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’04.8月後半~12月のみどりのろうごく
2023年06月22日 (木) | 編集 |
今週末にブリットポップについてのドキュメンタリーがまたやるようなので(見たやつかも知れない)、『ラウンジ・ミュージックとブリッポップ』の後編は、念の為にそれも確認してからということで後回しに。


8月後半

2nd開幕新潟戦(2004年08月17日)

FWとして投入された広山が、フィットしないと見るやさっさと右サイドの得意位置に腰を据え直してとりあえず持ち芸を見せることに専心していたのは笑いました。さすが外人。緑ユニ着るとどことなく林健太郎に似てるし(?)、エゴがしっかりしてるのは間違い無さそうですね。逆に人間的には知的な選手であっても、プレー的にはむしろ職人的なタイプなのかなという疑いもちょっと感じましたが。とりあえず依然として誰主導で何の為に獲って来た選手なのかは見えず。


1stステージ後の中断期間に、割と唐突な感じで加入して来た廣山望選手。
そうでした。最初は"FW"(ウィングという意味ではなくて)扱いでした。
実績のあるサイドで使われなかったのは謎ではありましたが、この年最後まで結局廣山はチームで居場所が定まらず翌年はセレッソにレンタルされてしまうので、"FWで使う為に獲った"というよりもフロントが勝手に獲って来た(それなりに)大物選手を、オジーが使いどころに困ってとりあえずFWに置いたという、そっちの方だったかなと。
引用部分は廣山が試合中に自主判断でポジションを変えていて、さすが海外クラブ(パラグアイ、ポルトガル、フランス)を渡り歩いてきた選手とある意味での感銘を受けたというそういう話。
・・・特に重要な記事ではないんですけど、好きな選手の埋もれがちな過去の姿なので、単純に書き留めておきたくて。(笑)


何やら(2004年08月21日)

僕も現行の五輪サッカー自体不要という説には賛成です。少なくとも男子については。
23歳にもなって年代別大会なんてやってる場合じゃないでしょう、基本的に。OAなんて入れたって結局会場はガラガラだし、大会全体から何か浮き気味なのも変わってないし、もう手放してくれませんかねIOCも。プチW杯化が望みなら確かにもう一方の不人気大会コンフェデと合併するのはいい案かもしれない。


「23歳にもなって年代別大会なんてやってる場合じゃない」「OAなんか使って(スター選手入れて)も大会の格は全然上がってない」という、約20年前の文句が今でも(それどころかますます)通用するように見える五輪サッカー。一方で今日のU-20W杯の注目度もあんまりパッとしないので、何とか中を取る方法は無いかなと思ったりはしますが。
コンフェデと合併という話が出てたのか。検索しても出ては来ないんですが、どういうプランなのかな。出場国を思い切り絞ったW杯?ただ逆にコンフェデの存在意義は"W杯開催国が予行演習的に大会運営をしてみる"ことにあった筈なので、それを五輪開催地でやっては意味が無い気が。・・・なるほど最初はサウジ開催の私的な大会だったのか、その意味では"ミニW杯"の枠組みだけ残してそれを五輪開催地が主催してもいい訳か。(コンフェデWiki)
いずれにしても昔の話ですね。コンフェデ自体もう無いですし。(2017年が最後)
「ミニW杯」というフォーマット自体は、意外と面白い時もあったような記憶。本物みたいに試合数が多くて見切れないなんてことも無いですし。


ヴェルディは普通のチームになる?!(2004年08月24日)

とりあえずオジー版3-5-2ヴェルディを見ながら僕が思ったのは、口で言うほどカスタマイズ、エッセンスをある文脈から別の文脈に移し代えるのは楽じゃないかもな。”ヴェルディらしいサッカー”というのは例えば生態系のように様々な要素が分解不能にひとつの大きな全体として存在しているもので、それを望みの部分だけ抽出しようというのは金の卵を生むガチョウの腹を裂く危険を伴う行為なのかもしれないなということです。


サッカーにおける"生態系"≒"エコロジカル"という概念を、既に20年前から使っていた先見性!・・・なんて話では特になくて(笑)、他に表現が難しいようなあやふやな相互関係を、今も昔もその語を使って呼んでいるというだけですね。
具体的にここで言っているのは、4-4-2から3-5-2への変更による、つまり人によっては"本質"(エッセンス)的ではないと見なすような"形"の変更が、思いの外大きく"生態系"にダメージを与えているようだなというそういう観察。
最終的にその年度の天皇杯優勝という大きな成功に至るこのチームで、ではどのようなエッセンスが"移し代え"られたように見えるのかという話は、またその時に。



