スカパーでしか見られないっぽいんですが「ミュージック・グラフィティTV」というチャンネル

があって、簡単に言うと古今洋邦のあらゆるポピュラー・ミュージック(ほぼクラシックとジャズ以外の全て)を、テーマ別年代別アーティスト別様々なアングルで取り上げて、それにちなんだ風物やジャケットの静止画像(!)をバックに実際に音を流しながらひたすら字幕で解説して行くというそういうチャンネル。固定枠として「洋モノ」(海外音楽全般)「〇〇s POP/ROCK」「〇〇s ニュー・ミュージック」(〇〇にはそれぞれの年代が入る)「フォーク大百科」などがあり、その他個々の有名アーティストのバイオ「紙ジャケ天国!」シリーズや、たまに例えば「シティ・ポップ」だけを特別に紹介したりすることもあります。
"PV"とかではなくて静止画背景の簡素な絵作りで一見すると"環境ビデオ"っぽいんですけど、誰が書いてるのか(クレジットなし)字幕解説の内容は毎回マニアック/詳細で僕自身知らないことばかりで、題材にもよりますが基本食い入るように僕は見ています。比較対象は"MTV"ではなくて、むしろ"放送大学"というイメージ。BGMつきの放送大学というか。(でも"講義"は講師のつたない喋りじゃなく字幕なので放送大学より見易い)
その中でも特に面白くて録画してしまった(再放送は無限にやってるので見逃しても安心)、ロックの歴史観やアイデンティティに関して意表を突いた示唆を与えてくれて特に所謂"ブリットポップ"と言われる1990年代のイギリスのムーヴメント(内容は後述)についての僕の長年の疑問の解答になっている感じの回(具体的には"洋モノ"#37 ラウンジ・ミュージックの回)を、今回は紹介したいと思います。
ほとんどの内容が僕にも初耳だったので、"解説"とか"考察"とかえらそうなことをする前にまず読者と対等な立場での情報共有をすべきだと思ったので、直接関連する前半分部分を先に全文書き出し(字幕なので簡単(笑))して、そこに予備知識的な注をつけたものを(1)では。
尚過去に"ブリットポップ"関係のドキュメンタリーは複数見てますし、今回改めて検索でネットに上がってる文章もひと通りチェックしましたが、この番組のようなアングルで語られているものは他に見当たらなくて、一般性については疑問もありますが逆に紹介する価値も確実にあるだろうと、そういう感じです。信憑性についてはまあ、各々判断してもらうとして。(これだけ語るならさすがにクレジット欲しいなとは思いますが)
では行きます。60分番組の前半部分。(結構放送枠きつきつにいつも制作されている)
小見出しは僕が付けたもの。
画像の背景の曲名はその時流れているもので、その他のキャプションは"背景"として使われている事物(今回の場合は車)についてのもの。
「軽音楽」と「イージー・リスニング」(1) 定義 (1930年代~)

随分古風な番組タイトルですけど、80年代までやってたんですね。日本で「軽音楽」と呼ばれている音楽の中には、イージー・リスニング・ミュージックを指す場合と、クラシック音楽以外の大衆的な音楽全般を指す場合とがある。
はじめて軽音楽という言葉が登場したのは、1938年のNHKラジオだといわれている。
当時はクラシック音楽以外の大衆音楽を軽音楽と呼んでいたという。当時考えられていた軽音楽の定義は、現在における「ポップス」とほぼ同義だったと考えられる。その中にはジャズ、シャンソン、タンゴ、ハワイアン、カンツォーネから、イージー・リスニングから映画音楽にいたるまで、クラシック音楽以外の流行歌はすべて含まれていた。
高校や大学のクラブ活動でも、クラシックやブラスバンド以外のポップス演奏を目的とするクラブのほとんどは、軽音楽部と呼ばれている。
ラジオ番組「軽音楽をあなたに」は、1970~80年代にNHKFMの夕方4時台~6時台ころ放送されていた。洋楽アーティストを中心に、毎回1アーティストを中心にして放送、FMラジオ全盛期を支えた音楽番組のひとつだった。
「軽音楽」と「イージー・リスニング」(2) "イージー・リスニング"の台頭 (1950~60年代)

