東京V等サッカー、漫画、アニメ、アイドル 他
’05.1月~3月のみどりのろうごく
2023年07月21日 (金) | 編集 |
体調不良で2週間以上のお休み。
なんか書かないとなまるので書きますが、まだ完調ではないのでストレスの少ないものから。


1月

I Wish You Were Here ,石塚啓次。(2005年01月01日)

Jリーグでも異例なほどに主力選手の出入りの少なかったここ最近のヴェルディにおいて、どのみち年齢的に無理な北澤&本並さんを別にすればあのチームの主力メンバーで結果的にこの場に欠けているのはほぼ石塚だけなわけで。

元旦磐田との天皇杯決勝を制した後の、記事。
「Jリーグでも異例なほどに主力選手の出入りの少なかった」
そうなのか。ここらへんは当時の体感・相対なので、そう言うならそうだったんだろうと思うしか無いですが。
ただ確かに言われてみれば、"'02.8月"分から始まったこの回顧シリーズの中でも、入りはともかく出は少ない感じはして、エジムンド、エムボマらの外国人を除けば、主力で出て行ったのは相馬直樹や田中隼磨のような元々他チームに根を持つ選手くらい。問題の石塚は・・・なるほど'02.7月に戦力外通告を受けていたので、ぎりぎり扱い対象から外れていたのか。
"あのチーム"、李ヴェルディの主力メンバー。(除く外国人)
GK本並、DF中澤、米山、山田卓、MF林、小林慶、北澤、石塚、FW桜井、飯尾あたり。(平本はまだ)
この内中澤は(松木体制スタートの)'02シーズンが始まる時にかなり強引に自ら出て行った感じなので、通常の移籍にはカウントしていないのかな?ちなみに'02シーズンは飯尾もフロンタに期限付き移籍してますね。まあそもそも李政権当時はユースから抜擢された若手で、同じスーパーサブの桜井に比べても主力感は薄いですが。

一度完全にメルトダウンしかかったチームを今に至るまで支え続けてきたのは間違いなく”李の血脈”なわけで。
だから、やっぱり、残念だなと。ただ単純に。彼にもいて欲しかったなと。林健太郎を筆頭に、山田卓也、小林慶行、米山篤志といった李の遺産を実に巧みに、喜びを持って使いこなせるオジーなだけに。

「喜びを持って使いこなせる」。確かに。
山田卓也も小林慶行も、正直オジー下の方が活き活きしてたと思いますしね。ただ一方で就任前年大主力だった(サイドの)ファンタジスタ田中隼磨を不思議なくらいに使いこなせなかった事例もあるので、石塚も案外どうだったかなとも。どちらかというと小回りの利く選手が好きみたいだし。2003年なら故障がちだったエムボマのバックアップ的にFWで使うかなというイメージは湧きますが、2004年の3-5-2ハイプレスチームだと、居場所が難しそう。
とにかくそこにいない石塚の思い出を前面に押し出すくらいに、凄く感極まっていたらしい(笑)天皇杯優勝時の僕でした。
実際夢物語でしたね。1997年同じく元旦のレオンによる天皇杯制覇から8年、正直二度とタイトルなんかに縁は無いんじゃないかとそう思いかけていた自クラブに対する評価でしたから。レオンの優勝自体、かなりクラブ的には異例感のある、"レオンの"優勝でしたし。
あれから18年。その後それに比較し得る体験としては、2007年フッキ・ディエゴを擁しての、J1昇格のみ。さて今年は?(笑)


頭冷やして(2005年01月02日)

草津戦あたりでも書きましたが、前へ、速くという部分がしっかりして来た反面、落ち着いて回すとか誤魔化すとかいう元々得意だった部分がやはり少し覚束なくなっていますね。

改めての天皇杯決勝レビュー。
"草津戦"というのはこれですね。天皇杯準々決勝。
「落ち着いて回すとか誤魔化すとかいう元々得意だった部分」が覚束なくなっていると。
そうだったのか。
ヴェルディらしいテクニカルなショートパスサッカーの魅力を損なわずに、よくもたった半年でハイプレスサッカーなんか仕込んだものだよなという印象の鮮烈なチームでしたが、その陰でやはり失われたものはあったと。