9月

アジアユース予選リーグ(2004年09月30日)

アトランタチーム~’02ツーロンあたりまではある意味トップ代表よりも様々な発見や希望があって見所満点だった年代別代表も、今やすっかり単なる子供の大会というものでしかなくなって。日本サッカー全体の成長の頭打ちと、山本・大熊両監督の個人的資質の問題の両方が理由だと思いますが。


98年フランスW杯初出場に先立つ95-96年のアトランタ五輪チーム。(のブラジル撃破の快挙)
2002年日韓W杯のフル代表監督トルシエが、それ以前に99年のワールドユース準優勝と翌2000年シドニー五輪の特にアジア予選の快進撃で見せた可能性。
更に遡れは93年Jリーグ開幕の年に一足先に"世界"を垣間見せた、日本開催のU-17世界選手権の"財前・船越・一木"の日本代表チームに、まだ注目度が低くて結果の報道だけでしたが97年のワールドユースベスト8入り、そして締めとして、ツーロン'02の内容的にも各国関係者の間で話題になった3位入賞のチーム。
日本リーグ時代からの選手や習慣・慣性が残らざるを得ないフル代表と違って、新しい教育を受けて来た新しい選手たちが若手指導者によって率いられる年代別代表チームは、フル代表よりも常に先行してかつより純粋な形で、当時の日本サッカーの右肩上がりの"進歩"をディスプレイする場所となって来ました。
それが「すっかり単なる子供の大会」とは2年で随分な様変わりですが、それは一つにはまず、"最後の輝き"'02ツーロンチームを引き継いだ(と見せかけて壊した)山本アテネ五輪チームの低調&本大会での惨敗と、'03大熊清ワールドユースチームの、結果こそベスト8とそこそこではあったものの、先進性のかけらも感じさせない個人技根性サッカーが余りにも見るに堪えなかったというそれぞれの具体的なチームのありようの問題。
そしてもう一つはトルシエの後の(現)代表監督ジーコが、「欧州を手本とした組織化緻密化」というそれまでの日本サッカー/代表サッカーの基本から大きく外れた南米個人技路線を独自に歩み始め、またその"独自"性がアンダー世代への無関心/断絶という形でも表現されてしまった為に、U-23やU-20というカテゴリー・年代のサッカー/チームの意義やフル代表との連続性が失われて"孤立""独立"してしまって、それぞれの年代のそれぞれのサッカーつまりは"子供の"サッカーでしか無くなってしまったと、そういうことでしょうね。
それが「日本サッカー全体の成長の頭打ち」を背景としているというのは、ジーコ・ジャパンの実際の"失敗"までまだ2年も残したこの時点では、いささか臆断的というか悲観的な気分に流され過ぎなような気もこの時点ではしないでもないですが。(笑)
まあ好きだったんですよね、年代別代表サッカー。楽しかったんですよ。ヒントだらけで本当に面白かった。だから、悲しかったんでしょうね。(笑)
現在は・・・どうなんでしょうね。フル代表は保守化してるかもしれないけど年代別代表もそれ以上に迷走しているところがあるので、どっちもどっちで最早本当にただの"参考資料"という感じ。選手ウォッチの場?



10月

まずは(2004年10月04日)

オジーの談話はすっかりノイローゼorキレ気味なのが恒例となってしまって、そんなに無茶苦茶な成績ではないけどナビスコ優勝でもしないと(しても?)まず間違いなく辞任しそうに思います。解任、ではなくね。

共に低調な内容で終わったらしい、ホーム神戸戦後の記事。
そうだったんだ。オジーと言えば飄々ユーモラス、という印象ですけど。
平塚と柏の実績を引っ提げてやって来たニカノール('98在任)なんかも僕の目には不可解なくらいに心細げというか四方八方遠慮しながらやっていた印象でしたが、清水→Fマリのオジーにも"外様の実績監督"特有"名門クラブ"の無言の圧でもあったんでしょうか。内外からの。必ずしも温かくない。(全くの想像です)

