2006年05月10日 (水) | 編集 |
僕的な小野ヒストリー。
’98 ”噂の天才司令塔”として浦和に入団。
(感想)顔もプレーも老成した子供みたいでパッとしないなあ。
同年 フランスW杯ジャマイカ戦に見習い出場してアグレッシブにプレー。
(感想)こんないい選手だったのか!
’99 ナイジェリアWユースで、サブ司令塔として準優勝に貢献。
小野不在の決勝戦を見て、そのコーディネート力の偉大さを知る。
’99〜’00 シドニー五輪アジア予選で活躍。(本大会は不出場)
俊輔との勇気百倍”フュージョン”の破壊力・官能性に酔う。
’00〜’01 浦和の中心選手、トップ下としてプレー。
単体では地味で怖さもない。浦和にも不似合い。→フェイエ移籍。
’01〜’05 フェイエーノルトで主にボランチとしてプレー。
落としどころではあるが「トップ下失格」という意味でもある。
いずれにしても、常に良質だが想定の範囲内のプレー。
’02 韓日W杯日本代表、左サイドで『第3のボランチ』的にプレー。
チーム事情によるが、『サブ司令塔』ですらなかったのが残念。
’02〜’05 ジーコ新代表監督のもと、基本的にボランチとしてプレー。
輝いたり輝かなかったり。現状不可欠な存在では必ずしもない。
’06 浦和復帰。トップ下、またはセカンドストライカー的(?)にプレー。
分厚い戦力を背景に、ある意味いてもいなくてもいい”贅沢品”的位置。
・・・・で、何が言いたいというとですね、今の小野はクラブでも代表でも、期せずしてこれまでの期待や責任や(固定した)立場から解放されて、あるいは追放されて(笑)、むしろ飛び道具的な文字通りの「攻撃的MF」として秘め続けた”天才”を発揮する自由と必要性を身にまとっている、そういう星回りにあるということ。
これはある意味初めてに近いことであって、そして浦和と代表の直近の2試合におけるそうした方向のプレーに今更ながら&今までになく僕はときめいているということ。やっちまえ!天才児。
(その他雑感)
・開始早々ブルガリアの先制点前のサイドチェンジの超ロングパスが、余りにもストイチコフ風味で萌えた。
・ストイチコフのスーツ姿はやけにクライフに似ている。(恩師を)意識してる?!(笑)
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’98 ”噂の天才司令塔”として浦和に入団。
(感想)顔もプレーも老成した子供みたいでパッとしないなあ。
同年 フランスW杯ジャマイカ戦に見習い出場してアグレッシブにプレー。
(感想)こんないい選手だったのか!
’99 ナイジェリアWユースで、サブ司令塔として準優勝に貢献。
小野不在の決勝戦を見て、そのコーディネート力の偉大さを知る。
’99〜’00 シドニー五輪アジア予選で活躍。(本大会は不出場)
俊輔との勇気百倍”フュージョン”の破壊力・官能性に酔う。
’00〜’01 浦和の中心選手、トップ下としてプレー。
単体では地味で怖さもない。浦和にも不似合い。→フェイエ移籍。
’01〜’05 フェイエーノルトで主にボランチとしてプレー。
落としどころではあるが「トップ下失格」という意味でもある。
いずれにしても、常に良質だが想定の範囲内のプレー。
’02 韓日W杯日本代表、左サイドで『第3のボランチ』的にプレー。
チーム事情によるが、『サブ司令塔』ですらなかったのが残念。
’02〜’05 ジーコ新代表監督のもと、基本的にボランチとしてプレー。
輝いたり輝かなかったり。現状不可欠な存在では必ずしもない。
’06 浦和復帰。トップ下、またはセカンドストライカー的(?)にプレー。
分厚い戦力を背景に、ある意味いてもいなくてもいい”贅沢品”的位置。
・・・・で、何が言いたいというとですね、今の小野はクラブでも代表でも、期せずしてこれまでの期待や責任や(固定した)立場から解放されて、あるいは追放されて(笑)、むしろ飛び道具的な文字通りの「攻撃的MF」として秘め続けた”天才”を発揮する自由と必要性を身にまとっている、そういう星回りにあるということ。
これはある意味初めてに近いことであって、そして浦和と代表の直近の2試合におけるそうした方向のプレーに今更ながら&今までになく僕はときめいているということ。やっちまえ!天才児。
(その他雑感)
・開始早々ブルガリアの先制点前のサイドチェンジの超ロングパスが、余りにもストイチコフ風味で萌えた。
・ストイチコフのスーツ姿はやけにクライフに似ている。(恩師を)意識してる?!(笑)
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