この部分を前へ速くの本線を損なわない程度に並行して修得するのか、もしくはこれも草津戦で書いたように攻める時と守る、カウンター態勢の時とをはっきりさせるというゲームマネジメントでクリアするのか。一つ、新シーズンの注目ポイントだと思います。

後者は今で言うところの「トランジション」みたいな概念ですね。
「局面」を分けて、それぞれに対処すると。
若い人からすると当たり前に聴こえるかもしれないですが、この当時の感覚だとそれはむしろ"次善"の策で、分けないで統一的に連続的に処理出来るのが本当の強いチームで、だからまずそちらを先に書いている訳ですね。
とにかく純情緒的な前日の記事を補完するような(笑)、一夜明けて"頭冷やし"た早速の"来季への展望"記事。


雑ネタ(2005年01月07日)

ちなみに昨年1年間のウチのユニークアクセスのリンク元の総計を見てみますと、
 1位 お気に入り/ブックマーク 35.3%
 2位 さっかりん 17.8%
 3位 Verdy U-23のリンクページ 9.7%
 4位 切腹倶楽部の左フレーム 3.7%
 5位 Verdy Thingsのリンクページ 2.8%
 6位 ヴェルディウェブリング 2.2%
 7位 ややいやな目ブログ 2.1%
 8位 ややいやな目のリンクページ 2.0%
 8位 三光鳥の話トップ(リンクランキング+”敵を知る”) 2.0%
10位 ヴェさんのひとりごとのリンクページ 1.8%
と、いう感じになっています。

当時を知る人以外には何の意味も無いですが、面白いので貼っておきます。


舌の根も乾かぬ内に?(転載)(2005年01月23日)

ブログ作りました。

ここか!
やっと確定した。(笑)
確か"excite"ブログだったような。

さっかりん経由で来ている人は分かると思うんですが、とにかくもう全然更新を拾ってくれなくって。

そんなこともあったっけ。
さっかりんで使っているテクノロジーと、htmlでのアップロードとの相性が悪かったらしく。
それでブログ/CSSへと。

まあぶっちゃけあんまりブログが独立して認知されるのも微妙に困るので、補助的な扱いで。
なぜって・・・・だってウチはトップページから入ってもらってナンボですから(笑)。認知が向上してトップのアクセスが逆に減ったりしたら今度こそ本当に泣きます。

何を言ってるか分からないと思いますが。(笑)
つまり当時は"所長さん"グラビア画像は、htmlの"サイト"のトップページに貼っていたんですよね。さっかりんに伝わるのは文章部分の更新なんですが、さっかりんに表示されているのはあくまでトップページなので、文章を更新する→その更新情報をさっかりんで知った人がトップページで画像を見ながら文章部分に行きつくと、そういう視線の誘導(?)が成り立っていた訳です。でもさっかりんでブログ部分が表示されるようになると、直接そっちへ行ってしまうので、画像が見てもらえないという、そういう悩み。(笑)
結果的には、観念してブログに直接画像を貼る今の形に行きつく訳ですけど。


ブログとサイト その2(2005年01月29日)

「サッカー景気の悪い話」さみーさんのこの記事を再度引くとJ.B.アンテナ の登録数は2004年11月21日の段階でこう。

鹿島アントラーズ 54
浦和レッズ 137
ジェフ市原 37
柏レイソル 74
FC東京 124
東京ヴェルディ 25
横浜Fマリノス 165(MAX)
アルビレックス新潟 37
清水エスパルス 39
ジュビロ磐田 56
名古屋グランパス 30
ガンバ大阪 66
セレッソ大阪 59
ヴィッセル神戸 51
サンフレッチェ広島 15(MINI)
大分トリニータ 35

"J.B.アンテナ"というのは、""サイト""ブログ"ごちゃまぜのさっかりんに対して、当時本格的に増えて来た各チームサポによる"ブログ"のみを集めたアンテナ。
これもまあ、ある種の"記録"なので、掲げておきます。
サポ自体の数からするとヴェルディはむしろ多い方ですが(それこそ浦和との差はねえ、こんなもんじゃないんです!(笑)。もう一桁は違う)、これは当時スポンサーに加わっていたサイバーエージェントがアメブロにヴェルディサポ専用のテンプレを用意してくれて、それを使ってブログを始める人が一気に増えた、その影響ですね。



2月

サイトとブログ その3(2005年02月01日)

