2006年03月30日 (木) | 編集 |
フジテレビ739。”日本サッカー名士列伝”的なロングインタビュー。
技術・戦術的な話が少な過ぎるし、全体的に力点の置き方がよく分からなかったですが、まあ1時間弱かけて通して半生を語るという贅沢な企画なので、それなりの面白さはありました。
1.アマチュア時代
言わば”近代以前”の業界事情ののどかさに笑いました。
なかなかいい加減な経歴で、こんなのが後の国運賭けた代表監督になるのかよと。(笑)
・サッカーを始めたのは高校に入ってから。
・卒業後2年間の浪人及び大学の一年生時には全くサッカーをやらず、先輩の誘いで二年生になってからまたおもむろに始める。
・それでもヤンマーに就職し、日本リーグの選手になる。
・自ら言う「平凡な選手」で28歳でさっさと引退し、即座にヤンマーの『コーチ』に。(何を“コーチ“する気だ?!)
・直後にかの釜本が入団し、説得力を持たせる為必死で理論を勉強。先生は当時の名物新聞記者たち。
・FIFAのコーチングスクールに参加。初めてみっちり勉強する。
・退団。(退社)
2.日産監督時代
実は僕が一番興味があったのはここ。話に聞く讀賣クラブとはまた別種の「攻撃的サッカー」はいかに築かれたのか、どうして日産はあんなに讀賣に強かったのか。
・神奈川県リーグ2部の日産と、日本人初の『プロ監督』として契約。
・ただし給与も昇給も社員並みで、賃貸の住居と中古の車(当然日産!?)はあてがわれたものの、特に契約更新の交渉などもしなかった。
・最初の日本リーグ1部への昇格までは、特筆すべきスタイル上の特徴はなし。普通に日本リーグ基準の安全・効率第一?
・しかし限界を感じて、「攻撃的スタイルに変えたいがそうすると多分2部に落ちるがいいか?」と会社に打診し、承諾を得る。
・前後に入団して来たユース代表クラスの若手選手たちを起用してパスを繋いできちんと組み立てるサッカーを目指し、宣言通り(笑)陥落する。
・1年で復帰し、その後はめきめきと強くなり就任10年目にして天皇杯のタイトルを取る。
・基本方針は「スペシャリストの技能を上手く組み合わせること」「ピッチ上に一人自分の意向を伝えるリーダーを置くこと」(例えば清水秀彦)。
・打倒讀賣クラブのため、『1ミリ作戦』と称し待遇・施設・環境・スタッフ等、詳細な調査をもとに全ての面で讀賣より”1ミリ”上回ることを目指す。
・国内3冠を置き土産に退団。
サイトトップへ
技術・戦術的な話が少な過ぎるし、全体的に力点の置き方がよく分からなかったですが、まあ1時間弱かけて通して半生を語るという贅沢な企画なので、それなりの面白さはありました。
1.アマチュア時代
言わば”近代以前”の業界事情ののどかさに笑いました。
なかなかいい加減な経歴で、こんなのが後の国運賭けた代表監督になるのかよと。(笑)
・サッカーを始めたのは高校に入ってから。
・卒業後2年間の浪人及び大学の一年生時には全くサッカーをやらず、先輩の誘いで二年生になってからまたおもむろに始める。
・それでもヤンマーに就職し、日本リーグの選手になる。
・自ら言う「平凡な選手」で28歳でさっさと引退し、即座にヤンマーの『コーチ』に。(何を“コーチ“する気だ?!)
・直後にかの釜本が入団し、説得力を持たせる為必死で理論を勉強。先生は当時の名物新聞記者たち。
・FIFAのコーチングスクールに参加。初めてみっちり勉強する。
・退団。(退社)
2.日産監督時代
実は僕が一番興味があったのはここ。話に聞く讀賣クラブとはまた別種の「攻撃的サッカー」はいかに築かれたのか、どうして日産はあんなに讀賣に強かったのか。
・神奈川県リーグ2部の日産と、日本人初の『プロ監督』として契約。
・ただし給与も昇給も社員並みで、賃貸の住居と中古の車(当然日産!?)はあてがわれたものの、特に契約更新の交渉などもしなかった。
・最初の日本リーグ1部への昇格までは、特筆すべきスタイル上の特徴はなし。普通に日本リーグ基準の安全・効率第一?
・しかし限界を感じて、「攻撃的スタイルに変えたいがそうすると多分2部に落ちるがいいか?」と会社に打診し、承諾を得る。
・前後に入団して来たユース代表クラスの若手選手たちを起用してパスを繋いできちんと組み立てるサッカーを目指し、宣言通り(笑)陥落する。
・1年で復帰し、その後はめきめきと強くなり就任10年目にして天皇杯のタイトルを取る。
・基本方針は「スペシャリストの技能を上手く組み合わせること」「ピッチ上に一人自分の意向を伝えるリーダーを置くこと」(例えば清水秀彦)。
・打倒讀賣クラブのため、『1ミリ作戦』と称し待遇・施設・環境・スタッフ等、詳細な調査をもとに全ての面で讀賣より”1ミリ”上回ることを目指す。
・国内3冠を置き土産に退団。
サイトトップへ
| ホーム |