なるほど、オーディオ・セットの普及は1950年代か。60年代には映画音楽やラテン音楽、イージー・リスニングも、軽音楽の花形だった。
マントバーニ・オーケストラによる「シャルメーヌ」、ビリー・ヴォーン楽団による「波路はるかに」や「峠の幌馬車」など、オーディオ・セットが普及しはじめた1950年代ごろから、イージー・リスニングのヒット曲が生まれ始めた。
1968年にはポール・モーリアが「恋はみずいろ」を大ヒットさせ、イージー・リスニングは世界中で浸透していった。
「恋はみずいろ」はさすがに誰でも一度は聴いたことがありますね。(YouTube)
「みずいろ」はひらがななんかいと一瞬思いましたが、むしろそっちが正式表記のよう。(Wiki)
「ラウンジ・ミュージック」の誕生 (1960年代)

国際空港や高級ホテルの"ラウンジ"ルームの誕生と共にそこで流される音楽(の需要)は生まれたが、"ラウンジ・ミュージック"という概念/呼称自体は再評価時の後付けのもの。1960年代初頭、世界各国で航空会社が運行をスタート、同時に世界各国で国際線を持つ空港が誕生した。
世界各地では国際的な旅客をもてなすホテルも作られた。空港やホテルには、旅客を快適にもてなすための、ラウンジ・ルームが作られた。空港やホテルのラウンジ・ルームには、リラックスできる心地良い音楽がBGMに流れていた。ラウンジで主に流れていたイージー・リスニングは、後にラウンジ・ミュージックとも呼ばれるようになった。
そもそもそうしたラウンジ・ルームに音楽的に"影響を受ける"程年中滞在するような人が沢山いるとは思えない(笑)ので、ラウンジで"流された"というよりラウンジで流れている"ような"音楽というそういうくくりでしょうね。(Wiki)もそんな感じですけど。
ただ逆に大抵の人には華やかで特別な経験ではあるので、"あの感じ"で意外と比喩としては通用するんだろうと思いますが。それこそ実際はドラマでしか見たことが無かったとしても。
ラウンジ・ミュージックの再評価 (1990年代)

"レア・グルーヴ"(ムーブメント)90年代にはラウンジ・ミュージック再評価に伴い、ラウンジ・ミュージックを専門に発掘、プレイするDJも登場した。
イギリスのDJチームカーミンスキー・エクスペリエンスは、96年にコンピレーション「Inflight Entertainment」を発表、ドイツのベルト・ケンプフェルトやイギリスのジョン・シュローダーなど、ヨーロッパを中心としたグルーヴィーなイージー・リスニングを発掘した。レア・グルーヴ・ムーブメントの発祥の地イギリスでは、レコードの発掘が日常的に行われていたこともあり、ラウンジ・ミュージックに関してもクラブ・シーンが発達、ストーンズやビートルズのカヴァーを多くレパートリーにしたパラフィン・ジャック・フラッシュや、「追撃者」などのサントラでも知られるロイ・バット、イギリスでモータウンレコードを配給したプロデューサーなどさまざまな顔を持つ作曲家ジョン・シュローダー、キンクスの頭領と同名のサックス奏者レイ・デイヴィスなど、続々とイギリス産のラウンジ・ミュージックが掘り起こされた。
1980年代後半に、音楽ジャーナリズムやディスコ、クラブを中心に注目されるようになった。インターネットが登場する以前は、見つけ難い音楽という意味合いもあった。
過去の音楽を後年の価値観で捉え直す際、当時には評価されなかった楽曲の価値が新たに見出される場合がある。その楽曲は、新しい音楽シーンにおいては、音楽面において珍しく入手可能性の面でも希少価値がある。このように、新時代の価値観で「踊れる、ファンキーである、グルーブ感がある」として発掘され、再評価を受けた過去の楽曲を、レア・グルーヴと呼んでいる。(Wiki)
カーミンスキー・エクスペリエンスだけではなく、ラウンジ・ミュージックのクラブで活躍するDJたちが、自身が発掘した音楽を紹介するコンピレーション・アルバムを競い合うよう続々とリリースした。フレックス・ロンバード、ニック・ハリウッドなどのDJは、Le Club Mでのラウンジ・ミュージックのパーティクラブモンテプルチアーノを主宰しながら、「Bongo Beach!」シリーズや「Showgirls&Sugardaddies」などクラブで人気の高い曲を集めて、コンピレーションCDを発売している。クラブモンテプルチアーノのDJの一人、レモンも、個人名義でコンピレーション・アルバムを発表している。
数あるラウンジ・ミュージックの編集盤の中でも草分け的な存在が、96年にイギリスで発売された2枚組LP「The Sound Gallery」。アラン・ホークショウ、アラン・パーカー、キース・マンスフィールドなどのイージー・リスニングが収録されていた。この「The Sound Gallery」がブームの火付け役となった。
"音楽"としてのイージー・リスニング