・・・・ここまで書いて来て気が付きましたが、僕の視点はあくまでサイト>ブログまたはサイトの変形としてのブログという見方に凝り固まっているようですが、違う見方も可能なわけです。別にサイトを作ろうとしているのではなくて最初からブログなのだと。

更に言うと特に誰の定義でもないですが、根本的なデザインや性格付けからああでもないこうでもないと作り上げる今までの「サイト」という概念の場合、意識するにしろしないにしろ、そこにはどうしても”総体としてのその人自身の表現”というような大げさなニュアンスが入って来るわけです。
(中略)
しかしその同じ人がその2 で書いたように、掲示板では割りと書き捨てご免のような感じで日夜平気で”文章”を晒している。そしてブログという形式にはその延長というニュアンスを強く感じることが多いのですね

「”総体としてのその人自身の表現”」としての『サイト』と、「"掲示板"的"書き捨てご免"の純粋な”文章”」としての『ブログ』。
これ今だとそのまんま、前者(その人自身)を担うものとして「ブログ」が、後者(純粋な文章)を担うものとしてtwitter等の「SNS」が当てはめられる記述ですね(笑)。「ブログ」の位置が横滑りして。
結局は二種類の欲望、二種類の表現形式があって、それぞれをどんなテクノロジー/ツールが担うかは単に時代の選択肢によると、そういう話ですね。僕自身も含めて"今"ブログをやっている人は、かつて個人サイトをやっていたタイプの人という。"書き捨て"では物足りないタイプの自己愛を持っている人というか。(笑)


甲府戦行って来ました(1)(2005年02月23日)

ヴェルディの先発メンバーはGK高木DF右からカンジン、林、戸田、MF1ボランチにコバ、その前に右から山田、大悟、平野、相馬、FWワシントン、平本

よみうりランドでのプレシーズンマッチ
"カンジン"はイ・カンジン/李康珍(現在は李ウジンとか)、スピードのある(身長も184あるらしいけど特に高さの印象は無い)CB兼右SBで、名前似てるついでに言えばシティの"アカンジ"っぽいと言えばアカンジっぽいかも。でももっとはっきりスピードはありましたね。足元はそれこそアカンジ並かな?(リーグ相対で)
以前にも噂のあった戸田和幸がいよいよ加入、最初は清水でのデビュー当時と同じ左CBか。まあ監督も(元清水監督の)オジーだしな。前年平本とのコンビでプレッシングの先兵となっていた飯尾は、どういう経緯か覚えてないですが上でも言ったようにフロンタに期限付き移籍中で、すんなりとワシントン平本の2トップ。
あと相馬にポジションを奪われたアツがオフに移籍。

数は少なかったですが足元でのポストプレーにおいてもそれなりにタイミングに遊びを持たすようなそういうプレーも出来てましたから、標準程度の期待はしていいと思います。ただ今のところ定型ポスト以外で組み立てに参加させるメリットは余り感じられなかったので、そういうプレーとずばりシュートそこに限定して使うのが無難かなと。

ワシントンの第一印象ですが。結局このまんまですね。後の浦和時代も含めて。
足元の技術も体格もありますが、ポストプレーヤーとしては平凡ないし少し遅過ぎて、Jリーグレベルでもあえて使う価値は無かった。その他色々出来るしやる気もあるんだけど、シュート及びそれに直接繋がるプレー以外には参加させる必要の無い選手。(と、割り切るまでがチーム的に大変でした)

次に目についたのがじかに見るのは初めての相馬でしたが、いや凄いねこの人は。球際の強さ、というよりは要領の良さ、駄目かなと思ってもすぐ切り替えてまた別のタイミングや角度でチャレンジして結局はマイボールにしてしまう執念深さ、深いエリアに入り込めば必ずセンタリングの態勢に持ち込んでしかもそれを絶対敵に当てずにしっかりゴール前に送り込む細心さ、文句無いです。
僕の周りはなぜか甲府サポが多かったんですが、序盤の1,2回のプレーでもう、以後相馬にボールが渡るたびに「またコイツかよ、ウゼエな、死ねよ」という空気になるのが分かって面白かったです(笑)。

本当に"がむしゃら"時代の相馬崇人はいい選手でしたね。
大別すれば別に働きバチではなくて、単騎突破が武器のウィングではあるんですが、その自己意識に変に目覚めて骨惜しみするようになってからは、ウィングプレー自体の効率も逆に落ちてしまった印象。とにかく動き回って物理的にウザい(笑)のがいいところだった選手が、自己主張ばかりする精神的にウザい(一方で物理的にはプレーの読み易い)選手になってしまったというか。