相馬はどうもホントに上手い選手らしく。この試合で気が付いたのは印象としては単にがむしゃらにやってるように見えるけど、実はかなり技術的に完成度の高いボールを奪われ難いドリブルの仕方を心得ていることで。
粘っこくて上手くカバーしてる感じが桜井と少し似てますが、桜井が行きつ戻りつの蛇行運転の変化と併せてるのに対して相馬の場合は前へ前へ一直線が前提ですから、むしろこっちの方が凄いとも言える。

今正に出世街道を登っている最中の左WB相馬崇人
桜井(直人)との比較は、同じ"失わない"ドリブルでもある程度自由なコース取りで敵のプレッシャーを誤魔化せるFWの桜井に対して、サイドという性格上、どこに向かっているかは自明だし、ひとたびオーバーラップを始めたら途中で気ままに戻ったりも出来ない(笑)相馬の方がある面難易度の高いことをやっているという話。
同ポジションのアツと比べても、この時期の相馬の厳しいと分かっているところにも怯まず突っ込んで行って敵に対応させて味方を楽にする勤勉性、自己犠牲性は際立っていて、利き足の違いもありますがすぐカットインに逃げるアツと、そこが最も大きな違いでポジションを奪い取る要因となったのではないかなという、当時の観測。
いいコ(笑)だったんですよね相馬も、最初は。じきに"我れが""我れが"の選手になっちゃいますが。


ある種完璧(2004年10月24日)

ではなくてコバが中盤の中心になったこと、相馬、平野、大悟動ける選手がその前に揃って自ずとプレーの色が統一されたことがこういうプレー内容になっている原因もしくは条件だということは普通に想像出来ますが。

小林慶行の1アンカーの前に右大悟左平野のインサイド、左WBに相馬という、そういう布陣。
それまでは3-5-2でも、林健太郎が主にアンカーの位置に入ってたようですね。
小林慶行は・・・覚えてないですけどどうせ怪我してたんでしょうね、例によって(雑(笑))。それが本格復帰して来たと。

実際昔ランドによく行っていた頃に林抜きでコバが全権握った試合を何度が見ましたが、何か覿面にテンポが変わるんですよね。当時のコバは今の7割程度のコンディションだったと思うんですが、それでもあからさまに意欲的になって積極的にチームを動かすようになる。そういえば今よりもっと方向性模索中だった大悟も、嬉々として使われるプレーに徹してかえって天才振りが引き立っていたっけ。コバの復活の可能性は五分五分くらいという状況でしたが、こんなヴェルディいいよなと近未来に希望を描いていたものでした。

"ランド"とはよみうりランド内のヴェルディの練習グラウンド。(一応注釈)
小林慶行は中盤のどんな役割も無難にこなすようでいて、実際ははっきり中心として使った時に初めて真価を発揮する選手。(だということを練習で見て知った)
逆に大悟はむしろ"中心"のプレッシャーから解き放ってやった方がいい選手。という当時の観測。
李政権(99-00)時代から評価は高かった小林慶行ですが、実際問題本当に中心として使って見せたのはオジーが初めてだったんですよね。怪我がちということもあって、そういう"未来"が実現するという当ても余り無かったという、そういう回顧。本当にオジーの選手の使い方は上手。



11月

磐田戦(2004年11月02日)

戸川のケガの功名もあるんでしょうが最終ラインに林、その前にコバ、そのまた前に大悟という3大パサーの住み分けは凄く幸せなものですね。あ、ハマった、という感じ。このハマり感はオジー・ヴェルディの第1期完成形(例の中盤フラット4-4-2)の、左サイド前後の平野とアツ、中盤両サイドの平野とタク、それから真ん中ちょい下がり目のコバと上がり目のラモンのあの見事な住み分け感に通じるものがあります。

引き続き3-5-2オジー・ヴェルディの形成/完成過程の話。
3大パサーとは何て素敵な響き。(笑)
とはいえこれは別に銀河系とか黄金の中盤とかの贅沢案件ではなくて、ごくごく合理的ですっきりした役割分担ですけど。
"戸川のケガの功名"とは何かというと、清水でもマリノスでも3バックをやって来たオジーですが、クラブ文化の違いかヴェルディでのそれには何やら独特の"緊張"感を持って臨んでいて、この年の最初の3バック導入は新人CB戸川の特殊技能的とも言える俊足を利したカバーリング能力ありきで初めて行われたようなところがあり、戸川が健在な限りその"セット"は動かしづらいところがありました。だからたまたま戸川が離脱していたから林のリベロ転属がスムーズに行われ、それに伴った小林慶行と大悟の適所配置も叶ったという、そういう"玉突き"的な話。戸川には若干申し訳ない、文字通りの"怪我"の功名。