それゆえの後の再評価。(の余地)イージー・リスニングと呼ばれる音楽の多くは、職業作曲家による緻密な作曲や編曲がほどこされ、実力ある演奏者が在籍する楽団によって演奏された。
特に後者の部分が、改めて聴いた時の"不朽""普遍"の価値を、後年のロック・リスナーにも届けるんだと思います。僕も今回聴いてて"これやばっ"という瞬間が何度もありました。
ロックンロール/ロックの"イージー・リスニング"化 (1960年代~)

60年代のロックの所謂"進化"を、"イージー・リスニング"化という概念でくくるとは。(笑)イージー・リスニングが注目されはじめた60年代には、ポップス界でも似たような動きが生まれていた。
1950年代半ばに粗野なイメージで生まれたロックンロールは、コーラス・ハーモニーを生かしたフォーク・ミュージックや、職業作曲家の手によるポップスの影響を受けて、ドリーミーなサウンドが作られるようになった。
60年代後期になるとロックは政治的な色彩を帯び、反戦や反体制のメッセージを打ち出すようになった。そんな中で純粋に音楽としてのクオリティを求めたロックは、既存のポップスにもロックにも分類できない存在として、MOR~ミドル・オブ・ザ・ロードと呼ばれるようになった。カーペンターズやクリス・モンテスなどMORと呼ばれたサウンドは、後に日本でソフト・ロックと呼ばれて再評価されたものが多い。
確かにメロディ豊かに、アレンジ華やかに多彩に、"聴き易く"なったとは言える訳ですけど。リトル・リチャードやらジェリー・リー・ルイスみたいな、獰猛な"本能の叫び"50年代ロックンロールとの比較において。(プレスリーはまた少し違うかも知れません)
・・・ビートルズから"ジョン・レノン"要素を引いたら、と考えると、分かり易いかもしれません。ポール・マッカートニーとジョージ・マーティンによる"イージー・リスニング"が、そこには現れるのかもしれない。
"MOR~ミドル・オブ・ザ・ロード"。
日本語Wikiだと"イージー・リスニング"と区別されてないようなので、英語Wikiから。
「ミドル・オブ・ザ・ロード (頭字語 MOR としても知られる) は、商業ラジオの形式であり、ポピュラー音楽のジャンルです。この用語に関連する音楽は非常にメロディックで、ボーカルハーモニーと軽いオーケストラアレンジメントのテクニックが使用されています。 このフォーマットは最終的に、ソフト・アダルト・コンテンポラリーとしてブランド名を変更されました。」(google翻訳)
カーペンターズ "(They Long to Be) Close to You"(1970)、"Top of the World"(1973)
クリス・モンテス "Nothing To Hide"(1968)
クリス・モンテスって僕初めて聴きましたけど、これカーペンターズと同じカテゴリーでいいのかな?(笑)。カーペンターズは曲にもよりますが、ほぼ"ロック"の耳で聴けますけど、こちらは・・・。
イージー・リスニングとロック(シーン)

