこういうものなのたが(笑)、どうもヴェルディは違うらしい。現実の方を無理矢理自分の希望に添わせることに決めてしまっているらしい。
湯○健○のような苦労性のペシミストは、そういうヴェルディの尊大さや快感原則をほとんどモラリスティックに非難し続けるのだが、でも別に苦労するから偉いわけではない。嫌なことはせずに結果が出るならそれに越したことはないではないか。

実際こんなやり方で点を取って勝ち続けるのは余程の技量があってかつ腹が据わってないと難しいのだが、いったんいい時のヴェルディなりレアルなりセレソンなりのようにあるレベルを越えてしまうと、ハンデであったものが逆に武器になる。
つまりさすがにカウンター一本では先が知れているが、固定点を前提としたシンプルな現実解釈による迷いの無さが攻撃的な戦術の中でも活かせたらそれは強力である。また快感原則に忠実ならばイマジネーションもより湧きやすいというものだし。普通の強豪チームを焦らせる攻めあぐね状態がある種最初から予定の内というのも強味。

・・・・なんかやたら好意的だが。必ずしも褒めようと思って書き始めたわけじゃなかったんだけど。次、クサします(?)。


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