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『キモイ』編
2006年06月27日 (火) | 編集 |
ついでなので『ウザイ』の親友『キモイ』についても。

キモイ、”気持ち悪い”兄弟の末っ子、やや歳の離れた姉に『生理的にダメ』を持つ。
進化的には「痛覚」(痛みを与えるものからは逃げる)や「味覚」(腐敗したものは不味く感じる)といった、生体にとって危険だったり不快だったりする刺激を避けるためのサイン的な感覚が起源かと。
ちなみにその伝で言えば、『ウザイ』の方は”縄張り”や”衝突回避の限界距離”などの、より社会的な本能行動・感覚が起源として考えられますね。

ともかくこのようにウザイ同様キモイにもそれなりの根拠があって、そういう意味ではこれもまたある程度は正当な感受性だと思うわけですが、いくつか違いや注意点があると思います。

一つはウザイに比べてもかなりプリミティヴというか生理的な感覚なので、その有効性というか真実性の幅は狭くて決まっているということ。徹底的に個人的であり、キモイからキモイという以外に定義のしようがない。
だから用法の”正しさ”としては自分自身が本当にキモイと感じた時に使うというその1点にあるわけで、その範囲なら「仕方がない」ですむと思いますが、往々にして集団的な雷同や社会的なラベリングへの追随という形で浅く表明されてしまうことがあって、それの固定したものを「差別」と言ったりします。「偏見」はある意味個人の権利ですが、「差別」は違う。

ウザイとの違いに着目して言うと、ウザイの場合は必ず対象者の接近行動や働きかけに対するリアクションとして出て来る感覚なので、”加害者”に悪気はなくてもそういう意味で常に”被害者”側に一定の表明の権利はあると言える。
ところがキモイの場合は対象者(物)が何かしようがしまいが、要するに存在自体に向けられる感覚なので、ウザイに比べても注意しようがなくて、言われる方としては立つ瀬がない(笑)。・・・・まあ逆に「俺がお前に何か迷惑をかけたか?」という定型的な反駁の余地は残っているわけですが。それが状況を改善するかは別にして。


経験的には『ウザイ』奴は最後までウザイ(合わない奴は合わない)ですが(笑)、『キモイ』の方は元々の拒否反応が深刻な割りには、意外と慣れるとウヤムヤになるというか気にならなくなるというか。蛇も蛆虫もゴキブリも案外慣れるものです。(笑)

つまりそれだけプリミティヴで無方向な、突き詰めれば根拠の薄い感覚で、『ウザイ』についてはむしろよりその感覚を尊重する方向に行くべきだと言いましたが、『キモイ』についてはなるべく気にしない、その表明・行動化を抑制する、あるいは所詮自分の中のいち反応であると客観視する方向で行くべきなのではないかと、そう思っています。

消えたりはしませんけどね。ただ働き場所を限定することは出来る。


・・・・『死ね』編に続く。

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