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神戸戦
2006年04月23日 (日) | 編集 |
なんか一回りして元の所に戻って来てしまったような。

トップ下に人がいないなあ、ドリブル仕掛ける奴がいないなあと思ってたところに永井投入、なるほど、でもどこかで見たような風景だなと思ったら3節愛媛戦でした。中盤の構成も基本的に同じ。
・・・・ただし、今回はそうそう上手い具合に結果は出ませんでしたが。

上手い具合に行かなかったと言えば1−1,1−2後のダレた時間帯。
フフフ、沈滞しろ、腐り果てろ、それでこそウチのペースだハマりかけてるぜ神戸さん、チャンスの予感はなくても得点の予感はあるのがラモス・ヴェルディだぜとすっかり悪い奴ほどよく眠る態勢(?)に入ってましたが・・・・。あら?そのまま終わってしまったぞ?

”上位”とは言っても神戸自体に柏や仙台のようなクオリティの違いは感じられませんでしたが、さすがにそうそう上手くはいかないようで。
クソみたいな準備動作の中からでも、相変わらずバジーリオからみを中心として、瞬間瞬間(攻撃面での)変な要領の良さは垣間見えるんですけどね。教えようとして教えられるものではなく、去年までのチームにもなかった要素なので、ここらへんホントに監督の影響力というのは不思議なものだなと思いますが。(どのみちそれだけじゃしょうがないですけど。)

ま、ともかくも「進歩」や「蓄積」とはいっさい無縁の、循環的な時間の中を生きる無為自然なチームだということが再確認出来ました。ジーコ・ジャパンを早送りで見たらこんな感じなんじゃないでしょうか。
せっかくだからその「3節と今節(11節)の類似性」あたりを足がかりに、自分なりの循環のリズム表みたいなのを作成出来たらなと夢は広がります。太古の暦作成者の喜びを僕に。

その為にもラモス監督には頑張ってもらって、政権の長寿を実現していただかないといけませんが。(笑)
まああれです、ジーコ監督が「黄金」「4−4−2」への固執をとりあえずは捨てることによって、逆に隠れていた監督としての美質というか奇妙な神通力を明らかにして来たように、ラモスにももう1つくらいは奥があってもおかしくないでしょう。同様に「ボランチ大野」と「4−4−2」を捨てた時に何が見えて来るのか。


・・・・ふと思ったんですが、バジーリオっていかにもラモスが捜して来た選手だなと。もっとはっきり言うと前線のラモスですよ、アレは。あの勘の良さと連携力とスピリット。
だから中盤と最終ラインにももう1人ずつバジーリオ=ラモスがいれば、こんなんでもちゃんと機能するのかも知れません。現在でもバジーリオさえいれば何かと得点機が作れているように。大野とデジマールじゃ無理でしょうけど。

そうかあ、「俺の言う通りにやれ」というのは「俺になれ」ということだったんですね?そりゃ分かり易い。正に”ラモス・ヴェルディ”。
「マラドーナが11人いても強いチームは作れない」とよく言いますが、「ラモスが11人」は案外強いような気もしますし(笑)。実際基本的に全ポジション出来ましたからねあの人。

そりゃ悩むよな。何で出来ないか。お大事に。

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