ふと読み返してみたところ、(2004年11月05日)

簡単に言うとヴェルディの”ブラジル”セレソンのブラジルですね。それに対して鹿島の”ブラジル”はより日常の、国内のクラブサッカーのブラジル。夢のサッカーとサバイバルのサッカー。
別な言い方をするとヴェルディの”ブラジル”はラモスやジョージのような流れ者・半端者が、故郷を物理的にも心理的にも遠くにありて思った美化/理想化したブラジル。鹿島の”ブラジル”はド本流のジーコが直接移植したリアルでハードなブラジル。

多分ね。そんなブラジルサッカーに詳しいわけでもないですが。でもたまに見ると上手いことは上手いけど地味でコスいですよねブラジルのクラブサッカーって、たいてい。ブラジル人がセレソンに絶え間なく突きつけるご無体な要求も、そもそもが「夢」で普段関わっているそれ(サッカー)とは違う次元で捉えているからじゃないですかね。

ほんとかどうかは分からないけど色々上手いことを言ってると思う。
知り合いにブラジル人がいる人は聞いてみて!(笑)
まあでも、確か当時は関東UHF局とかでもやってた気がするんですが、初めて見たブラジルの国内リーグがえらく地味でびっくりした記憶はあります。思ってた"ブラジル"と違うなあと。


12月

本当に獲っちゃったらしいワシントン。(2004年12月01日)

年俸1億8000万?ふーむ。
有名人じゃない分逆にフロントの本気度の高さを感じなくもないですが、結局(補強の)トータルで見てみないと分からないですね、こういうのは。まあ長らくボマor外人FW抜きで何とかやって来たので、結果として1点豪華でもズバリ画竜点睛としてそれなりのスケールアップは期待出来るかもしれません。

オフの話題。リーグ戦自体はまあ、優勝とも降格とも無縁な状態でしたし。(9位)
1億8000万ならまあ、退団するエムボマと入れ替わりならそんな無茶な額でもないのか。
有名人じゃないと言いつつ、"大物"であるという前評判は動かし難いものとして既にあったようですね。実際大物ではありました。・・・まあエジムンドとエムボマを獲って来たチームなので、そこら辺と比べるとという話でしょう。
前年のエムボマ獲得の時は実はこんな無駄豪華補強はチームバランスをおかしくするだけなのではないかと反対していたんですが、ワシントンについては割と淡々と受け入れムードなのは、多分その時点で"よく走る真面目な選手でもある"的な怪情報が出回っていたせいですね(笑)。まさか平本程走ったりはしないとしても、そこまで現在の機動力優位のサッカーに合わなくはないのではないか、平本から走力を少し抜いて決定力を大きく足すみたいな都合のいい補強になる可能性もなくはないのではないかと、そういう希望を持っていたから。・・・"期待"までではないんですけど。基本的には現有戦力/現在のサッカーの延長で、来季も戦うつもりではいた。
実際は真面目でないことはないんだけど、必ずしも労を厭うわけではないんだけど、とても"機動力"サッカーに合わせられるような選手ではなくて結果チームバランスを大きく崩してしまったと、それはまた翌年の話。

ただねえ、アツが連れて来たって多分相当なものなんですよね。ネットを見ててよく思います。ウェブマスターだけで言ってもファンサイトの方は勿論として他にもあの人でしょ、あの人でしょ、それからあの人も・・・・(直リン自粛)。よく苦しい時期を支えてくれましたというのと、そういう人たちはどれくらい定着しているのかなと、そういう意味では結構不安ですね。