甲府戦行って来ました(2)(2005年02月23日)

もう一人はやはりというか何というか戸田。判断が遅いのか、ヴェルディの基準にずれてるのか、それとも単に技術が足りないのか、正直一人でリズムを崩してるような感じはありました。同サイドの相馬あたりからはかなり注文がついてましたが。

1日2回更新らしい。
まあみんなが見られる試合でもないので、書く意義はあったんでしょう。
相馬崇人に注文を付けられまくる戸田和幸(笑)。近年のカリスマ評論家ぶりしか知らない人からすると、意外な光景かもしれませんが。
まあユース代表とかには選ばれてましたがCBとしてはそこそこ強くてそこそこ器用という以上の選手ではなかったですし、トルシエに抜擢されたアンカーとしても、基本的には"潰し"の選手で繋ぎや細かい状況判断を評価されていた訳ではなかったですしね。(実際にはこの当時は既にそれなりのレベルのボランチには成長していたようですが)
足元が無い、繋ぎのサッカーに適性が無いのは、これはもうしょうがないこと。桐蔭時代の師匠李国秀の指導にも、結局どうにも染まらなかった頑固者のようですし。

一方で元気はつらちゅう?だったのが平本。大悟とは対照的に判断がとにかく積極的で相手の先先行っていて、預けときゃ間違い無いと、そんな信頼感も沸かなくもないプレーぶり。しっかりと去年からの継続性が感じられます。どうもオジーからは第2FW”候補”みたいな扱いのようですが、ヴェルディへの馴染みから考えてもむしろ平本を軸としてワシントンはおまけ(デッカイおまけだけど)、上積み分くらいな感じで組み立てた方が、チームのイメージとしては奥行きや安定感が出るように思います。

平本の"成長"についてはまた後で書きますが、結局オジーは僕の提案とは裏腹にワシントン軸というのを変えずに、失敗というか心中というか、そういう結果に終わったシーズンでした。エムボマの扱いに比べても柔軟性に欠けていた印象でしたが、余程評価していたのかスポンサー筋のプレッシャーでもあったのか。


画蛇点睛? ~ゼロックス雑感(2005年02月27日)

ワシントンは本当に「欠けていた1ピース」でした。

ゴール前の煮詰まったスペースにおける判断・選択・実行が、簡潔で剛直で迷いの無い収束型のFW。確実に成長して彼なりに信頼感の高まっている平本が、それでも恐らく一生かかっても到達しないタイプの存在感。

盤石のボールキープから豪快に蹴り込んで、これは凄いのが来たとみんな思った、結果的に"ヴェルディのワシントン"のピークだった思い出のゼロックス。(スーパーカップ)
僕も人並みに興奮していますが、実際ある種の"ゼロトップ"だった前年の天皇杯制覇チームのFW陣から、はっきり差別化は感じた"リアルストライカー"ぶりではありましたね。頭の中がそもそも違う感じ。ゴールに近づけば近づくほど、正確さの増すプレー。

・・・ゼロトップで成功していたチームにスーパーストライカーが来るという、最近どこかで聞いたようなあれですが(笑)。(結末は・・・)



3月
危ない危ない(2005年03月06日)

プレスは良かった!何が良かったかというと単に厳しく行ってたというんじゃなくて、ウチなりの成熟、カスタマイズの跡が見られたのが。つまり去年今のチームにいたるそういう流れを始めた頃はとにかくがむしゃらに走り回っていかにも「チャレンジ」「チェイス」という感じだったのが、今は持ち前のポゼッションの巧みさを背景にしたもっとマイペースに、要所要所だけに力を入れてひたひたと迫る、言うなれば「圧迫」「封じ込め」という趣のものに変化している。

リーグ開幕大分戦。
ふーむ。天皇杯後に言っていた、「前へ、速く」と「落ち着いてゆっくり」との分断の早速の調節が行われた、ようにも見えますが。
ただそんな高度な戦術的な手当てを、この短期間にする準備や余裕がチームや監督にあったのかという疑問もあるので、どうなんだろう、たまたまの均衡なのではないかなとも。

