2006年04月25日 (火) | 編集 |
1日空けるほどのネタじゃないんですが、ちょっと忙しかったもので。
神戸戦がここまで怒りを買っているのは、要するにその見るからに無気力というか、惰性に流れてしまった起伏のない内容によるわけですが。まるで抜け殻のような、精根尽き果てたような。
単に連戦の疲れが溜まっているだけなのか、あるいは無秩序から気力を搾り出してミラクルを演じ続けた無理がたたっているのか。早くも自分たちのサッカーに倦んでいるのか。
そうだとすれば僕の「循環」という皮肉も場合によってはむしろ楽観の一種である可能性があって、つまり次のサイクルを繰り返すことすらままならず、このままなすすべなく崩れ落ちて行く可能性。
というのも例によってジーコジャパンとの比較を考えた場合、2つのチームにははっきりした条件の違いがあるわけです。
それは何かというと代表チームならやっていることは同じでも無限に違い人材の選択肢があって、競争も働けばリフレッシュもする。それに「〜予選」なり「〜カップ」なり「〜遠征」なり、招集されるたびに余り長くないスパンの異なる意味付けの大会を戦うので、マンネリ・耐久と言っても自ずと限度がある。
そこらへんがW杯期間も休まず延々続く超長期リーグを戦うJ2東京ヴェルディ1969とは明らかに違って、こちらの耐久戦の肉体的・・・・は勿論、精神的頭脳的負荷は恐らく比べ物にならず、それが成熟を待たずに崩壊要因となることは十分に考えられる。
つまりジーコやラモスの「力」というものがあるとすれば、それは通常の(=並みの)「戦術的」「組織的」チームではあまり使わないようなレベルの選手の底力をほとんど日常的に引き出すことにあると思います。
それに代表選手たちはどうやらここまで耐えて、上昇はしないまでも繰り返し”蘇生”して見せているわけですが、上記のような条件下でヴェルディの選手はそれに耐えられるのか、それが十分な強さに結晶化するまでに潰れてしまうのではないかとそういう危惧もなくはないわけです。
・・・・全て仮想の話ですけどね。「だとすれば」「その場合は」論理的にこういう可能性があるという。実際のところは現状では特に僕はどうだとも思っていません。
まあ少なくとももう1,2回は立ち上がってくれないと話にならないですが。監督がどうでも。立ち上がるでしょうし。
サイトトップへ
神戸戦がここまで怒りを買っているのは、要するにその見るからに無気力というか、惰性に流れてしまった起伏のない内容によるわけですが。まるで抜け殻のような、精根尽き果てたような。
単に連戦の疲れが溜まっているだけなのか、あるいは無秩序から気力を搾り出してミラクルを演じ続けた無理がたたっているのか。早くも自分たちのサッカーに倦んでいるのか。
そうだとすれば僕の「循環」という皮肉も場合によってはむしろ楽観の一種である可能性があって、つまり次のサイクルを繰り返すことすらままならず、このままなすすべなく崩れ落ちて行く可能性。
というのも例によってジーコジャパンとの比較を考えた場合、2つのチームにははっきりした条件の違いがあるわけです。
それは何かというと代表チームならやっていることは同じでも無限に違い人材の選択肢があって、競争も働けばリフレッシュもする。それに「〜予選」なり「〜カップ」なり「〜遠征」なり、招集されるたびに余り長くないスパンの異なる意味付けの大会を戦うので、マンネリ・耐久と言っても自ずと限度がある。
そこらへんがW杯期間も休まず延々続く超長期リーグを戦うJ2東京ヴェルディ1969とは明らかに違って、こちらの耐久戦の肉体的・・・・は勿論、精神的頭脳的負荷は恐らく比べ物にならず、それが成熟を待たずに崩壊要因となることは十分に考えられる。
つまりジーコやラモスの「力」というものがあるとすれば、それは通常の(=並みの)「戦術的」「組織的」チームではあまり使わないようなレベルの選手の底力をほとんど日常的に引き出すことにあると思います。
それに代表選手たちはどうやらここまで耐えて、上昇はしないまでも繰り返し”蘇生”して見せているわけですが、上記のような条件下でヴェルディの選手はそれに耐えられるのか、それが十分な強さに結晶化するまでに潰れてしまうのではないかとそういう危惧もなくはないわけです。
・・・・全て仮想の話ですけどね。「だとすれば」「その場合は」論理的にこういう可能性があるという。実際のところは現状では特に僕はどうだとも思っていません。
まあ少なくとももう1,2回は立ち上がってくれないと話にならないですが。監督がどうでも。立ち上がるでしょうし。
サイトトップへ
| ホーム |