一方こちらも退団の決まっていた三浦アツ。
未だに若干ぴんと来てないところもあるんですが、ほんと女子人気は高かったですね。うっかり悪口を言えない雰囲気もあった。(笑)
イケメン・・・なのかなあれはと、普通によく分からないんですが。妙にエモーショナルな喋り方とかも含めて、何かしら女子的"ストーリー"に嵌め易いところのある選手なんだろうなあと、何となく思ってましたが。可愛げがあるのかな。
結果こんな細かい不安も、その後の天皇杯優勝の喜びでどこかに消えてしまった訳ですけどね。新しいファンもついたでしょうし。


Jアウォーズの表彰候補選手リスト。(2004年12月06日)

新人王候補に森本が挙がってますが、それを言うなら戸川でしょ、ウチから出すとすれば。森本の実質的な貢献度なんて微々たるものですからね、誰が見ても。
別にこれはいつもの森本叩き(?)ではなくて、ファン投票じゃないんだからもっと真面目にやってくれよなという純粋な義憤です。逆に馬鹿にされてるような気がしますけどね、ヴェルディのことなんか誰もまともに見てないよという。話題賞でもあげとけと。欲を言うなら中盤でコバの名前が挙がって欲しい。本当にサッカーが好きな人なら分かるはず。


森本ってまだいたんだ。正直全くイメージの中に無い。・・・いたどころか結局最優秀新人賞獲ってら。ていうか翌年も翌々年もいたらしいぞ。うーむ(笑)。(Wiki)
まあプレー的にも性格的にも、あんまり周囲との関係性を密に作るタイプではなかったというのと、変に名前が売れた、"天才"神話が生まれたことで、"所属クラブ日本サッカー"みたいになっちゃったというのがあるんだろうと思いますが。飛び級(ジュニアユースからいきなりトップ出場)し過ぎた弊害とかもあったのかなあ。でもヴェルディの文化の中に"飛び級""早熟の天才"の伝統はあった筈だし(菊原とか)、やはり森本個人の資質の問題が大きかったんだろうと思いますが。何というか、今でも"幻の"選手。(笑)
上でも書いたように、一時の戸川は本当に特別な、チーム戦術を左右するような存在感の選手(凄い選手という意味ではないですけど)だったので、そちらを評価して欲しいというは本当でしたね、森本との比較云々ではなく。相馬・・・はまだそれほどの出場数ではなかったか。年齢的には戸川と同期。(ちなみに平本とも)


あ~(2004年12月06日)

楽しみにしていた入れ替え戦のネット中継はご多分に漏れずたまに絵が変わるラジオ状態だったので


2004年のネット中継事情。(笑)
遥か下って2011年のHulu開業時すら、どうせネット配信なんてまともに見れないだろうと試しもしなかったくらいなので、まあそんなものか。
そもそもどこが配信していたんだろう、やっぱりJリーグかな。


トヨタカップ(2004年12月13日)

試合前の懐かしVTRのジーコのプレーが、ラモスにあまりにも似てる(順番逆ですが)ので驚きました。アウトのスルーパスのタイミングや角度、浮き球のパスを出す姿勢とか。そんなに年は違わないですが、憧れて真似してたんですかねえやっぱり。それかブラジルにはああいう人がいっぱいいるのか。(後者かな。)


これ記憶に無いなあ。そうだったんだ。
いかにも覚えてそうな、"発見"体験ですけど。なんか悔しい。(笑)


弱いものいじめならウチに任せろ?!(2004年12月20日)

試合後のインタビューではお決まりのように「J1勢と戦ってどういうところに差を感じましたか」という質問が浴びせられていましたが、実際にはたまたまJFLのチームにいるだけで十分に上での経験を積んでいるメンバーばかりなので(こんなところにいたか酒井良)、なんかちょっと型通り過ぎて失礼な感じがしました。レベルは知ってるんだよ、しばらく離れていてせいでなまっていただけで。ポッと出じゃあねえ。

天皇杯に入って。
JFL時代の草津。"酒井良"というのは元湘南の、結構好きだったよろずセンスのいいMFですね。
そういう贔屓選手がいたこともあって、よそのチームの為に変な怒り方してます。(笑)

いつのまにか林がちゃっかり中盤の底に腰を据えてるので、むむ、’03版オジー・ヴェルディの再現か?コバで作ったチームをまた林で落ち着かせるのか?、ひょっとしてオジーは常に長期的にそういう組み立てでチームを作ってるのか?と余裕の試合展開で暇になった脳味噌があらぬ拡大解釈をめぐらせてました