平本。ゼロックスはあまり評判が良くなかったようですし、実際今も「機能している」のとは少し違うと思いますが、個人としての出来・状態は素晴らしいと思います。
とにかくあのエムボマばりのレンジの長い、さあ俺に寄越せどんどん処理してやるという自信満々の積極的なボールキープ、あんなことの出来る日本人FWを他に知りません。実際明らかに影響を受けているんでしょう。実物を間近に見ていた強さですよね。

平本のエムボマ化。
これは何となく覚えてます。
平本って性格的頭脳的には、そこまで"器用"なタイプではない訳ですが、高さがあり強さがあり速さがあり、左利きのテクニシャンでドリブル突破も出来れば細かいパスワークも出来れば強シュートも打てて、肉体的には実は万能なんですよね。和製エムボマというか。(笑)
だからエムボマに"似る"ことも出来ますし、器用ではないけれど素直ではあるので、これ以前もこれ以後も、身近な手本や時の監督の要求に応えて、持ち前の「万能」の中からその都度新たな"スタイル"を実現して行った選手で、この時はそれがエムボマ的なポストプレーだったと。
・・・それでも最終的に"不器用"という印象が残るのが、平本らしいんですけど。(笑)
そういう愛嬌。

悪い方を書くとこちらも甲府戦では激賞した相馬。若いねえ、やっぱり。たったゼロックス1試合封じられただけでもう既に少し自信喪失気味。いつものプレーをしているようで少しずつアバウト、最後まで責任を持たずに「上手くいけばいいなあ、いくだろう、多分」という浅いプレーになっているのを、ここらへんにこだわる僕は見逃しません

順足ウィングの宿命である"縦を切られた時どうするか"問題が、もろに出ていたらしい相馬。
実力が認知されての、最初の大きな壁?
現代だとだから逆足だ、カットインだと"選択肢"の方に話が行く訳ですが、この頃はむしろ警戒されてもいかにもう一度挑んで突破し切るか、その"宿命"を受け入れるかというのが、一般的なウィングプレーヤーの次の段階の課題だったように思います。
"男の価値"が試される、ウィング「道」。(笑)
果たして相馬はという。


うーん・・・・仕切り直し(2005年03月13日)

最大の問題はこっちの攻撃に突進力、打開力がハナから感じられないことでしょうね。特に前線を絡めての攻撃の形があからさまに定まっていなくて、つまりはワシントンというありきたりな結論ですが。
要するに平本飯尾コンビが持っていた分かり易い駆動力、それに代わる何かが未だに見えていないということで。

大分戦の後の清水戦の感想のよう。
これを見るとやはり、大分戦でのプレスの"バランス"の良さというのは、"縦"のベクトルが弱まったことによるたまたまの均衡だった可能性が高そう。

僕が大分戦で称賛した平本のポイント作りの技も、結局は形が定まっていない中での平本の個人的な頑張りに過ぎないわけで。

ワシントンが中心(オジー的に)であるにも関わらず、そのワシントンの使い方機能のさせ方が一向に定まっていないので、平本がプレスにポストに、2人分"大活躍"していたという話。
ワシントンもプレスしろと言えば一応しますし、ポストしろと言えば出来なくはないんですが、いずれも武器になる程ではないのでどうしようかなあという感じて何となく前線に置いてある状態。
俺はゴールしか狙わない人だよと、はっきりサボってくれればむしろ良かった気がするんですけどね。

去年と比べても、確実に瞬発力が増してますね森本は。あれくらいのクイックネスがあるなら普通に平本の代わりにワシントンと組ませても違和感無いかも。

急に森本。
どうやら身体的な成熟が進んでいたようですが、それにしてもなぜ"平本"と替えるんだろう、"ワシントン"とではなくという、答えは次の記事で。


ナビスコ川崎戦部分評(1)(2005年03月22日)

ワシントンの分も「動き回る」平本ではなく、ワシントンより「少しだけ動く」森本だと拍子抜けするほどあっさりコンビが上手く行き、ボールは回るし落としも拾える。
もっと言うとこのコンビだと特にワシントンが動いてないように見えないし、逆に森本はちょっとの動きでやたら機敏に動いてるように見える。正に「関係」だなと。必要十分なコントラスト、過ぎたるは猶及ばざるが・・・・なんて言っちゃうと平本が可哀相過ぎますが。