"ラウンジ・ミュージック"というくくり/ラベルだと"90年代以降"ということになるのかも知れませんが、実際にはもっと早くそういう動き自体は見出せそうですね。特に日本の場合は日本語ロックの草創期('70年代)から、既にそういう要素が濃い目に・・・という話は後編で。MORやイージー・リスニングが注目された60年代後期や70年代は、ビートルズの台頭にはじまり、フラワームーヴメントなどロックのシーンにおいても革命的な時代であった。MORやイージー・リスニングは、既存の社会規範への反抗を打ち出すロックのリスナーにとって反抗すべき対象、仮想敵と看做されることもあったが、90年代以降、ロックのミュージシャンやリスナーによって、MORやイージー・リスニングは再評価されはじめた。
・・・ここからが、あえて言えば本題。
ロックの「原点」の見直し ~「原点」としてのイージー・リスニング (1990年代)

行き詰った"から"原点を見直したという繋がりは、よくある批評的な話法でどこまでまともに受け取っていいのかというところはなくはないですが。70年代のパンク・ムーヴメントや80年代のニュー・ウェーヴ、90年代のオルタナティヴ・ロックのムーヴメントを経て、ロック・シーンは次第に新しい展開を見出すことが出来なくなった。やがて進化することが困難になったロックの表現者の中から、自分たちの原点となる立ち位置を改めて見直したり、書き替える機運が盛り上がっていった。先鋭的なロック・ミュージシャンたちは、ロックのスタート地点をチャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーなどワイルドなロックンロールとする呪縛から解き放たれていった。
別に解説者の見方を批判したい訳ではなくて、ここで見るべきはほとんど40年来伝統として受け入れられていたロックの"原点"についての概念に、新たな可能性/選択肢が見られるようになったらしいというそのことそのものだと、それが言いたいこと。
動機やきっかけが何だったかは、一応別の話として。
"ブリットポップ"と原点見直し運動

"ブリットポップ"(ムーブメント)90年代半ばにイギリスで盛り上がったブリットポップも、立ち位置の見直し運動のひとつとして捉えることができる。
デーモン・アルバーンは、戦前のミュージック・ホールの音楽やジョン・バリーなどの映画音楽などに、自分の原点を見出した。ディヴァイン・コメディはオーケストラを配したポップスやマイケル・ケインが主演した映画の音楽に、ルーツを見出した。
・1990年代にロンドンやマンチェスターを中心に発生したイギリスのポピュラー音楽ムーブメント
・90年代初頭のイギリスでは、ハッピー・マンデーズやストーン・ローゼズなどを中心としたマッドチェスターが次第に終息に向かい、ニルヴァーナを筆頭とするグランジ・ロックが流行し始める。これにより、アメリカ中心のバンドがチャートの上位を賑わしていたことから、しばしイギリスのロックは再び停滞気味になっていた。
・(ニルヴァーナのカート・コバーンの自殺による)グランジ・ブームの終焉によって開いた穴を埋める、ブリットポップという言葉を生み出すきっかけとなったのが、ブラーの3rdアルバム「パークライフ」のイギリスでの大ヒットと、オアシスのデビューだった。ロック・ファンが本来のイギリスらしいロックの原点回帰を望んでいた中で登場し、脚光を浴びたのがブラーとオアシスだった。
・いつしか「ブリットポップ」なる言葉が誕生することとなった。多くのレコード会社は、新人バンドを次々とデビューさせた。それが翌年のブリットポップ・ブームの到来へと繋がっていった。
・ブリットポップ・ブームは社会現象と化し、メディアは音楽のみならず、ファッション、芸術などイギリスのポップカルチャーの特集を組み、商業主義の「クール・ブリタニア」と呼ばれるこれらの状況を指す用語が登場し、広く用いられるようになった。
・・・というのが、諸説ある中Wikiから抜き出してみた定義というか、ムーブメントの一応の外形。
"デーモン・アルバーン"はこのブームの中心バンド"ブラー"のヴォーカル。
"ディヴァイン・コメディ"は僕も初めて聴く名前で、Wikiを見て下さいとしかとりあえず言えません。(今見たら図書館で借りれるようだから聴いてみよう)
この時期を経験していない若い人や、興味なく見ていたろう大部分の年配者(笑)にとっては、一にも二にも"オアシス"の存在が、ブーム自体の認知の元だろうと思いますが、実は今回の解説にはオアシスの名前は一度も挙がっていません。それがどこまで意図的なものなのかは分かりませんが、とりあえずオアシスを除いては最も有名なブラーの1994年の代表曲"Girls & Boys"を。
・・・まあこれだけ見て初見で何が分かる訳でもないだろうとは思いますが。一応イメージ。
注に戻って"ミュージック・ホール"とは、「19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスで盛んに行われた大衆芸能,またそれを上演する場所。18世紀にパブで客をもてなすために歌を歌ったりしたのが起源で,しだいに複雑化した。」(コトバンク)
"ジョン・バリー"は007シリーズなどで知られる映画音楽家。(Wiki)
ブリットポップと「ラウンジ・ミュージック」シーン