2003年のチームの林健太郎はCBやってたイメージしか無いんですが、多分フラット4-4-2の速攻サッカーからボックス4-4-2の遅攻サッカーになって、その時のダブルの一角にという形でしょうね。
林アンカーで速い攻めはなあ。やっぱ難しいっすよね。ロングカウンターは打てるけど。

こと「試合運び」ということに関してここ1年オジーが言っているのは、ほとんど「いかにカウンターを仕掛ける立場になるか(仕掛けられる立場にならないか)」という1点のみなので

そんなこと言ってたんだオジー。
個人技を生かした攻撃サッカーの人ではあるけれど、遅攻/ポゼッションの人でなかったのは確かですね。それはポリシーと言うよりも、シンプルなメカニズム性に美を見出すプラグマティスト的な性質による感じ。要所"だけ"を考えるというか。


天皇杯準決勝G大阪戦(2004年12月26日)

今のヴェルディのチーム編成は単純明快、GKと外国人を除けばユース上がり組(戸川、富澤、一柳、根占、小野、柳沢、相馬、玉乃、平本、飯尾、森本)と李国秀縁故組(米山、林、小林慶、小林大悟、山田、平野、桜井)に完全に二分されていて、後は今年限りらしい三浦アツと半外国人(笑)広山と。なかなか例の無い編成なんじゃないでしょうか。

それぞれのグループの結束力があるのは勿論ですが、二派の関係も共通性と相補性がイイ感じで。ボールテクニックやパスサッカー指向は共通で、かつ年齢的にも若いユース組にはスピードや思い切りの良さ、李組には全体視野や犠牲精神に特徴のある選手が多い。枝と幹というか。そして両者を接着する林健太郎と小林慶行という2大ゲームメーカーの存在。まとまらなきゃ嘘ですね。かつての必要とあらば喧嘩も辞さずの個性派軍団とは少し趣が違いますが、単に戦術的一貫性というのとはまた別の、人間の集団としての力が育って来ているような気がします。

ガンバに圧勝後の、やや勝ち誇り気味の総括。(笑)
誰かが仕組んだわけではないけれど、なかなかよく出来た編成だよな天の配剤だよなという。
それでも決勝も勝って天皇杯優勝だあとは、なかなか信じられないかくも長きタイトルからの遠ざかり生活よという。(最後のタイトルは96年のレオンの天皇杯)
今見るとたかだか8年ですけど(笑)。"昇格"とかじゃなくて"タイトル"ですからね。贅沢言うなよという。(笑)


テレ朝「朝まで日本サッカー応援宣言」(2004年12月30日)

意外と小宮山悟ヨーコ・ゼッターランドの異業種スペシャリストは面白かったです。普通の話は全然ですが、ジーコジャパン及びサッカーチーム全般の取り決めや話し合いの詰めの甘さに対する素朴な驚きぶりが。サッカーってぬるいスポーツですよね、それとも日本人だからなのかな。一度折り入って”プロ”の方々に聞いてみたいですが。内と外、どっちの常識が歪んでるのか。


こんなんがあったんですね。
ちなみに本物の朝生ではなくて、朝生"風"番組です。
小宮山は確かにインテリ野球人としてよろずスポーツコメンテートみたいなことをしてましたけど、ヨーコさんもいたのか。後にはそのキレキレのバレーボール解説で僕もファンになる人ですが、全日本で活躍した訳でもないですし、どういう存在だったのかな。日本人の"帰国子女"コンプレックスは刺激したろう(笑)、アメリカ生まれのインテリバレーボーラー。
ここでの野球/バレーとサッカーの対比はなんでしょうねえ、サイン・プレースポーツとそうでないものとの現場の緻密さの違い?
素材がジーコ・ジャパンなんであれですが、でもテレ朝がわざわざ批判番組を作るとも思えないので、やはり競技の違いが自然に生んでいる差への素朴な驚きが、表明された場面なんでしょうね。見てみたいなあ。(見た筈なんですけど(笑))
こういう番組、未だとスカパーくらいでしかやらない感じですけど、当時は地上波でも割とあったような。


12月はここで終わりなので、何と天皇杯決勝はお預け。(笑)
さすがに気持ち悪いですし、我ながらよく分からないコンテンツですがもう1年分は少なくともやりましょう。(笑)


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