なるほどねえ。
ヴェルディにハマらないワシントンと、長らくハマらなかった森本を組ませてみたら、嘘のようにハマったという話。
国も違えば年齢も一回り以上違う二人が、実は共通したある種保守的なサッカー観/感を持っていて、それが理由でチームにはハマれないけれど二人の間ではコミュニケーションに齟齬が無かったという。
森本は後にイタリアのカターニャで、"点だけ取る"ピンポイントストライカーとして彼なりの"全盛期"を画する訳ですが、それに関して15歳でのJデビュー以来大人もちんちんにするドリブル能力やそれも含めた(平本じゃないですが)万能性に期待を寄せていた僕は、正直不満というか悪い意味で意外な結末を感じていたものでした。誰に吹き込まれてそんなことになったんだろうと思わなくも無かったんですが、ここら辺を見るとそもそも"色々やる"事に興味の無い選手だったのかなと。どうしてヴェルディ(ジュニア)ユースからそんな選手が育ったのか、どうして"出来る"事とそこまで矛盾した思想形成が行われてしまったのか、不思議ではあるんですが。
それはそれとしてこの二人の"コンビ"の魔法には、"戦術"の時代に忘れられがちなかつてはより広範にサッカーの基本にあったのだろう、人と人の"関係"そのものについての示唆が含まれている、のではあるのだろうと思いますが。思いますが。

余りに古典的な、ブラジルのそこらのローカルクラブにいてもおかしくないような2トップで、どうせならトップ下に未使用の外国人枠と背番号10を埋めるいかにもな「司令塔」を新たに連れて来たくなるくらいの感じで、ヴェルディを現在の位置にまで引き上げたモダンスタイルとの整合性がどっかへ行ってしまいかねない。

むしろ森本と組んだ時の"ホーム"感が、いかにワシントンにとって今のヴェルディが"アウェー"かということをむき出しにしてしまった感じで、これ調整や慣れでどうにかなるものじゃないだろう、ワシントンを活かしたかったらワシントン用のチームを作るしか無いだろうと。

どうする?オジー。『しかし平本選手も大きく成長しておりますので良くなっていると思います』というコメントからすると、平本の方にワシントンに合わせることを要求している感じですが。

ここら辺のオジーの鈍感さは、ほんと不思議だったんですよね。
個々の選手の資質や組み合わせの妙には、誰よりも敏感な人の筈なのに。どういう風に"上手く"行かせようとしていたのか、最後まで分からなかった。時間をかければ上手く行く?いや、むしろあなたは速成の人でしょう。"一夜城"の見事さに特徴のある人。
平本に関して付け足すと、彼はサイドのチャンスメーカーから徐々にFWの役割を引き受けるようになった選手で、そもそもの発想がMF寄りで、"色々やる"のが基本の選手なんですよね。チーム戦術との密着性の問題とは別に、そこが森本とは全然違ってそれがまたワシントンと合わない。

・・・なんか書き尽くしてない気がするのでこの項もう少し書くと。

ボールは回るし落としも拾える

ここ結構鍵だと思うんですよね。
"チーム"としての戦術的要求(水準)が前提にあってのポストプレーやチャンスメイクだと、てんで物足りないワシントンのプレーも、ワシントン/森本コンビ"発"だと必要十分なものにちゃんと見える。機能はしていないけれど技術が足りない訳ではない、では何だ?という、この年のワシントンを見ている時のもやもやの答えの一つが、ここら辺にあるんだろうなという。
2005年においては最早ヴェルディにとってすら古典的過ぎて実感の難しい、"人""選手"ありきのサッカーというものの(ブラジルにおける)実在が、垣間見える瞬間というか。


リーグ再開へ向けての覚書(2005年03月30日)

3.大悟とやまたく ・・・・”中”か”外”か

片や見るからに精彩を欠いた、オジー直々にフル代表への推挙をいただくまでの去年の成長があっさりリセットもしくはそれ以下の消極的なプレーを開幕からトップ下で連発している小林大悟選手。片や去年から引き続いて、右WBというポジションでは思うような存在感を発揮出来ないでいる山田卓也選手。
しかしチーム全体が冴えなかった川崎戦にあって、この二人が同時にポジティヴな働きを見せた時間帯がありました。それは試合中のそれ自体はよくあるポジションチェンジの流れの中で、やまたくが中に入り込み大悟が右に流れて外に開いていた時間帯。