"モッド・ミュージック"は"モッズ"のモッドなのか、ちょうどこの時代に盛んだったらしい音楽ファイルの"MOD"のことなのか、どっちでもあり得るように見えるので正直分かりません。(多分前者)事実、ブリットポップとラウンジ・ミュージックとは、密接な関係があった。ブラーやパルプ、スウェード、ステレオラブのメンバーたちは、ラウンジ・シーンで重要なパーティ「ブロウ・アップ」の常連だった。
「ブロウ・アップ」はカムデンのパブ「The Laurel Tree Pub」で93年にDJのポール・タンキンがスタートさせたパーティ。行列が出来るほどの人気のパーティとなった「ブロウ・アップ」は、96年には会場を人気クラブ「Wag Club」に移した。「ブロウ・アップ」ではモッド・ミュージックを中心に、インディ・ポップ、ノーザン・ソウルなどがプレイされていた。パーティのラウンジ・フロア"Jet Set Floor"では、当時ロンドンに在住していた池田正典(マンスフィールド)、カーミンスキー・エクスペリエンス、マーティン・グリーンなど、名うてのラウンジ・ミュージックのDJたちがプレイしていた。「ブロウ・アップ」のDJたちは、ブラーやパルプなどブリットポップのバンドの会場でもDJを務めた。
ブリットポップとラウンジ・ミュージックは、共に刺激し合いながら発展した。やがてマイク・フラワーズ・ポップスのように、ラウンジ・ミュージックを演奏するユニットも登場、ブリットポップ・シーンの中で活躍した。
"ノーザン・ソウル"は主にイングランドの北部で流行っていたソウル・ミュージックの形態。(参考)
とにかくブリットポップとラウンジ・ミュージック(再評価運動)との間には、人的交流含めて密接で具体的繋がりがあったと。
エルヴィス・コステロとイージー・リスニング (1970年代後半)

確かにコステロのロックンロール(または激しい曲)って、凄く"相対的"に聴こえるんですよね。盛り上がってるようで別に盛り上がってないというか。音楽の一要素として淡々と演じてるというか。ブリットポップのムーヴメントが起こるはるか以前から、ラウンジ・ミュージックにまったく偏見を持たず、むしろロックンロールと等価に接していた音楽家もいた。
70年代後半にニューウェーヴ・シーンの中から登場したエルヴィス・コステロは、後にMORの代表的な音楽家バート・バカラックと競演している。"歩く音楽百科事典"とも呼ばれ幅広い音楽に造詣の深いエルヴィスは、戦前~戦中のミュージック・ホールの音楽にも詳しかった。トランペット奏者でもあるエルヴィスの父ロス・マクマナスは、イージー・リスニング楽団ジョー・ロス&ヒズ・オーケストラでも活躍した。「She」などバラードを歌うエルヴィス・コステロの歌には、ジョー・ロスの楽団が演奏を務めたヴェラ・リンなど1940年代の歌手の演奏や歌からの影響が窺える。
この項はまあ、上で言った(イージー・リスニングの)"再評価は90年代より以前から始まっている筈"という話の、やや特殊属人的ではありますが例示ではありますね。だいたい"始まった"のが90年代では、(それを基にした)ブリットポップを作り上げる暇も無い訳で。
・・・舞台をアメリカに移して。
アメリカにおけるラウンジ・ミュージック再評価 (1990年代)

