2006年06月28日 (水) | 編集 |
ネガティヴワードばっかりで気が滅入ってきました。なるたけさらっと。
「死」というといかにも自然現象のようですが、よく言われるように実際にははるかに観念であって、人間特有のものなわけです。少なくとも言葉として発せられる場合は。
そういう意味では『ウザイ』や『キモイ』といった耳新しい言葉に比べても、ずっと(進化的)根拠は薄くて、発する正当性を見出すのも難しい。
・・・・つまり『ウザイ』と言われた時、『キモイ』と言われた時、それぞれ腹は立つし傷付くし、コノヤローと反発するでしょうが、実は同時にその言葉を発している相手の内部状態への共感性も程度の差はあれ生じていて、それがある意味での救いになり得る。
真に怖いのは悪意や敵意よりも、ディスコミュニケーション。
ところが『死ね』の場合は最初から観念であるので、突然中空から沸いたような、言葉から生まれた、言葉の為の言葉であって、”共感性”の入りこむ余地のほとんど無いまま無人格的にひたすら言葉の衝撃力がストレートに突き刺さって来るので、その恐ろしさは『ウザイ』や『キモイ』とは比べ物にならない。言い換えるといつどこで誰に言われても怖い。まあこればかりは基本的に使うべきではないとしか言えないですね。
それでも”正しい””良い”用法というものを考えるとすれば、それは「観念」「言葉」としてのクオリティ、洗練度を高めるという点に見出されると思います。例えばダウンタウン/土田晃之の「死ねばいいのに」や、2ちゃん用語(?)としての「氏ね」が上手に使われている場合とか。要するに笑いを取れれば勝ちというのはまあ、これはどんな言葉にも言えると思いますが。
まとめ。
・『ウザイ』はそれ自体いい言葉とは言えないものの、これからの人類社会での個人間の適切な関係性を探る上で重要な感受性であるので、一概に否定すべきではない。
・『キモイ』はプリミティヴで生理的な分、切実な感受性ではあるが、単なる慣れの問題、気のせいである部分も多い上に、「差別」という古来からの悪習の温床でもあるので、極力抑制して表明しない方向に行くのが望ましい。
・『死ね』は上級者専用。
・・・・ギャルサーはどこへ行った?(笑)
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「死」というといかにも自然現象のようですが、よく言われるように実際にははるかに観念であって、人間特有のものなわけです。少なくとも言葉として発せられる場合は。
そういう意味では『ウザイ』や『キモイ』といった耳新しい言葉に比べても、ずっと(進化的)根拠は薄くて、発する正当性を見出すのも難しい。
・・・・つまり『ウザイ』と言われた時、『キモイ』と言われた時、それぞれ腹は立つし傷付くし、コノヤローと反発するでしょうが、実は同時にその言葉を発している相手の内部状態への共感性も程度の差はあれ生じていて、それがある意味での救いになり得る。
真に怖いのは悪意や敵意よりも、ディスコミュニケーション。
ところが『死ね』の場合は最初から観念であるので、突然中空から沸いたような、言葉から生まれた、言葉の為の言葉であって、”共感性”の入りこむ余地のほとんど無いまま無人格的にひたすら言葉の衝撃力がストレートに突き刺さって来るので、その恐ろしさは『ウザイ』や『キモイ』とは比べ物にならない。言い換えるといつどこで誰に言われても怖い。まあこればかりは基本的に使うべきではないとしか言えないですね。
それでも”正しい””良い”用法というものを考えるとすれば、それは「観念」「言葉」としてのクオリティ、洗練度を高めるという点に見出されると思います。例えばダウンタウン/土田晃之の「死ねばいいのに」や、2ちゃん用語(?)としての「氏ね」が上手に使われている場合とか。要するに笑いを取れれば勝ちというのはまあ、これはどんな言葉にも言えると思いますが。
まとめ。
・『ウザイ』はそれ自体いい言葉とは言えないものの、これからの人類社会での個人間の適切な関係性を探る上で重要な感受性であるので、一概に否定すべきではない。
・『キモイ』はプリミティヴで生理的な分、切実な感受性ではあるが、単なる慣れの問題、気のせいである部分も多い上に、「差別」という古来からの悪習の温床でもあるので、極力抑制して表明しない方向に行くのが望ましい。
・『死ね』は上級者専用。
・・・・ギャルサーはどこへ行った?(笑)
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