山卓は"本職"がどこかと問われれば間違いなくサイド、右SBやWBと答える事になるとは思うんですが、特に攻撃面での突破したりクロスを上げたりと言ったプレーが余りに凡庸で、実際には本職"以外"のポジション、ボランチやCBや右は右でも二列目からゴール前に飛び込んで行くようなプレーをした時に、より持ち前の屈強な肉体が武器として輝く難しい選手。(でもやっぱり本職ではない。特に個人戦術的には)
好調な前年後半のチームで消去法的に与えられていた右WBのポジションでも、やはり個人としては輝いていなかったようで。

まず中に入ったやまたくは、これは勝手知ったるボランチのポジションなので当たり前と言えば当たり前なのですが、プレスが利き切らない状態を粘り強く守り、あちこち顔を出してスペースを埋め、崩壊寸前の中盤と過労死寸前の平野(笑)をよくぎりぎりのところで支えていました。苦しい仕事ですが、むしろ久々に生き生きとプレーしている山田卓也を見たような気がしました。

結局発信力のある選手ではないので、むしろ"対応"に追われた方がその"強さ"が活かせるというある意味での皮肉。チームが不調な方が?(笑)
・・・ていうか"ボランチ"ということは、2ボラ1トップ下でこの頃はやってたのか。それでトップにワシントンがいるのでは、縦への速さは望むべくもないな。

一方の右に流れた大悟はそんなに目覚しく活躍したわけでもないですが、サイドでプレー機会が限定されている分、トップ下で流れを澱ませおかしなボールの奪われ方をして迷惑をかけるようなことは少なくとも無く、その限定されたプレー機会においては巧みなドリブルとやまたくとは明らかに違う美しい弾道の正確なクロスを放り込んで、うん、やはり基本的にはいい選手なんだよなとさっきまで「邪魔だからボールに触るな」とまで罵声を浴びせていた(笑)僕の機嫌を取り持つことに成功していました。

高いパス技術キック技術は持つものの、プレーヴィジョンが凡庸でこちらはこちらで発信力に欠ける問題のあった小林大悟は、2トップ下で平野と左右分担しての、猛プレスから始まるある種機械的なショートカウンターサッカーがよく回転していた前年時は"歯車"として申し分なく能力を発揮していたものの、1トップ下で「司令塔」の役割を担わされると途端に弱みの方が全開になっていた模様。(そもそもなぜそういう布陣変更が行われていたのかは、記憶に無いんですが)
サイド(寄り)で使え(真ん中で使うな)というのは、この時以外でもよく主張していましたね僕は。どうしても「司令塔」的期待が、サポの間でも大きな選手ではあったんですが。僕は徹頭徹尾そこは評価していなかった。
スタミナはあるしドリブルも悪くないし、何よりクロスが美しいので積極的な意味でも、ポテンシャルは感じていましたし。・・・グリーリッシュやベルナルドのようにサイドをアップ&ダウンして、デブライネのようにクロスを上げればいいと、今ならば言い易いですけど当時は(笑)。そこまで飛ばなくても、"ベッカム"を目指せばいいじゃないかと、仮に"中盤"で使うとしても、そんなことも思ってました。

大悟と交代で入って来た玉乃がいきなり俺が右に行くからあんたは中にいろと、かなり乱暴に大先輩のキャプテン[山田卓也]を押しのける仕草を見せたのは、端で見ててそのコントラストが明らかなせいだったのかどうか。

ははは。玉乃らしい。
玉乃淳スペイン(アトレティコユース)帰りの帰国子女で、プレー/言葉双方の外国人的な直接性や勘どころを見定める目/頭の良さが魅力的な選手でした。クボタケの"先輩"の半スペイン人とも言えますし。身体的に成長力が無く故障がちで、やろうとするプレーに体が追い付かずに大成し切れなかったですが。大悟同様、上手い選手を真ん中/トップ下に置きたがる当時の日本の風土にも、邪魔された感も。多分サビオラ的にFWででも使った方が、良かったのではないかなあと。(それでも結局怪我には苦しめられそうではありますが)
とにかく僕も玉乃も、同じ"問題点"を見ていたらしいという話。(笑)


ナビスコでの中断を挟んで、4月からまたリーグが始まるという、そういうスケジュールだったよう。


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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
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