へえ、サブポップが。ほんとグランジのイメージしか無い会社ですけど。イギリスでブリットポップが盛り上がっていた1990年代中ごろから、アメリカ合衆国でもラウンジ・ミュージックは再評価されていた。グランジ・ミュージックの聖地だったサブポップ・レーベルは、ラウンジ・ミュージックを演奏する新世代バンド、コンバスティブル・エディソンをリリースした。
1990年代に入ったころからアメリカ合衆国のシカゴでも、ロックの立ち位置を見直すアーティストが増殖していた。90年に1st「Hip Hop Hoorey!」を発表したしたカクテルズは、ジャズやワルツ・ジャズを基調としたゆるいサウンドを提示。コンバスティブル・エディソンやカクテルズの台頭を受けて、メディアは当時の風潮を、「グランジからラウンジへ」と表現した。
こういうのを見ると確かにこの時期「ラウンジ・ミュージック」(イージー・リスニング)がポップ/ロックの主流に影響を与えていたんだなということが実感出来ますし、この人のいう"ロックの立ち位置を見直す"動きも、実在したのかなと思えて来ますね。
「グランジからラウンジへ」。上手過ぎるだろ(笑)。初めて聞いたけど。
めっちゃ説得されたくなる。(笑)
ここまでが約半分で、この後はアメリカや世界各国におけるラウンジ・ミュージックの再評価やポップ化や新たな展開について語られますが、僕の関心からは離れるので割愛。
今回提示・説明した内容を踏まえて、次回は結局僕が何に関心を持っているのか何に感動したのか、そもそも"ロックの原点がラウンジ・ミュージック"とはどういうことなのか、そういうことについて話をする予定。
余り内容は無いですが、一応"ラウンジ・ミュージック"のWiki。
今回の解説者とどの程度観点が重なるかは分かりませんが、ラウンジ・ミュージックの熱心なファンらしい方のブログ記事はこちら。・・・「ラウンジ・ミュージックとは?」(SOSEGON魂)
(あ、ラウンジって"L"だったのか、ずっとファイル名を"R"にしてた。もう遅い。笑)
僕にはまだ選びようが無かった"ラウンジ・ミュージック"のブログ主さんの思う代表曲も、こちらでは聴けます。
今回の背景でかかっていたもの
シリル・ステイプルトン(Cyril Stapleton) Ticket To Ride ('69)
モーリス・ポップ(Maurice Pop) Make Love ('69)
パラフィン・ジャック・フラッシュ(Paraffin Jack Flash) (I Can't Get No) Satisfaction ('66)
モンゴ・サンタマリア(Mongo Santamaria) I Can't Get Next To You ('70)
ジョン・シュローダー・オーケストラ(John Schroeder Orchestra) Get Out Of My Life Woman ('66)
ラファイエット・アフロ・ロック・バンド(Lafayette Afro Rock Band) Malick ('72)
モンゴ・サンタマリア(Mongo Santamaria) Cold Sweat ('69)
これ以降にかかるもの
ムーグ・クックブック(The Moog Cookbook) Sweet Home Alabama ('97)
コンバスティブル・エディソン(Combustible Edison) Hot And Botherd ('98)
ザ・トニー・ハッチ・サウンド(Tony Hatch Sound) An Occasional Man ('66)
カーディガンズ(The Cardigans) Carnival ('95)
ミスティック・ムーズ(Mystic Moods) Cosmic Sea ('73)
マックス・グレーガー(Max Greger) Night Train ('71)
ジャック・パーネル(Jack Parnell) Skin Deep Featuring Drum ('54)
ベリー・リップマン(Berry Lipman) Die Girls Van Paramaribo ('74)
セルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg) 3mambo Miam Miam ('64)
ロイ・バッド(Roy Budd) Mr.Rose ('67)
・・・アーティスト名の太字は文中で言及したもの。