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せっかくなので『ドラゴン桜』について
2006年06月30日 (金) | 編集 |
ちなみにドラマは見ていません。特に好きな作品というわけでもないですし。(今更?)
作中で言われていることはあらかた賛成できますし、少なくともあの文脈においては正しいと思いますが、やっていることはありていに言って洗脳ですよね、どう見ても。
大沢クンという、”洗”うまでもない優れた実例の存在がなかったら、結構嫌な感じかも。

ただそれが問題になってしまうのは、大学受験前の1年間というある特定の期間に、桜木という特定のカリスマから集中的に「教え」を注ぎ込まれてしまうからで、ああいう社会や人生についてのリアリティや一面の”真実”について、それが「家庭の教育」を筆頭とするもっと社会の多様で日常的な局面において、また子供の成長過程全体を通して諄諄と浸透して行ったなら、万々歳というかむしろ健康そのものというか。
この作品に寄せられた現役学生たちからの支持も、要するに「こんなこと誰も教えてくれなかった!」ということなのでしょうし。


ちなみに僕も文系得意科目なら軽く『宇宙人』入っていたかもしれない立派な(?)元受験秀才ですが、『ドラゴン桜』流の実践度は6,7割くらいでしょうか。・・・・別に意識してやっていたわけではないですが、大沢クンを見ていれば分かるように。やれと言われたらやらなかったかも、反抗的という意味では矢島なんて問題になりません。(笑)
具体的には「いかに楽をするか、努力をしないか」に常に知恵を絞っていたこととか、試験時間の戦略的な使い方とかはかなり自信がありました。練習より本番に強いタイプ。

ただ逆に桜木に駄目出しされるだろうなという面も沢山あって、前回挙げた12巻で言えば『私立文系頭』という指摘はかなり痛かったですね。実際に入ったのが私立文系だったのはほぼたまたまですが、確かに東大タイプではないです僕は。

(当面橋の見当たらない川を渡らなければならない時)
桜木
「一方(私文タイプ)は橋や船を探して遠回りするのは面倒臭い(から自力で渡る)」
「一方(東大タイプ)は川に入って自力で渡るのは面倒臭い(から橋や船を探す)」
「この両者の違いは情報の大切さを認識しているかだ」


桜木
「そういう場合、東大出たやつは違う。彼らは自分で新たに考えることが面倒臭いのだ。だから人が既に考えていて効果のあるものを探し、それを利用した方が楽で効率的だと考えるんだ。(そのために調べる)」
桜木
「昔からずっと生き残っているもの、それは優れたものに違いない。そう信じて後は何の疑いも持たない。」
桜木
「それを元に型を作り、出来た型に課題を次々に当てはめて処理していく。そして数をこなしていくうちに自分にあったやり方、オリジナルへと進化させていく。こうやって”自分流のルール”を作っていくんだ。」
桜木
「それなのにお前ら(私文タイプ)は自分自身の頭で考えるといって、何の型もないところからスタートしようとする。だから全然先に進まずに時間だけ無駄に食って、いつまでも形が見えて来ない。結局のところ、自分で考えてるということは何も考えてないということなんだよ。」


・・・・キーッ、やな奴桜木。死ね、死ね、死んでしまえ。
でもその通りだと思いますね。考えてる暇があったら調べるべきです、「社会性」を養う上でも。増してやネット時代ですし。
勿論ことはそう単純じゃないという反論は出来ますし、『私立文系頭』なりの(笑)対案の用意もありますが、それは本題とずれるのでちょっと。


結論は・・・・どうしましょ。「小さな桜木」や「色々な桜木」が要所要所にチョイチョイいるのが、子供が成長する上で良い社会だということでしょうか。集中しちゃうと危険ですが、親を筆頭に一人一人の大人がそれぞれにちゃんと部分的に「真理」を持っていて、それでもって自信を持って子供に立ち塞がってくれる。
選ぶにしろ反抗するにしろ乗り越えるにしろ、叩き台自体があんまりグラグラしてたり逃げ腰だったり、借り物のハリボテだったりでは話にならない。大人がちゃんと大人でいてくれないと子供は辛いです。

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